10.回想5〜渦の正体〜
ニュースは瞬く間に広がった。なにしろ全国規模のコンクールだ。凄さも半端じゃない。
翌日の卒業式も、亜季のニュースにかき消されるかのように目立たないものとなった。それでも、誰一人として亜季を憎む先輩はいなかった。物静かで、真面目な彼女はそれが好印象で、先輩達からも人気があったのだ。
亜季の受賞作は、本として出版されることになった。いわゆる作家デビューだ。
何もかもが、ものすごいスピードで決まっていって、それなのに私達はただそれにのまれるしかなかった。
私を、亜季を、とりまく世界が少しずつ変わろうとしていた。
「そこの、ジュース取って。」
「紙コップこれで足りる?」
「ちょっと、飾りつけ手伝ってよー。」
亜季の受賞が決まってから約1週間後。
文芸部の部室で、祝賀会が開かれていた。
まあ、祝賀会といっても、簡単なお菓子や飲み物が出たり、教室を折り紙で飾りつけしたりといった、かなり安っぽいものだ。
参加希望者が大勢いたけど、今回は文芸部員だけということでしぶしぶ承諾してもらった。
この1週間の間に、またいろいろあった。
新聞や雑誌の取材に始まり、編集部の担当さんとの顔合わせ、亜季自身からの全校集会での報告・・
亜季は疲れていた。
紙コップにオレンジジュースを入れて、部室の中を歩き回る。今日の主役のはずの亜季は、隅の方で静かにたたずんでいた。
「亜ー季!」
「・・桃子」
「元気ないじゃん、今日は亜季がメインなのに。ジュース、飲む?」
「ありがとう。」
壁にもたれて2人でジュースを飲んだ。多少周りに人はいるものの、久しぶりに2人になれた気がした。
「この後、また挨拶だっけ?」
「そう。なんか最近緊張することばっかり。」
「慣れるよ、そのうち。」
「・・桃子、私どうしたらいい?」
「え?」
「・・桃子、私怖いの。今まで自分の好きなように小説書いてきて、隣に桃子がいてくれて、それで十分だった。それなのに、急になんか大変なことになっちゃって・・これからどうなるかが怖いの・・」
思いもよらない亜季の告白だった。最後の方は涙声になっていた。亜季に目をやると、彼女は泣いていた。
ショックだった。亜季はこの1週間ずっと、1人で悩んでいたのだ。周りから見たら、すごい賞をとって、本も出せることになって、彼女は幸せの真っ只中にいるようにしか思えない。
それは悲しい誤解だったのだ。ーーー親友なのに気付いてやれなかった。
しばらく私も亜季も黙っていた。亜季のすすり泣く声だけが聞こえる。しばらくたって、私は静かに言った。
「そのままで、いいよ。」
亜季が涙をためた目で、私を見る。
「そのままで、いい。・・もし、これから亜季の周りがどんな風に変わっていったとしても、亜季は変わらないよ。だって、亜季は亜季なんだから。」
「・・ホントにそれでいいの?」
「それでいい。大丈夫だよ。」
亜季は私の言葉を聞くと、ようやく涙をぬぐった。
「ありがとう。なんかスッキリした。」
「良かった。・・あーもう、ひどい顔だよ。これからみんなの前に立つのに。ティッシュ持ってくるね。」
亜季が返事をしないうちに、私は歩き出した。返事なんかなくても、気持ちは十分に分かった。
ティッシュ・・作業室のを使わせてもらうか。
部室を出て、すぐ隣にある作業室の小部屋へと向かった。ドアを開けようとして、私は一旦静止した。中から誰かの声が聞こえる。
「・・でさー、池田さんの小説読んだんだけどー、やっぱ上手いよねー。レベルが違うっていうか。」
「だよー、ウチらとは別世界に住んでんだよきっと。」
いつも、一緒に行動することの多い、クラスの友達達の声だった。なぜか、体が動かない。立ち聞きするような姿勢になってしまった。
「でもさー、なんで桃子なんかと仲いいんだろうね。ほら、あれじゃん?桃子って、池田さんの引き立て役っていうかさー。」
「そうそう、なんか前聞いたんだけどー、小学校の時に授業でほめられて文芸部入ろうと思ったらしいじゃん?自分で才能あるー?とか思ってたりして。」
キャハハッと笑い声が起こる。体が凍り付いた。
「顔も並以下だしさー、整形でもして出直してきたら?って感じ〜。」
「あ、それいいかも。実力じゃ無理だから、外見で勝負しまーすって感じ?」
もう聞いていられなかった。耳を塞いで、そこから逃げ出した。部室には戻らなかった。ただ、走り続けた。
気がつくと、屋上に来ていた。耳を塞いでいた手を、ゆっくりと下ろす。何も聞こえないのを確認して、ホッと息をついた。
もう、祝賀会の挨拶は始まっただろうか?一言だけでも、亜季に何か言ってから来ればよかった。でも・・もう亜季の顔を見たくない。
友達達の声が、頭の中で鳴り響く。引き立て役、才能、整形・・・
「いやっ!」
思い切り頭を振って、言葉を散らそうとした。ーー友達じゃなかったの?そう思ってたのは私だけ・・?
ーーもう、ダメだ。やっと気付いた。私は亜季に嫉妬している。
黒木君の気持ち、小説家の夢、生まれながらの美貌。亜季は私にないもの全部持ってる。
あの黒い渦の正体。今、やっと分かった・・
その時だった。
突然、屋上の入り口が大きな音をたてて開いた。亜季が立っている。
「桃子、ここにいたんだ・・ずっと探してたよ・・」
亜季はマラソンでもしてきたかのように、肩で大きく息をしていた。亜季が私の方に、歩み寄ろうとするのが目に入った瞬間、叫んでいた。
「来ないで!」
自分でもびっくりするほどの大きな声だった。亜季は、足を一歩踏み出した姿勢のまま、固まっていた。
「桃子・・?」
「どうして亜季っていっつもそうなの?才能も何もかも持ってて、なのにそれに気付かなくて・・見てるだけで、イライラする!」
亜季は完全に言葉を失っていた。もう止まらない。私は狂ったように叫び続けた。
「亜季だって、本当は私のことバカにしてるんでしょ!?顔も文才も全部、自分より下なんだもんね!私と一緒にいれば、目立てるから、だから一緒にいるんでしょ!?」
もちろん、そんな訳ないことは、私が一番良く知っている。だけど、亜季のことが憎くて憎くてしょうがない。制御できない。
「亜季といると、私どんどん自分が惨めになる!!もう、引き立て役はごめんだよ!!」
「もも・・こ・・・」
「亜季なんか友達じゃない!!私の前から、消えてよ!!」
言った。
「も・・こ・・」
私は亜季を直視した。怖がらずに、見つめた。
「ご・・めん・・ね・・・」
亜季はかすれた声でそれだけ言うと、静かに屋上から出て行った。本当に、静かだった。
ひとり残された私は、しばらくその場に立っていた。いつかのように冷たい風が吹いていた。




