そのころのみなさん (六月編拍手お礼+α)
大学生編六月の、魔王様が光臨する前段階のお話です。
1.おいてかれたななえちゃん
盛沢さんと竜胆君と、あと、知らない男の子が目の前で消えちゃって、私はなんだか頭がぐるぐるして、ソファーに座り込んだ。
「う~~?」
えーと、ええと。なにがあったんだっけ?
今日は、ケセラン様が「重要なことをきめるなう! 3時のおやつついでに秘密基地に集合なう!」って言ったから、盛沢さんちにお邪魔したんだよね。集合時間まではだいぶ時間があったけど、お茶入れるのとか手伝わなきゃなーって。
盛沢さんって、なんだかんだ言って面倒見イイから、私達がお邪魔するとがんばっておもてなししてくれるんだもん。
そういえば、この前出してくれた外国のメーカーの、ええと、ビスコッティ? あれ、おいしかったなぁ。それに、いつも置いてあるキャンディーもおいしいし。って、それはおいといて。
私がリビングのベランダからお邪魔したら、竜胆君が先に来てたんだ。竜胆君はいつも、来るのがちょっと早すぎる気がする。
いつか、盛沢さんと待ち合わせてデート、なんていう話になったらアドバイスしてあげなきゃ。「あんまり早くから待たれると、プレッシャーだから」って。
盛沢さんは? と聞くと、竜胆君は首をふった。いない、って意味だとおもう。
お留守のおうちに勝手に上がりこんでいるという状況が、私はなんだか気まずくて、そわそわと立ったり座ったり、うろうろしたりしていた。
20分くらい経ったころ、目の端に強い光が過ぎったような気がした。なんだろう、とガラスの扉越しに盛沢さんのお部屋のほうを覗いてみる。この向こうはプライベートルームだから、勝手に行っちゃダメっていわれてるんだけど……。
しばらくして、中から金髪の男の子が、何かを抱きしめてよろよろと出てきた。私と目が合って、驚いたような顔をして駆け寄ってくる。あ、ガラスに頭ぶつけちゃった。綺麗に磨いてあるからねぇ……。いたそう。
男の子はどうやら外人さんで、ぜんっぜんわからない言葉で私に話しかけた。
「あれ、えっと、えっと」
私は英語が得意じゃないし(得意教科は生物だよ!)、外人さんはなんだか苦手で、でも盛沢さんもきららちゃんもいないし、……と、パニックになっちゃって、ひたすら「のー、のー! あいきゃんとすぴーく!」と、半分悲鳴を上げながら手をぶんぶん振った。この子どこの子ーっ?
男の子はそれでもしばらく私に質問(?)してたけど、どうやら本当に通じそうにないとわかって、あきらめてくれた。なるほど、ボディーランゲージって役に立つんだなぁ。
ところどころ「クミ」って聞き取れたから、もしかしたら盛沢さんのこと探してるのかも。親戚の子、とかなのかなぁ? いきなり私達があがりこんだせいで、怖がらせちゃったのかもしれない。どうしよう。
助けを求めるように竜胆君のほうを見ると、男の子もつられて彼を見た。
竜胆君を見つけた途端、男の子は、またまたわからない言葉で、今度はなんだか怒ったような口調でしゃべりながらすたすたと近づいて行った。
なんだかどんどん雰囲気は悪くなっていくし、どうしよう、どうしよう、と悩んでいると、やっと盛沢さんが帰ってきた。彼女は言葉が通じてるみたいだし、これでなんとかなるかな、でも会議は延期したほうがいいみたい、なんて安心している私の目の前で。
男の子が、二人の手をとって。
三人の足元に光る環ができて。
盛沢さんが、私に手を伸ばして。
叫んで。
そして、消えちゃったんだ。
「ううううう~~~~?」
だめだぁ、わかんないよぉ。特に後半。なんで床が光ったの? なんで消えちゃったの?
もしかしてあの男の子は、ケセラン様の言う「敵性宇宙人」で、盛沢さんを人質にするために攫いに来たのかもしれない。あぁ、どうしよう、どうしよう!
「なにやってるの、水橋さん?」
そして解剖されたり改造されたりしちゃうんだ、それで、次に会ったら私達の事を覚えてなくて、ビキニみたいな衣装を着せられて、なんとか団の幹部なんかになっちゃって、それでそれで、一番偉い人の愛人さんにされちゃってるんだ! と思ったら涙が滲んできて、泣き出しそうになったところにやっと頼りになる人がやってきた。
「き、きららちゃんんんん!」
私は座り込んでいたソファーから立ち上がって、きららちゃんに飛びついた。よかった、来てくれた。もう私一人じゃどうしようもないもん。こんなときこそ戦隊の司令塔(盛沢さん命名)の出番だよ。
泣いてる場合じゃないよね。ふたりでがんばって、盛沢さんと竜胆君を取り戻そうね。
2.やってきたきららちゃん
白い悪魔の呼び出しに応じて、私はしぶしぶ盛沢宅を訪れた。まったくもう、私だって色々都合があるのに。
去年の5月までは学校と図書館と家以外、ほとんど外出の無かった私が頻繁に出掛けるようになって、初めはいい傾向だって喜んでいた両親が心配するようになってきたし。なにかいい言い訳はないものかしら。
唯一の救いは、最近バイト代が出るようになった事。一回の出動につき1100円、というなんとも微妙な額ではあるけれど、本代くらいにはなる。
いっそのこと、派遣バイトに行ってることにでもするか。拘束される時間のわりに賃金が安いような気がするけれど。そういえば危険手当だって付いてしかるべきじゃないかしら。あぁもう、腹の立つ毛玉!
そもそもあんまり気軽に出入りされては盛沢さんにだって迷惑でしょうに。
一応「事前にメールを送る」、「ベランダの窓が開いていない時は遠慮する」、「リビング以外にはむやみに立ち入らない」、なんていう最低限のルールは決めたものの、あの有害毛玉は当然のこと、中山君、水橋さん、そして竜胆君はあまり遠慮がない。
もしもうっかり、お風呂あがりにテレビ見ながら寝込んでたりしたらどう言い訳するのよ! 特に竜胆君!
まったく、盛沢さんの八方美人具合には感動さえおぼえる。しかも、お茶菓子までだしてくれちゃって。……おいしいのよね、彼女がだしてくれるお菓子。
今日のお茶請けは何かしら。シフォンケーキだったら最高なんだけど。
盛沢宅のベランダは外からは少し見えにくいようになっているので、かるくしゃがんだ状態で転送すればご近所に見咎められる事はまずない。だから、近くの空き地に降りて、そこから徒歩で玄関からお邪魔するよりも便利だ。
……非常識だけれど、こればっかりは仕方がないわね。
コンコン、と一応ガラスをノックして、返事がなかったのでそっと覗いてみると、水橋さんがソファーの上で泣きながら踊っていた。
多分、またなにかパニックに陥って、手足をぱたぱた動かしているだけなんでしょうけど。私には斬新な盆踊りにしか見えない。
「なにやってるの、水橋さん?」
なんにせよ、いい加減このクセはなんとか改めさせないとね、と思いながらため息混じりに声をかけると、彼女はピタリと動きを止め、私を見上げて、そして飛びついてきた。
「き、きららちゃんんんん!」
がばぁっ、と、飛びついてきた水橋さんを受け止めそこねて、私は危うく転倒しかけた。
いくら盛沢さんと同じくらいに小さいとはいえ、あんな勢いで飛びつかれたらたまったものではない。……テーマパークの着ぐるみの人(あぁ、中の人なんていないんだったかしら?)にもこんな風に理不尽に飛びつかないように、よく叱っておかないと。
しかし、水橋さんが涙をふきふき語る内容に、私のお説教は吹き飛んでしまった。
「誘拐? 盛沢さんを?」
「あと、竜胆君も……」
「営利誘拐かしら。身代金の請求は?」
「え、う、あの、なかったと思う……」
ふむ。
盛沢さんの生家は裕福だ。そう言うと本人は微妙な顔で笑って流すけれど、少なくとも傍目にはそう映る。だから、誘拐されたとなれば一番に営利目的と考えるのが自然だけれど……。
「犯人は盛沢さんのご実家の方に電話をしているのかもしれないわね」
となると、私達はどう動くべきか。
きっとドラマのお約束通り、犯人は「警察に連絡したら娘を殺す」と言うに違いない。営利誘拐で一番犯人を捕らえやすいのは身代金の受け渡しの時だから、そこを見張って……。
「きららちゃん、きららちゃん、ちがうの、あのね」
「仕方ないわ。ここは人命優先で、毛玉の力を利用しましょう。彼女の家の電話回線を……」
「うちゅうじんにさらわれたの!」
さっきから私の思考をちらちらと妨げていた水橋さんが、大声で叫んだ。
宇宙人に攫われた?
不意に、頭のどこかで「私は宇宙人に攫われた」というテロップと、外国の田舎ででっぷりした赤ら顔のおじさん(右手にお酒の瓶)がテレビに向かってわめいている図が思い浮かんだ。
……そうね、昔は宇宙人がどうの、って聞くとこんなイメージだった。あの頃が懐かしい。
「それはつまり、私達に対する人質ってことなのかしら?」
「わかんないけど、でも、早く助けてあげなきゃ」
ビキニがどうの、アイジンがどうの、実は地球を救う鍵がどうの、と、水橋さんは着々と特撮モノを学習しているようだ。でも、私達に対する人質ならなぜ竜胆君まで? まさか単独撃破を狙って?
「盛沢さんが捕まって、助けようとして竜胆君も攫われたの?」
「え?」
水橋さんがきょとん、として、また「う~んと……」っと唸り始めたので、私はとりあえずソファーに座り、足を組んでみた。
……一度やってみたかったの。
「あ! そう、そこ!」
座ったとたんに、水橋さんが私の足元を指差す。人を指差しちゃいけません、と根気よく教えた成果だろう。
「そこに竜胆君が座ってたの」
誘拐犯は、最初に竜胆君に絡み、盛沢さんにはとても友好的で、彼女自身、誘拐犯とはおだやかに話していたらしい。そしてちょうどこの真下が光って、三人は消えた、と。
「……おかしいんじゃない? それ」
床が光って三人が消えた云々は後回しにするとして、盛沢さんが誘拐犯と話していたということは、知り合いの可能性が高いのではないだろうか。しかも、水橋さんにも竜胆君にも、わからない言葉で。
「腕輪で翻訳されない言語……。それを、盛沢さんが?」
毛玉いわく、この腕輪にはあらゆる宇宙言語のデータが入っているはずだ。そして、私達の身体を修復しているナノマシンを通じて言語情報を変換する。
だから私達はラグさえ感じずに敵性宇宙人の言葉を理解し、話している。
それなのに、そのデータに入っていない言葉で、盛沢さんは誘拐犯とやり取りしていた、と? 誘拐ではなくて共犯だったのか? もともと盛沢さんは、敵性宇宙人のスパイだったとか?
いいえ、それはありえない。さすがにそれならあの毛玉が気付くはずよ。だってノルマ制で査定されてるんだから、盛沢さんみたいに捕まえやすそうな相手を見逃すはずがない。
「もう一回、詳しく思い出してみて。盛沢さん、なにかヒントになりそうなこと言ってなかった?」
「えー、ええええ?」
「しっかり!」
「う~~」
ふたたび唸りつつしゃがんだり立ったりする水橋さんを眺めながら、(いつものことだけど)約束の時間を過ぎてもやってこない中山君と福島君に対し、私は半ばイラっとしながらもほっとしていた。
……彼らがあと一時間くらい、遅れてきますように。
3.おくれてきたいつきくん
「悪ぃ、遅れた」
出掛けに少し進路の事で親と口論(というよりは、心配して説教しようとしたんだろうな、あれは)してたせいで、会議に来るのが少し遅れた。幸いな事に時間にはけっこうルーズな上司だから、まぁいいだろ。
そもそもあいつのせいでオレの将来の計画は狂わされて、親に心配掛けるハメになったんだしな。
一応「就活っつーか、この先一生雇ってもらうかもしれないトコでバイトしてる」って言ったら少し安心したみたいだけど……。あーでも、定年退職するまであの青い全身タイツ着るのやだなぁ。せめて40前には次世代に譲って、俺は事務職に回されたい、マジで。
それはともかく、遅刻について根岸あたりにまた文句言われっかあなぁ、と覚悟していたのに、なんだこの状況。
「……こういう時だけ、あなた達って期待するほど遅れないのね」
「ぅ~、なんだっけ~~」
「あ~、ひっでぇ。せっかく姉貴に店番代わってもらってきたのに!」
「お菓子がでないなら解散なう……」
根岸がため息をつき、水橋が頭を抱えながらうずくまったり立ち上がったりしている。飛翔は根岸に文句を言いケセラン様(とつけるのは屈辱だが、一応上司だからな)はなんだか拗ねている。
「なんかあった?」
そういえば、盛沢会いたさにいつも早めに来てるはずの竜胆がいない。
「盛沢さんが……攫われたらしいの」
「は?」
一瞬、竜胆が無理やり盛沢とカケオチ? とか思ったけど、違うよな。あいつはそんな事できるタイプじゃない。無駄に夢みてるしな。家の中に置いて大事にしとかないと倒れる、とか。
盛沢はもっと、しぶといと思うんだけどな。
「攫われたって、なに。光山に? あはは」
まぁ、光山ならわざわざカケオチなんて手段に出る必要はないから、これは冗談だ。
「あ、そう、それ!」
それなのに水橋が反応して大声で叫んだから、オレは一瞬息を止めた。
「え、マジで光山が盛沢攫った? なんで?」
「そうじゃなくて! あのね、盛沢さんが攫われるとき、『こうやまくん!』って叫んだの」
うわぁ……。ピンチの時に光山の名前叫ぶとか、竜胆、気の毒に。勝負あったな。
「光山君を? ……そう、じゃあ今回の件に彼が関与している可能性があるわね」
刑事気取りの根岸が、眼鏡を左手でいじりながら推理ごっこを始めた。こいつ、なんだかわくわくしてねぇ? こういう謎解き事件をずっと待ってた、みたいな空気が伝わってくんだけど。
「そういえば、光山君は敵性宇宙人ではないけれど、要注意だって言ってたわよね?」
光山が只者じゃないというのは、以前の狸型第一級指名手配一族のなんとかっつーのを捕まえた時、ズレた時空の狭間で盛沢といるのを見たときからわかってはいた。
普通だったらオレ達のように、特殊スーツを着るなりしてから動かないと、時空の断層にひっかかって「大変なこと」になるらしいのに、あいつは平気な顔をして、盛沢を守る余裕さえ見せてたっけ。
「ねぇ、ケセラン。光山君って何者なの?」
意地でも「様」とつけない根岸に対し、ケセラン様はふいっと顔を逸らした。どっちもおとなげねぇ。もう愛称だと思って割り切れよ、根岸。
「教えてくれよケセラン様。盛沢はあんたのお気に入りだろ?」
たぶん、たまに垣間見える黒いところに共感を覚えるのか、ケセラン様はこうみえて盛沢を気に入っている。もしくは餌付けのタマモノってやつかも? ところが、返ってきた答えは想定外だった。
「管轄外、なう。協定違反になるから関与してはいけないなう」
そして、「しもべ一号、帰るなう!」と言い残し、不満げに「え~」と声をあげる飛翔を連れてさっさと帰ってしまった。
「えーっと……」
結局、盛沢の家に根岸、水橋、オレの3人が残されたわけだ。……気まずすぎる。
「で、竜胆は?」
そうだ、オレよりも竜胆がここに残るべきだ。あいつが来たらオレも帰ろう。なんで遅刻してんだかしらねぇけど。
「竜胆君はね、盛沢さんと一緒に消えちゃったの」
「それを先に言えよ……」
オレは、水橋と根岸から、今度こそきちんと事の顛末を説明された。
で。オレが出した結論。
「光山に連絡して、頼めばいいだろ、そりゃ」
「だよね、だよね? でもでも私、光山君の連絡先、しらないよ……」
あいつの連絡先なんて、女子の間で売り買いされてた気がするけどなぁ。まぁ、水橋や根岸はそういうタイプじゃあないもんな。そしてオレも知らない。
もう竜胆ががんばればいんじゃね? 帰ってこれなくなったら、その攫われた先で盛沢口説いて結婚して幸せに暮らせばいんじゃね?
面倒になってそんなことを口走りそうになったオレの目の前で、根岸がぐっと拳を握り、重々しく言った。
「……この手だけは使いたくなかったけど」
携帯を取り出し、親の敵のように睨んで、ため息をついた。
「最終手段を、使うわ」
4.あいかわらずのみどりさん
電話が鳴ったのは、お嬢様が蔵に入られて一時間ほどしたころであった。
お嬢様は蔵の中での時間をとても大切になさっている。
お祖母様の遺品を手入れし、分類し、あわよくば今日こそ何らかの「力」を持つ道具を見つけてやろう、と意気込んで篭られた日には、大抵三時間ほどは出ていらっしゃらない。
その間私はお嬢様の集中を妨げぬように、外でお待ちするようにしている。
だというのに、あの忌々しい白鬼ときたら、お嬢様がお優しいのを良い事に……!
ぷるるるる、ぷるるるる、ぷるるるる……
ええい、しつこい!
お嬢様からお預かりした大切な携帯なので地面に叩きつけるわけにもゆかないが、この、携帯というのはなんと鬱陶しい、小賢しい機械であろうか。お嬢様に用があるなら自ら出向いてくるのが筋ではないか。
ぷるるるる、ぷるるるる、ぷるるるる、ぷるるるる……
一体、この無礼者はだれなのかと液晶を見てみれば、「目がね医院」と書いてある。
目がね医院?
よもやまさか、お嬢様は目を患っていらっしゃるのだろうか。私に隠れてこっそりと通院なさっていたのだろうか。何故! 何故私に黙って……? そうか、きっと私に心配を掛けまいとして……!
ということは、これはきっと病院からの連絡なのだろう。せっかくお嬢様が隠していらしたのに、私はなんという事を。お嬢様のお心を踏みにじるような真似を。
電話は一度切れたかと思うと、もう一度鳴りだした。
あぁ、私はどうしたら良いのか……。
「さっきからうるさいぞ。杏樹に電話か?」
お嬢様のお心遣いを踏みにじる行為への罪悪感と、お嬢様を案ずる気持ちの狭間で悩む私の手から、白鬼が電話を抜き取った。
おのれ、無礼な!
「……目がね医院? あ~」
白鬼は何の躊躇もなく、電話をとった。
「もしもし、あぁ、うん。俺。村山だよ。うん、杏樹はいま、ちょ~っと……」
いきなり声色が変わり、いかにも人の良さそうな受け応えをする鬼の姿に、私は薄気味悪い気持ちになった。
そうだ、この演技だ。この、頼りないが無害そうな口調と態度に、私もお嬢様もすっかり騙されて油断していたのだ。私が気付いてさえいれば、こんな鬼をお嬢様に近付ける事など何としても防いだものを。
「は、茶道部の名簿ぉ? 何につかう……うん、うん。んー、まぁ、伝えてみるよ。掛けなおすように言うね」
ぴ、と電話を切った鬼に、私は尋ねた。
「お嬢様のお加減はそんなに悪いのか?」
「は?」
「とぼけるな! 病院からの電話だろう」
「……なんで病院が去年の茶道部の名簿欲しがんだよ、落ち着け。根岸からの電話だ」
根岸? 根岸というと、あの、根岸 きららの事だろうか。お嬢様や私の行動に口うるさくケチをつけていた、学級委員の。
「漢字変換めんどかったんだろ」
いいや、お嬢様の事だ。きっとこれは高度な暗号だったのだ。
実際私には解読不能だったではないか。
「おーい、杏樹。お前の大好きな盛沢のために、茶道部の名簿が必要らしいぞ~」
……白鬼の言う事は更に理解できなかった。きっと人ではないので思考回路が特殊なのだろと前々から思ってはいたが、今度ばかりは確信した。やはりコイツとは相容れない。早々にお嬢様から引き離さねば。
鬼が叫んだ途端、蔵の奥で大きな音がして、お嬢様が呻く声が聞こえた。大丈夫だろうか。きっと、大声に驚いてどこかに頭をぶつけてしまったのだろう。お気の毒に。
しばらくすると今度はだだだだだだっ、という足音と共に、お嬢様が飛び出してきた。
「……誰がっ、誰を大好き、ですって?」
さすがはお嬢様、復活も早くていらっしゃる。
「誰があんなタヌキ娘っ!」
「大好きじゃないか。気になって仕方ないくせに」
「ちっ、違うわよっ! あれは、あの子があんまり調子に乗ってるからっ」
「そうだ。なんて無礼な事を言う! お嬢様があのようなタヌキ娘を友人にしたいなどと、思うはずがない!」
「……っそ、ソウネ」
お嬢様はなぜか視線を地面の方へずらした。しかし、すぐに顔を上げ、説明するように促した。
「それで、盛沢さんが一体なんの用なの?」
「電話してきたのは根岸だぞ?」
鬼は、ほれ、と勝手に履歴を開いてお嬢様に差し出した。
「あぁ、あのうるさい眼鏡。……それが、なんで盛沢さんのことで電話するのよ。本人が直接出向いて頼むべきでしょう!」
お嬢様のお怒りはごもっともである。
それでも寛大なお嬢様は、根岸 きららへ折り返しなさるおつもりらしい。本当に出来た方だ。この方にお仕えできて、私は幸せだ。
「もしもし、根岸さん? どういうこと? 盛沢さんはどうしたの! 本人に……はぁ?」
あんなタヌキ娘のためにお心を砕かれるお嬢様。おいたわしい。
「ま、まぁ、どうしてもって言うんなら、私が直々に助けてあげても……なぁんですってぇ!」
まったく、根岸 きららとお嬢様は相性が悪いというのに。
「わ、わかったわよっ! 今度説明してもらうからねっ。翠!」
「はっ」
「私の部屋から卒業アルバムをとってきて。あの中に挟んであるはずよ」
「は。ただいま」
なんにせよ、私はお嬢様のご指示に従うだけだが。
「よろしかったのですか?」
茶道部の名簿から光山 海人の連絡先を調べ、電話を切ったお嬢様に、私は尋ねた。
光山 海人といえば、お嬢様が高校入学当時から目をつけていた男だ。優男にしかみえないが、あれで文武両道らしい。お家復興のためにも必ず手に入れる、とおっしゃっていたのに。
しかしお嬢様は、ふっと微笑んだ。
「ふん。そのうち本人からキッチリお礼してもらうことにするわ。……待っていなさい、盛沢 久実! この借りは返してもらうわよ! お~っほっほっほっほっほっほ!」
満足げに笑う杏樹お嬢様は……、今日も、お美しかった。
このあと、きららちゃんから光山君に救援要請が入るわけです。