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⑪個人的体験における自我の喪失 ー『個人的な体験』大江健三郎
永遠に続く個の苦しみというものがある。それは絶望的な苦しみだろうか。果てしなく続き、永遠に繰り返すものなのだろうか、明かし得ぬものを、死物狂いに解き明かし続けようとするように。
常に人間は「この世界が理性では割り切れず、しかも人間の奥底には明晰を求める死物狂いの願望が激しく鳴り響いていて、この両者がともに相対峙したままである状態」(アルベール・カミュ 清水徹 訳 『不条理な論証』新潮文庫シーシュポスの神話 P9)に在る。カミュ(Albert Camus 1913-1960)は、それを不条理と呼んだ。
何について考えようとも、結論は出てこないだろう。個であることの苦しみに結論などないからだ。つまり、結論が出るか、出ないかは問題ではないのだ。大切なことは、個人的な体験から引き出されるもの、そこからより大きなものへと移行することだ。
「個人的な体験のうちにも、ひとりでその体験の洞穴をどんどん進んでゆくと、やがては、人間一般にかかわる真実の展望のひらける抜け道にでることのできる、そういう体験はある筈だろう?その場合、とにかく苦しむ個人には苦しみのあとの果実があたえられるわけだ。」(大江健三郎『個人的な体験』新潮文庫P184)
ー完ー




