自伝小説 氷点下のアンビエント Part1
一話完結の短編になります。
J少年には悩みがあった。
自分の口が、とてつもなく臭いのではないか――という悩みである。
実際に臭かったのかどうかはわからない。
しかし本人は真剣だった。
友人が鼻をこする。
先生が顔をそむける。
犬が逃げる。
そのたびにJ少年は傷ついた。
そんな彼には、好きな女の子がいた。
同じクラスのKさんである。
浅黒い肌にポニーテール。明るく活発で、まるで太陽電池で動いているような少女だった。
もちろんJ少年は話しかけられない。
近づけば、口臭で嫌われる。
そう信じていたからだ。
ある日の音楽の時間。
クラス全員が音楽室へ向かい、教室は無人になった。
K少年は机を探るふりをして残った。
そしてKさんの席へ向かった。
机の横には、歯ブラシ袋が掛かっていた。
J少年はそれを見つめた。
すると奇妙な考えが浮かんだ。
「この歯ブラシを使えば、Kさんと間接的に一体化できるのではないか」
思春期とは恐ろしい。
彼は歯ブラシを取り出した。
そして――。
数分後。
J少年は我に返った。
ひどい自己嫌悪だった。
「なんということを……」
だが後悔している暇はない。
授業に遅れる。
彼は歯ブラシを袋へ戻し、廊下へ飛び出した。
そして階段で転んだ。
顎にヒビが入った。
数週間、流動食生活である。
さて。
事件はこれで終わらなかった。
翌日、Kさんが突然、教室で叫んだ。
「この歯ブラシ、なんか変!」
クラス中が騒然となる。
教師までやってきた。
J少年は青ざめた。
だが次の瞬間、Kさんはこう言った。
「すごくミントの味が強くなってる!」
実はJ少年、極度の口臭恐怖症のあまり、常に強力ミントタブレットを大量摂取していたのである。
歯ブラシにその成分が移っていたのだ。
「新しい歯磨き粉みたい!」
Kさんは喜び、クラスの女子たちも使いたがった。
数日後。
学校では「Jミント」が大流行した。
そして数か月後、その噂を聞きつけた歯磨き粉メーカーが新商品を発売。
爆発的ヒットとなった。
J少年は後に、その会社へ入社する。
しかし彼は生涯、自分が開発者扱いされるたび、複雑な表情を浮かべるのであった。




