日々暖々
年末のあわただしさが、最終電車の中まで追いかけてきている。
この時間でも、人込みは多かった。
川村夕美恵しばらく、つり革にもたれていると、少しお酒がはいっているせいか「ふう-」と小さく溜息がでた。
「今年も、一人か・・」
もうすぐ、クリスマスである。
夕美恵は銀行に就職して、もう7年になる。
彼女は家庭の事情で、進学をあきらめ、高校を卒業するとすぐに働かざるを得なかった。
将来は、小学校か中学校の教師を考えてはいたが、製材所を営んでいた父が倒れて、彼女と母親が家族を支えなければならなくなった。
成績優秀な彼女ではあったが、けっして気位の高い嫌味な女性ではない。
容姿は小さいころから美人だし、気立ても良いと近所では評判であったが、高校に入った頃からメガネをかけるようになり、敢えて目立たない格好をするようになった。
発車時刻となり、乗客は朝の通勤時はどではないが、ほぼ満員になっていた。車内は暖房がきいて熱いくらいである。
本線上り、0時05分発、終点三尾原行、広山駅から7番目の千本松駅が彼女の降りる駅である。
思えば、過去に気になる男性がいない訳でもなかった。
幼馴染で足が速くちょっと元気のよい、ここらへんで云う『がんぼたれ』の男の子である。
小学生の頃はよく口喧嘩もしたが、なぜか気があった。
その子はエンピツを削るのが下手で、ボコボコになった彼のエンピツを取ってよく削ってやったものである。
中学生になるとクラスも別れ、話す機会はなくなったが、彼の日常はいつも、耳に入っていた。
母親同士が友達で、子供が同級生ということもあり、家のことや子供のことなど、よく話をしているら
しい。
高校生になると、同じ高校ということもあるが、彼が付き合っていた彼女のが居たこともしっていたし
将来、建築の仕事に就きたいいうことも知っていた。そして、高校一年生の時、最初の運動会で強烈な
印象を学校内に与えたのを覚えていた。
それは、学年別クラス対抗リレ-で、ずいぶん先頭から離れてバトンを受け取った最後尾の彼が猛烈な
勢いで、先行の二人を追い抜き先頭に迫った、すごい速さだったのである。このことは一時期、彼を学
校のヒ-ロ-にした。当然彼女も『これくらいはやるわ・・』と心の中で喜んでいたのである。
電車は三つ目の駅、山田市駅を過ぎると、かなりの乗客が降り、目の前の席が空いた。
昇降口隣の座席に座り、ふと目の前をみると、今思い出していたその男の子が、いや、もう立派な男性が・・。
髪は、クシャクシャ、ネクタイは解け、ズボンのベルトも緩んだ、だらしない格好で、鼾をかきながら
爆睡しているではないか。
夕美恵は可笑しくなった。
『昔はもっと可愛い男の子だったのに』と、小さい頃の彼を比べて、可笑しかったのである。
『この人も忘年会だったのね』と、しばらく様子を見ることにした。
しかし、毎日電車で行き帰りをしているのに、よく今まで出会わなかったものである。
『それほど、縁がなかったのね・・』と、一人妙に納得していた。
しばらく本を読もうとするが、どうも目の前が気になってしかたがない。
良く観察してみると、背広の内ポケットから長サイフが見え、半開きのカバンが、コートと一緒に荷物棚に無造作に投げられている。
廻りに乗客がいないところを見ると、彼の持ち物であろう。
『まったく、盗まれたりしたら・・、どうするのよ・・』夕美恵は心配になってきた。
それから、二駅通過し、一つ手前の野瀬駅に着いたが、まったく目を覚ます気配はないのである。
『どうしよう、起こそうか・・、終点まで行っちゃうよ・・』と、気が気ではない。
そうこうするうちに、千本松駅に着いてしまった。
夕美恵は降りかけたが、すぐに彼を揺り起こして荷物棚の持ち物を取ると、抱きかかえるようにしてホームに降りた。
「仲橋君起きて、千本松に着いたわよ。もうしっかりして・・」
どれだけ身体をゆすっても目を覚まさない。
駅員の人が心配して「お知り合いですか」と聞いて、構内のベンチまで運んでくれた。
自分は、忘年会なので朝は乗合バスで駅まで来ていた。帰りは遅くなるので、タクシ-でと思っていた。
もう、0時45分を過ぎている、とんだ迷惑である。
何年かぶりで再開した男の子は、リッパなヨッパライに成長していた。
先ほどの鼾はなくなって、小さな寝息で夕美恵の肩に寄りかかっている。
『冗談じゃないわ、私はあんたの彼女じゃないんだぞ、ただの通りすがりの同級生ですよ、ほっておけないから手助けをしただけですからね、もう-・・』ためいきが出た。
声をひそめてつぶやいても、相手は何の反応も示さない。
冷たい夜風が丁度いいのだろう、気持ちよさそうに、静かな寝息をたてている。
お酒を飲んで、何も覚えて居無いなんて、嘘だと思ってはいたが『こいつ』は、今あった事など、明日は覚えていないだろうなと、思う。
このまま、ほっておいて自分だけ帰ろうかとも思ってはみるが、この寒空で凍え死んだら後味が悪いし、第一彼の母親に顔向けが出来ない。
ぼんやり、取り留めのないことを考えていると、タクシ-が入ってきた。
彼らの家のある元市までは、駅から車で15分くらいである。
彼の家まで送ると自分の家を通り過ぎるが、まったくこのヨッパライは起きる様子はない。
夕美恵は彼の家まで送るしかないと覚悟をしていた。
川村夕美恵と仲橋幸介が住む町は、東広山市の仁和町元市である。市といってもほぼ全域が農家であり周囲は山と田畑ばかりの田舎町である。
最近では過疎化が進み、彼らが卒業した小学校もいずれ、統廃合されるであろうと危惧されている。
その中で、幸介の家は小さな商店街で母親が豆腐屋を営んでいた。
幸介を家まで送り、夕美恵が自分の家に着いた頃には、もう午前2時近くになっていた。
そして母親が心配するほどグッタリして、疲れが顔に出ているほどだった。
幸介は家についても、目を覚まさなかった。
母親の千恵子は夕美恵が幸介を送って来たことに驚いて、えらく恐縮していた。
『タクシ-代をどうしても払わせて』と言う千鶴子に、『同じ帰り道だし、夜中に一人で帰るのは心細いから、ちょうどよかったんですよ』と、丁寧に辞退して、やっと幼馴染のヨッパライから解放されたのである。
次の日、朝早くから千恵子が豆腐の下拵えをしていた。年末は普段に比べて何十倍も忙しい。
休日の配達は息子達をあてにしているが、手伝いの西原の爺さんと二人で目が回るほどである。
又、今年も大晦日前は、ほとんど寝られないだろうと覚悟していた。
弟の幸次が二階から降りてきた。彼は大学三年生である。教師をめざす弟は、兄より多少出来が良い。
「兄貴、まだ寝ているよ。当分起きないわ」
幸次はいつでも配達が出来るように、服も着替えていた。
「ええ、困ったわねえ。そろそろ内区へ配達に行く時間なのよ、今日は品物が多いし二人で行くのがいいんだけれどねえ・・、どうして訳の分からなくなるまで、飲むんだろうねえ・・」と、愚痴をこぼしている。
「昨日は遅かったねえ、川村さんが送ってくれたんだって、話すのが聞こえていたよ。自分の国家試験の合格祝いだから、途中で抜けるわけにもいけなかったんだろう、大目に見てやれよ」
幸次は兄よりよほど、気遣いの出来る男である。
「そうなのよ、夕美恵さんが幸介を抱えて玄関に立っていたときは、あたしゃ本当にビックリしたわ、何て言えばいいのか、お礼も何も出来なくてねえ・・」
千恵子は、思い出しても恥ずかしそうに肩をすぼめた。
幸次は結局一人で配達に行くことにした。
昼、12時が過ぎて、やっとグウタラ息子が起きてきた。
「おはよう、幸次、行っちゃったか。ごめん、ごめん。昨日は飲みすぎちゃってねえ」
まったく、このバカは何も覚えていない様である。
「お前ねえ、昨日のこと全く覚えていないのかい、あんなに飲んで・・」と、母親は少々機嫌が悪い。
「えー、母さん俺、ちゃんとタクシ-で帰ってきたろう?電車も乗り過ごさなかったしね」
このグウタラ息子は、どこまでノ-天気なのか、千恵子はあきれ返ってしまう。
「何を言っているんだいこの子は、もう・・、昨日、誰に送ってもらったのか覚えていないのかい、ええー!」
千恵子はつい口調がきつくなった。
「ええー?一人で帰って来たんじゃないのか俺は?じゃ、どうやって帰ってきたんだ?」
「あんたねえ、その調子じゃ何も覚えてない様だねえ・・、川村の夕美恵さんの事も覚えてないのかい、一級建築士か何だかしらないが、おまえのバカは本当に呆れるよ、情けない・・」
ついに、母親はさじを投げたように溜息が出た。
「えー、良く事情が呑み込めないんだけど、川村夕美恵が何だって?」
「いいかい、昨日は大変だったんだよ。電車の中でグッスリ寝ているヨッパライを見かけたら、お前だったんだって、千本松についても起きないし、乗り過ごしそうになるから、急いでお前を抱えて降りて、家までタクシーで送ってくれたんだよ。私は玄関に夕美恵さんが、お前を支えて立っていた時はビックリしたよ、申し訳ないやら恥ずかしいやらで、わたしゃどうしていいか、わからなかったよ」
母親の言葉で、なんで話の中に川村夕美恵が出てきたのか、事情は呑み込めた。
「いいかい、若い娘さんに、あんたはどれだけ迷惑をかけたと思っているんだい、ちゃんとお礼はするんだよ。夕美恵さんには今、良い縁談の話があるんだからね。お前のために悪い噂でもたったら、私は澄江さんに顔向け出来ないよ。あのお家は、お父さんが倒られてから、母娘とも苦労しているんだからね、その分ちゃんと幸せになってもらわないと・・」
どうやって、帰ってきたかは、わかったが、やはり昨日のことは、よく思い出せない幸介である。
それにしても、なつかしい名前である。
これ以上母親と話をしていたら、何を言われるかわからない。
自分でコ-ヒ-を入れ、早々に部屋に引っ込んだ。
その名前をあらためて、思い浮かべると、色々なことがよみがえってきた。
『そういえば、俺は小さい頃、あいつが好きだったんだよなあ・・』
ずっと、心の奥に残っていた思いが湧いてきた。
高校も一緒だったのに、ほとんど話はしたことがなかった。そう思うと、小さい頃からの存在が心の中でだんだん、大きくなってくる。
自分の高校生活は、我が世の春、楽しく自分本位で、まわりをみる余裕などなかった。
夕方になって、幸介は車で出かけて行った。
「何処へ行くんだい?」
母親に聞かれても、生返事。
「いや、ちょっと」
と、だけ言って出て行っが、夕飯前に大きな買い物袋を抱えて帰ってきた。
「母さん、俺、明日お礼に行ってくるよ」
「ええ、川村さんのとこかい?」
「うん、早い方がいいだろ、明日は日曜日で居るだろうし、久々に話もしたいしね」
「なんだい、それは?」
怪訝な表情である。
「いや別に、この間の同窓会にも来ていなかったし、ここ数年会っていなかったからね」
「おまえ、ちゃんとお礼だけ言って帰ってくるんだよ、余計な事言うんじゃないよ」
『余計な事って何だ?』訳わからん、と母親をみると困ったような顔をしていた。
「私は前にいらん事をいってね。冗談にも夕美恵さんのような人が、お前の嫁さんに来てくれたら、どれだけ嬉しいかなんて、そんな事を澄江さんに言ったことがあるんだよ」
「ええ、何てこと言ったんだよ、勘弁してくれよ」
母親は、申し訳なさそうにしている。
「ごめんね、変な顔してたよ、澄江さん・・、くれぐれも向こうさんが、気を悪くするような事だけは、しないでおくれよ」
いちいち、念をおして言う。
「わかったよ。何だよ、ちゃんとお礼しろって言ったの母さんだろ。大丈夫、失礼の無い様にするから、でも何でそんな事を言ったんだよ、冗談でもきついわ・・」
横で幸次が笑っている。この弟には何か見透かされているようで、くすぐったい。
彼女の家はゆっくり歩いても15分くらいである。
次の日の午前中、散歩がてら東川沿いの土手道を歩いて行った。
夕美恵の家の近くまで来ると、高校生くらいの女の子が、田んぼの畔から、何やら肥料を撒いていた。
「こんにちは、川村さんの家は、あそこでいいんですよね」
と、尋ねた。
「はい、うちですけど、何か御用ですか?」
「え、あなたは川村さんの家の方ですか、じゃあ、あなたは?」
「ええ、眞理恵です」
と、答えて幸介をまじまじと見た。
そうか、一番上が夕美恵、二番目は奈美恵、そうすると一番下の妹か、幸介は小さい頃の彼女を思い出していた。母親や夕美恵について、よく近所の商店街に買い物に来ていた。
「仲橋といいます、お姉さん、いや、夕美恵さんはいらっしゃいますか」
と、丁寧に言ったつもりだが、彼女はクスクスを笑い出した。
「仲橋のお兄ちゃんでしょ、あんまり余所行きの言葉で喋るから、可笑しくって、ふふふ」
実にほがらかである。
「覚えていてくれたんだね、良かった。知らん顔されたらどうしようかと思った」
幸介にも、笑みがこぼれた。
「で、どうしたのこんな処、来たことなかったでしょ、うちの家に来るなんて初めてよ」
「そうなんだよ、初めてなんだけどね、ちょっとお姉ちゃんにお礼をね・・」
と、しかたなく一昨日の話をすると、
「ええー、あのヨッパライはお兄ちゃんだったの、信じられない。呆れたあー」
思い切りバカにされた。
「お姉ちゃん、すっごく遅くなって、みんな心配したんだからね」
ちょっと、困った顔で攻めてくる。
「ごめんよ、本当に申し訳ない。そのことでお礼と謝りに来たんだよ。悪いけどお姉ちゃん呼んでくれないかなあ、このとうりです」
手を合わせ、夕美恵に似た妹にお願いをした。
「さあ、どうしようかな・・、女性に家まで送られる男性ってどうなんだろう、ちょっとだらしないんじゃないの・・」
今度は、明らかにからかわれている。
「すっごく反省しているんだ、だからこうしてケーキを買って、お詫びに来たんだよ。頼むからお姉ちゃんに合わせてくれよ」
そういえば、この子の小さい頃、自転車に乗せてやったことがある。
田んぼで反対側に向かっていたトラクタ-が向きを変え、こっちを向いたようだ。
「ほら、あそこよ」
眞理恵が指をさした。
「ええ・、何処・・」
幸介は周囲を見渡したが、わからない。
「あれだよ、トラクタ-」
「はあー、トラクタ-ってあれに乗っているのか、お姉ちゃん?」
「そうだよ、だいたい田んぼはお母さんか、お姉ちゃんがやっているよ。私と小さいお姉ちゃんはまだ、乗せてもらえない」
眞理恵は、ちょっと不満そうに言った。
「そうか・・」
幸介は、夕美恵の意外な一面を見たようだ。
「そうだ、お詫びに俺が代わろう、二人はこのケーキでも食べていてよ」
夕美恵は眞理恵が、誰かと親しそうに話しているのが見えるが、遠くてよくわからない。
近くまで来て、それが幸介だとわかると、今の恰好が急に恥ずかしくなった。
「おーい、今度は俺に代わってくれ」
幸介は何年かぶりに口を聞いたのに、小さい頃と同じように声をかけてきた。
夕美恵もつられて、つい同じ口調になってしまった。
「代われって、あんた乗った事あんの?」
『出来っこないわ』と、半ば決めつけている。
「大丈夫だ、毎年、親戚の田んぼは俺が鋤ているんだ。どこのトラクタ-も同じだろ、さあ、どいて、どいて」
半ば、強引に夕美恵と代わると、自分でトラクタ-を運転しだした。
見ていると、扱いは慣れたものである。
夕美恵は呆れたと同時に『そう、昔はこんな感じだったなあ』と、よく口喧嘩もした小さい頃を思い浮かべていた。
「ねえ、あんた何しにきたの?」
多分、一昨日の事だろうとは思ってはいたが、敢えて聞いてみた。
幸介に話しかけるが、エンジン音に消されて、よく伝わらない。
ひょいと横に乗り込み、もう一度大きな声で、同じことを聞くが、運転に夢中でいい加減な返事を繰り返すばかりである。
眞理恵はと云うと、さっき幸介からもらったケーキを持って、さっさと家に入って行った。
小一時間も経ったか、その一枚の田んぼを耕し終わると、お昼を知らせるサイレンが鳴りだした。
「ねえ、何しに来たのよ」
と、夕美恵はあらためて幸介に聞いた。
「一昨日のお礼とお詫びにさ、随分と迷惑をかけたみたいだね、申し訳なかった。何が良いかわからないから、ケーキを買ってきた。甘いものは嫌いじゃなかったかなあ・・」
神妙に、幸介が話すので夕美恵はあらためて、素直になった。
「そこまでしなくていいのに、わざわざありがとうね」
「あの日は、一級建築士の試験に合格したので、会社の人がお祝いをしてくれてね、ちょっと飲み過ぎた。広山駅で仲間と別れて電車に乗るまでは覚えていたんだが、それからがどうも・・」
国家試験に合格とは『すごい!』と、思いつつ、
「覚えてないの、そうでしょうねえ。すごい鼾をかいて寝ていたから。周りの人は迷惑だったでしょうね、前は開けて、だらしない・・、不用心ったらありゃしない」
「面目ない、いつもはあんなことはないんだけどね。へへ・」
幸介は、バツが悪そうに頭をかいた。
「うそおっしゃい。おばさんが言ってらしたわよ、飲んで帰るときは、三回に一回は電車を乗り過ごすか、駅に泊まることがあるって・・」
「まったく、余計なことを・・。それがねあの時はいい気持になってね、暑苦しかったんだけど、急にス-ッと顔に風が当たったと思ったら、いい匂いがしてきてねえ、それがまた心地よくて、このまま、こうしていたいと思ったんだろうねえ・・」
何か思い出して妄想に酔っているので、夕美恵は呆れていた。
「あのねえ、あなた覚えているの」
こいつは、何か覚えているんじゃないかと疑ってみると、
「何が?」
「あれはねえ、あんたを駅に降ろしてタクシ-を待っている時、ベンチで私に寄りかかって、気持ちよさそうに寝ていたの、おかげで私は身動き取れなくて・・」
そう云うと、幸介が近寄ってきた。
「ああ、そうか、ウーンそうだよこの匂いだよ、いい匂いだ」
顔を近づけて、夕美恵の匂いを嗅いでいる。
「もう、いやらしい・・、あっちへいって・・」
と、飛び上がって逃げたが、夕美恵はまんざらでもなかった様である。
「そんなに嫌がらなくてもいいだろう。でも本当に助かった、ほって置かれたら、あのまま終点まで行っていたよなあ。金もスッカラカンだったし、駅で夜を明かすことになったら、南無阿弥陀仏かもしれない、はは・」
この男は全く、反省していない。
でも、夕美恵には幸介のあっけらかんとしたこの態度に、新鮮な感情が芽生えた。
「ふーん・・、割と仲いいじゃん・・」
気がつくと、いつのまにか眞理恵が二人を観察するように見ている。
「あのね、お母さんが、お兄ちゃんにお昼ご飯どうですかって、あんまり進めないようにと言っていたけど、初めてだし、ちょっと寄って行ったら・・」
と、眞理恵が勧めてくれた。
そう云われると、夕美恵にお礼だけ言って帰ろうと思っていたが、彼女の家に興味が沸いた。
それに、ここまで来て、おじさんや、おばさんに挨拶無しで帰るのは無礼である。
夕美恵は『はやく帰りなさいよ』と、言ってはいるが、田んぼを手伝ってもらったし、内心無理に追い返すのも悪いかなとも思っている。
「せっかくですから、お言葉に甘えて、ご相伴になりましょう」
と、幸介があっさり承諾したので、夕美恵と眞理恵は唖然としたと同時に、顔を見合わせて、大笑いしてしまった。
川村家に入ると、いい匂いがしている。
「何もないけど、一緒に食べて行ってくださいね、わざわざ来てくれてありがとうね。それに、田んぼまで手伝ってもらって、返ってわるかったわねえ・」
この母親にも久しぶりである、澄江が食卓に案内してくれた。
「いいえ、厚かましくてすいません。ちょうどお腹が空いたところでした。二日酔いで、昨日からあまり食べていませんでしたので、御馳走になります」
幸介が遠慮なく、素直に話すので、澄江は嬉しくなって、お椀にご飯を山盛りにしてやったら、眞理恵は眼を剝いていた。
夕美恵は本当に厚かましい奴だと思った。
初めて来た家に上がり込んで、しかもお礼に来ただけなのに、ずうずうしくも昼食をご馳走になるなんて、女ばかりの姉妹で育った彼女には、男の子の行動は到底、理解できるものではなかった。
食事の前に、父親の逸郎に挨拶をと、幸介が言うので、母親に促され、しぶしぶ夕美恵は、奥に寝て居る父親のもとに、連れて行った。
逸郎は幸介の事は、覚えていた。
亡くなった、彼の父親、幸雄は逸郎の製材所へ、ボイラ-の燃料にする材木の鋸屑をいつももらいに来ていた。初めて父親に連れられて来たのは、幸介が小学校4年生くらいの頃だったと思う。リヤカ-に汗だくになって、鋸屑袋を運んでいたのを思い浮かべていた。
娘ばかりの逸郎にとっては、男の子の逞しさが、少し羨ましかったのである。
「一昨日は、夕美恵さんに大変お世話になりました。僕の所為で遅くなりまして、申し訳ありませんでした。今日はまたお礼の挨拶に来ただけなのに、食事のお誘いをいただき、ありがとうございます」
父親に、真面目な挨拶をしたので、夕美恵は少し見直した。
「ゆっくりして行って下さい。男のお客さんは珍しいので、家が明るくなったようです。声が奥まで聞こえるのは、嬉しいことですよ」
身体の具合が良かったのか逸郎は、久々に床に起きて、幸介に昔話を少し聞かせた。
昼食を済ますと、別の田んぼを手伝い、夕方になって幸介は帰って行った。
年が明け、澄江は千恵子のところに寄った。
千恵子は、この間の事をしきりに詫びていたが、澄江は幸介が川村家を訪れてくれた時の事を話した。
「ええ、昼食まで御馳走になったの、本当に厚かましくてごめんなさいね。何か粗相はしなかったでしょうね・・、本当にお調子者なんだから・・」
千恵子は、幸介が調子に乗って、失敗したのを何度も知っている。
「違うのよ・・、本当に嬉しかったのよ。これからも遊びに来てほしいのよ」
「それならいいけど・・、あの子、つまらない事は言わなかったでしょうね・・」
「え、どんな事・・?」
「ほら前に、夕美恵さんに縁談話があるって言ってたじゃない。幸介の事で変な噂でもたって、話が壊れたりすると、申し訳なくて・・」
神妙に話す千恵子である。
「あは、何を気にしているの、可笑しな人ねえ。とにかくあれから家の中が変わったのよ。眞理恵なんか、お兄ちゃん、又、遊びに来ないかなあなんて、いつも夕美恵に言ってるわ、ふふ・・」
澄江は、いつになく陽気である。
「それとね、あの縁談話は断ったのよ」
「ええー!、いい話だって言っていたじゃないの。どうしてー?」
幸介が原因ではないかと、千恵子は不安になった。
これは包み隠さず、話しておいた方がよかろうと、澄江は思った。
「いーい、私だって娘が何を思っているかは分かるつもりよ。夕美恵に『この話は、お断りしましょうね
』って言ったら、『お願いします、仲に入った人に申し訳なくて、断れなかったの』と、言うから、『そうね、結婚は自分の一生の事だから、ゆっくり考えないとね』って言ったら、嬉しそうに『ありがとう』ですって」
澄江は嬉しそうに話した。
「そう、断ったの・・。じゃあ、幸介が原因で壊れた訳じゃないのね、ほっとしたわ・・」
胸をなでおろす千恵子である。
「ところが、そうじゃないのよね・・」
「ええー、やっぱり何かあったの?」
「違うのよ、あれからあの二人、広山で仕事帰りに、何度か会っているらしいのよ」
澄江は話すのが楽しそうである。そっと、千恵子に顔を近づけてきた。
「そうなの・・、それって・・、ええー!」
「そうなのよ・・、ほら妹の奈美恵、帰りの電車に二人が乗ってきたのを、見たらしいのよ。二人があまりにも楽しそうに話をしているので、声をかけそびれたって」
「じゃあ、そうなる可能性があるって事なの?」
「そうゆう事だわね」
得意そうに話す澄江に、千恵子は、まだ『信じられない!』って顔をしている。
「でも澄江さん、あなたそれでいいの?、うちの幸介で本当にいいの?」
澄江に、問い質すにはいられなかった。
「私はね、いつの頃からか夕美恵の中に、一人の男性がいる事はわかっていたわ。学生時代は、お互いの気持ちを素直に伝えられないのでしょうね、何かのきっかけがないと」
淡々と話す澄江は、真面目である。
「私はね千恵子さん、あなたとの付き合いの仲で、幸介さんが夕美恵の事を、振り向いてくれないかなと、ずっと思っていたわ。今度の事は、神様の思し召し化もしれないわ。この先どうなるか分からないけど、二人の事を何とか、応援したいの。あの子には、進学もさせないで苦労ばっかりかけてきた。あなたにもお願いよ、今は夕美恵の幸せを一番に考えてやりたいの」
澄江の願いは、千恵子にはもったいないくらい有難かった。
「千恵子さん・・」
二人に母には涙が浮かんで見えた。
「嬉しいわ。私こそ、夕美恵さんがうちの嫁になってくれたらと、ずっと思っていたわ。その夢が叶いそうだなんて・・」
言葉にならないくらいの嬉しさである。
「幸介の事、良く思っていてくれて、本当にありがとう・・・」
「こちらこそよ。お父さんもね、小さい頃の幸介さんを覚えていてね『彼はいい、幸介君ならいいよ』って、それまで長生きしなきゃって、少し元気になったみたいよ」
二人はその時を想い、喜びを分かち合いながら、二人の幸せを祈るのである。
終わり




