15-11
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「まったく、お従兄様ったら、私の力を見くびっていらっしゃるわ」
屋敷に戻ったマリー・ルイーズは不機嫌そうに言うと、サロンの長椅子に優雅に腰を下ろした。
「母上、母上はエイゼンシュタイン王族とは言え、既に隣国の公爵家の人間です。呼ばれてもいないのに、王族会議に出席なさるのは如何なものでしょうか」
完全に暴走状態に入りつつある母を何とか宥めようと、アントニウスは笑顔を張り付かせて言った。
「妹のヴァイオレットが教えてくれたのよ、この国に居るなら出席したほうが良いのではとね。なんの問題があって? あなたは王族ではないから、置いていったでしょう」
未だにエイゼンシュタイン王族であると言う矜持を保っているマリー・ルイーズには馬の耳に念仏だった。
「とにかく、これ以上余計なことはなさらないでください」
アントニウスが語調を強くすると、マリー・ルイーズは顔を背けてアントニウスの言葉を黙殺した。
「母上がアレクサドラ嬢を追い詰めるような事を続けられるなら、私は彼女を諦めて国に帰ります」
本心ではなかったが、これくらい言わなくては母の耳に届かないことはアントニウスにもよくわかっていた。
「何を言っているのですアントニウス、ここでアレクサドラさんを諦めたら、社交界の笑い物ですよ」
母の言葉に、アントニウスは「そらきた」と心の中で思った。
別に、母親との親子関係に問題があると思ったことはなかったが、王族出身で気位の高い母にとって一番耐えられないのは、社交界の笑い物になることだとアントニウスは思っていた。だから、ここまで外堀を埋め、後一歩でアーチボルト伯爵に結婚を承諾させられる、チェスで言うならチェックメイト目前、余裕で足を組み替えて駒を動かし、笑みを浮かべながら『チェック』と宣言できる状況にあるのに、全てを投げ捨てアントニウスが敗北宣言をしてゲームから去れば、それはもうエイゼンシュタイン独身男性貴族が万歳三唱して大喜びし、エイゼンシュタインの社交界だけでなく、悪くすればイルデランザの社交界でも、母のマリー・ルイーズ共々いい笑い物にされるのは目に見えるくらい明らかだった。だから、母が過剰なほどに『社交界の笑い物』と棘のある声を上げることはアントニウスには想定の範囲だった。
「別に、本当にアレクサドラさんに飽きたとか、別に好きな女性ができたとか、そう言ったことなら仕方がないですけどね」
この一言がなければ、アントニウスでさえ、母は社交界の笑い物にならないために、自分を無理矢理にでもアレクサドラと結婚させようとしていると、信じさせてしまうほど気位が高かった。
しかし、アントニウスにとってアレクサドラは、諦めたところで忘れられるような女性ではなくなっていた。たとえ、他の女性と結婚したとしても、一生忘れられない、アントニウスにとってアレクサドラほど、本気で恋し愛した相手はいなかった。何しろ、女性だと知る前から、同じ男だと信じていたときから、ずっと気になって仕方なく、とうとう自分でも女性に飽きて、男に走るという末期的症状が出ているのかと不安になるくらい、アレクシスの事が気になった。でも、それはアレクシスの事だけで、他の男には興味の『き』の字も持てない自分に、アントニウス自身、秘密を知るまではずいぶん悩んだものだった。
しかし、あの日、真実を知った瞬間から、アントニウスは自分の直感がずっとアレクシスは女性だと告げ、誰もアレクシスが女性だと気付かないときから自分は彼女に恋していたのだと確信させたのだった。
「他の女性になんて、興味はありませんよ。でも、私にとって一番大切なのはアレクサドラ嬢の幸せなんです。母上、おわかりですか? 彼女が心から私を愛してくれるなら、私は彼女を妻に迎えたい。だが、母上のように外堀を埋めて、逃げ場をなくして、強引に答えを迫るような方法は嫌なんです」
アントニウスの言葉に、マリー・ルイーズは大きな溜め息をついた。
「そんなことでは、お父様と一族が進めていらっしゃる、アッシュバーン公爵のところのアポロニアとの結婚話がまとまってしまいますよ」
母の言葉にアントニウスは目を見張った。
「アポロニアと私が? 彼女は妹みたいな従妹ですよ!」
アントニウスにとって、アポロニアは歳の離れた妹のような従妹で、小さい頃からよく子守のような役を引き受けて遊んであげたことも多く、小さくて可愛い妹ではあるが、異性には全く思えない相手だ。
「ええ、分かっていますよ。でも、私がエイゼンシュタインから嫁いだこともあって、一族としてはあなたの妻は一族から選ぶべきと言うお話が出ているようです」
「絶対にお断りです! この世に女性がアポロニア独りになったって、お断りですよ! 私にとって、彼女は妹です。それに、年の差を考えたことがありますか? アポロニアは、まだ十六歳。私とは十歳以上も年が離れているんですよ!」
アントニウスの憤りと呆れの合わさった言葉に、マリー・ルイーズは再び溜め息をついた。
「もちろん、私は反対です。あなたが、どれほどアポロニアを可愛がっているか、よく知っていますから。でも、一族からすれば、あれほど可愛がっているのだから、アポロニアならあなたも納得するだろうと・・・・・・」
「お話になりません!」
アントニウスは言うと、サロンから出て行ってしまった。
「やっぱり、アポロニアとの話が進んでいる事は知らなかったのね」
マリー・ルイーズは呟くと、何度目かの大きな溜め息をついた。
夫からすれば、エイゼンシュタインで派手に浮き名を流していることは国にも聞こえてきており、グランフェルド公国の大公女との縁談を進めていたのだが、その浮き名の噂が耳に入ったせいで話が流れてしまい、公爵家の跡取りであるアントニウスに相応しい良縁が無いところへ、ちょうど末の姪が社交界デビューを果たしたこともあり、手の着けられないアントニウスの綱取り役として白羽の矢が立ったのがアポロニアだった。
マリー・ルイーズ自身、従兄であるルドルフに恋愛感情を持ったことが無いのだから、アポロニアもそうかと思いきや、アポロニアはまんざらでもないと聞かされ、それこそ居ても立ってもいられず、これ以上話が進まないようにとばかり、思い切って帰国してみれば、息子は既に相手を見つけていたと言う、なんとも渡りに船のような状態ではあった。
強いて言えば、唯一の誤算は、未だに相手がアントニウスの事を受け入れておらず、婚約への決定打が打ち込まれていないことだった。
アントニウスが望まないだろう結婚話が決まってしまう前に決定打を打ち込み、多少強引でも、めでたく婚約へと持って行きたいマリー・ルイーズと、あくまでもアレクサンドラの気持ちを重んじたいというアントニウスとのすれ違いは平行線で、決して交じることはなく、多少アントニウスに嫌がられても、なんとか話をまとめてやりたいというのがマリー・ルイーズの親心だった。




