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初恋の君に真紅の薔薇の花束を……  作者: 萩野紫苑
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15-9


☆☆☆


 昨晩の夜会で『アレクサンドラを嫁に』と迫る貴族に拉致され、飲みたくもない酒を浴びるほど飲まされた挙げ句、一晩中悪夢を見続けた伯爵は完全な二日酔いに襲われ、起床時間を過ぎても執事を待たせたまま二度寝しようと、激しく痛む頭を抱えていた。そこへ『あなた、寝ている場合ではありません』と、寝室に踏み込んできたアリシアの鬼気迫る様子に悪夢の続きを見ているのかと、伯爵は卒倒しそうになった。

「奥様・・・・・・」

 執事がアリシアを宥めようとしたが、アリシアは執事に道をあけさせ、ジャスティーヌから渡された恐ろしい内容が記されたアントニウスからの手紙をルドルフの目の前に突きつけた。

「そんなに急ぎなのか?」

 しぶしぶ起き上がったルドルフは、甘い言葉が並べられた手紙に顔を上げた。

「どこのどいつがこんな手紙をアレクサンドラに? アレクサンドラは、まだ公式には殿下と見合いの最中だと言うのに・・・・・・」

 ルドルフは言うと、再び横になろうとした。

「あなた、その先です。問題なのは、その先です!」

 アリシアに言われ、ルドルフは再び手紙に目をやった。

 ルドルフの顔が青ざめるのに、そう時間はかからなかった。

「まさか!」

「その、まさかです!」

「ならば、ライラをアレクサンドラにつけて、新しいメイドをジャスティーヌにつけるしかあるまい」

「そんな、無茶です。もし、見合いの期間が明け、ジャスティーヌが正式に婚約となったら、王族に入るための行儀見習いで王宮に入ることになるのですよ。敵地に気心の知れていない、ましてや敵のスパイのような侍女をつれて行かせられません」

 アリシアの剣幕に、ルドルフは大きなため息をついた。

「では、今から新しいメイドを雇うしかないか・・・・・・」

 言っているルドルフ自身、そんな余裕はどこにもないことをよく知っていた。

「ですから、緊急事態なのです」

「国家間の争いに気を取られて、こんな近くの落とし穴を見落としていたとは・・・・・・」

「見落としていたのではありません。私は、アレクサンドラを社交界にデビューさせると決めたときから、この問題に頭を悩ませていたのです。貧乏とはいえ、歴史の古い家柄を考えれば、社交界にデビューする娘二人に侍女が一人なんて、世間体よりも、娘たちに辛い思いをさせるばかりです。ただでさえ、火の車の家計のせいでドレスは着まわし、サイズ直しでごまかし、社交界で気まずい思いを何度もジャスティーヌはしていたはず。それをアレクサンドラにも味わせるなんて、可哀そうすぎると。そこへ、勿体ないお話が来て、二人とも衣食住には困らなくなったとはいえ、それでも、侍女が一人では、外出もままなりません」

「しかし、アリシア。私としては、アレクサンドラを外出させるのはやはり心配で・・・・・・」

「あなた、何を心配なさっているのですが? 昨晩のアレクサンドラをご覧になられたでしょう? あの子は、もう立派なレディです。あなただって、縁談の話にお困りなのではないですか? 私だって、奥様方から、アレクサンドラの将来に関してあちこちで問い詰められ、感の鋭い方など、まさかこのままアントニウス様に嫁がせるつもりではないのかとか、色々尋ねられましたのよ」

 アリシアの言葉に、ルドルフは自分と同じような状態にアリシアが置かれていたことを初めて知った。思えば、昨晩は悪酔いして気分の悪いルドルフも質問攻めにあったアリシアも、帰りの馬車の中では一言も口をきかず、どちらからともなく帰宅後はそれぞれの寝室に帰り、夫婦の寝室では休まなかったのも頷けた。

 ルドルフ自身、生まれたのが娘二人の双子だと知った時、将来にかかる出費を考えると手放しで喜べず、アリシア付きの侍女から『旦那様!』と一括され、執事からも『旦那様』と促され、男児ではなかったが、二人の娘を産むという大業を果たした妻へのねぎらいの言葉をかけたのが今も思い出された。

 残念ながら、一度に二人の娘を産んだアリシアにその後妊娠の気配はなく、こうして二人の娘が社交界にデビューした今、伯爵家には後継者と呼べる息子はなく、本来であれば、どこかからアレクサンドラに婿を貰い、後継ぎにするべきところなのだが、そのアレクサンドラもイルデランザ公国との和平の為に嫁がせることを求められ、ルドルフは後継者問題と、当面の間秘密にしておかなくてはいけないアレクサンドラが嫁ぐであろう嫁ぎ先の事をぬらりくらりとごまかし続けなくてはいけない立場に置かれていた。


 いっそ、アレクサンドラがアントニウスを嫌いだとはっきり意志を伝えてくれれば、父親として陛下にも、このお話はなかったことにと伝えることもできたが、ブリッジの折に良家の娘をイルデランザ公国の主要貴族に嫁がせることをさりげなく提案したのが自分である以上、あまりこの話に否定的になるのは立場として難しいが、それでも娘の幸せを考えれば、好きでもない男のところに、せっかくレディになったのに嫁がせたいとはルドルフは父として思えなかった。

 しかし、さすがにやり手のマリー・ルイーズだけあって、狙った標的は逃がさない、まさにその性格がありありと出ている責め方だった。


 実際、マリー・ルイーズは嫁ぐ前に普通は女性が口を出さない政治問題にも辛口で切り込み、陛下に意見をしており、ルドルフの提案に従って陛下がマリー・ルイーズをイルデランザ公国に嫁がせると決めた時、噂に聞いた話では、マリー・ルイーズは臆することなく『では、いずれイルデランザ公国もお兄様の前に膝間付くようになりますわね』と勝気に言ってのけたというのだから、それを諦めて嫁いだザッカローネ公爵の情熱というのは素晴らしい物だったのだろうと、ルドルフは今も思っている。しかし、マリー・ルイーズの標的にアレクサンドラが選ばれたとなると、正直、後ろには両国間の和平問題と陛下がついているわけで、ルドルフとしては無碍(むげ)にもできず、まさに蛇に睨まれたカエルと言ったところだ。


「こまったものだ」

 ルドルフが呟くと、アリシアは大きなため息をついた。

 ルドルフにはレディや夫人に求められていることは理解できるが、その詳細部分の重要性は男性の立ち入るところにはなく、まさにこの侍女問題がそうなのだが、どれ程重要なものかと言われると、身の回りの世話をして、外出時にお供をする、それ以外の必要性があるのかどうかもよくわからなかった。


「私の侍女に兼任させましょう。アレクサンドラのところに新しい侍女を雇うことは無理ですから。それに、マリー・ルイーズ様のところから侍女がくれば、屋敷の内情は筒抜けになりますし、アントニウス様が夜這いをかける手引きをする可能性もあります」

 『夜這い』という言葉に、ルドルフは男性から見た時の侍女の最大の役目を思い出した。侍女を落とせば、レディに秘密で連絡をつけることも、外出時に席を外させることも、それから、事あるごとに自分の事を良く話し、レディに好感を持ってもらえるようにする、そういう役目があったのだと。それを思うと、侍女を預かるイコール、アーチボルト伯爵家始まって以来のセキュリティーホールが生まれるということになる。

 つまり、未婚の娘の寝室の窓のカギが開きっぱなし、出入り自由ということになるという、考えるだけでもぞっとする事態に見舞われることになるのだ。

「そうだな。もし、マリー・ルイーズ様が侍女を連れてきたら、アリシア、お前の侍女として迎え、お前の侍女をアレクサンドラにつけることにしよう」

 ルドルフは言うと、満足そうにうなずき、再びベッドに横になった。

 アリシアはルドルフの枕を取り上げ、上掛けの羽布団を力一杯にめくりあげてやりたい衝動に駆られたが、その怒りをゆっくりと飲み下すと、静かに口を開いた。

「そうなると、マリー・ルイーズ様がお連れになった新人の侍女がメイド頭となって、我が家を切り盛りする事になりますわね。さぞ、マーガレットも肩の重荷が下りて、心安らかになることでしょう」

 アリシアの静かな言葉は、ルドルフを跳び起きさせるのに充分すぎる刺激になったようで、ルドルフは起き上がるとしっかりと目を開けてアリシアの事を見つめた。

「つまり、絶体絶命か?」

「そうですわね。後一手でチェックメイトですわね」

 逃げ道が無いことにルドルフは大きなため息をつくと、突然、執事を呼び寄せて着替えを始めた。

「あなた、いったいどうなさるおつもりなのですか?」

「陛下にお話し申し上げ、丁重にお断りをいれる」

「アレクサンドラが実はアレクシスだったと、陛下に申し上げるのですか?」

 シルクのシャツに手を通しかけていたルドルフは、留めの一言でシャツの袖から腕を引き出した。


 確かにマリー・ルイーズのやり方は強引で、それは社交界全体にアレクサンドラはアントニウスの妻になると広告宣伝して回るのと同じくらいの効果をもつ行為だが、決して前例がないことではない。

 貧乏伯爵家から他国の公爵家に嫁ぐとあれば、事前に礼儀作法からしきたりなど、細々としたことを侍女に教えてもらい、嫁いでから夫に恥をかかせず、自分も困らないようにするという意味で、格の違う家に嫁ぐ場合、こういう事は珍しくはない。

 しかし、アレクサンドラがアレクシスであるという大きな秘密を抱えている伯爵家にとって、他人を家に迎えると言うことは、秘密がしれてしまうかもしれないという史上最悪のセキュリティリスクを負うことになる。しかし、ただ国王に話を持って行ったところで、両国の橋渡しにアレクサンドラをアントニウスに嫁がせたいという事情がある以上、大人しく陛下が頼みを聞いてくれるはずもない。

「万策つきたか」

 ルドルフはいうと、肌着のままベッドに座り、大きなため息をついた。

「はい」

 アリシアは言うと、突然めまいに襲われ、ルドルフの方へと手を伸ばしながら体制を崩し、そばに控えていた執事に体を支えてもらい、倒れずに済んだが、めまいは止まらずそのままルドルフに抱き抱えられ、自分の寝室へと運ばれていった。


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