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「なぜ私に断りもなしにアレクサンドラ嬢に会いに行ったのですか?」
馬車に乗るなり、アントニウスは声を荒げた。
「あなたのそういうところ、本当にお父様似ね。悪いところは似なくて良いのよ」
マリー・ルイーズは他人事のように言うと、アントニウスの問いに答えようとはしなかった。
「御者が言ってましたよ、母上に命じられて、わざと脱輪させ、アーチボルト伯爵家に助けを求めに行ったと」
アントニウスが更に問い詰めると、マリー・ルイーズは仕方なさそうにアントニウスの方を向いた。
「せっかく、見合い見合いと病気のように繰り返すお父様を黙らせるために私がこちらに来たというのに、あなたときたら、本命であるお嬢さんには紹介もしてくれないのですもの。将来の姪になるジャスティーヌ嬢に会いに行って何が悪いというの?」
マリー・ルイーズの言葉に、アントニウスは鋭く母の事を睨みつけた。
「ジャスティーヌ嬢に会いに行ったのではなく、本当はアレクサンドラ嬢に会いに行ったのでしょう?」
「だとしたら、何がいけないの? 私がアレクサンドラ嬢に会いに行くのに、なぜあなたの許可がいるのです?」
マリー・ルイーズは開き直って言った。
「お願いですから、傷口に塩を塗るような真似は止めてください」
アントニウスは吐くように言った。
「傷口に塩を塗る? 何を言っているのです? 私は、あなたの恋が成就するように、橋渡しをするためにわざわざエイゼンシュタインまでやってきたのですよ。ただ、あなたのお父様がうわごとのように口にする『見合い』という言葉から逃れるためだけではありません」
マリー・ルイーズの毅然とした態度に、事情を説明できないアントニウスは、仕方なく口を閉じた。
「あなたがアレクサンドラ嬢に恋していることも、本当は妻に迎えたいことも分かっています。あなたが応接間に入ってきた時のあの顔、あの顔を見てあなたが彼女に骨抜きだということに気付かない人がいるとしたら、よっぽどその手の事に疎いか、目が見えないかのどちらかです。何しろ、あなたの顔にはアレクサンドラ嬢を愛していると、はっきりと書いてありましたから」
母の言葉はあまりにももっともで、返す言葉もないほどだった。応接間に案内され、光り輝く上品なジャスティーヌの隣に座るアレクサンドラの、スッと筋が通ったような、可憐で居ながらもどこか強さを漂わせる美しさに目が釘付けになり、もう少しで母を迎えに行ったことを忘れ、再び愛の言葉を紡いでしまいそうだった。しかし視界に、してやったりという顔をした母が入った瞬間、アントニウスは冷静さを取り戻し、無事に母を屋敷の外へ連れ出し、馬車へと押し込むことが出来たのだった。
「母上だって、分かっているはずです。片方が愛していたからと言って、結婚が成立するわけではないということも、それに、地位や権力をかざして愛してもいない相手を無理やり伴侶とすることの虚しさも。ですから、これ以上、私の傷口に塩を塗るようなことは止めてくださいとお願いしているのです」
アントニウスが言うと、マリー・ルイーズは少し首を傾げた。
「あなたは何をして、私があなたの傷口に塩を塗っているというのですか?」
マリー・ルイーズから見れば、社交界デビューに関わる一切の仕度を一手に引き受けることを親が承諾するということは、半ば婚約したも同然。当然、女性の親から娘を貰ってくれとは切り出せないわけで、援助をした側から、さりげなく結婚の話を切り出すのが当然の流れだ。そうとすれば、未だに良家の娘の一覧とにらめっこをしながら、真剣に自由奔放に育った息子に見合いをさせようと考え、涙ぐましい努力を続けている夫に、それが完全に無駄骨であることを妻であり、母であるマリー・ルイーズがはっきりさせることが出来るので、公爵もマリー・ルイーズの言葉であれば素直に諦めて聞くと思われた。
イルデランザ公国では、他国から嫁いできた公爵夫人であるマリー・ルイーズは余所者扱いをされることが多いが、母国エイゼンシュタインに戻ってくれば国王であるリカルド三世の従妹。従兄である国王の私的なブリッジ仲間であるアーチボルト伯爵の長女が王太子のロベルトに嫁ぐことが決まっている今、その妹を公爵家の嫡男の妻にと望むことは、世間から見てもおかしくもなんともないことだ。それなのに、完全に狼狽し、疲労困憊している息子からは、わざわざ母であるマリー・ルイーズがエイゼンシュタインに帰国してまで、息子の恋を助けようとしていることに対する歓迎の態度も、喜びも見られなかった。
「私は、既に結婚の申し込みをして、お断りを受けているのです」
実際には、断られたというよりも、アレクサンドラはアントニウスの情夫になるという屈辱的な立場は受け入れているのに、妻になる事は相応しくないからと断り、アントニウスには国で妻を娶り、エイゼンシュタインを訪ねた時に関係を持つ相手として、社交界デビューの支度金のかたに自分自身を差し出すと言うだけだった。
アントニウスの正妻になるなど考えられないというのが断りの理由だったが、そのことを母に話せば、そこに至った経緯と、アレクシスの存在に関する秘密を話さなくてはならないので、アントニウスには口をつぐむ以外に道はなかった。
「既に断られたと? まさか! あなたはイルデランザ公国のザッカローネ公爵家の嫡男ですよ! あのアーチボルト伯爵がそんなことをするとは思えません」
マリー・ルイーズは驚いて声を上げた。
「伯爵には、正式にお話ししてはいません。ただ、伯父上にお話をしたので、伯爵もご存知だとは思いますが、何しろ従弟の見合い相手に懸想しているわけですから、筋を通しておかなければ、両国の間に問題が発生してはいけませんから。ですから、結婚の申し込みは、アレクサンドラ嬢に直接です。そして、お断りを受けました」
アントニウスは言うと、がっくりと頭を垂れ、大きなため息をついた。
今でも、あの日のアレクサンドラの『私はあなたの情婦になります。それがあなたの望みならば・・・・・・』という言葉がアントニウスの耳に残っていた。
極めつけは、あの日以来見る夢は、アレクサンドラに求婚し、承諾を得られたと思うと相手は別の女性で、近くの木陰からアレクサンドラが、アントニウスが他の女性に求婚している姿を見ていたという悪夢ばかりだった。いつも悪夢は、アントニウスが相手の女性に自分が求婚したかったのは、アレクサンドラだと言い、逃げていくアレクサンドラを追いかけようとして足がもつれ、倒れて目が覚めるという繰り返しだった。
「なぜアレクサンドじラ嬢は、あなたの求婚を断ったのでしょう?」
理由は一番アントニウスが良く知っていることだったが、いざ説明するとなると非常に難しい。アントニウスの独占欲に端を発する悪戯心が誤解を生み、アレクサンドラの心を貝のように固く閉ざしてしまったからだ。
アレクサンドラに、アントニウスはただアレクサンドラを弄んで楽しんでいるだけだと、そう信じ込ませてしまったからいけないのだが、その理由は、愚かの一言だった。何しろ、ジャスティーヌに一目惚れしたロベルトを散々からかって遊んだ自分が、ロベルトと同じようにと言うか、正確には父と同じようにと言うべきなのだが、アレクサンドラに一目惚れしたと認めたくなかったからと言うのが、本当の理由だった。それを隠すため、アレクサンドラと恋の駆け引きのゲームを楽しんでいるうちに、本当に好きになってしまったのだというふりをしたかっただけだったのだが、全てが悪手だったとしか言いようがない。何しろ、深く傷ついたアレクサンドラの心は頑ななまでに閉ざされ、もはやアントニウスを受け入れてくれる事などあり得ないだろう。
「私がこの国で流した浮名の数は、数え切れませんし。そういう軽薄な男は嫌だと思われたのかもしれません」
アントニウスは考え得る無難な理由を自虐的に言ってのけた。
「それならば、ロベルトも同じでしょう? あのおとなしく慎ましやかなジャスティーヌ嬢が、ロベルトの求婚を受けようというのに・・・・・・」
「母上、あの二人が婚約したのは、子供の頃です。その事を伯父上が知ったのがつい最近なだけで、ロベルトが浮名を流していたのは、ジャスティーヌにやきもちを妬かせたかったから、ただそれだけです」
苛立ちと後悔と、蘇ってくる悲し気なアレクサンドラの表情と言葉で頭がおかしくなりそうなアントニウスの頭、にマリー・ルイーズが手を置いた。
「アントニウス、私はあなたの母です。あなたの名誉を守るためなら、どのような秘密も墓までもっていく覚悟はできています。母に話してごらんなさい、あなたが隠していることを・・・・・・」
子供をあやすように優しく頭をなでる母に、アントニウスは思わずすべてを話してしまいたいと思ったが、寸でのところで思いとどまった。
「母上、私は母上の名と自分の名誉にかけて誓ったのです。私が偶然知りえた重大な秘密を絶対に誰にも話さないと。この秘密は、私が土に還るまで、私の中に封印されたのです」
顔を上げてアントニウスが言うと、母のマリー・ルイーズは怒るどころか、誇らしそうにアントニウスの事を見つめた。
「それでこそ我が息子です。母に優しくされたくらいで、秘密を洗いざらい話すような息子に育てた覚えはありません。ですが、これだけは言っておきます。あなたの帰国は中止です」
「えっ?」
「あなたには責任があります。社交界になれていないアレクサンドラ嬢を社交界にデビューさせ、ハイエナのように襲いかかろうと手ぐすねひいている烏合の衆からアレクサンドラ嬢を守るのです。ジャスティーヌ嬢とロベルトの正式な婚約が発表された後、欲にかられたバカな貴族の子弟たちがアレクサンドラ嬢を奪い合う醜い争いからアレクサンドラ嬢を守るのが、他の誰でもない、あなたの役目です」
「ですが、母上、父上は早く戻って来いと仰せです」
「それは、見合いをさせるためです。あなたに、見合いをする気があるのなら母は止めませんが、少なくとも、見合いをしたご令嬢とあなたを縁付けるのがお父様の計画ですよ」
『見合い』という言葉に、アントニウスの決心が揺らいだ。せっかちな父の事だから、見合いをすればその日のうちに結婚するからしないかと決断を迫るだろう。なんとか理由を見つけて断ったとしても、何度も続けば、最終的には絶対に断れない話が回ってくるのは目に見えていた。
「お父様は、私が知っているだけでも二十人の良家の娘を選んでいます。そして、最後のお相手は、グランフェルド大公の末娘を相手として選んでいます」
グランフェルド大公は、イルデランザ公国の隣にある同じく公国で、イルデランザと同じくエイゼンシュタインの加盟している同盟には加盟していない。グランフェルド公国の大公の末娘と言えば、アントニウスの立場では絶対に断れない見合い相手ということになる。
「どうしますか? 帰国しますか?」
残れば、デビュー後もずっとアレクサンドラの傍に付き添い、政治的な圧力を使ってアレクサンドラを自分のものにしようとしている卑怯な連中や、王族と縁戚関係になりたいだけのつまらない男からアレクサンドラを守ることができる。
「私が残っても、本当に大丈夫なのですか?」
アントニウスは父からの手紙を思い出しながら尋ねた。
「ええ、もちろんです。私がこの目で現状を確認し、その様子を連絡するとお父様にはお話してあります。その間は、決して見合いの話は進めないようにと、ちゃんと釘を刺してきましたから」
マリー・ルイーズは言うと、ニッコリと微笑んだ。
やはり、惚れたものの弱み、惚れた方が負けというのが世の常ということらしい。絶対に、あのいかめしく、ニコリともせず、厳粛で、何事にも厳しい父が、まるでアントニウスの姉のように若く見える母に頭が上がらないとは、誰も想像もしないだろう。
「では、残ります」
「よろしくてよ。アーチボルト伯爵からも、デビュー後のアレクサンドラ嬢の事をよろしくお願いしますと託されましたから。何しろ、ジャスティーヌ嬢にはロベルトがべったりで、すぐ二人の世界に入ってしまうのでしょうから、アレクサンドラ嬢が心細くなってはいけないと。この大切な役目、あなたに任せましたよ」
マリー・ルイーズは笑顔で言った。
「はい、母上。このアントニウス、確かにお引き受けいたしました」
アーチボルト伯爵のお墨付きとあれば、堂々と邪魔な輩を排除することができる。いずれ、別れの日は来るだろうが、一日でも長くアレクサンドラと一緒にいることが出来るならば、それ以上に望むものはアントニウスにはなかった。




