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アントニウスの申し出は願ってもないことだったが、あまりにもタイムリーで、且つ都合の良すぎる内容に、アリシアは自分が白昼夢を見ているのか、それとも、熱に浮かされて夢でも見ているのではと考えながら、優雅に微笑むアントニウスを見上げながらも、答えを口に出すことを躊躇した。
伝え聞いている陛下のお言葉からは、一応、アレクサンドラには拒否権があり、万が一にも、アレクサンドラがアントニウスの事を気に入らなかった場合には、当然、結婚の話はご破算になるとされている。しかし、もし資金援助を受けてしまってから、話が無かったことになったとしたら、莫大な資金を投じてアレクサンドラを社交界にデビューさせたアントニウスは大損の上に、大恥をかくことになり、両国の友好関係を深めるどころか、逆に国家間の問題を大きくすることにもなりかねない大事なので、とてもアリシア独りで判断できかねることだった。
「ご安心ください、もしもアレクサンドラ嬢が私を夫に選ばれなかった場合は、私は速やかに身を引くと陛下にお約束しております。ですから、その段になって、支度金を返せなどという事を申し上げる気は一切ございません」
アントニウスの言葉に、アリシアは思わずじっとアントニウスの事を見つめてしまった。
アントニウスは王太子とは違い、軽々とアリシアを抱いて馬車まで運んでしまえる偉丈夫だ。あの男勝りのアレクサンドラを妻に迎えられるとしたら、正直、剣でも、乗馬の技術でも上を行く、アントニウスの他にはアリシアには考えられなかったが、あのはねっかえりのが大人しく交際をするかも怪しいものだと、アリシアは思わずにはいられなかった。
「実は、ここだけのお話なのですが、今後、見合いの日は私がアレクサンドラ嬢のお相手をし、王太子殿下はジャスティーヌ嬢と過ごされたいと、場合によっては四人で過ごすようにされたいという話を聞き及んでおりまして、そうなりますと、今は爵位のない身ではありますが、これでもいずれは公爵家を継ぐ身でございますから、アレクサンドラ嬢には、やはりそれなりのお仕度をしていただきたいと思っております」
アリシアの折れそうだった心は完全に折れた。
幼い頃より耳に優しい、都合の良い言葉を囁く人間に心を許してはならないと、お人好しの性で僅かばかりの財産を詐欺同然にかすめ盗られて家の屋台骨が傾ぐという危機的状況を招いた祖父を見て学んだアリシアだったが、アーチボルト伯爵家に嫁いで約二十年、これほどまでの危機に陥った事はなく、一言で言ってしまえばもはや絶体絶命以外のなにものでもない。
追い詰められたアリシアは、例えアントニウスが悪魔だったとしても構わないと、自分一人が地獄に堕ちることで娘達に恥ずかしい思いをさせなくて済むのなら、喜んで地獄に堕ちようとさえ思った。
ドレスを着るのを拒み、コルセットなど締めたくないと、自分は男として生きると、十歳の誕生日以来レディらしいことの一つもしようとしなかったアレクサンドラが、やっとレディとして生きると心を入れ替えてくれたのに、アリシアは母としてその決心をアレクサンドラが悔いるような辛い思いを絶対にさせたくなかった。
アントニウスからの支援を受けることで、伯爵家とアレクサンドラに恥をかかせることなく、全てを穏便に済ませ、更に目が回るようなお金の工面から解放されるなら、溺れる者は藁をもつかむという言葉通り、アリシアはアントニウスの手を取る決心をした。
「本当に、アレクサンドラでよろしいのですか?」
男として、友人としての付き合いのあったアントニウスに、アレクサンドラが恋をする保証など全くないのだから、問い返すアリシアの声は震えた。
「もちろんです。こう申し上げては少し押しつけがましいかもしれませんが、全ては愛しいアレクサンドラ嬢と、そのご家族のため。私にできることがあれば、なんでもおっしゃってください。必要であれば、庭師の手配も致しますよ。それに、もう一台くらい馬車があった方が都合がよろしいでしょう?」
どんどん話を膨らませるアントニウスに、流石のアリシアも慌てた。あくまでも、サポートが必要なのは、アレクサンドラの事だけだ。そう、自分たちは野菜に埋もれたささやかなハムと魚に見立てたマッシュポテトで構わないのだ。
「そこまでは、さすがに。・・・・・・アレクサンドラは、ずっと引きこもっておりましたし、正直に申し上げますと、何年もドレスを作っておりませんでしたから、持っておりますのは普段着ばかりでございまして・・・・・・」
実は、その普段着も一着しかないのだが、さすがにそれは口が滑っても言えない。
「では、改めて仕立て屋を伺わせますので、そうですね、アレクサンドラ嬢のお気に召すだけ、好きなだけお仕立てください。社交界デビュー用の飛び切りのドレスも含めて」
一度悪魔に魂を売ってしまえば、あとは辛くも苦しくもないと聞いたことがあるが、危険なくらい美味しい話に飛びついたアリシアは、先ほどまでのめまいも吐き気もどこかに飛んでなくなってしまっていた。
「では、お屋敷までお送りしましょう。それかから、このお話を伯爵にもお伝えしましょう」
アントニウスは嬉しそうに言うと、ミケーレに命じて馬車を走らせた。
滑らかな動き、デコボコ道でもクッションの良くきいた馬車の中は少し揺れる程度で、先ほどまでの舌を噛みそうな激しい揺れはない。
「お加減がよくなって、本当に良かったです」
アントニウスは嬉しそうに笑みを浮かべた。




