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初恋の君に真紅の薔薇の花束を……  作者: 萩野紫苑
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11-2


☆☆☆


 結婚して二十年以上、暮らし向きが楽だったことは記憶する限り一度もなく、常にどこを切り詰めて、どこにお金を回すか、考えに考えあぐねて過ごしてきたアリシアだったが、とうとう本当にどうしようもない絶体絶命と言うべき状況に至り、今まで何度か脳裏を横切ったことはある物の、一度も実行に移したことのなかった、実家に頼るというカードを切るしかないと腹をくくったせいか、食欲は全くなかった。


 健気にも、たった一枚しか着れるドレスのないアレクサンドラは、ドレスの上からメイドのエプロンをかけ、朝から卵料理と格闘し、キノコ入りのオムレツを皿中にばらまきながらやっとの事で朝食を食べていだが、あの調子ではジャスティーヌのドレスが着られるようになるには、半年はかかるだろう。

 問題は、アレクサンドラが太っているわけではなく、コルセットに慣れていない事なのだ。こればかりは、かなりの訓練が必要になる。胸から下腹までをガッチリとコルセットで締め上げられると、体は思うように動かなくなる。コルセットで締めても優雅に動き、ダンスを踊れるようになるには、かなりの訓練が必要になるし、アレクサンドラはヒールの高い靴にも慣れなくてはならない。

 アレクサンドラは隠しているが、足を捻りそうになると、スカートを巻くし上げ、ヒールの靴を片手に、スカートを片手にレディとは思えぬ姿で部屋に走って逃げ込んでいるらしい事は、ライラの嘆きの言葉を聞いていれば、母のアリシアには筒抜けというよりも、想像通りと言うべき状態だった。

 アリシアの目下の唯一の望みは、アレクサンドラとジャスティーヌが同じサイズになり、ドレスを交換して着ることができるようになることだったが、それが半年も先になるのかと考えると、アリシアは悲しいを通り越して絶望しそうだった。


 実際、実家に頼みに行ったところで、せいぜいがドレス一枚分、それに見合う以上の散々な嫌味と愚痴と小言を聞かされることになるのはお約束だが、そこまで頑張っても、最悪は、ドレスはドレスでも、晩餐会用ではなく、普段用のドレス一枚にしかならないかも知れないということだ。それでも、ないよりはましだというのが、アリシアの出した結論だった。


 夫のルドルフと娘二人には、実家の両親と兄夫婦にアレクサンドラがとうとう社交界デビューする事になったことを報告しに行くと説明したが、多分、ルドルフもそれから、ジャスティーヌも薄々アリシアの里帰りの本当の目的に気付いているだろうと思いながら、アリシアは用意させた馬車に乗り込んだ。


 

 屋敷を離れ、手入れがされていないため、石畳がズレたり抜けたりしている、敷地内のデコボコ道をクッションの完全にヘタったオンボロ馬車で進む間は、しっかりと手すりにしがみついて怪我をしないように気を張っていたアリシアだったが、門を出て馬車の車輪による轍の出来た比較的揺れの少ない道を進み始めて緊張が解れると、度重なる心労と不安のせいか、突然アリシアはめまいと吐き気に襲われた。驚いた侍女のダフネが慌てて御者に合図を送り、馬車を停めさせた。


「奥様、お顔の色がお悪うございます。このまま、お屋敷に戻られた方がよろしいのではございませんか?」

 ダフネは心配げに問いかけた。

「大丈夫、少し酔っただけです」

 実際、激しい揺れのせいで酔っただけかもしれず、とりあえず、しばらく馬車を止めておくように指示をすると、ダフネはガタつく馬車の小さな空気入れ替え用の窓をギシギシと不穏な音を立てながら開けた。


 ここまでくると、いっそダフネと御者にしばらく遠くに行っているように申しつけて、この二十数年の鬱憤を言葉にして叫びたい気もしたが、さすがにそれはアリシアの伯爵夫人としての矜持が許さない。

 外の新鮮な空気を吸っていると、遠くから馬車が近づいてくる音がした。


 残念ながら、アーチボルト伯爵家には馬車は二台しかない。一台は紋章入りの伯爵の専用の馬車と、この外見だけは手入れをしているが、中はボロボロの家族用の馬車の二台で、所領内に足を運ぶ時にアレクサンドラやジャスティーヌが使うのは、馬車ではなく荷車に仮の幌を付けた偽物の馬車だが、見慣れている領民は当然だと思っているので誰も疑問にも思っていない。


「もし、伯爵が急用で王宮に向かわれるのならば、道をあけなさい」

 アリシアが言うと、ダフネがすぐに返事をした。

「奥様、馬車は前方からこちらへ向かってまいります」

 来客の予定はないはずだったが、屋敷の一切を取り仕切るはずの自分の留守に、ましてや、アレクサンドラが危なっかしい様子で屋敷内をうろうろしているところを誰かに見られては大変だと考えた瞬間、アリシアは再び激しいめまいに襲われた。


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