10-6
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王宮で手篤い看病を受け、何とか屋敷に戻ったルドルフは、サロンのソファーで体を休めながら事の顛末を妻のアリシアに説明した。
ジャスティーヌが王太子妃になることが事実上決定事項であることは嬉しい知らせだったが、よりにもよってアントニウスがジャスティーヌが演じていたアレクサンドラにご執心で、陛下自らアレクサンドラとアントニウスの仲を応援するという話は、今度はアリシアを卒倒させることになった。
役割を交代し、ソファーに横たわりブランデーで意識を取り戻したアリシアは、取りあえずアレクサンドラの話を聞くべく、サロンにアレクサンドラだけを呼び出した。
父の口から、アントニウスとの交際に関する決定事項を聞かされたアレクサンドラは、余りにも素早いアントニウスの行動を苦々しく思ったものの、届いたばかりの手紙の内容も、贈られてきた美しいバラの花束も、秘密が漏洩したのではと言う疑念を両親に持たせるものではなかったので、仕方なく黙って受け入れる事にした。
「つまり、その、お前とアントニウス殿との関係は・・・・・・」
「シンプルですよ、父上。カードをして、お酒を飲んで、遠乗りをする。所謂、貴族の子息同士の付き合いです」
実のところ、アレクシスは貴族の子息ではなく、あくまでもアーチボルト伯爵家の遠縁筋の生まれで、強いて言うならアッパー・ミドルクラスの出身で、ジェントリーではないという設定になっている。
「こうなっては仕方がないので、僕は田舎に帰ることにします」
アレクサンドラは諦めたように言った。
「しかし、ドレスを用意したとして、立ち居振る舞いはどうする?」
父の問いに、アレクサンドラは顔をひきつらせながら笑って見せた。
「死ぬ気で頑張るしかないでしょう。僕の為に父上がして下さった事で、ジャスティーヌの幸せをふいにしたり、由緒正しい伯爵家を危機にさらすわけにはいきませんから」
アレクサンドラの答えに、アリシアがガックリと肩を落とした。
「立ち居振る舞いだけではありませんよ。言葉遣いもです」
「あっ、そうか! これからは、僕じゃなく私で、父上じゃなくて、お父様って言わないといけないのかぁ、難しいなぁ」
「それを言うなら『言わなくてはならないのですね』ですよ、アレクサンドラ」
「あー、もう、めんどくさいったらありゃしない!」
「それもダメです」
アレクサンドラは次の言葉を見つけられず、取りあえず口をつぐんだ。
「立ち居振る舞いと言葉遣いは、ジャスティーヌに任せれば問題ないだろう」
「そうですわね」
アリシアが納得すると、ルドルフは執事のコストナーを呼び、ジャスティーヌを連れてくるように命じた。
お通夜の様な暗い雰囲気に、サロンに姿を現したジャスティーヌは、何事かと全員の顔を見比べた。
「ジャスティーヌ、お前に大切な話がある」
ルドルフが口を開くと、ジャスティーヌがコクリと頷いた。
「とにかく、大至急、アレクサンドラをアレクシスからアレクサンドラに戻してもらいたい」
父の言葉にジャスティーヌは首を傾げると、アレクサンドラの事を見つめた。
「つまりね、ジャスティーヌ、アレクシスは田舎に帰ることになったんだ」
「アレク・・・・・・」
「実は、国王陛下から、アレクサンドラを正式に社交界にデビューさせるようにとのお話しがあった」
ルドルフはジャスティーヌの将来にも関わる、結婚や見合いの話を伏せたまま、事の重要性がジャスティーヌに伝わるように言葉を選んで説明した。
「わかりました、お父様」
ジャスティーヌは父を安心させようと、軽く笑みを浮かべて頷いた。
「ジャスティーヌ、僕、じゃなかった、えっと、私も頑張るから、よろしくね!」
アレクサンドラの言葉に頷くと、ジャスティーヌは心細げなアレクサンドラの手を取った。
「お父様、早速、ライラにアレクのドレスアップをさせるようにしますね」
ジャスティーヌは言うと、父の言葉を待たずにアレクサンドラを連れて部屋を出た。
階段を上り私室に入ると、自分のドレッシングクローゼットの扉を全開にしてから、呼び鈴の紐を引いてライラを呼んだ。
ジャスティーヌが掻い摘まんで説明すると、ライラはすぐにアレクサンドラの着替えを始めた。
男物の薄いブラウスも体の線を隠さないトラウザーもレディには相応しくなかったが、アレクサンドラにはとても良く似合っていた。
身につけていると言うよりも、体の曲線を隠している様な今の下着ではドレスを着ることはできないので、ライラはコルセットを取り出すとアレクサンドラの体に巻き付けていった。
「んぐ! □×△×××・・・・・・!」
ライラがコルセットの紐を締め始めると、一気にアレクサンドラの顔色が悪くなった。
「ちょ、ちょっとまって、ライラ!」
慌ててジャスティーヌが声をかけると、ライラが手を止めた。
「まだ、ジャスティーヌ様の半分も絞めておりませんよ」
しれっと答えるライラを制し、ジャスティーヌがアレクサンドラの顔を覗き込んだ。
「アレク、大丈夫?」
「だ、大丈夫。まだ、生きてるから」
今にも気絶しそうという感じで応えるアレクに、ライラは『締めますよ』と、一声かけると再びぎゅっとコルセットを引き締めた。
「ちょっと、待った!」
アレクサンドラが叫ぶのと、ライラの手が止まるのは、ほとんど同時だった。
「これで、ジャスティーヌ様の半分でございます」
「これで、半分なの・・・・・・」
「このサイズであれば、ずいぶん前にアレクサンドラ様の為にと、奥様がお作りになられた普段用のドレスが着られるかと存じます」
ライラは言うと、アレクサンドラの部屋から大人しいブルーの花柄のドレスを手に戻ってきた。
「そういえば、お揃いだったわね」
「はい、さようでございます」
ライラは答えながら、息も絶え絶えなアレクサンドラにシングルのパニエを付けさせ、ドレスをかぶせて着せた。
ドレスを着たアレクサンドラは、当然の事ながら、どこからみても女の子だったが、髪型だけがレディではなかった。
「ステキ! 後は髪の毛だけね」
「残念ですが、コルセットをもっと締めなくては、他に着られるドレスがございません」
ジャスティーヌの助け船はライラに一蹴されてしまった。
「アレク、明日からは立ち居振る舞いと言葉遣いの特訓よ!」
「分かってるよ、ジャスティーヌ」
アレクサンドラは力なく答えた。
ライラは慣れた手つきでアレクサンドラにメイクを施すと、短い髪を手早くまとめた。
正式な場所に出かけるのでない限り、独身のレディには髪の毛を下ろしたままにする自由があるので、ジャスティーヌは日頃は髪の毛を下ろしたスタイルにしているが、それは髪の毛が長いからできることで、短いアレクサンドラの場合は、常日頃から結い上げる必要があることはライラも理解していたので、長年万が一の時の為に考案していた短い髪でも出来る結い上げ形にアレクサンドラの髪を結い上げていった。
「今日のところは、このような形でよろしいでしょうか?」
考えてきたとはいえ、実際に試したことがないのだから、幾らライラが最高のメイドとはいえ、最初から何もかも上手くいくというわけにはいかない。しかし、出来上がったアレクサンドラは、ジャスティーヌでさえ想像していなかったくらい美しいレディだった。
「すごいわ、ライラ。これなら、お父様も私と間違われるかもしれないわ」
ジャスティーヌは感激して言うと、アレクサンドラの手を取った。
「さっそく、お父様たちを驚かしに行きましょう」
「いや、ジャスティーヌみたいには僕は行かないよ」
「もう、アレク。ちゃんと鏡を見て。あなたはどこから見ても立派なレディなんだから」
ジャスティーヌの言葉に、アレクサンドラはまじまじと鏡に映る自分の姿を見つめた。
姿形だけなら、確かにジャスティーヌとは瓜二つだし、鏡に映っているのは自分と言うよりも、ジャスティーヌが変わった髪形をしてるくらいにしか感じられない。しかし、これからずっとこの姿が自分の姿になるのだと思うと、やはり気持ちとしてはトラウザーズを穿いてサーベルを腰に下げてジャスティーヌを護る騎士のようにふるまっている方が自分らしくアレクサンドラは感じた。それと同時に、これなら、あのアントニウスから突き付けられている無茶苦茶な『自分を篭絡してみせろ』という難問をクリアーできるのではないかと言う気もした。
「えっと、わかったわ、ジャスティーヌ。今日これからは、頑張ってアレクサンドラに、ジャスティーヌの妹にもどるから、色々教えてね」
アレクサンドラは緊張しながら一言一言を選びながらレディらしく振舞った。
「さあ、行きましょうアレク!」
嬉しそうにジャスティーヌは言うと、アレクサンドラの手を引いて部屋を後にした。
軽やかに廊下を進むジャスティーヌの後ろに続こうとしても、履き慣れないヒールのある靴に、アレクサンドラは自分でも無様だと思うくらいゆっくりとしか進むことが出来なかった。
「アレク、早く!」
ウキウキと軽やかに進むジャスティーヌを羨ましそうに見つめながら、アレクサンドラは階段の手すりにしっかりと掴まりながら階段を一段ずつ下りていった。
馬だって簡単に乗りこなせるアレクサンドラだったが、ヒールのある靴は馬のように意志の疎通が出来ないので簡単には行かなかった。それでも、もって生まれたバランス感覚をフルに活用し、転びも、足をくじきも、階段から転落という最悪な事態も招かず、なんとか両親のいるサロンにたどり着くことができた。
一足先に一階に下りていたジャスティーヌは、アレクサンドラをサロンの扉の前に立たせると、にっこりと笑みを浮かべてノックした。
『入りなさい』
父の穏やかな声に、ジャスティーヌはアレクサンドラの背中を軽く叩くと、扉を開けて中に入るように促した。
仕方がないので、アレクサンドラはジャスティーヌに従い、ゆっくりとサロンに一歩踏み込んだ。
「アレクサンドラはどうしている?」
父の言葉に、アレクサンドラは廊下にいるジャスティーヌの方を振り向きそうになったが、何とか堪えると少し高めの声で答えられるように息を吸った。
「明日から、ドレスを着る練習に励むそうです」
「そうか、明日からか」
父のルドルフは納得したようにふむふむと頷いて見せた。
「それはそうと、言葉使いの練習は服装には関係なく進めなくてはなりません。確かに、立ち居振る舞いの稽古はドレスを着てそつなく歩けるようになってからということになるでしょうが」
そこまで言ったアリシアが、じっとアレクサンドラの事を見つめた。
「どうしてそんなところに立っているの。夜のサロンでのマナーなど、家族だけなら気にしないことはあなたもよく知っているでしょう。いらっしゃい、ジャスティーヌ」
手招きする母に、アレクサンドラは必死に一歩を踏み出したが、体がやはり安定しなかった。
「もうディナーも終わったというのに、明日の仕度でもあるまいし」
ディナーの時とドレスが違うことに気づいたアリシアが怪訝な顔をした。
「それは日中用のドレスでしょう。いったいライラは何を考えてそのドレスを・・・・・・」
そこまで言ったアリシアは言葉を切ってじっとアレクサンドラのことを見つめた。
「その髪型、ジャスティーヌにしては髪の毛が短すぎるわ」
「まさか!」
驚いたルドルフが声を上げると、扉の隙間からジャスティーヌが姿を現した。
「いかがですか? お父様、お母様。ちゃんと髪の毛も結い上げられるようになって、これでアレクも立派なレディまであと一歩ですわ」
ジャスティーヌの言葉は間違ってはいなかった。椅子に座ったまま動かずに済むのであれば、アレクサンドラにもレディの振りはできるかもしれない。喉の調子が悪いと言って、話をしなければ男言葉が飛びだす危険も回避できる。しかし、常に立って歩き、言葉を交わし、ましてやダンスを踊らないといけないことを考えると、アレクサンドラは本当に目が回りそうだった。
「しかし、驚いた。こうしてドレスを纏うと、アレクサンドラも立派なレディではないか! いままで誰にもレディであることを気取られなかったことの方が不思議なくらいだ」
「でしょう! お父様、もう、バッチリですわ」
幸先の良さげなスタートに、アレクサンドラの不安も知らず、両親もジャスティーヌもかなりのポジティブ思考だった。
「でも、こうしてアレクサンドラだと言われて改めて見ると、コルセットが緩く、体の線がジャスティーヌのように整っていないことは一目瞭然です。これでは、ジャスティーヌのドレスを着ることはできないでしょうから、新しいドレスを仕立てるということになりますわね」
アリシアは言いながら、アレクサンドラのドレス費用、陛下のご命令である正式な社交界デビューにかかる費用を頭の中で計算した。
「アレクサンドラには可哀そうだけれど、ジャスティーヌのドレスを補整して、同じドレスだとわからないようにする以外ないわね」
「ドレスとか、準備とか、僕にはわからないから、お母様とジャスティーヌに任せるよ。僕は、なんとかライラにしごいてもらって、もう少しきつくコルセットを締めて、少しでもサイズをジャスティーヌに近づけることと、あとはこの特殊訓練靴みたいなヒールで足をくじかないように歩けるように練習をするよ」
アレクサンドラの言葉に、ジャスティーヌが耳元で『僕じゃなく私よ』と囁いた。
「ああ、そうだったね、ジャスティーヌ。僕じゃなく、私だね。今度から気を付けるようにするよ」
「大丈夫よ、アレク。私と話していれば、どういう言葉遣いが普通なのかが分かるはずよ」
優しいジャスティーヌに、アレクサンドラは笑顔で返した。
「あ、でも、ジャスティーヌ。その僕をアレクって呼ぶのはまずいんじゃないかな? だって、アレクシスの時の僕を呼ぶのと同じ呼び方だよね?」
「そう、そのことは私も考えたんだけど、きっとうっかりアレクって呼んでしまうと思うの」
「ジャスティーヌでも、そんな間違いをしちゃうの?」
アレクサンドラは驚いたように問い返した。
「それはそうよ。だって、もうずっとアレクって呼んでいたのよ。急に変えてもボロが出てしまうわ。だから、私はアレクサンドラもアレクシスも、どちらもアレクと呼んでいるってことにしようと思っているの。で、誰かに二人と一緒の時はと聞かれたら、アレクシスのことを名前で呼んでいたというように説明しようかと・・・・・・」
ジャスティーヌの説明に、ルドルフも相槌を打つように首を縦に振った。
「さしずめ、呼び方を気に留めるのは、殿下とアントニウス殿だろう」
父の言葉に、アレクサンドラは体を締め付けるコルセットが一瞬できつくなったように感じた。
「先手必勝ね。二人で一緒の舞踏会の時に、私の方から先に殿下に説明しておけば大丈夫だと思うわ」
「問題は、いつアレクシスを田舎に返し、アレクサンドラをデビューさせるかということだな」
ルドルフの言葉に、アリシアは『ドレスができるまで、時間がかかりますから、その間に何とかすればよろしいでしょう』と他人事のように取り合わなかった。
アリシアにしてみれば、大切な娘の社交界デビューのドレスが双子の姉の作り直しだなどという事が世間に知れれば、アレクサンドラが肩身の狭い思いをするだけでなく、アーチボルト伯爵家の『貧しい』というイメージが『没落』に変わってしまうのではないかという懸念でいっぱいだった。
「そろそろ苦しいから、僕は部屋に戻るよ」
アレクサンドラが傍に付き添うジャスティーヌに言うと、ジャスティーヌはコクリと頷いた。
「では、お父様、お母様。私とアレクは二階で休む仕度を致します。おやすみなさいませ」
「お休み、ジャスティーヌ。それから、アレクサンドラ。辛いことも多いだろうが、頑張るんだぞ。今まで、社交界も陛下も殿下もみな騙すことのできたお前だから、私はお前の努力に疑いは持っていない。ゆっくり休み、明日から励みなさい」
「おやすみなさい、父さま」
アレクサンドラは体が揺れるのを必死に堪えて言った。
「おやすみなさい、ジャスティーヌ、アレクサンドラ」
両親に見送られ、二人はサロンを後にした。
ゆっくりと一歩ずつ踏みしめるようにして進むアレクサンドラの後ろをジャスティーヌが支えるようにして続いた。
二人は部屋に戻ると、ライラに手伝ってもらい寝間着に着替え、それぞれの部屋の寝室へと戻っていった。




