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初恋の君に真紅の薔薇の花束を……  作者: 萩野紫苑
10

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10-2


☆☆☆


 昼食を終えてアレクサンドラが私室に戻ると、ドーンと言った風情で巨大な花束が机の上でアレクサンドラの帰りを待っていた。

 その朝露をたたえた真っ白な花弁は、まるで上質のシルクのように艶やかだった。

「ジャスティーヌ、間違って花束が私のところに来てるよ」

 続きの扉らからアレクサンドラが声をかけると、ジャスティーヌは可愛いブーケを手に振り向いた。

「間違ってないと思うわ。アントニウス様からだから」

 ジャスティーヌの返事に、アレクサンドラは慌てて花束に添えられたカードを確認した。


『愛しのアレクサンドラ嬢 

 この花々も、あなたの美しさの前には陰りを帯びてしまうでしょうが、心からの想いをこめて

 アントニウス』

 歯の浮きそうな口説き文句だったが、これくらいの口説き文句はアレクシスとしてアレクサンドラ自身も使ったことがあったし、あのアントニウスが本気で自分に恋をしているはずもなく、ただ周りの目をくらますためだけに、わざわざ愛の言葉を並べてくることにアレクサンドラは怒りすら感じた。

「私のは可愛いブーケだったけど、アレクのは?」

 アレクサンドラの部屋を覗き込んだジャスティーヌは、あまりに見事な純白のバラに心を奪われて花束の傍へと歩み寄ってきた。

「すごいわ。こんなに見事なバラ、めったに見ることができないわ」

 純白のバラを集めるのも難しいが、このバラは特に花が大振りで、あまりエイゼンシュタインでは見ない種類だと、ジャスティーヌにはすぐに分かった。

「気に入ったんなら、ジャスティーヌにあげるよ」

 アレクサンドラが言うと、ジャスティーヌが頭を横に振った。

「だめよ。これはアレク宛なんだから」

「そんなの、相手はジャスティーヌが一人二役してるのを知らないんだから、ジャスティーヌが持っていたって問題ないよ」

 言いながらアレクサンドラは、心の中で『本当は一人二役って知ってるんだけどね』とつぶやいた。

「だめよ。だって、アレクだって言っていたじゃない。もう、一人二役は難しいから、そろそろアレクがちゃんとアレクサンドラに戻るって。だとしたら、アントニウス様の求婚を受けるのはアレクなんだし、筆跡が違うのは後々まずいわ」

 ジャスティーヌの言葉は尤もだったが、『求婚を受ける』という表現に、アレクサンドラは子犬が濡れた毛皮の水滴を飛ばそうと体をよじって振るわすように体をふるわせた。

「何を言っているのジャスティーヌ! 僕が結婚なんてするわけないでしょう!」

 アレクサンドラは思わず声をあげた。

「違うわよ。『求婚を受ける』っていうのは、承諾するってことじゃなくて、愛の言葉を囁かれたり、観劇や散歩の誘いを受け流したり、そういうことを言っているのよ」

 ジャスティーヌとは呆れたように言った。

「それなら、ヒヤシンスの球根なら、幾らでも貰ってやるって言うよ」

 アレクサンドラは背後霊でも振り払うように、激しく身震いした。

「アレク、相手はイルデランザの公爵家のご嫡男なのよ。お父様は現大公の従兄に当たられるのよ。あなたの不注意な発言で、両国が険悪になることだってあり得るのよ」

 さすがに、女ながらに政治にも経済にも歴史にも精通しているジャスティーヌは、的確に問題を指摘してきた。

「もともと、イルデランザに国王陛下の従妹姫、マリー・ルイーズ様が嫁ぐことになったのは、過去の国境線での小競り合いに端を発する両国間のダイヤモンド鉱山の利権をめぐる不和を鎮めるためで、それなのに、なぜか当時皇嗣であられた現大公ではなく、その従兄にあたるザッカローネ公爵家の嫡男であられた、アントニウス様のお父様と結婚することになり、それを機に両国は終生の和平条約に調印することにしたの。でも、その代償に、エイゼンシュタインは国境線のダイヤモンド鉱山の権利を放棄して、国境線を超えても、同じ山であれば、産出したダイヤモンドの所有権はエイゼンシュタインではなくイルデランザにあることを和平条約の主軸にしたのよ。ただし、その代わりに、金鉱とプラチナ鉱山はエイゼンシュタインに属することにしてね。これで、金属はエイゼンシュタイン、ダイヤモンドはイルデランザで産出し、加工をそれぞれの国で行うことで、同盟国間で流通するダイヤモンド装飾品を共同で輸出するというビジネスモデルが具体的に導入され、かつてないほどイルデランザとエイゼンシュタインは平和になったのよ。何しろ、イルデランザには、六ヶ国同盟に加盟していない他の国々からのアプローチもあるようで、和平条約の締結とともに、イルデランザへの貴金属の輸出に関わる関税の調整と、イルデランザからのダイヤモンドの輸入に関わる関税の調整が同時に行われたのよ」

 さらに続けようとするジャスティーヌに、アレクサンドラは白旗を上げた。

「なんでジャスティーヌは、男に生まれてこなかったのさ! ほんと、政治も経済も、言葉も分かる。男だったら、同盟六ヶ国のどこの駐留大使にでもなれたのに」

 アレクサンドラは言うと、大きなため息をついた。

「僕は、外側だけの男。ジャスティーヌは、外側だけ女だよね」

「そんなことないわ! 私は中身もちゃんと女の子です!」

 頬を膨らませて言うジャスティーヌに、アレクサンドラは自分と違ってジャスティーヌは中身も女の子なんだなと笑みをもらした。

「確かに、ジャスティーヌは女の子だよね。刺繍も、レース編みも、ダンスも、ピアノも、何もかも得意だもんね。ジャスティーヌみたいなのを女の子の鏡って呼ぶんだよね。立ち居振る舞いも、お姫様顔負けって言われてるし。それに比べて、僕はなに? 女ったらしで、大酒飲みで、田舎から出て来た伯爵家の遠縁筋の爵位もない、ただのジゴロ・・・・・・。あ、でも、さすがに僕だって、女性に貢がせたりはしてないよ・・・・・・。たぶん・・・・・・」

 段々にアレクサンドラの声が小さくなるのは、婦人方から貰った高価なプレゼントのことを思い出したからだった。

「だいたい、僕は、体は女なんだから、することはしてないし・・・・・・。えっ、って、ことは、それってもしかして、僕って詐欺師ってこと?」

 話題が男女の色事に及ぶと、ジャスティーヌは『アレクのバカ!』と言い残して自分の部屋の扉を閉めてしまった。


「つまり、この花束のお礼は、僕が書くってことか・・・・・・」

 アレクサンドラはため息をつくと、机に向かった。

 アレクサンドラだって本質は女の子なので、決して花は嫌いではない。これが純粋に自分のことを想ってくれる誰かから贈られたのなら、悪い気はしないし、胸もときめいたかもしれない。しかし、贈り主が自分の秘密を知り、それをネタに自分に無理難題を突き付けている男となれば、迷惑に感じても、嬉しさは欠片も感じなかった。

 ましてや『自分のことを惚れさせてみろ』だの『籠絡しろ』などと言われては、バラの花には可哀そうだが、ゴミ箱に突っ込んでしまいたいという衝動を抑えるのが精一杯だった。


 アレクサンドラとしては、一生、惚れてもらいたくもないし、その気になんて、できれば絶対になって欲しくない相手だ。何しろ、油断した隙にファーストキスを奪われたくらいで、万が一にも惚れられて、その気に等なられたら、危うくなるのはアレクサンドラ自身の貞節だ。

 できれば、何も見なかった、何も知らなかったことにして、とっととどこかの貴族の娘と恋仲になり、さっさと嫁を貰って国に帰ってほしいというのが本心だ。

 しかし、もしアレクサンドラが命令に従わず、アントニウスに対して何もアプローチをしなければ、アントニウスはジャスティーヌの幸せをぶち壊し、アーチボルト伯爵家の存続を危うくするだけでなく、優しい父が罪人として断首の刑にさせられるかもしれないという、最悪の結果をもたらすことができるのだ。

 そんなことを考えていると、手に持った羽ペンから黒いインクがポタリと紙の上に落ち、まるで変色した血のようにアーチボルト伯爵家の紋章を飲み込んでいった。



 ジャスティーヌが社交界にデビューする事が決まった時、遠縁のアレクシスは田舎に帰ったことにして、二人一緒にデビューしようと、何度もジャスティーヌが説得してくれたのを茶化して断った自分が、どれほど愚かで、恐れ知らずだったのか、アレクサンドラは我ながらしみじみと感じるとともに、取り返しのつかない愚行だったと恥入った。


(・・・・・・・・きっと、賢いジャスティーヌは、いずれこういう日が来ることをずっと前から心配していたんだ。多分、

お母様も。でも、自分なら問題を掌握することができると、ずっと過信していたのは私。とうとう、そのツケが回ってきたんだわ・・・・・・・・)


 アレクサンドラは考えながらペンを置くと、インクで濡れた紋章付きのレターパッドを綺麗に折りたたみ、机のわきの屑籠に落とした。


 アレクシスとして、女性宛の手紙は何度も書いたことがあるが、男性相手の手紙など、友達宛の気やすい物しか書いたことがないアレクサンドラには、どう考えても女性らしい文章など思い浮かんですら来なかった。


 しばらく机に向かって考え続けたアレクサンドラは、再び白旗を上げ、ジャスティーヌに助けを請うことに決めた。



 丁寧にノックをして続きの扉を開けると、ジャスティーヌが文机に向かっていた。

「ジャスティーヌ、もしかして、お礼の手紙書けたの?」

 アレクサンドラが声をかけると、ジャスティーヌが振り向いた。

「もちろん、書けたわよ」

 ジャスティーヌは何事もなかったかのように、平然と答えた。

「ねえ、ちょっと見せてくれないかな?」

「えっ?」

 アレクサンドラの申し出に、ジャスティーヌは怪訝そうに首をかしげた。

「だってさ、女の子として手紙書いたのは、うーんと小さいころに、お父様の誕生日のお祝いの手紙を書いたのが最後だよ。いきなり、他人になんて、なんて書いていいかわからないよ」

 アレクサンドラの言葉に、ジャスティーヌは納得したように書いたばかりの手紙を手に、アレクサンドラの方に歩み寄ってきた。

「アントニウス様宛の手紙はこれよ」

 差し出された手紙にアレクサンドラは目を走らせた。


 美しく流れるような筆跡で書かれた手紙は、うっとりとするような乙女なものだった。

「無理だ・・・・・・」

 読み終わったアレクサンドラの口から出たのは、その一言だけだった。

「無理って?」

「僕には、こんな乙女な手紙書けないよ」

「ただのお礼状じゃない」

 ジャスティーヌは何事もなかったように言うが、アレクサンドラからしたら、今まで貰ったどんな恋文よりも乙女からの手紙という感じがした。

「だって、美の女神の手から零れ落ちた花々を集めたような華麗なブーケだとか、繊細な香りはどんな高価な香水よりもかぐわしいとか、そんな文章、一体どこから湧いてくるのさ」

 泣きそうなアレクサンドラに、ジャスティーヌは『今回だけよ』というとアレクサンドラの背を押しながらアレクサンドラを部屋に戻すと文机に向かって座らせた。

「まず、最初は簡単よ。親愛なるアントニウス様・・・・・・」

「どうしても親愛なるって書かなくちゃダメ?」

「これは、決まり文句なの」

「わかった」

 アレクサンドラは答えると、ジャスティーヌに言われた通り『親愛なるアントニウス様』と書いた。

「この度の素晴らしいプレゼント、突然のことで、大変驚きました」

「なんか、ジャスティーヌの書いたのとすごく雰囲気が違わない?」

「いいの! だって、よく考えて、アレクはろくに会ったことないんだから。挨拶をしただけよ」

「あっ、そうか。アレクシスとしてあってるから、ごちゃごちゃになっちゃうよ」

「気をつけないとダメよ」

「わかった。・・・・・・えっと、なんだっけ、この度のプレゼントだっけ・・・・・・」

 アレクサンドラは思い出し思い出し手紙を書き始めた。

「一度、遠乗りの折に、お目にかかっただけの私に、このような素晴らしい花束をお送りいただき、本当に驚いております」

「ちょっと、もう少しゆっくり」

 アレクサンドラは言いながら、必死にジャスティーヌの言葉を書きとった。

「あの折は、アレクシスが落馬し、大変ご心配をおかけしただけでなく、ご不興を買ってしまったのではと、とても心配致しておりましたが、先日の舞踏会でも、粗忽物のアレクシスにも親しくしてくださり、姉のジャスティーヌからも、アントニウス様のお話は伺っております」

 書きとめながらアレクサンドラは、この手紙を送れば、自分が書いたのでないことが一発でバレてしまうなと冷や汗をかいた。

「私の大好きな花がバラであることは、姉からお聞き及びになられたのでしょうか? 特に、このシルクのように美しい、純白のバラが私は大好きで、部屋に引きこもりがちな私の為に、よく両親が飾ってくれますが、これほど素晴らしい大輪のバラは今まで目にしたことがございませんでした」

 本当は、男装して遊び歩いてるんだけどねと、アレクサンドラは思いながら必死にペンを走らせた。

「窓際に飾ると、朝露をたたえたような花弁が太陽の光を受け、わたくしの部屋を何倍も明るくしてくれます。いつか、わたくしもこの純白のバラのように美しく着飾り、陛下に謁見し、正式に社交界にデビュー出来るのではないかと、最近では夢見るようになりました。このバラとは違い、ずいぶん遅咲きですので、舞踏会でもお相手に困ることでしょうが、その折には、ご迷惑でなければ、ぜひ、一曲お相手をしていただければ光栄でございます」

 一瞬、美しく着飾った自分がアントニウスとダンスを踊っている姿が思い浮かんだが、そのイメージはすぐにどこかへ消えていった。

「何分、文を交わす友もなく、つたないお手紙となってしまいましたが、素晴らしいお花のお礼としてお納めいただければ幸いでございます・・・・・・。で、サインして」

 書き終わってサインをすると、レターパッドのインクがまだらになっていた。

「あれ、色がまだらだ」

「休み休み書いてるからよ。インクがまだらだと、相手に一度に書いたのではないってバレちゃうから、これを見ながら一気に書き直して、それでサインして封筒に入れれば完了よ」

 ジャスティーヌは笑顔で言った。

「ありがとう、ジャスティーヌ」

 アレクサンドラはジャスティーヌを抱きしめた。

「そうだ、こういう手紙が沢山載ってるお話があるの。恋愛小説だけれど、アレクには役に立つかもしれないわ」

 まさに、今のアレクサンドラは溺れる者は藁をもつかむという状況だから、恋愛小説は嫌いだの何だのと言い訳している場合ではない。

「じゃあ、読んでみる・・・・・・」

 あまり気乗りはしなかったが、毎回ジャスティーヌに文面を考えてもらうわけにもいかなかったし、当然の事だが、この手紙を送ってジャスティーヌに文章を考えて貰ったとアントニウスに知られれば、次に会った時に何を言われるか、何を要求されるか、考えただけでアレクサンドラは恐ろしくなった。

「あとで持ってくるわ。私は封筒の宛名を書いてくるから、頑張って綺麗に書くのよ。男の人みたいな大胆な文字はだめよ。アレクサンドラとして、淑女らしく書かないとね」

 アレクサンドラの堂々とした文字を見たジャスティーヌは笑顔で言うと、自分の部屋へと帰っていった。


 何度も書き直しを繰り返し、なんとかレディらしい細く丸みのある繊細に見える文字運びで文面を写し終えると、アレクサンドラは深呼吸してから封筒に宛先を書き、文字が滲まぬように注意しながら手紙を封筒に入れた。

 文机の抽斗の奥からアレクシス用の安っぽい封印ではなく、アーチボルト伯爵家の家紋にも使われているスミレの花に飾り文字のAが彫られたアレクサンドラ用の封印を取り出すと、赤い封蝋を溶かして落としてから封印を捺して封筒に封をした。


 延々と写すのにアレクサンドラが時間をかけている間に、ジャスティーヌの部屋の扉の開閉音が何度か聞こえたので、ジャスティーヌは既に手紙を出す手配をしてしまってる筈なので、アレクサンドラは呼び鈴の紐を引いてライラを呼んで手紙を手渡した。

「ジャスティーヌお嬢様は、お手紙と一緒に農園の杏子で作ったジャムを一瓶添えるようにとおっしゃっていらっしゃいましたが、お嬢様はいかがなさいますか?」

 ライラに問われ、アレクサンドラは言葉に詰まった。

 相手が女性なら、この貰い物のバラを一本添えてとでも、なんとでも対応できるが、相手が男となると頭が全く働かなかった。


(・・・・・・・・働け! 私の頭! 今までと逆の立場なんだから、えっと、自分が貰って嬉しかったものを贈ればいいんだから! って、なんだ? ワイン? チーズ? 違うな、ハンカチ? いやぁ、沢山あっても困らないけど、ワザワザ買いに行くのも嫌だし、何だろう・・・・・・・・)


 しばらく考えたものの、アレクサンドラは答えにたどり着かないまま頭を横に振った。


(・・・・・・・・ダメだ、まったく思いつかない。もう、お手上げだよ・・・・・・・・)


 大きくため息をつくと、アレクサンドラは引きつった笑みを浮かべてライラを見上げた。

「て、適当に、何か用意して、全部ライラに任せるから」

 アレクサンドラが言うと、ライラは仕方ないという表情を浮かべながら『かしこまりました』と言って、手紙をもって下がっていった。

 ぐったりと疲れたアレクサンドラは、そのまま寝室に移動し、倒れこむようにしてベッドに横になった。


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