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初恋の君に真紅の薔薇の花束を……  作者: 萩野紫苑
9

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43/181

9-2

☆☆☆


 ロッテンマイヤー伯爵家の財力は国内屈指といわれるほどで、その権威は侯爵家をもしのぐといわれるほどだったので、開かれた舞踏会の豪華絢爛さは、まさに筆舌を尽くしても描き切れないほどだった。

 その舞踏会がいつにもまして豪華で賑わっている理由は、招待客に王太子ロベルト、そして従兄のアントニウス、更には怪我から復帰したアレクシスとジャスティーヌという、社交界での話題の人である五人のうち四人が勢揃いしたことにあった。


 本当は、ロッテンマイヤー伯爵は一番最初にアーチボルト伯爵家の令嬢二人を舞踏会に招くという栄誉を受けたいとばかりに、矢のような催促をしてアレクサンドラの出席を迫っていたのだが、ルドルフはいつもの、のらりくらりとした態度で催促を交わし、アレクサンドラではなくアレクシスが復帰一番に参加するということでやり過ごすことに成功したのだった。



 ジャスティーヌの手を取り、広間へと男装のアレクサンドラが歩を進めると、広間に『アーチボルト伯爵家ご令嬢、ジャスティーヌ様ならびに、アレクシス様』という紹介の声が響き渡った。

 意図してのことではなかったが、予定より到着が遅れたこともあり、既に広間はロベルトとアントニウスを迎え舞踏会がかなりの盛り上がりを見せていたのに、ジャスティーヌとアレクシスの名が響くなり、踊る人々の足が止まるのに合わせて、音楽の音が小さくなっていき、二人が中に入ろうとすると、広間の人々の視線が釘付けになった。それは、ジャスティーヌとアレクシスの一挙手一踏足を見逃すまいとでもするようで、注目されることに慣れていない二人は、いごこちの悪さを感じた。

 社交界の華と称されながらも、アレクシスの完璧な防御のおかげで、人の注目を集めることのない生活を送ってきたジャスティーヌにしてみれば、これほどまでに豪華な舞踏会で、自分に注目が集まるなどとは思ってもいなかったので、初めの一歩を踏み出したものの、足がすくんで二歩目を踏み出すことができず、踏み出すタイミングをアレクサンドラに委ねるほかなかった。

「大丈夫、ジャスティーヌ。僕に任せて」

 状況を察したアレクサンドラが声をかけると、ジャスティーヌが無言で小さく頷いた。

 アレクサンドラに手を引かれ、やっとのことでジャスティーヌが広間の中へと進み始めると、待っていましたとばかりにロッテンマイヤー伯爵と夫人が前に進み出てきた。

「これはこれは、ジャスティーヌ嬢、今宵はようこそいらしてくださいました。どうぞごゆっくりお楽しみください」

 ロッテンマイヤー伯爵の挨拶に、ジャスティーヌは深々と頭を下げた。

「お招きいただき、誠にありがとうございます。このような素晴らしい舞踏会にお招き戴けましたこと、大変光栄に思っております」

「そんな堅苦しい挨拶はおやめになって。ああ、アレクシス、あなたが怪我をしたと聞いてどれだけ心配したことか、もう傷はよろしいの?」

「伯爵夫人、ご心配をおかけいたしまして、大変申し訳ございませんでした。この通り、元気になることができましたのは、夫人を初め、皆様のお優しいお気持ちがあってのことでございます」

 アレクサンドラは言うと、夫人の手を取り、その手の甲に口づけを落とした。

 その様子を見ていたロベルトは、ジャスティーヌを奪わんばかりに一気に広間を横切るとロッテンマイヤー伯爵の隣へと進み出た。

 アレクサンドラが伯爵夫人の手に口づけるのを見たアントニウスは、まるでアレクサンドラが他の男に言い寄られているような不愉快さを感じ、ロベルト同様、広間を横切って二人の元へと歩み寄った。

「これは殿下」

 ロベルトの登場に、ロッテンマイヤー伯爵は慌てて道を開けた。

「主催者の挨拶は終わったと見たが、ジャスティーヌ嬢をお借りしても良いかな?」

 質問形はとっているものの、ロベルトの言葉には有無を言わせない響きがあった。

「もちろんでございます、殿下」

 ロッテンマイヤー伯爵は言うと、臣下の礼を取った。

「ジャスティーヌ嬢、今宵のエスコートは私に・・・・・・」

「あ、ですが、殿下、今宵は・・・・・・」

 アレクシスにエスコートしてもらうつもりだとジャスティーヌが言う前に、アントニウスが夫人を押しのけるようにして二人の前に現れた。

「これはこれはジャスティーヌ嬢。先日は大変失礼いたしました。よろしければ、アレクシスをお借りしても?」

 一瞬、ロベルトがアントニウスを睨んだような気がしたが、迫りくるロベルトとアントニウスの気迫に圧され、ジャスティーヌは差し出されたロベルトの手を取り、アレクサンドラはジャスティーヌの手を離すと、アントニウスの方へと一歩進み出た。

「では、参ろうか」

 ロベルトに促されるまま、ジャスティーヌは広間の奥へと進んでいった。

「では私たちも、今宵は語り明かそうではありませんか」

 アントニウスの言葉に、アレクサンドラはしぶしぶアントニウスに続いてサロンの方へとついて行った。


 ジャスティーヌとアレクサンドラがそれぞれ別の方向へと進み始めると、ロッテンマイヤー伯爵の合図で再び音楽で広間が溢れ、ダンスを止めて事の成り行きを見守っていた人々も再びダンスを始めた。

 ロベルトはそのままジャスティーヌの手をとり、広間の中心でダンスを始めた。


「今日も、とても美しいよ、ジャスティーヌ」

 ロベルトに褒められ、ジャスティーヌは頬をサクランボのように赤く染めた。

「お褒めいただき、光栄でございます殿下」

 ジャスティーヌが答えると、ロベルトは少しつまらなさそうな顔をした。

「どうか、そんなよそよそしい呼び方は止めてください。ジャスティーヌ、私はあなたには名前で呼んでもらいたい。何度もそう言ったはずです」

「はい、二人の時にはと、お約束いたしました。ですが、ここは見合いの場ではごさいませんから」

「ああ、まったく。君を厳しくしつけた伯爵夫人を恨めしく思うよ。恋人同士なのだから、あなたには名前で呼んでほしいのに」

「ですが、まだ見合いは終わっておりませんわ」

「まさか、私があなた以外を選ぶとでも?」

「殿下、今宵は舞踏会でございます。見合いの話は今度に」

 ジャスティーヌの言葉に、ロベルトは軽くため息をついた。

「わかったよ、ジャスティーヌ。でも、今夜、君と踊るのは私だけだ。君を誰にもわたしはしない」

 ロベルトは言うと、いつもよりも少しだけ強くジャスティーヌの体を抱き寄せた。



「まったく、ロベルトときたら、やきもち妬きも甚だしいな」

 遠くで踊るロベルトとジャスティーヌの姿をサロンのガラス越しに見ながら、アントニウスが呟いた。

「そういうあなたも、やきもち妬きでは?」

 男装している自分をジャスティーヌから引き離したアントニウスに、アレクサンドラが呟いた。

「そうだね。否定はしないよ。僕は、惚れ込んだらとことんまで、相手を自分のものにしておきたい性格だ」

 二人の会話は、いつもの女性談義に聞こえたようで、気づけば周りにアレクシスの友人たちが集まり始めていた。

「アレクシス、よくも見舞いに行ったのを追い返してくれたな」

 なじみのある声の響きに、アレクサンドラが振り向こうとすると、逞しい腕がアレクサンドラの肩を抱き寄せた。

「会わせてもらえないほどの大けがかと、肝を冷やしたんだぞ」

 声をかけてきたのは男爵家の嫡男、ピエートルだった。

「心配をかけてすまなかったピエートル。何しろ、ジャスティーヌ達の見合いのせいで、屋敷の中は大騒ぎで、居候の僕のための来客の相手までしてもらうのは気が引けたんだ」

「確かに、居候はつらいよな」

 ピエートルの言葉に、横から子爵家のジェームズが割り込んできた。

「わかったように言っても、嫡男のピエートルになんて、分かりっこないさ。でも、その点、子爵家の三男なんて、最悪な生まれを持つ俺なら、アレクシスの気持ちはよくわかるぞ」

 少し酔っているのか、ジェームズはピエートルごとアレクサンドラを抱きしめた。

 その瞬間、いきなりアントニウスがアレクサンドラと二人を引き離した。

「君達、いい加減にしたまえ」

 突然のことに、二人はアントニウスのことを睨みつけたが、すぐに相手がアントニウスだとわかると、互いに顔を見合わせて肩をすくめた。

「これはこれは、公爵家のご嫡男殿、ここは身分の低い子爵家の三男や、男爵家の嫡男、それに伯爵家の遠縁筋の気やすい付き合いと語らいの場ですので、由緒正しいお生まれの方は、そのお生まれにふさわしい方々のところにいらしてはいかがでしょうか?」

 既に少し飲みすぎの気があるジェームズの口上に、慌ててピエートルがその場を取り繕うとしたが、アントニウスの怒りを露わにした表情に、仕方なくジェームズを引きずるようにして下がっていったが、ジェームズはそれでもピエートルを押しのけては、アレクサンドラの元に戻ってアレクサンドラに抱きついた。

「アレクシス、もう駄目なんだ。もうすぐ、俺、平民の金持ち娘と結婚させられそうなんだ」

 ジェームズはアレクサンドラにだけ聞こえるように言った。

 アレクサンドラの橋渡しで、伯爵家の令嬢と恋仲にあるジェームズとしては、キューピッド役を買ってくれたアレクサンドラにしか相談できないことだった。

「わかった。あとで、ロザリンド嬢と話してみる」

 アレクサンドラも小声で答えたが、業を煮やしたアントニウスがジェームズを引きはがすとピエートルの方に押しやった。

「大切な話があるので、失礼する」

 アントニウスは言うと、アレクサンドラについてくるように合図を送り、一人先に立って庭の方へと歩いて行った。

 仕方がないので、アレクサンドラはアントニウスの後に続いた。



 庭に出たアントニウスは、人気のなさそうな噴水の近くへとアレクサンドラを導いていった。

「いったい、どういうつもりなんだ!」

 噴水の前に着くなり、アントニウスは声を荒立てた。

「どういうつもりって・・・・・・」

 アントニウスの怒りの理由が分からないアレクサンドラは、答えに詰まってアントニウスのことを見つめた。

「確かに、男の姿で居るようにと言ったのは私だが、誰にでも君の体を触らせていいとは言っていない」

 そこまで言われ、アレクサンドラにも突然抱き着いてきたジェームズのことをアントニウスが言っているのだと理解することができた。

「それは、他の人間には聞かれたくない話があったからです」

 アレクサンドラは真面目に答えたのだが、アントニウスはそれを嫌味と受け取ったようだった。

「では、この私にも、サロンで君に抱き着けと?」

「違います。そんなことは言っていません」

 アレクサンドラは慌てて頭を横に振った。

「よくわかったよ。君が男であるということは、君の周りをうろつく邪魔者にも機会を与えてしまうだけだと」

 嫉妬の炎が激しく胸を焦がしているアントニウスは、今まで自分の連れに嫉妬する女性達をいなすことには慣れていたが、自分の嫉妬の炎をいなす方法には長けていなかった。

「どういう意味です?」

 アレクサンドラは訳が分からず、アントニウスに問い返した。

「もう、あなたの遊びの時間は終わりだということです」

 アントニウスの言葉に、アレクサンドラはゾクリと背中に冷たいものが流れるのを感じた。

「アレクシス、君は自分の田舎に帰るべきだ」

「!」

 驚きのあまり、アレクサンドラは次の言葉を継げなかった。

「君がいると、伯爵も後継者探しに困られる、そう考えたことはないのかい? 居候は居候らしく、分をわきまえたまえ。今度君が社交界に姿を出したら、私はそれ相応の対応をすることにする」

 それだけ言うと、アントニウスはアレクサンドラを置いて、一人屋敷の方へと帰っていった。

 アレクサンドラは一人、噴水のふちに腰を下ろした。

 大理石の冷たさが、トラウザーの生地を通してアレクサンドラの太股を冷やし、風に吹かれて舞ってくる細かな水滴がアレクサンドラの頬を濡らした。

 アントニウスの怒りも、突然の田舎へ帰れ宣言も、アレクサンドラにはまったく意味が分からなかったが、ただ一つ、もしこのままアレクシスとして社交界に姿を現し続ければ、アントニウスが秘密をばらすつもりだということだけは理解できた。

 月を映す噴水の水に手を伸ばすと、手が届きそうな月が瞬くように映っては波紋に姿を消した。


(・・・・・・・・儚いな。男の体も、男としての暮らしも、僕にとっては手が届きそうで手が届かない月みたいなものだと思っていたけど・・・・・・。所詮、僕が憧れていたものは水面に映った月だったんだ。本物ですらなかった。仕方ないよね、体は女なんだから、どうやっても変えられるものじゃない。僕はただ、女性に比べて自由に見えたから、男になりたかったんだ。でも、男は男で、女性よりももっと大変だって分かっただけ無駄じゃなかったのかな・・・・・・・・)


 涙が溢れ、水面の月が形を歪める。


(・・・・・・・・いけない、今の僕はアレクシス。男が泣くなんて、あり得ない・・・・・・・・)


 アレクサンドラは噴水の水に手をつけると、一すくいの水を顔にパシャリとかけた。


(・・・・・・・・誰にも見られちゃいけない。誰にも泣いていたことを知られちゃいけない。だって、今の僕はアレクサンドラじゃなく、アレクシスだから・・・・・・・・)


 水と涙がまざり、顔を幾筋ものしずくが流れていった。


(・・・・・・・・僕の我が儘が、お父様や、ジャスティーヌを苦しめる事になるなんて考えもしなかった・・・・・・・・)


 再び涙が溢れそうで、アレクサンドラは必至で涙を堪えた。

 アレクサンドラが、もう一すくい、水をパシャリと顔にかけたところに、ドレスの裾を揺らしてロザリンドが姿を現した。

「アレクシス! よかった。探していたの・・・・・・。どうなさったの? びしょ濡れだわ」

 ロザリンドは言うと、アレクサンドラのそばに歩み寄り、ハンカチを差し出した。

「ありがとう、ロザリンド嬢」

 ハンカチを受け取ると、アレクサンドラは顔を濡らしていた水を拭いた。

「ジェームズがサロンでトラブルを起こしたみたいなのです。いまさっき、ピエートルがジェームズを引きずるようにして連れて帰っていったのです。何かご存知ありませんか?」

 ロザリンドは言いながら、アレクサンドラの隣に腰を下ろした。

「ああ、その事なら知っています。その場にいたので。ロザリンド嬢は、ジェームズに結婚の話が出ていることはご存知ですか?」

 アレクサンドラは慎重に問いかけた。

「知っています。でも、私はジェームズのことが・・・・・・。ジェームズも同じ気持ちで居てくれていると信じています」

 そこまで言うと、ロザリンドは両手で顔を覆った。

 アレクサンドラは優しくロザリンドの肩を抱き寄せた。

「泣かないでください、ロザリンド嬢。あなたのお父様さえ説得できれば、ジェームズの結婚の話はどうにでもなります。何しろ、相手は貴族ではないのですから」

 アレクサンドラは優しい声でロザリンドをなだめるように言った。

「それが、お父様は、私を殿下のお従兄に当たられるアントニウス様に私を嫁がせようとなさっているの」

 ロザリンドの言葉を聞き、アレクサンドラは珍しくジェームズがアントニウスにしつこいほどに絡んだ理由をさっした。それと同時に、聞きたくもないアントニウスの名を聞き、アレクサンドラは一気に不愉快になった。それは、アントニウスがあちこちで自分を含めた皆の幸せの邪魔をしている悪魔のように感じたからだった。


 しかし、冷静になって考えれば、そんなことはロザリンドの父がジェームズのことをあきらめさせるために言い出したに過ぎず、アントニウスの女性の好みを考えれば、お話にもならない事だとアレクサンドラには分かったはずなのに、頭に血が上ったアレクサンドラは自分の秘密を握ってからかいながら、アントニウスがロザリンドにまでちょっかいをかけようとしている不誠実の極みのような男に思え、その不誠実さがロベルトのジャスティーヌへの不誠実さに繋がっているのだと思うと腸が煮えくり返る程の怒りが湧き上がってくるのを止められなかった。

「ああ、アレクシス、これから私はどうしたらいいの・・・・・・」

 ロザリンドは言うなり泣き崩れ、アレクサンドラは自分の足に伏して泣くロザリンドの背を優しくなでてやった。

 その姿は、許されざる恋をしている恋人同士の嘆きのようにも見えた。


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