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男は引き際が肝心とばかりに、伯爵との短い語らいの後、アーチボルト伯爵家を後にしたアントニウスは、屋敷に戻るのではなく王宮の東宮殿へと馬車を走らせた。
東宮殿の執務室で王子としての職務を果たしていたロベルトは、私室にいる時の気さくな表情ではなく、王太子らしい顔つきで書類と戦っていた。
「すまない、仕事中に邪魔してしまって」
アントニウスが謝ると、ロベルトは顔を上げてアントニウスのことを見つめた。
「どこか具合が悪いのか?」
何を言われているのかわからず、アントニウスは返答に窮した。
「君が僕に謝るなんて、僕が口説いている女性を横から掠め取った時以来だ」
ロベルトの引用に、アントニウスは顔をひきつらせた。
「まさかアントニウス! それだけは絶対にダメだ!」
アントニウスが何も言わないうちに、ロベルトは声を荒立てた。
「もういい、茶番は終わりだ! 父上にすべて話して見合いを取りやめていただく」
言うなり、ロベルトは立ち上がって執務室から出ていこうとしたが、アントニウスは慌ててロベルトの腕を掴んだ。
「待ってくれ、ロベルト。何か誤解があるようだ」
「誤解だと! その顔を見ればわかる。君は恋に落ちていて、君が今日訪れた場所はジャスティーヌの屋敷だ。それの一体どこに誤解がある?」
言われてみれば、確かにロベルトの誤解はもっともだとアントニウスも気が付いた。
「違うんだ、ロベルト。僕が恋している相手はジャスティーヌ嬢ではないんだ」
アントニウスの言葉に、今度はロベルトが顔をひきつらせた。
「まさか、相手はアレクシスか?」
その声は、この世にあってはならぬ真実を知ってしまったような、そんな響きを持っていた。
アントニウスは肯定も否定もしないまま、とりあえずロベルトを大きな執務机の向こう側の豪華な椅子へと押し戻した。
「とにかく、座ってくれロベルト。これでは、話も落ち着いてできない」
アントニウスの言葉に、しぶしぶ椅子に腰かけたロベルトは、どこか居心地が悪そうだった。
「実は、僕の恋の相手は、アレクサンドラ嬢なんだ」
アントニウスが言うと、ロベルトはあんぐりと口を開けた。
「あの遠乗りの日、初めてお目にかかって恋に落ちてしまったんだ」
本当を言えば、何年も前からアレクシスのことが気になり、自分はとうとう道を踏み外し、男色への一線を越えてしまったのかと、アレクシスを見るたびに我ながら恐怖し、それでもアレクシスから目を離すことができず、これはやはり恋なのかと思い悩んでいたアントニウスだったが、ロベルトに真実を話せない以上、ここはアレクサンドラに一目惚れしたと告白してしまうほうがアントニウスにとっても楽だった。
第一、ジャスティーヌに懸想するのではないかと、あらぬ疑いをかけられ、アーチボルト伯爵家への出入りを禁じられたままでは、アレクシス、いや、アレクサンドラとの恋路もままならない。それを考えれば、素直に本心を吐露してしまっても、相手がロベルトであれば何の問題もなかった。
しかし、アントニウスの答えを聞いたロベルトは、さらに疑いを強めたようだった。
「一目惚れ? 君らしくないな」
ロベルトは言うと、アントニウスの中の真実を見極めようとするかのように、目を細めてアントニウスのことを見つめた。
「ジャスティーヌではなく、アレクサンドラ嬢だと?」
「そうだ。君の愛しのジャスティーヌ嬢にちょっかいを出す気は全くない」
アントニウスは断言した。しかし、ロベルトの顔からは疑いが拭い去れることはなかった。
「君も知っているだろうが、ジャスティーヌとアレクサンドラ嬢は双子だ。つまり、同じ顔をしている。それなのに、君はジャスティーヌではなくアレクサンドラ嬢に恋をしたと?」
「そうだ。アレクサンドラ嬢が僕の相手だ。外見はそっくりでも、中身まで同じではないだろう?」
アントニウスの問いに、ロベルトは見合いで言葉を交わしたアレクサンドラのことを思い出した。
しかし、いくらアレクサンドラとジャスティーヌとの違いを見つけようとしても、ロベルトには違いを見つけることができなかった。
「いや、君は知らないかもしれないが、二人は本当によく似ている。正直、アレクサンドラ嬢といる時でさえ、ジャスティーヌといる気がするくらいだ」
ロベルトの答えに、アントニウスはジャスティーヌがアレクサンドラの代役をしていることを思い出した。
「とにかく、僕の見合いが終わるまで、君には僕の許可なくアーチボルト伯爵家に出入りすることを禁じる」
それは、王太子としての決定であり、アントニウスが覆すことのできない決定だった。
「私には、自分の見合い相手に懸想する男を処罰する権限が父王より与えられている」
確かに、この見合いにロベルトの結婚をかけている王が、どれほど真剣にこの見合いの成功と成就を祈り、ありとあらゆる権限をロベルトに与えていることはアントニウスも聞き及んでいた。しかし、面と向かって真実を伝えている自分をロベルトが排除しようとするとまでは思っていなかった。
「わかった。ジャスティーヌ嬢とのことを疑われているのであれば、君の処分は理解できる。しかし、私の想い人がアレクサンドラ嬢だと、はっきりわかった暁には、この処遇を改善すると約束して欲しい」
アントニウスが言うと、ロベルトは仕方なそうに頷いた。
「いいだろう。君が恋している相手がアレクサンドラ嬢で、ジャスティーヌではないと証明できたなら、君の出入り禁止を解こう」
ロベルトは言うと、再び書類に目を落とした。
「では、失礼致します」
アントニウスはいつもと違い、深々と臣下の礼をとり、ロベルトから退出の許しが出るまでその姿で礼を尽くした。そんなアントニウスに、ロベルトは少し疑いを弱めながら退出を命じた。アントニウスはロベルトの執務室を後にし、その足で王宮を後にした。




