7-1
遠乗りの日の朝、鬣も豊かな白馬にまたがり姿を表したロベルトは、伯爵に挨拶をし、連れのアントニウスをアレクサンドラに扮したジャスティーヌに紹介した。
アレクサンドラはアレクシスとして父の栗毛の馬を借り、同じく栗毛の馬に跨がった騎兵のようなアントニウスに並んだ。
ジャスティーヌは、馬蹄のカルロスが押さえる踏み台を上り、ロベルトに引き上げられるようにして馬の背に腰を下ろした。
傾斜する馬の背に横座りでは、バランスの悪いことは言うまでもない、必然的に滑り落ちないためには手綱を握るロベルトの体か馬の首に腕を回す他はない。
「そんなにスピードは出しませんから」
ロベルトは一言断ると、馬を歩かせ始めた。
ゆっくりと進むロベルトの後ろからアレクサンドラとアントニウスが並んで付き添った。
そして、その後ろに休憩場所で食す食材や飲み物を載せた馬車が続いた。
ロベルトが少しスピードを上げる度に、ジャスティーヌがしがみつく力も強くなっていった。
「怖くありませんか?」
ロベルトの問いに、本当は『怖い』と答えたかったジャスティーヌだが、アレクサンドラから『弱みを見せたら男はつけこむ』と釘を刺されたジャスティーヌは、必死に平静を装って『大丈夫です』と答えた。
しかし、声が震えるのは止められず、上下に揺さぶれながら舌を噛みそうになったジャスティーヌは、大きくなる風切り音に任せて口を閉じた。
「これでは、遠乗りというよりも、散歩と言ったスピードだな」
アントニウスの言葉に、アレクサンドラはチラリとアントニウスに目を走らせた。
「やはり、貴殿はこのくらいのスピードがお好みかな?」
丁寧だが、少し挑発するようなアントニウスの言葉に、アレクサンドラは眉間にしわが寄らないように注意しながら『僕はもっと早い方が好みですよ』と答えた。
「それにしても、あの二人、お似合いという雰囲気ではないな。従弟の貴殿からはどのように見えているのかな?」
「それは・・・・・・」
思わずジャスティーヌと言いそうになったアレクサンドラは、慌てて言葉を切った。
「どうも、ロベルト殿下はアレクサンドラ嬢に歓迎されていないように感じるが、やはりこのお仕着せのお見合いは、迷惑だったのでは?」
尋ねるアントニウスの真意が分からず、アレクサンドラは慎重に言葉を選んだ。
「国王陛下の思し召しですから」
「ああ、貴殿は自分がロベルト殿下の従兄だという事を気にしているのかな? 自分の前では、思っている事を忌憚なく話してくれて構わない。何せ、自分はこの国の人間ではないからね」
「そうですか、それであればハッキリと言わせて戴くなら、しがない伯爵家としては従うより他にないというのが事実です」
「やはりそうか。ロベルト殿下には、既に結婚を約束した令嬢がいるというのに、陛下も無謀な事を決断されたものだ」
アントニウスの言葉に、アレクサンドラは沸々と怒りがこみあげてくるのを感じた。
「殿下に結婚を約束したお相手が?」
「ああ、そう聞いている。ご存じなかったのか? 貴殿はロベルト殿下とは親しいのだと思っていたが・・・・・・」
あやうく『ご冗談を!』と叫びそうになりながら、アレクサンドラはぎゅっと手綱を握りしめ、馬の腹を両足で絞ると、自然と馬の歩みが遅くなった。
ジャスティーヌは幼い日の約束の事を思い出す前から、ずっとロベルト一筋に見合いも断り続けてきたというのに、あの数知れず流していた浮名の中にロベルトの本命が潜んでいたとは、そう思うと、ジャスティーヌにロベルトが迎えに来るのなら待てばいいと言ってしまった自分が激しく愚かに感じられた。
「なんてことだ」
『なんて自分はバカだったんだ。あんな色ボケ王子を信じるなんて』と心の中で続けるアレクサンドラに、スピードを合わせたアントニウスが再び並んだ。
「失礼。ご存じなかったとは・・・・・・」
心配げに言うアントニウスを見つめるアレクサンドラの目も鋭く怒りに燃えてくる。
「アントニウス殿は、その相手の名をご存じなのですか?」
憮然として言うアレクサンドラに、アントニウスが『もちろん』と答えた。
「で、貴殿はその令嬢と殿下の方が、アレクサンドラと殿下よりもお似合いだと、そうお思いなのですね?」
「そういう事になりますな」
「それならば、是非、お相手の名をお聞かせ願いたい。伯爵にお話しし、二人が傷つく前に、この見合いをなかったことにして戴くように陛下に願い出るように説得しなくてはなりません」
アレクサンドラの真剣な言葉に、アントニウスが少し瞳を細めて微かに笑みを浮かべたように見え、アレクサンドラの怒りは頂点に達した。
いっそ、前をいくロベルトからジャスティーヌを奪い取り、そのまま屋敷に連れ帰ってしまおうかと、アレクサンドラが馬の尻に軽く鞭を当ててスピードを上げようとした時、アントニウスが再び声をかけてきた。
「もし、私に早駆けで勝ったら、貴殿に殿下の婚約者の名前をお教えしよう」
「早駆けで勝負をつけると? 望むところです。二人を悲しませないためであれば、どんな勝負でも受けて立つつもりです」
「では、自分がロベルト殿下に伝えて参ろう」
アントニウスは言うと、軽く馬の尻に鞭を当て、一気にスピードを上げて前を行くロベルトに話をしに行き、アレクサンドラは手綱を引き、敢えてその場で馬を止めてアントニウスを待った。
ゆったりとした足取りで戻ってくると、アントニウスはアレクサンドラの隣についた。
「この辺の地理はだいたい把握しているつもりだが、今日の目的地までのちょうどいい早駆けのルートは貴殿に選んで戴こうか」
アントニウスの言葉に頷くと、アレクサンドラは少しカーブがきつく、一番長いルートをアントニウスに説明した。
二人が早駆けのコースを話している間に、荷物を積んだ馬車と護衛の近衛達が二人を追い越して行き、その姿は木々の間に小さくなっていった。
「では、スタートの合図は、このコインが地面に落ちた時という事でよろしいかな?」
「かまいません」
アレクサンドラが答えると、アントニウスはコインをゆったりとした動作で数メートル先に落ちるように高く投げ上げた。
木洩れ日の光を浴びたコインがキラリと光を反射させ、くるくると回転しながら地面へと落ちて行くのをアレクサンドラはスローモーションのように感じながら見つめた。
コインが半ばぬかるんだ地面に音もなく刺さるようにして落ちた瞬間、声も高らかに鞭を当てると、アレクサンドラは頭一つ分早く馬を走らせ始めた。半呼吸ほど遅れてアントニウスが太い声で掛け声をかけながら馬を走らせ始めた。
二頭の栗毛の馬は華々しく泥を蹴り上げながら、スピードを上げながら森の中を巡る細い脇道を突き進んでいった。
細い森の中の道を抜きつ抜かれつしながら、二頭の馬が競いながら風を切っていく。
アレクサンドラのストレートの髪が後ろになびき、その端正な顔立ちにアントニウスは見とれそうになりながら、馬に鞭を当ててスピードを上げようとした。
カーブで減速しながらも、アレクサンドラは身の軽さの利点を生かして馬のスピードを上げて行った。
(・・・・・・・・素晴らしいテクニックだ! これでは、本当に負けてしまいかねないな・・・・・・・・)
アントニウスは考えながら、再び馬の尻に鞭を当てた。
グンと馬のスピードが上がり、再び二頭の馬が並ぶ。急な左カーブでアントニウスの馬が悲鳴を上げるようにスピードを落として踏ん張りながらカーブを曲がると、抱きしめられるような近距離にアレクンドラの肩がアントニウスに迫り、次の瞬間、再びアレクサンドラの馬が加速してカーブを抜けて行った。
(・・・・・・・・抱きしめたい・・・・・・・・)
自分の中に湧き上がった想いに戸惑いながら、アントニウスも馬に鞭を当ててスピードを上げなおした。
再びアレクサンドラに並ぼうとしていたアントニウスの目を不自然な動きをする鞍の留め金が引き、次の瞬間、驚きに前方から視線をずらしたアレクサンドラの顔が見えた。
グラリとアレクサンドラの上体が傾き、その小さな体が宙へと浮かび上がっていくのをアントニウスは馬に飛び移るようにして必死に抱き寄せた。
しかし、騎手を失くした馬のスピードは風のようで、アントニウスは腕の中にかろうじてアレクサンドラを包み込んだものの、ものすごいスピードで地面に叩きつけられて転がった。
全身が軋むような衝撃と痛みの後、地面を転がる間もしっかりとアレクサンドラを抱いたままだったアントニウスは、回転が止まったところでアレクサンドラを抱き上げるようにして起き上がった。
その男とは思えない柔らかく軽い体に、アントニウスは慌ててアレクサンドラを仰向けにすると、アレクサンドラの呼吸を確かめた。
かすかな呼吸を止めないように、アントニウスはアレクサンドラのタイを外し、上着のボタンを外し、ベストのボタンも外した。それから、シャツブラウスのボタンを外したアントニウスは、今まで気づかなかった胸のふくらみに驚いて手を止めた。
(・・・・・・・・そんな、まさか・・・・・・・・)
落馬しただけでも気が動転しているのに、男だと思っていたアレクシスの体が男ではないと察したアントニウスの頭は、ほぼパニック状態に陥った。
(・・・・・・・・そうだ、どんな時もアレクシスはきちっとした身なりで、どんなに深酒しても上着を脱ぐこともブラウスの前をはだけることもなかった。それは、女だからだったのか? 俺が気になって仕方なく、近くに寄る度に麗しいと、思わず抱きしめたくなったのは、俺が異常だったんじゃなく、本能的にアレクシスが女だと感じていたからだったのか?・・・・・・・・)
思考の渦に流されているアントニウスは、念のため、自分の勘違いでないかを確かめるために一度は止めた手を動かし、白いシルクのブラウスのボタンを外した。
三つ目のボタンを外したアントニウスは、自分の勘違いでも、頭がおかしくなったのでもなく、アレクシスが男ではなく女性であるという事が間違いのない事実であると確認することが出来た。
目視で怪我も出血も無いことを確認したアントニオは慌ててボタンを元に戻すと、アレクサンドラの脈を取り、呼吸を確かめた。
アレクサンドラの口元に耳を寄せると、そのサクランボの様な唇に口付けたくなったが、アントニオは必死に堪えた。
そんなアントニオの元に、騎手を失くした二頭の馬が戻ってきた。
「良く戻ってきてくれた」
アントニオは愛馬に声をかけると、立ち上がって二頭の馬の頭をなぜ、鞍に止めてあった水筒を外し、ゆっくりアレクサンドラに水を飲ませた。
「ん・・・・・・」
かすかな声の後、コクリと何口か水を飲んだアレクサンドラがゆっくりと瞳を開いた。
「体中が痛い・・・・・・」
アレクサンドラは何度か瞬きしてから、何があったのかを思い出したようだった。
「鞍が傾いて・・・・・・、落馬したのか」
「そうです。覚えていますか?」
アレクシスが女性だと知ってしまったアントニオは、今までの様に気さくに話すことはできず、どうしても言葉使いが変わってしまった。
「貴殿もドロドロだが、まさか、自分と一緒に落ちられたのか? それとも、落馬の巻き添えに?」
「いいえ、あなたの鞍の留め金が外れるのが見えたので、居てもたってもいられなくなって、あなたを抱き寄せて、一緒に落馬しました」
「僕を抱き寄せて?」
そこまで言ったアレクサンドラは、アントニウスの話し方が違う事と体にピッタリとしているはずの上着やベストの気配がないことに気付いて慌てて自分の体を見回した。
上着もベストもボタンをはずされ、薄いシルクのシャツブラウスがむき出しになっていた。
(・・・・・・・・女だとバレた!・・・・・・・・)
一瞬のうちにアレクサンドラは蒼褪め、両手でベストと上着を体の前で合わせてアントニウスから体を離した。
「レディ、あなたのお名前は?」
アントニウスは片膝をつき、姿勢を正しながらアレクサンドラに問いかけた。
その丁寧なアントニウスの物腰が、どんな言い訳をしても通じない決定的な証拠、つまりアレクシスが実は女性であるという事を知られてしまったのだと物語っていた。
アレクサンドラは必死に頭を巡らせ、何とかこの場をしのぐ言い訳を考えようとした。




