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初恋の君に真紅の薔薇の花束を……  作者: 萩野紫苑
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15-19


☆☆☆


 階下のサロンに行くと、母のアリシアが本を片手に窓際の椅子に座っていた。

「あら、アレクサンドラ。支度はばっちりね。ファーレンハイト伯爵は、お父様とお話をなさっていらっしゃるわ」

「ええ、ジャスティーヌから聞いています」

 アレクサンドラは答えると、母から少し離れた席に腰を下ろした。

「ライラは下がっていいわ」

「かしこまりました」

 一礼してライラが去って行ってすぐ、家令に案内されたアントニウスが姿を現した。

「ご無沙汰しております、ファーレンハイト伯爵」

 かしこまってアレクサンドラが挨拶すると、アントニウスが寂しそうな表情を浮かべた。

「どうぞ、前のように気安く、友のようにアントニウスとお呼びください」

「では、アントニウス様」

 アレクサンドラが言い直すと、アントニウスはアリシアの方を向いた。

「伯爵夫人、伯爵には許可を戴いているのですが、お嬢様と、二人でお庭を散策してもよろしいでしょうか?」

「ええ、もちろんですわ。以前とは違い、すっかり手入れが行き届いておりますから、アレクサンドラ、ご案内なさい」

 アリシアの言葉にうなずくと、アレクサンドラはアントニウスに手を取られ、ゆっくりとサロンから庭へとでた。

 未婚の娘と二人っきりになりたいというのは、非常に不躾な申し出であることを知っているアントニウスは、敢えて二人になることを希望するのではなく、庭を案内してもらいたいという婉曲表現で許可を取り付けたのだった。

 屋敷の窓という窓から丸見えの庭では、家人だけでなく、使用人たちにまで監視されているのも同じなので、不躾なふるまいをすることはできないという大前提の下での二人っきりのプライベートな時間が持てる、双方にとって最大限の譲歩だった。



 以前も歩いた芝生の上を進み、屋敷から程よく離れた場所にある池の噴水の所で二人は足を止めた。

 ますますレディとして磨きのかかったアレクサンドラは、どこの国のプリンセスかと見紛うほどに美しく、上品だった。

「本当にお美しい・・・・・・」

 アントニウスの心からの讃辞に、アレクサンドラははにかむ様に笑って見せた。

「本当は、馬子にも衣裳、あのアレクシスがよくも化けたものだと、心の中では笑っていらっしゃるのでしょう?」

 静かな声で言うアレクサンドラの方をアントニウスはゆっくりと振り向いた。

「あなたが私に心を開いて下さらない理由はわかっています。私が、くだらないゲームだなどと言ってしまったから、あなたは私のどんな言葉にも耳を貸さなくなってしまった。でも、それは私の罪、これから先、私の身にどのようなことが起ころうとも、あなたを愛することはあっても、憎んだり、恨んだりすることはありません。例え、あなたが他の誰かに嫁ぎ、幸せな家庭を築いたとしても・・・・・・。ただ、それだけを覚えておいてください」

 アントニウスの大きな影がアレクサンドラをドレスごとすっぽりと覆い隠していた。

 さっきまで見えていた広い背中も、たくましい肩幅も、アレクサンドラには絶対手が届かないものだと思っている人の姿が今、優しく悲し気な笑みを浮かべてアレクサンドラの事を見下ろしていた。

 今から思うと、自分はどうやってこの恰幅の良いアントニウスと、少し線の細いロベルトの間で飲み比べや、男同士の語らいに加わっていたのか、まるで夢のようだった。

「私の執事が言うのです。アレクシスに会いに行けと・・・・・・」

 アントニウスの言葉にアレクサンドラは執事のミケーレも秘密を知っているのかと心臓を鷲掴みにされたような気がした。

「ミケーレが言うには、私はとてもアレクシスを気に入っていて、とても親しい友人で、何でも話せる間柄だと話していたと。まるで、そのころの私はアレクシスに恋でもしているのではないかと、ミケーレが気を揉むほどだったそうです。だから、最近の私が元気なく、突然アレクサンドラ、あなたに恋をしたと騒ぎ立て、プロポーズしようとしていることに、ミケーレはミケーレなりに不思議に思い、私がアレクシスの姿をあなたの上に重ねてみているのではないかと、だから、一度きちんとアレクシスに会って、別れを告げるべきだと、そう言われました。ちゃんと、別れを告げていないから、迷い、悩むのだと」

「では、あなたの執事も、私がアレクシスだとは知らないのですね?」

 アレクサンドラは念を押すように尋ねた。

「あの日、あなたがあんな無防備な姿で私の屋敷を訪ねた日、私が恐れていたのは、ミケーレがあなたの正体に気付いてしまうことでした。でも、本当か嘘か、確かめる方法はありませんが、ミケーレはあなたがアレクシスだと思っているそぶりは見せませんでした」

 アレクサンドラはホッとして、息をついた。それから、アントニウスが気になる『別れ』という言葉を口にしたことに気付いた。

「アレクシスは、あなたのお屋敷を去る前に、お別れをしたはずです。もう、二度と、お目にはかからないと・・・・・・」

「ええ、そうでしたね。だから、私もそうミケーレに伝えました。アレクシスは男気のある男だから、自分から口にした約束を自ら反故にするようなことは決してないと。だから、あれがアレクシスとの今生の別れだと・・・・・・」

「貴族でもない身で、公爵家のご嫡男、いえ、今は伯爵でいらっしゃいましたね。いずれは、大公を補佐する要職に就かれるであろうあなた様に、そのように親しく思っていただけて、きっとアレクシスも身に余る光栄だと、きっと知ったら思うことでしょう」

 まるで、他人事のようにアレクシスの事を語るアレクサンドラには、もうアレクシスの面影が重なることはなかった。ずっと、アントニウスだけが目にしてきた、アレクシスからアレクサンドラへと変身していく、そう、蝶が羽化するように、美しく彩と輝きを増して変わっていったアレクサンドラは消え、そこにいるのは、生まれながらの伯爵令嬢、博識にして、レディの中のレディと王妃に認められるジャスティーヌの双子の妹だった。

「やはり、私は未練深い俗物のようです。あなたに一目逢わないまま国に帰ることはできないと、そう思って伺いましたが、こうして、あなたに逢ってしまうと、あなたと離れがたくなってしまいました・・・・・・」

 アントニウスは照れ隠しに髪をかき上げると、体を少し斜めにした。

 アントニウスに降り注ぐ赤みを増した太陽の光は、まるで光の粒のようにその肩で弾み、周りの空間に飲み込まれていった。

「帰国されるのですか? 私は、誰にも嫁いだりいたしません。お約束したはずです。私の身も心も、あなたのためにあると。あなたがお戻りになるまで、私はお待ちいたしております」

 アレクサンドラの言葉は静かだった。

 事実、アレクサンドラには誰に嫁ぐ気もなかったし、父であるアーチボルト伯爵も、社交界デビューのために多大な支援を受けたザッカローネ公爵家への恩義を考えると、アントニウスが他の女性と結婚しないかぎり、他の誰かに嫁がせるような恩知らずな真似はできないと思っていたので、そのことはアントニウス自身、伯爵から告げられていた。

「私には、あなたを縛る権利はありません」

「ですが・・・・・・。あなたが妻を迎えられても、私の気持ちは変わりません」

「では、なぜ、いっそ私の妻になると、一緒に国に帰ると、そうおっしゃってくださらないのですか?」

 振り向いたアントニウスは、思わずアレクサンドラの両肩を掴んだ。

 白昼堂々というには、既に陽は傾いてきているが、それでも夜会の庭でもない場所でレディの肩を掴むなど、紳士としては許されない暴挙を犯しているのに、アレクサンドラは拒むことも、アントニウスの腕を振りほどこうとするでもなく、ゆっくりと顔を上げてアントニウスの事を見つめた。

 その時、二人の異変を察した使用人の誰かが報告したのだろう、サロンの扉が開きメイドを伴ったアリシアが庭へと降りてきた。

「失礼いたしました。頭ではわかっているのです。あなたがアレクシスではないと・・・・・・」

 アントニウスは謝罪するとすぐに手を離した。

「いいえ。私はあなたのものですと、両親にも伝えます。でも、あなたの妻には公爵夫人にふさわしい女性がなるべきだと・・・・・・」

 アレクサンドラの言葉に、アントニウスは無言で頭を横に振った。

「どれくらい帰国されるのですか?」

 その問いに、アントニウス自身、答えを持っていなかった。

「わかりません。アレクシスだけでなく、あなたとも今生の別れになるかもしれません」

 アントニウスの言葉に、アレクサンドラが驚いた表情で一歩距離を縮めた。

「伯爵にはお話しましたが、ポレモス共和国との戦に私も出陣いたします」

 予想もしていなかった答えに、アレクサンドラは息を飲んだ。

「戦に? でも、あなたは公爵家のご嫡男、いずれは大公の補佐を務められる要職に就かれる身ではございませんか」

「それも、国があっての事です。戦に負け、国がなくなってしまえば、公爵も大公も、名ばかりの亡命貴族になり下がるだけです」

「ですが、あなたの身にもしものことが・・・・・・」

「その時は、泣いて下さいますか? あなたを愛した、哀れな男の死を悲しんでくださいますか?」

 無意識にアレクサンドラはアントニウスとの距離を詰め、その銀糸に縁どられたジャケットを両手で掴んでいた。

 アントニウスが両腕で包み込むだけで、誰が見ても見間違うことのない、ある種の既成事実となる。未婚の女性が衆人監視の下で独身の男性の腕に抱かれるということは、二人の間にあってはならない既成事実がある事を意味しているのと同じことになる。

 アントニウスはアレクサンドラを抱きしめたいという自分の想いを必死に打ち消し、ゆっくりとアレクサンドラの体を自分から引き離した。

「軽率ですよ。レディがそのようなことをなさっては、誤解が生じます」

「必ず・・・・・・、必ず生きて帰ってくると、約束してください」

 アレクサンドラは潤む瞳でアントニウスの事を見上げた。

「手紙を書きます。気が向いたら返事を書いてください。どんなロマンチックな言葉も要りません。あなたの手で書かれた手紙であれば、どんな内容でも構いません。たとえ、本から写し取った一行であろうと、あなたの手で記されたのなら、それでかまいません」

 アントニウスの瞳が潤んでいるかのように揺らめいた。

「許されることなら、あなたを今ここで抱きしめたい。そして、その温もりを忘れないように、しっかりとこの腕に抱きしめたい」

 未練がましい自分に、アントニウスは唇を噛みしめて言葉を飲み込んだ。

「どうぞ、思うとおりになさってください。私は、あなたのものです」

 アレクサンドラは言うと、更に一歩距離を詰めたが、アントニウスが素早く後ずさり、アレクサンドラから距離をとった。

「あなたは、一点の曇りもないガラスで作られたバラの花。そんな風に自分を安売りしてはいけません。あなたの心を射止めたいと思っている男は大勢います。・・・・・・どうか、お幸せに。そして、もし、許されるなら、私の言葉をジャスティーヌ嬢にお伝えください」

「ジャスティーヌに?」

「はい。ロベルトは、ジャスティーヌ嬢がどうしても結婚に応じないというのであれば、応じてくれるまで、一生独身を貫く決心を固めていると。ジャスティーヌ嬢以外を妻に娶らないと、そう心に決めているのです」

「でも、あの見合いは、国王陛下の勅命。私かジャスティーヌのどちらかが必ず殿下に嫁がなくてはいない決まりのはずです」

「ロベルトは、王太子の権利を振りかざし、望んでいないジャスティーヌ嬢を妻に娶るくらいならば、一生独身を貫くと、そう言っていました」

 アレクサンドラの中のロベルトのイメージが大きく変わっていることにアレクサンドラ自身が気付いた。

 アレクシスの姿の時は、王太子の身で何と気ままに浮名を流すものかと、権力を後ろ盾に好き放題に遊んでいると、女性には不誠実な男だとずっと思っていたが、それがただのフリだったこと、必死にジャスティーヌを振り向かせたかっただけだというのが、今のアレクサンドラには理解することができた。

「わかりました。私が必ずジャスティーヌに伝えます」

「ロベルトがプリンセス・ジャスティーヌと名付けたバラは、可愛らしいピンク色だと聞きました。きっと、ロベルトにとって、ジャスティーヌ嬢はそういう存在なのでしょう」

 アントニウスは優しく微笑みを浮かべた。

「それでは、国に戻る仕度がありますので、お屋敷までお送りしたら、私はそれで失礼いたします」

 アントニウスに促され、アレクサンドラは屋敷へと歩を進めた。

 屋敷にたどり着いてしまったら、アントニウスは国に帰り、アレクサンドラの手の届かない人となってしまうのだと思うと、アレクサンドラは胸が締め付けられるように苦しくなっていった。

 屋敷が近づくほどに歩幅がさらに狭くなり、アレクサンドラの心は言葉に表すことのできない感情に揺り動かされていた。

「寒くなってきましたね」

 アントニウスは言うと、自分の上等な上着を脱ぎ、アレクサンドラの肩にかけてくれた。

「このままあなたと一緒にいると、あなたを連れ去ってしまいそうです」

 アントニウスの温もりが突然アレクサンドラのそばから消えた。

「この臆病者が、あなたを屋敷に送り届けずに逃げ帰ったことを伯爵と夫人にお伝えください」

 アントニウスはぎゅっと唇を噛みしめると、一気に庭を走り抜け、屋敷の向こうへと姿を消した。

 ドレスに身を包んだアレクサンドラにアントニウスを追う方法はなかった。

 ただ、優しく肩の上に残されたアントニウスの上着を手繰り寄せ、アレクサンドラはその胸にかき抱いた。

 アレクサンドラの瞳から涙がこぼれ、上着を濡らした。

 庭に立ち尽くすアレクサンドラの元にライラが走り寄ってきた。

「お嬢様・・・・・・」

「ライラ、何でもないのよ。伯爵はお別れを言いにいらしたの。帰国されるんですって」

「ですが、お嬢様に求婚なさっていらっしゃる件は、どのようになさるおつもりなのでしょう」

 ライラは困惑したように、そして、少しアントニウスの無責任さを責めるような語調で言った。

「仕方がないわ。私は、あの方の仮初めの恋人。本物にはなれないわ」

 自分の心の中の言葉にならない想いを吹っ切るようにアレクサンドラは言った。

「ですが、それでは事が収まりませんでしょう?」

 ライラの言葉に、アレクサンドラは微笑んでみせた。

「心配ないわ。ちゃんと、ジャスティーヌは王太子妃になれるわ。そうすれば、お父様もお母様も安心されるわ」

「それは素晴らしいことですが、アレクサンドラお嬢様はどうなさるのですか? このような大切な時期に伯爵が帰国されてしまったら・・・・・・」

 ライラは気遣うようにアレクサンドラの事を見つめた。

「心配しないで、ライラ。私は、お父様の所領の、もう使っていないカントリーハウスのどれか一つを貰って、自分で直し直し暮らすわ」

 アレクサンドラは何事もなかったように言った。

 胸が苦しくて、さっきまで感じていたアントニウスの温もりが夜の風にかき消されていくことがとても悲しくてアレクサンドラは涙が零れそうだったが、必死に笑顔を保ちライラの先に立って屋敷の中に入ると、アントニウスから聞いたロベルトの話をジャスティーヌに伝えるために階段を上がった。


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