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「賭けをしようじゃないか。私と君で」

 レインは侵入者の珍妙な名乗りを前にして、困惑しながらも冷静であった。


 この場において、おそらく『ブラックムーン』を名乗るこの者は、自分よりも強い。


 このままレインを誰にも気づかれずに暗殺するのも、難しくないだろう。


 しかし、一向に目の前の存在は危害を加えてくる様子がない。


 暗殺が目的ではないというのなら、今は相手の目的を探るためにも話を聞いた方がよさそうだとレインは判断した。


「ここがフローレス家であると知っていながら、単身で忍び込んだその勇気は評価しますわ。ですが、それだけではあなたが『ブラックムーン』であるという証拠にはならない。何か証明できるものはありませんこと?」


 レインの言葉を聞いて黒装束の者がゆっくりと手袋をめくると、そこには眩しいほどに輝く『紋章』があった。


 『紋章』を宿しているのは3人の令嬢以外は『ブラックムーン』ただ一人のみ。


 レインは『ブラックムーン』が本物であると確信するのと同時に、噂の『紋章』を見て度肝を抜いた。


(あの『紋章』の輝きはあまりに強すぎますわ。たとえ、フローレス家が他の派閥を取り込んでも、あの輝きには遠く及ばない……)


 そんな驚きの感情をおくびにも出さず、レインは言葉を紡いだ。


「なるほど、どうやら本物のようですわね。私の名前はレイン・フローレス。さて、こんな夜更けに世間を騒がす正義の賊が一体何の用かしら」


 『ブラックムーン』がこちらの問いかけに応える。


「君の兄が婚約しようとしているウィン・グリームについてだ」


 なぜここでその名前が出るのかと意外に思ったレインは、『ブラックムーン』の話に耳を傾ける。


 話によると、ウィン・グリームは『ブラックムーン』と面識があるらしい。


 以前ウィン・グリームを虐待から救いだして、その後の様子を見守っているのだそうだ。


 ワーグ経由でウィンの事情もある程度耳にしていたレインにとっても、ウィンと『ブラックムーン』がそこまでの関係とは初耳だった。


「ここしばらく君たちフローレス家のことは調べさせてもらった。貴族としては、君たちのことは信頼に値する者たちといえよう。だが、伴侶としては? 君の兄オルター・フローレスは果たしてウィンとうまくやっていけるのか」


 つまり、目の前の義賊はオルター兄様がウィン・グリームにふさわしいのかが気になっているらしい。


 フローレス家の急所が筒抜けらしく、痛いところを指摘してきた『ブラックムーン』にレインは苦々しい表情を浮かべる。


「それで、オルター兄様との愛の無い婚約を取りやめろというんですの?」


 ウィン・グリームは絶大な魔法の才能を持っているときく。


 魔法の才能は個としての力であり、権力や人脈のような集団としての力ではない。


 これは貴族のしがらみとは無縁かつ有用である貴重な人材ということを意味する。


 いわば、ノーリスクでフローレス家の力となり『紋章』を巡る競争においても優位に立てる。


 その機会をみすみす逃せというのは、到底容認できない。


「いや、ウィン本人は婚姻にそこまで愛を求めていない。なので私がとやかく言うことではない。それよりも懸念しているのは、彼がウィンを守り切れるかどうかだ」


 どうやら、『ブラックムーン』は相当ウィン・グリームを心配しているようだ。


「お話は分かりましたわ。それで、私に何をお求めですの?」


 レインは少し警戒を解いて『ブラックムーン』の返答を待つ。


「私とオルター・フローレスでウィンを賭けて決闘して実力を見極めたい。命までは取らない。レイン嬢には誰にもばれないように手筈を整えてほしい」


 それなら出来なくもない、とレインは考える。


 二人の面会では後半に二人きりでの時間も確保することになっているので、そこに決闘をねじ込めるだろう。


 しかし、頼まれただけで安請け合いするほどお人よしではない。


 それに、オルター兄様が決闘で認められない可能性を考えるなら、フローレス家にとっては今のところリスクしかない。


「何か見返りはいただけますの? それともまさか天下の義賊様が、脅迫をしているわけではありませんわよね?」


 そう、この状況は脅迫に近い。


 『ブラックムーン』にとってこの婚約を潰すことはたやすいのである。


 助けられた恩がある『ブラックムーン』からウィン・グリームに、フローレス家の悪印象を吹き込むだけでよいのだから。


 だがレインは短時間のやり取りの中で『ブラックムーン』の律儀な性格を見抜いていた。


 一度助けたものを放っておけない甘さは、善良な本性を示している。


 そこに付け込めば『ブラックムーン』に貸しを作ることができ、『紋章』の輝きを強められるかもしれないとレインは考える。


「当然見返りはある。もし協力してくれればこの『ブラックムーン』が君の盟友として助けになろう」


 なるほど、ハイリスクハイリターンではあるが悪い話ではない。


 もともとあのオルター兄様の縁談という時点でハイリスクである。


 むしろ決闘で魔法戦の領分に持ち込める分、苦手な人付き合いよりも勝率があるかもしれない。


 ウィン・グリームのために決闘までしようというのだから、その婚約者の家の者と盟友になるという話もあながち嘘ではなさそうだ。


「決闘に勝てば『ブラックムーン』と繋がりを持てる、と。この話受けましたわ」


 交渉の末、レインは話を受けることにしたのだった。



──────────



 二人の面会当日、顔合わせに立ち会っていたレインはウィンの様子を伺っていた。


 オルターが度々失言を重ねるごとにレインは冷や冷やしていたが、ウィンは全く気にしていない。


 ウィンはワーグの所で魔法を教わったからか、オルターの話に置いて行かれることはなかった。


 それどころか意外と相性が良さそうな雰囲気で周囲をそっちのけで会話をしている。


 もはや決闘しなくてもよいのではと思わなくもないが、『ブラックムーン』に認められなければ婚約を妨害される可能性がある以上引き返すことはできない。


 また、『ブラックムーン』と盟友関係を結ぶことができれば、フローレス家にとっての利益は計り知れない。


 以上の理由からレインは作戦を決行する気満々であった。


 しかし、ここから二人を孤立させるというのは容易ではない。


 この後に庭園で二人きりになるときが絶好の機会であるが、さすがに決闘となると騒ぎで人が駆け付けかねない。


 そこでレインが考えたのが、二人を出かけさせることである。


 フローレス家は、水属性魔法を扱う貴族であるため、広大な敷地の半分以上を占める巨大な湖を所有している。


 その湖の孤島は二人きりの状況を作る上でこれ以上なく好都合だった。


 水属性魔法を使うオルターにとって、決闘を湖で行うというは有利いう点でも文句なしである。


 『ブラックムーン』曰く、本人の力ならどんな手を使ってもかまわないとのことなので、環境を使うのはその条件に抵触しない。


 問題はどう二人を誘い出すかである。


「私たちがいてはお邪魔かもしれませんわね。どこかで二人きりで話せる静かな場所があるといいんですが」


 魔法の話題が発展しすぎてもはやマニアックな領域で盛り上がっている二人の間に、レインが口を挟む。


「そうか? 私はこのままでも構わないが。ウィン嬢はどうだ?」


「はい、私もここで構いません。フローレス家のお邪魔でないならですけど」


 息ぴったりに遠慮する二人に、レインは内心うんざりとする。


(ああ、もうこれだから研究で籠りっきりの人たちは……。というかあの義賊、ウィン・グリームに話を通してないんですの!?)


 レインは内心困りながらも、なんとか湖の孤島の話題をあげる。


「そういえば幼いころ、オルター兄様と湖の孤島によく行ってましたわよね。あそこなら落ち着いていますし、おすすめですわよ」


 無理にでも孤島に足を運ぶ流れを作ろうとするレインだったが、思いのほか二人が乗り気にならない。


 いっそのこと事情を話す選択肢もよぎるが、どこに『ブラックムーン』の目があるかも分からないこの状況では難しいとレインは考えを改める。


 どうしたものかとレインが考えていると、意外な人物から助けが入る。


「懐かしいな。久しぶりに家族皆で行ってみようか。もちろんウィン嬢もご一緒に」


 助け船を出したのは、フローレス家当主にしてレインとオルターの父親であるバルト・フローレスであった。


 普段から高齢の身で研究に勤しんでいるので、体力が衰えて出かけたがらない父にしては珍しいとレインは感じた。


 助け船により湖の孤島に行くことになった一同は湖の畔へと向かった。


 2隻に別れて乗った船は、水属性魔法によって湖上をゆっくり進んでいく。


 オルターとウィンの乗る船は、仲良さげな空気を醸し出している。


 一方でレインは予想だにしない展開に頭を抱えていた。


(孤島に向かってるのはいいとして、あとはどうやってお父様だけを家に帰すか。衰えていても魔法戦になれば参加するはず)


 決闘をするためには何としても父を帰さないといけない、と頭を悩ませるレインを他所に船は孤島に着く。


 孤島には草木が茂っており、岸から距離があるのもあってここで決闘をしても湖の外からばれることはない。


 中心部の少し開けた場所に着くと、バルトは老体でありながら着実な歩みで他を置いて真ん中へと進んでいく。


「ウィン嬢、こちらへ」


 バルトに招かれるままに側へ近づくウィン。


 すると突然破裂音が響き、二人は黒い煙幕に包まれた。


 オルターとレインが一瞬呆気に取られながらもそこへ駆け寄ると、晴れた霧の中から意識を失ったウィンを抱き寄せた黒い装束の人物が現れる。


「我が名は『ブラックムーン』! 日中ではあるがここに参上した!」



──────────



 高らかに名乗りを上げたクロにオルターが冷静に答える。


「ほう、まさか父上とすり替わっていたとは。全く気付けなかったぞ」


 クロは意識のないウィンを支えながら、答え合わせのように脱いだ変装マスクを見せびらかす。


 このマスクはワーグによって作られた魔道具で、魔力を流すと目の前にいる対象の顔の形状に変化させることができる。


 クロは知りえないことだが、小説『ブラックムーン』を作るうえでの参考資料としてワーグが制作していたのがこの魔道具である。


 壊れて倉庫にしまわれていたところを奥から引っ張り出されたこの変装マスクは、弱体化したクロにとってはうってつけであった。


 マスクや服の中は影なので、マスクと顔の境目の偽装や体格の微調整とクロの魔法との相性は抜群なのである。


 何より原作の『ブラックムーン』の十八番であった変装は、クロにとってロマンそのものだった。


 休止期間中も変装の練習に多くの時間を費やしたクロは、変装の技術も極めて高度なものに仕上げている。


 そんなクロといえど肉親相手は少し変装がばれる不安もあったが、バルトは寡黙であったため短期間でもうまく擬態することが可能だった。


「安心しろ、バルト本人は今頃自室のベッドでぐっすりと寝ている。このウィン・グリームにも飲ませた睡眠薬でね。全く体には害の無いものだから心配はしなくていい」


 何年か前、ワーグがとある事情で眠れなかった夜に毎日飲んでいた魔法薬らしいので、安全性は折り紙付きである。


 ウィンはぐっすり眠ってクロに体を預けている。


 煙幕の中で口を手で塞いで影にすることで、影を介してウィンの体内に薬を直接送り込んだ。


 王宮でのバーン王子との闘いから着想を得た方法である。


 友達を薬で眠らせるという罪悪感を抱きつつ、クロはオルター告げる。


「オルター・フローレス殿。あなたにはこの私『ブラックムーン』と決闘をしていいただく。勝てばウィン・グリームのことは諦めるのだな」


 そういうとオルターは顔をこわばらせた。


 『ブラックムーン』は確かウィン嬢にとっての恩人だったはず。


 このタイミングでオルターとウィン嬢の関係に横やりを入れる理由はないはずだ。


 しばらく考えた末、オルターは『ブラックムーン』の目的に辺りを付ける。


(フローレス家の『紋章』が力を付けるのを妨害し、自分が婚約者に選ばれるつもりか)


 些か世間で語られる『ブラックムーン』の人物像からずれるようにも感じるが、今オルターが思いつく動機として最も妥当である。


「なるほどな。義賊であっても、やはり王妃の座は魅力的か。だが、そこはフローレス家がたどり着くべき場所だ。断じて貴様などではない」


 そういってオルターは氷の槍を数十本作り上げて構えて待機させる。


 従来の水属性魔法は巻き込める水が限定的な場所にしかない。


 そのため風属性や地属性に劣ると考えられていた。


 その常識を覆したのが他ならぬフローレス家である。


 研究によって水蒸気や氷のような水の状態変化にはじまり、水温や科学反応まで操作できるようになるほどの知への探求。


 いまや水属性魔法は大気に存在する水蒸気までも操ることが可能であり、風属性や地属性と比較しても遜色ない。


 そんなフローレス家においてオルターは魔法以外を何も持ち合わせなかった。


 魔法以外にも社交性や商才などを持っている妹のレインの方が、貴族としてはよほどふさわしい。


 しかし、それゆえに唯一持ち合わせた魔法に執着したオルターの魔法は、技術として最高峰であった。


 魔力量はそこまで高くないが、精密な操作が可能なオルターは水属性魔法の使い手の中でも極めて優れた存在である。


「ではレイン嬢。ウィン・グリームを預かってもらってもいいかな。島からは出ないように」


 気を失った友人をレインに託したクロは、オルターに向き直る。


「決闘は互いのどちらかが負けを認めるか意識を失うまで。こちらは命までは奪わないが、そちらが手加減をする必要はない」


 クロの条件をオルターは頷いて受け入れる。


「『氷の槍(アイス・スピア)』」


 開幕の火蓋を切ったのはオルターであった。


 オルターは氷の槍を高速で射出し続ける。


 人体を簡単に貫くだろうという威力の槍を、クロはマントを翻すだけでを影に沈めて防いでいった。


 光を発する火や目に見えない風と違い、水は簡単に『影拾い』で対応できてしまう。


 しかし、その一方でクロの影を介する魔法は日中は大きく制限されている。


 攻撃を避けるために使う『影潜み』は自分のマントでできた影や服の中でしかできない。


 オルターの攻撃の射出速度には目を見張るものがある。


 予備のマントがあるとはいえ、防ぐのに失敗すればマントが破れかねない。


 さらに湖の近くだからか、氷の槍も次から次へと補充されていく。


 このまま防御し続けると、いつか限界が来てしまう。


 そのことを自覚したクロは、マントが多少破れるのを覚悟して距離を詰める。


 格闘や睡眠薬を用いた制圧に頼り切ったクロの勝ち筋は、接近戦にもちこむことである。


 当然オルターもクロの狙いに気づいたようで、弾幕がよりはげしくなる。


 だが、研究者であり戦闘馴れしていないオルターの攻撃は、クロにとって単調なものであった。


 煙幕をばら撒いて攪乱しながら、着実に距離を縮めていく。


氷の槌(アイス・ハンマー)


 オルターが振るった巨大な氷塊によって付近の煙幕が晴れるが、そこには誰もいなかった。


 周囲を見回すが、周りに隠れられそうな所はないはずである。


(奴はどこへ消えた?)


 すると、オルターの後ろか伸びてきた手に口を塞がれるのと共に、お腹に異物感を感じる。


 背後にいたのはオルターの影の中に隠れることで隙をついたクロだった。


「まあ頑張ってはいたけど、期待外れかな。ウィン・グリームのことは諦めるんだね」


 その声が聞こえたときには、オルターの意識はすでに霧がかかり始めていた。

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