『杖』の儀式
今回から『紋章』を宿した婚約者の候補や貴族たちの派閥とかが出てきます。
『杖』の儀式の日、玉座の間には多くの貴族のご令嬢が集っていた。
儀式をもって『杖』が婚約者候補に対して『紋章』を与えて、貴族は婚約者候補かそうでないかに別れる。
この日のために、貴族たちは自分たちの娘の価値を最大限まで高めさせるべく奔走した。
それらの成果が、今日ここに示されるのである。
『杖』を持ったバーン王子の前に、令嬢たちが順番に進んで名乗りをあげる。
口づけは形式的なものなので実際にはせず、バーン王子の手を取って跪き首を垂れるだけである。
儀式はあくまでも旧態依然のものであり、その本質は『紋章』が与えられるという結果にこそある。
『紋章』が刻まれるものは、ほとんどいない。
婚約者候補とは狭き門であり、数人以外は皆候補から外れてしまう。
しかし候補から外れたからといって、そこで終わりではない。
『杖』は人間関係をも判断材料とする。
候補に選ばれた貴族の下について婚約者としての資質を底上げすることで、代わりにその候補が選ばれた暁には自分の家を優遇してもらえるのだ。
儀式を終えると玉座の前でそのまま歓談の機会が設けられる。
といっても和気あいあいとした空気なのは表面上だけである。
選ばれなかったご令嬢は有望な候補者に近づいて派閥に入れてもらうために、なんとか自分の家を覚えてもらおうと必死だった。
令嬢たちにとってこの場は戦場なのである。
今回候補に選ばれた3人に人だかりができるのを見て、バーン王子は内心ため息をついた。
皆が必死になっているのに王族が踏ん反り返らなくてはならないというのは、バーン王子にとっては心地よいものではない。
俺だけ先に帰ってもいいかなと思いつつも、そういうわけにもいかないので歓談の様子を観察する。
今回選ばれた3人はどこも貴族の中でも有力なところばかりである。
レイン・フローレス。
青色をした髪を後ろにまとめており、多くの人間に囲まれて緊張した様子でありながらも受け答えなど必要な部分はしっかりしている。
水属性魔法を使わせたら五本指の実力であるフローレス家は、優れた知性から経済や研究の分野においてその家名を轟かせている。
リア・グラント。
最も大きな人だかりを作っており、金髪の長髪を靡かせながら上品な笑みを浮かべておしとやかに周りと談笑している。
地属性魔法を得意とする貴族のグランド家は貴族間の横の繋がりが広く、多くの貴族に対してパイプを持ち貴族社会においてその影響力を無視することはできない。
ルージュ・ヴァレッド。
長すぎないオレンジ色の髪を身長の低さから人だかりに埋もれさせていているが、令嬢とのやりとりも楽し気であり人懐っこさと活発さを見る者に印象付ける。
扱う火属性魔法自体はそこまでのものではないが、王家に次ぐ強大な軍事力を保有するという点でヴァレッド家は貴族として唯一無二である。
後々派閥争いで『紋章』の輝きも変化するが、今の彼女たちの『紋章』の輝きは多少の差はあれどほぼ同等のものであった。
過去の記録によると、輝きが拮抗している場合はなかなか婚約者が決まらないらしい。
婚約者候補に圧倒的な格の違いがある場合、劣っている方が従属することで候補の選択肢が早々に減っていく。
王妃になった未来においては、従属した者を駒として数えることができる。
『紋章』の所有者が別の『紋章』の所有者の上に立ったとき、輝きがその分上乗せされるのである。
しかし、差が無い場合はそうした単純な従属で決着がつくことは少ない。
その例から言えば、今回もにらみ合いによる膠着状態に陥るだろう。
候補者がここにいる3人だけなら。
そう、この場にはいないが今回はとびきりの『紋章』を持つ者がもう一人いる。
ここにいる3人とは比べ物にならないほどの『紋章』を宿したその少女に、バーン王子は思いを馳せた。
『ブラックムーン』として世を騒がす少女クロ。
仮にバーン王子がクロを選ばないと宣言したところで、巻き込むことはもう回避ができない。
彼女を取り込むか従属させれば、従属させた者の『紋章』は候補者の中で一番の輝きとなるだろう。
すでに貴族たちの間でクロの『紋章』は知れ渡っている。
候補者の中には、『ブラックムーン』に近づこうとするものもいるはずである。
自分の知らないところで貴族たちが動いていくことを考えると、バーン王子はこれからのつまらない傍観者としての退屈な日々を想像して気が沈んでいく。
(クロと競い合いをしてるときは楽しかったな。いっそのことクロが婚約者となったら俺にとって都合がいいのだが……)
貴族たちが賊を婚約者にするなど許すはずもない。
たとえ『紋章』の争いに敗れても、おおいに国に貢献して名を歴史に刻んだ貴族も少なくない。
おそらく婚約者にしなくても、捕まえて王の役に立つように強制すればよいとでもいう違いない。
クロを婚約者にしたいというのがバーン王子の私情でしかない以上、認められることはないだろう。
目の前の令嬢の歓談を玉座で眺めるバーン王子の心は、いつかの刺激的な夜に囚われ続けていた。
──────────
婚約者候補の選定の日から何日か経った日の晩、久しぶりにクロは『ブラックムーン』としてワーグ邸に忍び込んでいた。
「へぇー。その3人が婚約者の候補なのかい?」
クロはウィンから聞いた情報を整理する。
婚約者として選ばれたのは、フローレス家、ヴァレッド家、グラント家のそれぞれのご令嬢たち。
貴族としての影響力もどこも凄まじく、今のところ3つの派閥はそれぞれ同じくらいの強さであるという。
義賊として情報を集めていたときにこれらの貴族の悪い噂は聞いたことが無いので、クロが持っている情報はほとんどない。
「『ブラックムーン』も確か婚約者候補に選ばれたのですよね」
そうウィンが聞いてきたので、クロは肯定として手の甲を見せる。
普段より分厚めの手袋をはずし『紋章』を見せると、ウィンは物珍し気な様子であった。
「他の人の『紋章』との違いとかがあれば教えてほしいんだけど」
クロに対してウィンは申し訳なさそうに返事する。
「私はそもそも『杖』の儀式には参加していません。なので噂程度でしか知らないのです」
今は心の傷も回復しつつあるが、ウィンは『紋章』を巡った争いによって大きな被害を受けている。
加えて、フォレス家のご令嬢に鉢合わせする可能性だってある。
参加を辞退したのも無理はないだろう。
「今回の候補者の中でも『ブラックムーン』の『紋章』が最も輝いているという噂を耳にはしましたが、その手の甲を見るとあながち嘘でもなさそうですね」
まあ、日常生活に支障をきたすほどの光り方するのが普通なら、『杖』の魔法は欠陥だろう。
眩しそうにしているウィンを見て、手袋を付け直しながらクロは改めて『紋章』について考える。
ワーグからもこの光り方は異常だと聞いている。
婚約者候補の1人として貴族に付け狙われるから義賊活動はやめた方がいいと何回も止められた。
必死すぎて別の理由でもあるのかと思うほどである。
しかしワーグは『紋章』とは縁遠いし、多分純粋にクロを案じているのだろう。
巻き込まれていることにあまり現実感がないというのもあるが、弱者を助けるための義賊活動は続けたい。
ワーグにそう伝えると複雑そうな表情をしながら、クロが王宮への侵入したときのような支援を続けさせてほしいと申し出た。
今の弱体化した私には願ってもみない話なので、その場で了承した。
今付けている厚手の手袋も、ワーグに用意してもらったものである。
「まあ、『ブラックムーン』がこういうのに巻き込まれるのは宿命だからいいけど、ウィンが巻き込まれてないようで安心したよ」
そういうと、ウィンは首を振ってそれを否定する。
「いえ、完全に無関係というわけではないのです」
ウィンによると、フローレス家の当主がワーグを訪ねてきたという。
なんでもワーグは過去に現フローレス家当主と共同で魔法の研究をしたことがあり、その縁でフローレス家の派閥への勧誘を受けたのだとか。
ワーグはあくまでも中立でいたいからと断ったらしい。
先方もダメ元だったらしく、他の派閥にワーグが肩入れするつもりがないと確認できただけでも良かったと引き下がった。
しかし、その時庭でちょうど魔法の練習をしていたウィンが目に入ったらしい。
ウィンの魔法を気に入ったらしく、ぜひウィンを息子に紹介してほしいと言ってきたそうだ。
「ウィンはその話をどう思ったんだい?」
クロの疑問にウィンが答える。
「私は受けてもいいと思っています。もちろん、これが『紋章』のためにフローレス家に良き人材を囲うためだとはわかっているのですが、私も貴族なので私情を優先ばかりしてられません。それにワーグおじ様の知り合いという点で信頼もできます」
なるほど、そこら辺は貴族としての自覚を持っているということか。
ワーグも本人の意思を尊重しているようなので、ウィンがいいなら止めはしないのだろう。
「一番の目的はフローレス家で魔法を鍛えることですね。フローレス家といえば魔法の研究において最前線を走っているところです。そこに行けば私も得るものがあるかもしれません」
ウィンは少し照れくさそうに付け足した。
ちょっと見ない間に立派になったものだと思ったクロは、ウィンの頭をなでる。
「ウィンは偉いな。貴族として精一杯頑張ってる。義賊目線から見ても文句なしだ」
ウィンはこそばゆそうに肩をすくめた。
しかし、フローレス家か。
悪事の噂とかは聞いたことないしワーグが止めないことから、フォレス家のようになることはないだろうけど。
ただのお節介だが、やはりウィンには幸せになってほしい。
果たしてフローレス家はウィンを任せるに足る貴族なのか。
この『ブラックムーン』の目から見極めさせてもらおうか。
──────────
レイン・フローレスは自分に浮かんだ『紋章』を一瞥した。
夜の部屋で淡く光る手の甲を見て、順調な盤面に胸を撫で下ろす。
候補に選ばれた貴族はおおかた予想どおりである。
自分が選ばれたのも今のところ予定調和。
義賊『ブラックムーン』が凄まじい輝きの『紋章』を宿したのは想定外だったが、合理性を重んじるフローレス家の方針は変わらない。
最小限のリスクの道を堅実に歩むのが最も効率がよい道である。
悪事や賭けはリスクが高く、効率が悪い。
他の派閥は『ブラックムーン』の排除や確保に動いているようだが、かの義賊は本気ではなかったとはいえバーン王子からも逃げおおせたと聞く。
そんな『ブラックムーン』と接触するのに資源を割くのは部の悪い賭けであり、それを頼りにするのは愚の骨頂である。
他の派閥が『ブラックムーン』を追っている隙に、正攻法で地盤を固めて着実に『紋章』の輝きに差をつける。
兄の縁談もその一環である。
相手はグリーム家のご令嬢、ウィン・グリーム。非常に優れた風属性魔法の使い手だそうだ。
もし親が亡くなっていなければ、候補の予想に入っていてもおかしくはないほどの有望株だと父は言っていた。
無事迎え入れることができれば、フローレス家の力はより強大となる。
ただし、懸念はある。
レインの兄、オルター・フローレス。今回の縁談を申し入れた側である。
兄は合理性を重んじすぎる嫌いがあった。それも過剰なほどに。
合理性に偏りすぎるのが、必ずしも人として合理的とは限らない。
ましてやいくら貴族であっても縁談のような人間とのやり取りにおいて、その欠陥は致命的である。
そういう意味では兄はフローレス家において欠陥品であった。
果たしてウィン・グリームは変わり者の兄を受け入れるのか。
「レイン、入ってよいか」
部屋の扉をたたく音とともにオルターの声がする。
今日何度目になるか分からない部屋への来訪にうんざりしながら、投げやりに返事する。
「何度もすまないね。ウィン嬢をフローレス家に取り込んでから、どのくらいの段階で『紋章』が変化するのか確かめておきたい。婚約の申し出の受諾か、あるいはウィン嬢の覚悟が定まってからなのか非常に興味深い」
そういってオルターはずかずかと部屋に入ってレインの『紋章』を記録しはじめる。
「ふむ、まだ変化は表れていないか。まだ未来の可能性が無数にあるということか?」
記録を終え、小声で何かを呟いている兄に釘をさす。
「今日はもう寝ますので明日にしてもらってもよろしくて? オルター兄様」
電気を消しながら有無を言わせない態度を見せると、オルターはすごすごと引き下がった。
部屋を去ろうとする兄の背中にレインは問いを投げかける。
「このまま婚約が決まったとして、もし『紋章』にいつまでも変化が訪れない場合はどうしますの?」
オルターは無感情な声で返事をした。
「もちろん婚約を破棄する。『紋章』の争いに影響を及ぼさないのなら無意味なのだから」
清々しいまでの最低さに返す言葉もない。
同じ女性として、これに嫁がないかと声をかけられたウィン・グリームには同情する。
そのまま部屋を出る兄を見送ったレインは、近日中に行われるウィン・グリームと兄の面会を思って顔を曇らせる。
兄は昔から人付き合いは苦手だった。
今では研究に没頭しており、人付き合いから離れて久しい。
両親からは、兄とウィン・グリームの間を取り持つように言われている。
オルターの失礼な言動を抑えてほしい。
場合によっては魔法で少し痛い目を見させても構わないとのこと。
さらには、縁談に失敗したとしてもレイン個人の対応でフローレス家への印象を保ってほしいとも。
印象が悪くなればそれだけ、未来で力となる可能性も減り、『紋章』にも悪い変化が起きる可能性がある。
合理性を重んじるフローレス家にとって、避けて通れないリスクであるオルターは目の上のたんこぶであった。
『ブラックムーン』への接触よりは容易だろうとお父様は判断したが、兄の縁談もさほど難易度が変わらない気がするのは私の気のせいだろうか。
レインが頭を悩ませていると、突然部屋の窓が開け放たれる。
そこにいたには黒い装束に身を包んだ侵入者だった。
「……っ。『水の槍』!」
即座に迎撃の魔法を唱えるレイン。
大気中の水分が凝縮して槍を形成し、射出する。
当たればただではすまない速度の水の塊が、侵入者に迫る。
しかし、黒装束の者がマントを翻すと、そのマントに呑まれるように水の槍は消えていった。
「侵入者よ! 誰か来て!」
1人で相手するのは危険と判断したレインは、助けを求めて大声を出す。
これで誰か気づいてくれるだろうと考え、再び侵入者に向き合った。
相手は距離を取ってレインの様子を伺っている。
この時期にレインを狙った侵入者とくれば、他の派閥が放った刺客の可能性が高い。
「無駄だ、この部屋は闇に閉ざされ外界と遮断されている」
いくら待っても応援が駆け付けないことに疑問を抱いていたレインに、黒い侵入者は答え合わせをするように言葉を発した。
「我が名は『ブラックムーン』。今宵はレイン嬢に話があって、この場へ参上した」
思わぬ邂逅に、レインは困惑するしかなかった。
フローレス家「『ブラックムーン』に会えるわけないので、他にリソース回そっと」
クロ「こんにちわ」
フローレス家「」
『ブラックムーン』と接触したがっている他の貴族はきっと涙目でしょうね。




