竜と影の追走劇
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王宮の廊下に二つの足音が響き渡る。
二人は今追いかけっこの真っ最中であった。第二ラウンドである。
「『竜炎尾』!」
バーン王子が追いかけながらこちらに炎を放ってくる。
クロは走りながら、その炎を横に避けた。
すると炎は曲がりくねって、クロをしつこく狙う。
どうやら鞭のように操作ができる炎のようだ。
先ほどは横に広げるように使っていたが、今は杖を傷つけないようにピンポイントでクロだけを狙っている。
壁を蹴ったり地面を滑ったりして、余裕綽々と燃え盛る鞭をかわす。
『杖』を人質として手に持つ作戦は、今のところうまくいってるらしい。
幸いにも、走る速さはクロの方がほんの少しばかり上だった。
距離を大きく離せはしないが、追い付かれないだけでも逃げるだけなら十分である。
このまま屋外に出て夜の闇の中で『影足』を使えば、さすがのバーン王子といえど追ってこれはしないだろう。
問題は、前方に障害物が現れた場合。
クロの嫌な予感は、すぐに現実となった。
曲がった先に、貴族が数人たむろしていたのである。
クロは自身の影を操る魔法を最大限活かすために真っ黒い装束をしており、顔も半分隠れている。
王宮に、そのようなものがいるはずもない。
見られれば、即刻不審者として認識されるのは避けられない。
原作『ブラックムーン』なら、変装で野良貴族にでも化けてやり過ごすだろう。
だが、あいにくとクロにそのような技術はない。『ブラックムーン』への道のりはまだまだ遠い。
たむろしている貴族たちは、まだこちらに気づいていない。
クロは、残りの数が心もとなくなった煙玉を咄嗟に放つ。
黒い煙が、廊下の一帯を覆う。
貴族たちが対処できていないところを見ると、あの中に風属性魔法の使い手はいないらしい。
視界が遮られ混乱する貴族の間を『影足』で一気に通り過ぎ、ついでに通りすがりざまに声を放つ。
「賊だ! 曲がり角の向こうから賊がきたぞ。迎え撃て! (精一杯の野太い声)」
クロがそう言うと、混乱した貴族は煙の中をバーン王子の方へと向かっていった。
これで、多少の時間稼ぎができるとよいのだが。
その期待は淡くも打ち砕かれる。
「『竜炎鱗』」
そう唱えたバーン王子の周りに小さい炎が浮き上がり、前方にまき散らされる。
制圧かつ広範囲を目的とする魔法といったかんじだろうか。
どうやら混乱した貴族は強行突破で押し切るらしい。
一応クロのときより明らかに手心を加えているので死にはしないだろうが、味方にも容赦なしである。
(王族こっわ)
まあ、いちいち賊について説明していたら私との距離を離されていたので、この場で最も合理的な最適解である。なかなかやるな。
何とか前方の貴族をやり過ごせたが、このような手は何度も使えるものではない。
さらに、一部の貴族には『ブラックムーン』の存在が知られている。
不審者と認識されるだけでなく、憎き怨敵として映る可能性がある。
(さて、果たして逃げ切れるかな?)
不安が一周まわってもはや楽しいとすら感じ始めていたクロは、速度を落とすことなく廊下を突っ切っていった。
──────────
王宮内の普段の静かで厳かな空気は一変していた。
賊が忍び込んだのである。
しかも賊の正体は義賊『ブラックムーン』だ。
婚約者候補の選出が近づくこの時期、貴族は何か功をあげて権力を増強し婚約者候補として娘が選ばれる可能性を高めたいと常日頃考えている。
そんな中現れた侵入者に、我こそが捕まえてみせようと貴族たちは盛り上がっていた。
さらには、かの義賊の名前を聞いただけで躍起になって探し回るほどの私怨を持った貴族もおり、宮中は大騒ぎである。
一度クロに撒かれても、あきらめずに貴族たちは食らいつく。
風に乗ってバーン王子と一緒に追いかけまわしたり、王宮の壁を壊して先回りしたりとめちゃくちゃである。
クロは煙幕や激臭袋のような小道具や影の魔法を使って何とか捕まらずにいたが、小道具も魔力も着実に消耗していった。
しかし、貴族からでも分かるほど『ブラックムーン』は心底楽しそうに数多の妨害を捌き切る。
私怨を持たずにただただ功を立てることに目が眩んだ貴族は後悔していた。
「なんか高笑いしながら、とてつもなく臭い袋を服の中に突っ込まれた」
「魔法を命中させて壁にすごい勢いで叩きつけたのに、全然無傷で反撃してきた」
バーン王子に追いかけられているというのに全く物怖じせず逃げ回る『ブラックムーン』は貴族の目には理解不能な恐怖の対象と映り、後にこの日は『混沌の日』と呼ばれることになる。
『ブラックムーン』の逃げ足は衰えることを知らず、どの貴族も最終的に振り切られた。
そんな中、バーン王子だけはじりじりと距離を離されながらも何とか食らいついていた。
今この瞬間のバーンはとても充実していた。
竜の化身の末裔ともてはやされ、自分より上がおらず困難もなくこのまま王としてつまらない人生を送るのかと諦観を抱いていた退屈な日常。
それが今夜はどうだろう。
バーンは先ほどの戦闘で一度意識を失っている。手加減していたとはいえ、負ける気などさらさらなかった。
自分を上回る存在が現れたのである。
『ブラックムーン』相手にバーンは戦闘力という自身の領分を持ってして一度敗れ、そして相手の領分である逃げ足に再び敗北を喫しようとしている。
その事実にバーンは喜びを感じていた。
自分という王族に比類しうるものがいるのか、届かないものがいるのか、と。
ここまで『ブラックムーン』を観察し続けたバーンは、その能力が影を要とするものだと予測していた。
外に出て夜という巨大な影の中に出られたら、逃げ切られるのは確実だろう。
そして『ブラックムーン』は着実に屋外のバルコニーに近づいている。
バーンは生まれてはじめて勝ちたいと心の底から思った。
今欲しいのはあの足に追いつく機動力。
負けたくない、追い付きたい、と強く願う。
その思いに応えるように火属性魔法が応える。
体の中を火が巡ったような感覚がし、竜としての身体機能に近づいていく。
自身の体温が急激に上昇するのをバーンは感じていた。
今までの自分では考えられないほどの身体能力で駆けぬける。
バルコニーを目前とし、ぐんぐんと『ブラックムーン』の背中が近づいていく。
しかし、一足先にバルコニーを飛び降りられてしまう。
ここまでか。いや、まだだ!
「『竜炎鱗』!」
火の玉をバルコニー周辺に拡散させ浮かべたまま固定する。
これで影の位置はもう少し先である。
続けざまにバーン王子もバルコニーから飛び降りる。
そしてついに、バーン王子はその手を『杖』に届かせた。
──────────
クロは夜の影に足を踏み入れながらも逃げれずにいた。
なぜなら、影に隣接する明かりの中でバーン王子が『杖』の端を握っていたからである。
『杖』を握ったまま、無理に引っ張り合いや争いになれば破損するかもしれない。
かといってお互いに譲る気はない。
二人の間にしばらくの沈黙が続いた後、バーン王子が沈黙を破る。
「どうしても手放せないか。ここまで俺を楽しませた褒美だ。今離せば見逃した上で追手を放つこともしないと約束しよう」
王宮内でつい先刻出会ったばかりの二人の間には、すでに信頼関係のようなものが生まれていた。
その言葉は口約束に過ぎないが、バーン王子の表情や声から本気でそう思っていることがクロにはわかった。
しかしクロはそれに応じることはできない。
「今の『杖』の在り方は悲しみの連鎖を生んでいる。私はそれを断ち切るのを諦めるつもりはない」
しばらくお互いに見つめ合ったあと、先に目を逸らしたのはバーン王子だった。
「分かった今回は負けを認めよう。お前のことは今夜のやり取りでなんとなく理解した。いつか返すという言葉も嘘偽りではないのだろう。最後に名前だけ教えてくれないか」
最初に自己紹介したはずなのにと、首を傾げるクロ。
まあ、最後にもう一度名乗っておくか。
「ふふ、我が名は『ブラックムーン』! 義賊として世を正すものである!」
決まった。
そう思っていると呆れた目でバーン王子が、口を開く。
「それは偽名だろう。俺の好敵手として認めた相手の名がどうしても知りたいのだ。だめか?」
バーン王子は悲し気な目でこちらを見つめてくる。
くそっ、名前を言うまで離さないつもりかよ、この野郎。
(……まあ、別にどこにでもある名前だし、別にいいか)
バーン王子はクロを追いかけている最中、応援を求めなかった。
それどころか、結構クロを狙う貴族を巻き込んでいた。
原作『ブラックムーン』に出てくる卑怯な敵は、だいたい「曲者、出会え~」とか言って数で押してくる。
そういう卑怯なことはしたくない、正々堂々が好きな人間なのだろう。
そんなバーン王子なら、口も固いに違いない。
「クロ、それが私の名前。貴族じゃないから苗字はない」
作っていた声ではない、普段の声でクロはそういった。
すると、突然杖が発光しだす。
クロはぎょっとして思わず杖を離した。ワーグの話では、儀式のときしか光らないはずだ。
一体何が起きたのか。
疑問について考える暇もなく、またしても異常事態が発生する。
クロの手の甲に奇妙な痣が浮かんできたのである。
「あれ、なんか手に変な紋章が……? なんだこれ、眩しっ!?」
しかも強烈な光を放ちだした。
その光は黒い厚手の手袋の上からでもくっきり見えるほどである。
「あっ……」
バーン王子が、気まずそうな表情を浮かべる。
どうやらこの事態に心当たりがあるようである。
バーン王子いわく、なんと婚約者候補を選別する魔法が発動したらしい。
本来の儀式では、選別に参加する貴族の娘たちが『杖』を持った王子の前で名乗りをあげて、王子の手の甲にキスをするらしい。
そうすることで『杖』の魔法発動の条件が整って、婚約者として相応しい者とそうでないものを選別するという。
『杖』を持ったバーン王子の前で名乗りを上げるという条件とキスをするという条件を、クロは図らずも満たしていたようだった。
ちなみに『紋章』が光っているのは、婚約者候補に序列をつけるためだそうだ。
王妃として良き未来をもたらす可能性が高いほど、『紋章』の輝きが強くなるのだとか。
「つまり、私は婚約者候補に選ばれたと?」
バーン王子は、無言で肯定する。
「『紋章』は消せない? いや消せなくても一時的に光を抑えたりとか……」
バーン王子は、首を横に振って否定する。
クロは、心の中でパニックになっていた。
婚約者候補になったのは百歩譲って構わない。どうせ自分が最後に選ばれることはないのだから。
問題は、クロの『紋章』が猛烈に光を放っていたことである。
これではクロの影を使う魔法に大きく制限がかかってしまう。
『影潜み』で全身を影に沈められないので、隠れたり攻撃を受け流したりが完全にはできない。
さらに『影足』は全身を沈めないと使えない。
慣れれば片手をマントの外に出すことを意識することで、『影潜み』ぐらいは最低限使えるものにはなるかもしれない。
だが義賊としての活動に大きな支障をきたすのは確実である。
どうしてくれるのかという視線を送ると、バーン王子は謝罪する。
「すまない! 罠にはめようとしたではなくて、本当に忘れていたというか……」
責めようと思っていた私は、バーン王子の態度を見て怒りのやり場を無くしてしまう。
多分この様子は、本当に忘れていたのだろう。
仕方なしと切り替えたクロは、ここからの方針を立て始める。
さて、この状態では杖を持ち帰ることもできない。
貴族たちの追手は、たとえバーン王子が抑えても確実に及ぶだろう。
目立たないために少数ではあろうが、『影足』が使えない今のクロではリスクがないわけではない。
加えて片手から光を放った今の状態では、何らかの拍子にマントの中の影も消えてしまうかもしれない。
影から『杖』を落としたりしたら一大事である。
かといって手で持ちながら『杖』を運びながら追手を撒くのも難しい。
逃げに徹するためにも『杖』を諦めるしかないだろう。
というかそもそも目の前のバーン王子の気が変わったら逃げるなんてできないのだが。
「『杖』はあきらめる。こんな状態じゃ逃げれるかも分からないし。というか今ならあんたも簡単に私を捕まえられるよ?」
なかばヤケになりながらクロはそう言い放つ。
クロが屋外に出て逃げ切ろうかというときに、バーン王子は炎によって影を消して『影足』を防いでいる。
明らかにクロの弱点に気づいているバーン王子なら、今のクロが弱体化していることなど理解しているだろう。
「いや、一度俺は負けを認めた。不意打ちのような形での決着を俺は望まない」
バーン王子は申し訳なさそうに言った。
どうやら見逃してくれることに変わりはないようだ。
賊に対して不意打ちしたことを気にするなんて律儀なことだ。いや悪人ではないと認められたからこそだろうか。
上のバルコニーが騒がしい。どうやら、貴族たちが追い付いてきたらしい。
「いたぞっ、あそこだ! バルコニーの下だ!」
バルコニーから貴族たちが顔をのぞかせる。
今のクロは強烈な光を放っているため、暗い外でもあっさりとばれた。
バーン王子は無言で目配せをする。
どうやら早く行けということらしい。
とりあえず光る腕を予備のマントでぐるぐる巻きにする。
これで『影拾い』や中途半端な『影潜み』ぐらいは使えるだろう。
あとは素の身体能力を持ってすれば、貴族の追手ぐらいなら撒けるはず。
「じゃあ、引き分けってことで。その杖、預けとく」
そう言って私はバーン王子を背に影に向かって走り出す。
『杖』の奪取には失敗したが、収穫もあった。
ワーグの話ほど今の王族は冷徹ではなさそうだ。
王族全体がそうなのかバーン王子が特別なのかは分からないが、ウィンのような悲劇に対してもバーン王子が知れば動いただろう。
(弱体化してしまったけど、バーン王子の手が届かない範囲に目を光らせるぐらいなら今の私にもできるかもしれない)
それに原作『ブラックムーン』では弱体化したあとにはさらなる新しい力を手に入れて強化されていた。
このぐらいで折れていては『ブラックムーン』の名が廃る。
そうして夜の闇に紛れたクロは気づいていなかった。
闇に消えゆくクロの背中を、バーン王子が名残惜し気に見つめていることに。
竜が財宝に手を出した盗人に執着するのは、ここから少しあとのことである。
うら若い男女が楽し気に追いかけっこをする。これが青春でなくてなんなのか。
弱体化して後宮的なところに放り込まれる案もあったんですが、やっぱり自由な方がいいかなと。
それに後宮について漠然としか知らないからうまく書ける自信がない(本音)。
『紋章』はF〇teの令〇を参考にしました。巻き込まれ主人公とあまりにも相性が良すぎる。
もっとそういう印とか紋章とか痣とか流行って、気軽に色んな人が巻き込まれてほしい。




