竜の居城
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あれからワーグと何回かやり取りを重ねたクロは、早速王宮へと潜入していた。
『影潜み』で隠れて人をやり過ごしつつ、慎重に奥へと進む。
今のところ順調ではあったが、何かがあったら撤退することも視野に入れていた。
ワーグからは、少しでも危険だと感じれば即座に撤退するように口を酸っぱくして言われたのである。
しかしその一方で、なんとか今回限りで盗み出せないかと期待する気持ちもあった。
初見殺しや不意打ちが自身の持ち味であることを、理解していないクロではない。
撤退した経験もクロにはあったが、その時は守りを固められて再び侵入して盗み出すのに大変苦労したのを覚えていた。
それ以降、クロは多少の無茶はしてもなるべく一回目の侵入で盗みを成功させるようにしている。
そんなわけで、クロは王宮で戦闘になることも承知で侵入していた。
(最悪押し切れそうなら、多少は制圧したうえで盗み出せばいい)
そう考えていたクロは、意外にもすんなりと目的地に近づくことができた。
ワーグのようにこちらの存在に気づく人間がうようよといるのではという不安もあったクロだったが、肩透かしを食らったようだ。
(ワーグって実はこの国一番の魔法使いだったりするんだろうか)
そんなことを考える余裕が生まれたクロは、何回目になるかも分からない『影潜み』を使用した。
立派な石で作られた王宮は音が響くので、人を察知できるという点では貴族の屋敷よりも簡単である。
さらに銅像や鎧なども結構な頻度で廊下に並んでいるので隠れる影にもあまり困らない。
(今のところはうまくいっている。もしかしたらこのまま簡単にいくかも?)
そう思っていたクロは,突然影の中で背筋にぞくりとする感覚がはしる。
ワーグに気づかれたときと似た感覚だったが、それとは比較にならないほど異様だった。
まるで、巨大な猛獣を前にしているかのような。
「ネズミが一匹、紛れ込んでいるようだな」
(バレている!?)
クロは即座に『影潜み』を解除して、その圧倒的な気配から距離をおく。
そこにいたのは、赤い髪と鋭い目つきをした青年だった。
服装からして、明らかに召使のような平民ではない。
つまり、魔法が使えるということだ。
臨戦態勢になったクロは、小道具を取り出す。
マフラーから出したのは、激臭を放つ袋。
本来は敵の鎧や服の中に放り込むのだが、投げつけて意識をくぎ付けにさせることにも使用する。
魔法を打たれても、袋が破ければ激臭は広がる。
なんとか、隙を作って制圧すれば増援は来ない。
ワーグに用意してもらった睡眠薬を飲ませて縄で拘束でもしておけば、まだ撤退はせずに済むはず。
「ほう、ネズミが向かってくるか」
幸いにも、相手はこちらを侮っているようだ。
(さあ、魔法で撃ち落とすなら撃ち落としてみろ!)
隠し持った袋を投げつけるクロ。
「『竜炎』」
青年は落ち着いた様子で、魔法によって炎を放つ。
だが、その規模が尋常ではなかった。
この炎の威力は、クロまで致命傷を負いかねない。
そう判断したクロは、咄嗟にマントで全身を包んで『影潜み』を使って防御態勢をとる。
袋は近くにあった王宮の調度品ごと燃えつき、焦げ臭さだけが周りに残る。
石の壁は、一部熱で融解している部分もあった。
マントを失ったクロは、影から引きずり出される。
「手加減したとはいえ、この炎を受けて無傷とは。お前、名をなんという?」
マントを失いながらでも無傷で立つクロを見て、青年は興味深そうに尋ねた。
「我が名は義賊『ブラックムーン』。無事だったのはちょっとした手品さ。お気に召していただけたかな?」
『ブラックムーン』としての態度を保ちつつも、クロは内心冷や汗をかいていた。
先ほど失ったマントはいつもの手作りのものではなく、ワーグが直々に魔法によって仕立てた耐火の特別性であった。
影が要の魔法であるクロは火属性魔法を苦手としていた。
明るい炎は影を消す上に、マントを燃やしてしまっては影を作り出せなくなる。
『影潜み』でマントに体を沈めて衝撃は殺せても、マント自体が燃えてしまう。
王宮にうじゃうじゃと魔法使いがいることを想定して、ワーグに必要な物資として用意してもらったのだ。
クロが自分で試したときは、魔法に自信のあるワーグのお手製ということもあって一日中焚火で炙っても焦げ目一つできなかった。
その耐火の特別製マントを、目の前の青年はこうもあっさりと燃やしてしまった。
加えてクロの隠密を看過したことも考えると、明らかにワーグ以上の存在である。
「ほう、ではお前が貴族どもを騒がせている盗人とやらか。道理で殺意がなかったわけだ」
上機嫌そうに見える青年の言葉をきいて、クロはこの青年が話にきいていた王族だと理解した。
貴族を格下に見る発言に圧倒的な魔法とくれば、そう判断せざるをえない。
「今回は王族に手を出すつもりはない。それでもというならお相手するが」
できることなら見逃してほしいと、クロは考えていた。
ワーグの話では、王族は国のあれこれにあまり関心を示さない。
力の頂点として君臨するのが王族の役目であり、宝を守るために汗を流すのは貴族の役目。
さっきの炎属性魔法によって人が集まる前に逃げ出したいところだが、炎によって影を作るような物体は燃やされてどこにも隠れられそうにない。
ここから離脱する上で戦う意思のある王族に背を向けるのは、自殺行為だった。
戦って切り抜けるか、見逃してもらうかの二択。
「なるほど、賊のくせに多少は物を知っているらしい。……確かに王族ならただの盗人は見逃すだろう。しかし、この廊下の先にあるのは、王家の許した人間のみが近づける宝物庫。その宝物庫の近くにいるお前は、どうやらただの盗人ではないらしい」
王族の青年はそう言いながら、道の真ん中に立ちふさがる。
まるで挑戦してこいと言わんばかりである。
どうやら戦うしかないようだ。
クロはどのようにして切り抜けるか、頭の中で考えを巡らせる。
宝物庫が近い以上、この王族を撒いてゆっくり『杖』を探している時間はない。
となると制圧して睡眠薬を飲ませるのがよさそうだが、制圧するのは至難の業だろう。
耐火のマントは一点物であり、もうない。ただ、そもそも耐火でも耐えきれていないので『影潜み』によって影に体を隠す上では普通のマントでも代用はできる。
マフラーに予備の普通のマントをいくつか入れているので、使い捨てになるが防御は問題ない。
「そういえば、名乗るのが遅れたな。俺の名はバーン・ドラグーン。この国の王子だ。どうか俺を退屈させないでくれよ、『ブラックムーン』」
そういってバーン王子は獰猛な笑みを浮かべながら魔法を放った。
──────────
バーンは退屈していた。
貴族どもは自分の周りで日夜騒がしく競争しているのに、自分はずっと蚊帳の外である。
婚約者になるために汚い手を使っているのが露見すれば、ふさわしくないと候補の選出に呼ばれないので当然ではある。
そのことは理解している。
バーンを含む王家の血筋に近づく者は、ほとんどが自分を良く見せようと取り繕う。
母親でさえ、取り繕ってバーンと接していた。
王族とはそういうものであり、そんな些細なこと気にすることではない。
王家ではそう伝えられてきたらしく、バーンも父からそう教わった。
我らは君臨することが責務であり、深い関わりを求めてはいけないと。
しかしバーンは歴代の王家とは違う点があった。
それは他人への興味である。
バーンは平民や貴族に対して関わりを心の奥底では求めていた。
竜が自らの所有する財宝に心を奪われるなどあってはならないことである。
竜とは財宝そのものではなく、財宝を所有する自分の力に悦を見出さなければならない。
そうした歴代の王家の考えからは、バーンはズれていた。
バーンが感じる退屈さは、王家として歪な感覚だった。
そんな中、退屈な日常に刺激がもたらされたのは唐突だった。
「『竜炎尾』!」
バーンの放った炎がまるで生き物のようにうねり、前方を薙ぎ払う。
視界いっぱいに広がった炎が消えると、相変わらずマントが燃えただけで無傷でその人影は煙の向こうに立っている。
今バーンの目の前にいる賊。『ブラックムーン』とかいう名前だったか。
加減したとはいえバーンの魔法を凌いだのは、これで5回目である。
王家は基本的に火属性の魔法の適性を持つ。これは竜の化身の末裔であることが原因であると言われている。
五大属性である『火』『水』『風』『地』『光』の中でも、火属性の魔法とそれ以外には特性に大きな違いがあった。
魔法は、周りの巻き込めるものによって威力が高まる。
そして、火以外の属性は、巻き込めるものが自然に存在するのである。
一方で、火属性魔法は巻き込めるものがなく、人の手で火を起こして初めて巻き込むものが生まれる。
ただし、火属性の使い手が不遇というわけではない。火は触れるだけでも敵や物に大きな損傷を与える。
攻撃における一般的な火属性魔法の威力は、物体を巻き込んで強化された他属性の魔法と対等として語られるほどであった。
では、そんな火属性魔法に、巻き込めるものが十分にあった場合はどうなるだろう?
仮に人の手で火を起こしたとしても、自然に存在する水や大気、大地そのものの量に匹敵することはない。
しかし、竜の化身の末裔である王家は、その身に莫大かつ強力な炎の力を宿していた。
魔王と勇者が争っていたという古の時代、戦乱の最中に現れた一匹の竜が吐く青い炎によっていくつもの国が焦土になったという伝説がある。
もちろん、竜の化身の末裔であっても、人間である限りそこまでのことはできない。
だが、王家の持つ火属性魔法の力は、あまりにも人間の範疇を逸脱しすぎていた。
その王家の攻撃を、少なくとも『ブラックムーン』は受けきっている。
それだけでも、バーンは目の前の存在に夢中になった。
一体どのくらい自分の力に耐えられるのか。
興奮に胸を躍らせていると、防御に回っていた『ブラックムーン』がこちらに一気に距離を詰める。
「来るか! この俺を楽しませてみよ!」
バーンは、即座に魔法で迎撃の準備をする。
『ブラックムーン』はどこから取り出したのか、いくつものマントを空中にばさりと広げた。
炎で全てのマントを即座に燃やし尽くしたバーンは、燃えたマントから黒い煙幕が出てきたことで悪手だったことに気づく。
煙幕の中でお腹に蹴りを放たれたのを認識し、その蹴りをものともせずに足を掴む。
竜の化身の末裔として人間離れしているのは魔法だけではない。バーンの身は並大抵の刃物を通さないほど屈強であった
捕まえたと確信するが、するりと融けるように感触が消えた。
後ろに気配が回ったのを感知して後ろを振りかえる。
すると『ブラックムーン』の顔が、すぐ目の前にあった。
対応しようとする前に、バーンは全身で抱き着かれて一瞬手の動きが封じられる。
目の前に迫った顔のマフラーがはらりとほどけると同時に、『ブラックムーン』の口がバーンの口を塞いだ。
一瞬呆気にとられたバーンだったが、体内に何かが入ってくるのを感じて我に返る。
すぐさま強引に振りほどいて距離をとるバーン。
異物を吐き出そうとしたが、すでに体内で溶けて吸収されたようで吐き出せない。
薄っすらと眠気がこみ上げるのを自覚したバーンは、自身が不覚をとったことに驚愕していた。
(この俺が女の唇で呆気にとられた、だと?)
こみ上げる眠気を竜の力を宿した体で無理やり動かそうとするが、力が入らず壁を背に座り込んでしまう。
竜の力をも上回る睡眠薬など、きいたこともない。
そのようなものを生み出すなど、そこらの貴族では難しいはずだ。
「……女、見事……だ」
瞼が落ちる前に最後にバーンが見たのは、マフラーを拾ってこちらを見下ろす『ブラックムーン』の姿だった。
──────────
クロは荒い息をしながら、なんとか成功したと一息ついた。
このままではじり貧と悟ったクロは、残していた予備のマントのほとんどを囮として、マントの中に『影拾い』で仕込んでいたありったけの煙玉を放出する。
これらの煙玉が出す黒い煙幕によってある程度は影を作り出す。
一応完全に光を遮るわけではないので影がまばらになるという弱点もあるが、近づくには十分な影ができた。
(大量の煙玉を消費した甲斐があった)
なんとか、まばらの影を『影足』で渡ってほぼゼロ距離まで接近する。
ここまで接近すれば、バーン王子も自分が巻き込まれるのを恐れて迂闊に魔法を使えないだろう。
目論見通りにバーン王子が魔法の使用を止めるのを確認したクロは、バーン王子の腹への蹴りで口を開けさせて睡眠薬を放り込むつもりだった。
体があまりにも強靭すぎて蹴りが通用しなかったのは想定外だったが、足を掴まれたところでクロには効かない。
クロは全身を黒い装束で覆っており、いつでも服の影に『影潜み』で隠れることができる。
まるで体が布になったかのように変化できるクロにとって、衝撃をいなしたり掴みや縄などの拘束を抜けることだってわけないのである。
拘束から逃れたクロは『影足』で背後を取ってバーン王子の手足を封じて、口移しでなんとか薬を飲ませた。
人間の体内は暗闇であり、接吻をすれば口を介してお互いの影が繋がる。
影さえ繋がっていれば、あとは『影拾い』でしまっていた薬を相手の体内の影から取り出すだけである。
クロはマフラーから薬を口で取り出して自身の口の中にある影に『影拾い』でしまっていたので、クロ自身は薬の影響は受けていない。
機転が利かせなければ、おそらく負けていただろう。
実は今回使用した煙幕を放つ玉も睡眠薬もワーグに融通してもらったものである。
特にこの睡眠薬はワーグの自信作らしい。
たとえ魔法や毒への耐性が強い王族であっても、眠りに落ちるほど強力な魔法の力が宿っているそうだ。
実際に試したことはないが理論的には王族にも効くはずであり、ワーグが密に開発していたという。
なんでも本格的に国が割れそうになっても策が思いつかなかった場合、ワーグ自身で杖を奪還することも考えて準備していたのだとか。
王族の竜の力を宿す身体には、一度接種した毒の耐性を獲得する機能があるので二度は使えないまさしくワーグの奥の手であった。
直接戦った今なら分かるが、こんなのとまともに戦って勝てるわけがない。
ワーグが正面から戦うのを避けるのも納得である。
バーン王子は遊び半分で本気を出しておらず、だからこそクロが付け入る隙ができたのが勝敗を分けた。
なんとかその場を切り抜けたクロは宝物庫にたどり着いた。
バーン王子はいつ起きるかわからないし、縄で縛ろうとして起こしたりしたら怖いのでそのまま放置してきた。
クロはバーン王子が起きる前なんとしても王宮を離れたかった。
(バーン王子以上の脅威がいるとは思えないけど、魔力もそこそこ使ったし早く脱出しないと)
宝物庫に入ったクロはワーグからの情報をもとに『杖』を見つけ出した。
情報通り発光はしていないので、影にしまえそうである。
そこそこ大きくてマフラーには入らないので、マントに収納する。
先ほど燃やされたときのように、マントを失えば『杖』が出現してしまう。
破壊ではなく奪取して後に返還することが目的のため壊さないように気を付けなければ。
そうしてクロは来た道を戻っていく。
帰り道でバーン王子は眠ったままのようだった。
ほっとしながら、怖いので遠巻きにしながら通り過ぎる。
瞬間、背筋に鳥肌が立つ。
咄嗟に熱気を感じたクロは『影潜み』でマントに体を沈めて防御する。
一瞬でマントが焼かれたのか、その場に放り出されたクロが目にしたのは、立ち上がり目を開いてこちらを見つめるバーン王子だった。
目を覚ますの早すぎんだろ!?
転がった『杖』をすぐさま拾うクロを見て、バーン王子は口を開く。
「その『杖』を持ってどこへいく。言っておくがバラバラにしたらそれに宿った魔法は消える。貧民街のゴミ漁りに与えても何の足しにもならんぞ」
先ほどまでの余裕のある表情ではなく、真剣なまなざしでこちらを警戒している。
さすがに王家の未来を左右する『杖』を持っていかれるとなると、遊び半分ではなくなるらしい。
加えて先ほど制圧できてしまったこともあり、最大限に警戒されている。
付け入る隙も皆無だろう。
「これは今の貴族には過ぎたものだ。貴族が改心するまで私が預かろう。なに、いずれ王家にお返しするさ」
その言葉を聞いてもバーン王子は矛を納める気はないようだ。
まあ当然か。持ち去って無事に返ってくる保証もないし。
しかし、今回は有利な点がクロにはある。
まず、相手の手の内がある程度判明していること。
炎を使うことや接近戦で魔法が制限されることを知っているため、対処法もある程度は思いつく。
加えてさっきはクロが宝物庫に向かうと途中にバーン王子が立ちふさがる形だったが、今は目的の物を手に入れたクロをバーン王子が追いかける形である。
戦わなくても逃げ切ればクロの勝ちである。
それにバーン王子が先ほどのようにクロを攻撃すれば、『杖』が破損する可能性がある。
さすが王家の所有する『杖』とあってなかなか頑丈そうだが、バーン王子の炎ならいとも簡単に破壊するだろう。そう易々と攻撃できまい。
「今度はそちらが挑戦者だ。杖を取り返せるものなら取り返してみるがいい」
マフラーの下で不敵に笑ったクロは、人質だと言わんばかりに『杖』を手で持ちながら予備のマントを羽織りなおす。
さあ、鬼ごっこの始まりだ!
王子様にセミみたいに抱き着いてキスするのって、傍から見たら絵面がとんでもないことになってそう。




