テファニー・フォレスの置き土産
暗雲の立ち込める魔王の領域に、魔王ただ一人を除いて自由な者はいなかった。
砦の中には『闇の眷属』が闊歩し、外の領土内には操られた人間がユラユラと徘徊する。
その有様は、さしずめ魔王城といったところだろう。
魔王が鎮座しているこの大きな部屋も、天井があればさぞかし様になったに違いない。
「来たか」
静寂の中で口を開いた魔王は、感覚を魔力探知に集中させる。
砦の入口に感じる魔力は、クロの知り合い達のものだった。
(少人数なのは、こちらの精神掌握を警戒してのことか)
魔王は、前に来た他国の軍勢を思い返す。
あの時は、精神力の弱い者から少しずつ操って、同士討ちを誘発させた。
それだけで、軍勢は混乱に陥った。
その後、忌まわしい光の魔力を纏った者も来たが、『闇の眷属』の群れの前には無力だった。
クロが許すなら皆殺しにしていたところだが、今のところ死傷者はいない。
(そもそも光の魔力は、有象無象が使ったところで意味がないのだ)
魔王は、現在光の魔力を宿した唯一の人間を思い浮かべる。
クロの記憶によれば、名前はグレン。
おそらく、この時代の勇者だろう。
かつて魔王が生きた時代においては、勇者は天敵だった。
なぜなら、魔王の魔力感知では、光の魔力を捕らえられないからである。
魔法を切り裂き、圧倒的な力で奇襲をかける。
光の魔力を帯びた少数のパーティで行動するせいで消息を追えず、気が付いたら魔王の近くに潜んでいる。
これこそが、かつて魔王を苦しめた勇者の本質なのだ。
(やはり、グレンだけ探知できない。……急に後ろに現れるのだけは、やめてほしいな)
少しだけトラウマがよみがえった魔王だったが、すぐに落ち着きを取り戻す。
砦の中には、全ての『闇の眷属』が配置してある。
魔王の近くに配置することで、扱う闇の力もかなり強化されている。
勇者を見つけ次第、時間を稼いでくれるだろう。
他の者の精神を掌握したあと、じっくり勇者を追い詰めればよい。
しばらくして、魔王の前に現れたのは、バーン王子、レイン、オルター、ルージュの4人だった。
その中にグレンの姿はない。
「意外だな。すんなりと通してもらえるとは」
魔王を見るなり、バーン王子はそう告げた。
「お前たちこそ、勇者が不在のまま勝てるとでも? 今からでも、グレンを呼んできたらどうだ」
そう返答しながら、笑ってみせる魔王。
グレンが同行しているなら『闇の眷属』を集合させていたが、別行動ならこの場の戦力だけで相手するのがよいだろう。
魔王としては、正直なところ先に姿を見せてくれた方が安心ではあるのだが……。
「あなたの情報は、ある程度は把握しています。どのように勇者を運用すれば、魔王が嫌がるか。あなた自身がよく分かっているでしょう?」
魔王の考えなどお見通しと言わんばかりに、レインが口を開く。
「……」
表情から笑みが消え、黙りこくる魔王。図星である。
「ウィンはどこだ。ここにいるのだろう?」
オルターがそう口にすると、それに応えるように影からウィンが現れる。
久しく見るウィンの姿に駆け寄りたくなるオルター。
だが、冷静なオルターの頭脳が、ウィンに近寄るなと危険信号を送り込む。
「皆さん、やって来てしまったのですね」
「ウィン……」
オルターの言葉は、ウィンには届いていないようだった。
「クロの邪魔を、しないでもらえますか」
そう言うウィンの周囲には、黒い風が渦巻いている。
「どうやら、闘る気は十分みたいですわね」
ウィンの様子に警戒し、ルージュが爆弾を構えた。
一触即発と言わんばかりの空気である。
「まあ、待て」
それを止めたのは、魔王自身だった。
「お前たちが負ければ、この魔王の配下となってもらう。だが、バーン王子に暴れられては、未来の配下が巻き添えになる。バーン王子の相手は、私自らが地下ですることにしよう」
立ち上がった魔王は、バーン王子に目配せをして歩き出す。
仲間を無暗に傷つけるのは、バーン王子の本意ではないはず。
それが魔王の考えだった。
案の定、頷いたバーン王子はそれに追従する。
「ウィンは、この3人の相手を頼むよ。……壊さないでね?」
去り際にそう言い残す魔王。
残された者たちの間に、緊張が奔る。
相手はあのウィンである。
「かつて、フローレス家は、クロに決闘を申し込まれたそうですね。それに応えて、私を受け入れる覚悟を示してくれました。……本当に感謝しています」
その言葉とともに、ウィンが魔力を解き放つ。
吹き荒れる暴風とともに、僅かに残っていた天井の一部が吹き飛んだ。
レインとオルターから、ルージュへと視線を移すウィン。
「ルージュ様は、王族への反逆を企てる父を自身で止めようとした。その覚悟を示したからこそ、色んな人が手を貸しました。私自身も、その一人です」
暗い空に飛びあがったウィンは、剥き出しになった砦の3人を見下ろした。
「誰も傷つけないために、孤独を選ぶ。それが、クロの覚悟。私の覚悟は、クロを一人にしないこと。何があっても」
ウィンの言葉は、明確な意思が宿っていた。
黒い感情に焼かれながらも、正気を保っている。
「あなたたちがクロを救いたいというのなら、その覚悟を示してください。『暴風域』」
暴れる風が、全てを包み込む。
──────────
吹き荒れる風で、軋む砦を走るグレン。
「これは一体、どれが目的のやつだ?」
そう呟くグレンの後ろからは、『闇の眷属』が追従し続けていた。
『闇の眷属』の速度は、かなりのものである。
しかし、グレンにとっては、撒けない相手というわけではない。
こうして、グレンが付かず離れずと維持するのには、理由があった。
(リアの作戦で必要なのは、ある人物が変化した『闇の眷属』のみ。さすがに、強化された個体全てを相手にはできないな)
逃げるグレンは、足を止めずに後ろを見る。
グレンが過去に仕留めた闇の眷属とは、明らかに動きが違う。
あの時のグレンはリアに気を取られていた個体を、不意打ちで仕留めていた。
過去の個体とまともに戦えば、それなりに粘られただろう。
それよりも強化されているとなれば、さらに厄介。
強化された『闇の眷属』の群れともなれば、グレンにとっては未知数の敵だ。
一応、グレンが殺す気で相手にすれば、押し切れる可能性はある。
だが、魔王を相手にする余力を残せるかは、怪しい。
(それに、クロとリアも悲しむだろうし。なるべく殺しは無し)
逃げるオルターは、追いついてきた個体を拳で吹き飛ばす。
それを繰り返すうちに、ようやくオルターは目的の『闇の眷属』を見つけた。
顔の半分は隠れているが、人相書きと一致している。
見つけるのと同時にグレンは、振り返って押し寄せる群れへと突っ込んだ。
様々な方向から攻撃を加えられるのを、ひたすら防御するグレン。
光の魔力で強化された肉体も、魔王の使う闇属性の魔力の攻撃は通ってしまうらしい。
魔法を分解する光の魔力と、魔力を蝕む闇の力が打ち消し合うのだろうか。
(正面から受け続けるのは、少し痛いな)
そして、探していた『闇の眷属』が、グレンに攻撃を加えた瞬間。
グレンの蹴りによるカウンターが、振るわれた。
破裂音と共に、纏わりついていた『闇の眷属』たちが宙を舞った。
その中の空中に漂うカウンターが直撃した個体に、すぐさまグレンが肉薄し追撃を加える。
続く破裂音とともに、その『闇の眷属』は何枚もの砦の壁をぶち抜いた。
ついには砦の外へと、なすすべなく飛ばされる『闇の眷属』。
ようやく土の壁のようなものに衝突し、『闇の眷属』は地面に転がった。
弱々しく起き上がりながら、『闇の眷属』は周囲の様子を伺う。
魔力は感知できない。
誰もいないと考え一度警戒を解いたその時、ズブリという感触とともに胸から刃が突き出した。
「──お久しぶりです。お父様」
『闇の眷属』に刃を突き立てたのは、リアだった。
苦悶の声を漏らす『闇の眷属』から、リアは手にした『勇者の剣』を引き抜く。
ボロボロと身に纏う黒い殻を落としながら、『闇の眷属』の素顔が露わになった。
中にいたのは、ニーモ・グラント。グレント家当主にして、現グラント家派閥を取りまとめる者──リアの父であった。
「リ……ア……」
娘に手を伸ばしたまま、ニーモは事切れる。
その表情は、娘を案じたものだった。
「……ごめんなさい、お父様。元を辿れば、私のせいです。その責任を果たします」
手の震えを無理やり押さえつけ、リアは砦へと向き直る。
「旧きグラント家当主を討ち取り、リア・グラントがここに新しきグラント家当主を継承します」
そう宣言するリアの手に、震えは存在しなかった。
この言葉は、リアがグラントの家名を取り戻したことを意味していた。
国の法において、貴族の家名は血縁によって存続するのが基本である。
正当な後継者がいない場合でも、特定の状況下であれば血縁者に限って引継ぎが可能なのだ。
その特定の状況下の一つが、正当な理由で子どもが親を殺害した場合であった。
「グラント家当主としてリア・グラントがここに告げる。──全員、グラント家派閥から追放ですわ!」
リアのその言葉によって、砦の中にいる『闇の眷属』が次々と倒れていく。
これこそが、リアの立てた作戦であった。
グラント家派閥の者は、契約の魔道具によりクロの支配下になっている。
裏を返せば、グラント家派閥さえでなければ、その契約は無効となるのだ。
ならば、グラント家派閥から、全員を追放してしまえばいい。
かつて、追放によってリアを責任追及から逃がしたニーモのように。
「やったね。リア」
『闇の眷属』から追われなくなったグレンが、リアの元へとやってきた。
作戦をやり遂げて少しぼんやりとしていたリアだったが、すぐにグレンに気が付く。
「感謝しますわ、グレン。あなたの協力なくして、この作戦の成功はありませんでした。」
リアは、グレンに『勇者の剣』を返す。
リアが直接ニーモにとどめを刺すには、『勇者の剣』に宿る光の魔力が必要だった。
敵に探知されず不意をつくことができ、『闇の眷属』の外殻を破れるだけの攻撃をできる。
そのために、グレンは光の魔力を蓄えた体一つで砦に入っていたのだ。
「もう行くよ。オレは、バーン王子の所に行かないといけない。ここから近いし、リアは拠点まで引き返してほしい」
グレンは、リアにそう伝える。
作戦では『闇の眷属』を片付け次第、魔王に対抗できるであろうグレンは急いで合流する必要があった。
「……少しだけ、我儘を言ってもいいかしら」
「どうしたんだい、急に改まって」
リアの言葉に、グレンが尋ねかける。
「あなたに、謝らなければいけないことがあるのです。作戦におけるとある危険性について、私は黙っていたのですわ」
此度の作戦における重大な綻びに、リアは気づいていた。
「果たして、自分で自分を追放することはできるのか。その点は、いわゆる賭けでしたの」
リアは、あえてそれを無視した。
いち早く気づいたオルターやレインを説得するのには、なかなか苦労したものだ。
最終的に、罪を背負う苦しみがフローレス家の者に分かるのかと、半ば逆切れと泣き落としのような形になってしまった。
「なんでそんな危険を……」
グレンの言葉に、リアがほほ笑む。
「今残っているグラント家派閥の者の不幸は、私の失敗から始まりました。彼らを見捨てることはできなかった」
貧民街崩落によって、グラント家派閥内の悪徳貴族は全てあぶり出された。
そしてその全てが、追放か処刑されている。
現在グラント家派閥に残っているのは、潔白でありながら謀反をするまでに落ちぶれた者だった。
「まだ確認していませんが、彼らを殺さないようにしてくれたのでしょう。私の願い通りに。先にお礼を言わせてください。本当に感謝しますわ」
「リア?」
グレンは、リアの様子に違和感を覚える。
何かを急いでいるような。
何か焦っているような。
「最後に、誰かが責任を取らなくてはいけない。自明ですわね。どうやら、賭けには失敗したようですわ」
「……何を言っているんだ?」
グレンの言葉は、既にリアには届かない。
「私はもう誰も傷つけたくない。傷つけたくないのです。だからどうか……あなたの手で──」
「リア、しっかりするんだ! リア! リ──」
リアの頭の中に響く怨嗟が、耳から入るグレンの言葉を塗りつぶす。
「声が……聞こえる。お父様、今そちらに──『亡骸の面』」
歪なリアの詠唱と共に、大地から無数に伸びた土の手がリアの体を包み込む。
這い上がる土の手の量は、グレンが振り払うよりも多く。
黒く染まる闇は、グレンがリアに触れるよりも速く。
新しき『闇の眷属』は、産声をあげる。
『勇者の剣』を取り、グレンは咄嗟に剣を構えた。
剣は『闇の眷属』の攻撃を、頼りなくも弾きかえす。
手に力が入らないグレンでも、なんなくと防御できる。
(オレの手で──リアを殺す?)
考えるだけでも背筋が凍る言葉が、グレンの脳裏をよぎった。
リアの動きは、先ほどの闇の眷属の動きとなんら変わりない。
一人が相手なら、グレンには容易に殺せる。殺せてしまう。
「頼む。やめてくれ。オレの前から大切な人が消えるのは、もう嫌なんだ」
誰に向けてかも分からない言葉を、グレンは口にする。
その言葉は、砦の周囲で吹き荒れる暴風の音に掻き消された。
勇者パーティ……実質、古き時代の魔王専門の暗殺部隊。光の魔力は感知を逃れ、闇を打ち消す。まさしく魔王の天敵である。




