魔王復活
半壊した城の大広間で、オルターは目の前にいる存在から目を逸らせずにいた。
その存在とは、竜を圧倒できるほどの力を見せたクロである。
先ほどの不格好な竜は、バーン王子を担いできたルージュ・ヴァレッドの情報にあった竜に間違いない。
バーン王子でさえ防戦一方で、クロが命を懸けて時間稼ぎをしていたという話だったが……。
城に突っ込んできたかと思えば、あっという間に退治されてしまった。
だが、決して状況が好転したわけではない。
自分たちでは手がつけられないであろう竜を、あっさりと処理してみせた恐るべき力。
その力を持った相手が、こちらに敵意を持った目で睨みつけているのだ。
「……グレン、いざという時はクロを頼めるか」
「ああ」
オルターの言葉に返答したグレンは、地面から引き抜いた剣を構える。
どうやら、クロが普通でないことは、グレンも理解しているらしい。
『勇者の剣』を装備したグレンであっても、全力でかかって一か八か通用するかというところだろう。
交戦になった場合、クロには悪いが手加減をしている場合ではない。
クロは明らかにこちらに敵意を持っているが、警戒からか襲ってはこない。
(なぜだ? 竜を下せる力があるのなら、警戒するまでもなくこちらを制圧できるはず)
クロの姿をした何かから注がれる『勇者の剣』への視線に、オルターの思考が加速する。
確かにグレンはバーン王子の強さの領域に片足を突っ込んいるとはいえ、竜そのものと比べれば遥かに下。
光属性の魔力を警戒しているとしても、相性を覆せるだけの戦力差は開いていそうなものだが……。
竜よりも恐ろしい存在でありながら、『勇者の剣』を忌避する。
それは、まるで魔王のようではないか。
オルターは、その考えを馬鹿げたものだと一蹴しようとする。
しかし、竜より強い存在と言って思い浮かぶものなど、それしかオルターには思いつかない。
一体どれくらいの時間が経っただろうか。
しばらくして、クロは影の中へと沈んでいき、その場を立ち去った。
城を覆っていた闇は晴れて、朝日が城へと差し込んでくる。
ひとまずの危機は去ったといってよいだろう。
「一体、なんだったんだ。クロは、……大丈夫なのか?」
グレンが漏らした言葉には、切実なまでの不安がこめられていた。
「とりあえず、バーン王子や皆の治療を再開しよう」
オルターとしても心配という思いには変わりなかったが、事態は急を急いていた。
クロのあの力を野放しにすれば、何が起こるか分かったものではない。
もし、ウィンやレインのように、クロが暴走状態であるとしたら。
もし、あの力が古の魔王のように、人々を恐怖の渦へと陥れるものだとしたら。
そんな想像を浮かべながらも、オルターの体はテキパキと動いていく。
不安に押しつぶされるのは、合理的ではない。
そうして、オルターが適切な処置を各々に施していくこと半日。
最初に目を覚ましたのは、バーン王子だった。
「……竜はどうなった……? クロは……?」
「それが──」
オルターが状況を伝えると、バーン王子は険しい顔つきで立ち上がる。
今にも走り出さんとする姿に、オルターがぎょっとして声をかけた。
「っ! バーン王子、もう少しお休みになられた方が……」
そう言って、バーン王子をたしなめるオルター。
処置したとはいえ、バーン王子が消耗していることには変わりない。
竜の力で傷は治っても、疲れがたまっているはずなのである。
「クロを探さなければ……」
「お一人では、無理です。今は一刻も早く動ける者を集め、クロの捜索を命じてください」
疲れからか正常な判断をできていないバーン王子に、オルターは進言する。
今は体を休めることに専念してもらわなければ、この国の根幹が揺らいでしまう。
内乱によってバーン王子の力が弱まっていると知れ渡れば、今までバーン王子を恐れていた他国が攻めてくるかもしれない。
それに竜の力を持っているバーン王子であっても、人探しをする上においては人海戦術には勝てないはずだ。
とはいえ、謀反の後始末や城の復旧を終えなければ、まともに動ける人員は限られている。
見つけられるとしても、しばらく後のことだろう。
「『土竜商会』からも、捜索のための人手をまわそう」
そう言ってグレンは、『土竜商会』から連れてきた者に指示を飛ばした。
次第に意識を失っていた者たちも、目を覚ましていく。
謀反に参加していた者の目には、戦意の欠片も残っていなかった。
こうして、ヴァレッド家派閥の謀反は誰も予期せぬ形で終わりを迎える。
敵の数に比して圧倒的少数で鎮圧に望み、犠牲も最小限に収めるという快挙にして偉業である。
しかし、内乱を鎮圧していた者たちに、喜びの表情を浮かべる者はいない。
喜べるはずが無いのだ。
立役者にして大切な仲間の一人が、行方知れずなのだから。
──────────
竜を前にして心の中の声に身を任せた瞬間、クロは冷え切った眼差しで世界を見つめていた。
意識がありながらも、夢を見ているかのように現実感がない。
何かを思い出すような感覚に従って、魔法を起動させる。
クロには、どうすれば自身の魔法で他人の心に入り込めるかが、手に取るように分かった。
竜に張り付きながら、じわじわと心を侵食していく。
激しい抵抗にあったが、闇の力とは便利なもので攻撃が当たっても痛くも痒くもない。
そのうち城のほうへと逃げて行ったので、そこで竜を弱らせることにした。
強大な竜ともなれば精神の掌握に時間がかかるが、衰弱していれば話は別だ。
城からは使えそうな手駒の気配が、たくさん感知できる。
竜の力を持つ者や強大な魔力を持つ者のような手強い気配もあったが、どれも弱っているので道具として使うのに問題はない。
クロは竜を追って城へ乗り込むと、その場にいる者の全てを支配下において竜への総攻撃を仕掛けた。
瀕死の竜を闇で回収した後、どこか懐かしい気配がして振り返る。
そこにいたには、忌まわしき剣を持った勇者だった。
(闇の影響下に置けない妙な気配があるとは思っていたが、天敵が現れるとは……)
クロは、警戒しながら思案する。
このまま良さそうな道具を貰ってもよいかと考えていたが、勇者がいるなら話は別。
先に勇者を……。
ん、なんだ? 魔法が撃てない。
そういえば、グレンとの決闘は素手って、契約の魔道具で決めていたんだ。
……あれ、なんでグレンと戦おうとしているんだろう?
クロの認識が段々と現実に追いついていく。
冷え切った心に熱が灯るのと同時に、色褪せていた世界が少しだけ戻る。
そこで初めて、周りに仲間がいることに気が付いた。
バーン王子やウィンを見て、安堵よりも恐怖が湧くクロ。
自分はさっき何を考えていた? 手駒? 道具?
他人を物としてしか認識いなかった自身を、クロは信じられなかった。
正気を取り戻してなお、クロには語り掛けてくる声がはっきりと聞こえてくる。
「目の前の勇者を排除しろ」
その声は、酷く聞き覚えのある声だった。
生まれてからずっと聞いてきた自分の声なのだから、聞き覚えが無いはずがない。
遠ざけないと。皆を守らないと。
そうして、クロは城から離れた。
作り出した闇の中を、あてもなくどこまでも進んでいく。
限界に近かったはずの魔力も、なぜか無尽蔵に湧き出てくる。
魔法を使えば使うほど、自分が自分で無くなったことを思い知らされるかのようであった。
「はぁ、はぁ……」
できうる限り全速力で人のいる場所から離れたクロは、影に潜みながら早鐘を打つ胸を抑える。
ついさっきまでのおぞましい記憶を、クロは思い出す。
あのまま城に留まっていたら、危なかった。
溢れた魔力が黒い闇となって、クロの周りをゆっくりと侵食していく。
(魔力を抑えきれない。人のいない場所にいかないと)
息を整えたクロが周囲を見渡すと、そこはヴァレッド家の領地の近くだった。
考えた末に、クロはヴァレッド家の砦に向かうことにした。
この国の僻地にあたるヴァレッド家の領地において、砦はちょうど国境部分手前にあたる。
もともと国同士が睨み合っていて無人に近い国境なら、クロの力が暴走しても大丈夫だろう。
そうして歩いているうちに見えてきたのは、無惨な姿の砦だった。
空を飛ぶ船によるものか、砦はほとんど半壊状態といっていい状態である。
あれなら、人もほとんどいないに違いない。
(国境で問題を起こして、バーン王子に迷惑をかけるのも申し訳ない。あの砦に居座らせてもらおう)
無人の砦に着いたクロは、全く疲れていない体を横にした。
眠れずに冴える頭で、クロは自分の体について考える。
疲れ知らずで魔力も使い放題と、明らかに尋常ではない力。
魔王と関係があると教えてくれたワーグの推察は、正しかったのだ。
自分の中の声は、今も勇者に固執し続けている。
……あのまま竜に殺されるとしても、この力に身を委ねるべきでは無かった。
そう後悔しながら、クロは天井の無い砦から空を見上げる。
すっかり夜になった空には、月が浮かんでいる。
クロの生み出す恐ろしい闇とは違う、月明かりに包まれた温かく穏やかな闇。
かつて、『ブラックムーン』としてクロが駆けた夜。
今のクロには、それがあまりにも遠いものに感じた。
「『ブラックムーン』は引退かな……」
いつまでも眠りにつくことができないクロは、震えるため息と共にその言葉を吐き出した。
──────────
リアは、街の復旧作業に駆り出されていた。
というのも、地属性魔法の使い手が圧倒的に足りないのである。
現在復旧を行っている地属性魔法の使い手は、かつての貧民街の騒動の時にグラント家派閥から抜けた一部の貴族と、元々派閥とは無縁だった貴族のみ。
そのため、貴族でない地属性魔法の使い手にも、声がかかったのだ。
かなりの重労働だったが、リアには断ることができなかった。
謀反に組していたグラント家派閥の残党が雲隠れしているのが、人手不足の主な原因だからだ。
竜に焼かれた街も、完全な復興には至っていない。
謀反による爪痕は、人々の間にいまだ深く刻まれていた。
ただし、街の人的被害は皆無であった。
リアが出した『土竜商会』からの緊急依頼により、避難誘導が行われていたのだ。
これにより、焼かれた街の住人は既に避難済みであった。
人さえいれば、地属性魔法ほどの効率でなくとも人手としては十分である。
城の修繕も進められて復興が着実に進む一方で、クロの捜索は続いていた。
「影のような物が、動いていた」
「一瞬昼なのに、暗くなった」
といった情報が寄せられはするが、場所の特定には至っていない。
さらには、クロの噂が膨れ上がっているのも問題である。
情報の錯綜により、クロの足取りを追いづらくなっているのだ。
先日の城での一件が、貴族の間で騒がれ始めている。
竜が城へと突っ込んでいった時、クロに対して竜が怯えていたのを何人もの貴族が目撃していたのだ。
クロに魔法で操られてからの記憶は無くても、闇に飲み込まれたという証言だけで噂は爆発的に広がっていった。
直接その場にいなかったリアの耳にさえ、『ブラックムーン』が竜を倒す恐ろしい力を持っているという話が入ってきている。
難航する捜索について報告を受けたリアは、『土竜商会』建物の自室で横になる。
ここのところ忙しすぎて、目が回りそうだった。
働いた甲斐もあって『土竜商会』の知名度はかなり上がったが、さすがに休息を取らなければ。
そうして休んでいるリアの部屋に、用心棒の一人が訪ねてくる。
「リア様、お休みのところ失礼します。侵入者を取り押さえたのですが、少々確認したいことが」
「侵入者?」
首を傾げるリアに、用心棒が話を続ける。
「無理やり建物の奥まで押し入ってきて、リア様に会わせてほしいと。なんでも知り合いだそうで。今は檻で大人しくしています」
そうして告げられた名前は、確かにリアの知る人物の物だった。
なぜなら、グラント家派閥の残党とされる貴族の一人だったからだ。
「私が直接出向きますわ」
そう言ってリアは、疲れた体に鞭を打って歩き出す。
何にせよ会って話をしないことには、どうにもならない。
檻の前までやってきたリアの目に入ってきたのは、酷く怯えた貴族の女だった。
「リア様! どうか助けてください!」
その女はリアを目にするなり、鉄格子に飛びついた。
用心棒が一歩前に出ようとするのを、リアは手で制止する。
この鉄格子はリアが作ったものであり、リアの魔力が流れている。
他人の魔力が流れている物を、魔法で操ることはできない。
目の前の女は地属性魔法の使い手だったはずだが、この檻から出られるわけではない。
「何から助けるというのですか。言っておきますがヴァレッド家に加担した罪は……」
「罪なら何でも受け入れます! そうじゃないんです!」
リアの言葉に、女は首を振る。
減刑を求めていると思っていたが、どうやら違うようだ。
「……では、一体どうしたのです。少なくともここにいる者に、あなたを傷つけさせません。落ち着いてください」
焦った様子の女を、なだめるリア。
少し落ち着いたのか、女はゆっくりと話し出した。
「……こ、声が聞こえるんです」
「声?」
女の言葉を受けて耳を澄ましてみるが、リアからは何も聞こえない。
幻聴を聞いているのだろうか。
「もう少し具体的に。誰の声ですか」
リアがそう尋ねると、女はまた焦りを見せ始める。
「し、知らない……。声が聞こえるの。きこえる。こ、声がが、ききこ、える、きき──」
もはや女の言葉は、意味をなしてはいなかった。
震えながら虚ろな目で同じ言葉を繰り返し、やがてそれは声にならない悲鳴へと変化する。
目の前の異常な女の様子に、リアは思わず後ずさる。
「グレンを連れてきて! 急いで、早く!」
用心棒に指示を出しながら、リアは建物に意識を集中させる。
牢の中の石でできた地面が盛り上がり、巨大な手を形成していく。
「『石の手』」
石の手は女を掴んで、動けない程度に握りこんで拘束した。
(あの様子は、グレンから聞いた暴走状態と一致しますわ。確かクロの魔力が関係しているということでしたが……)
この建物では、大勢の人間が働いている。
これがもし暴走状態なら、何としても抑え続けなければならない。
暴れる女の体を封じ続けるリアだったが、石の手の中で女は口を開く。
「『亡骸の面』」
声を無理やりつなげ合わせたかのような歪な言葉とともに、魔法が唱えられた。
『闇の息吹』や『亡骸の面』は闇属性を帯びていて、それぞれ風と地の属性が闇の属性と複合しているという設定です。




