消えた貧民街の住人
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ワーグから衝撃の内容を聞かされてしばらく経った日、クロは予定通り『土竜商会』へ薬を差し入れることにした。
うじうじと悩んだクロだったが、一晩寝て次の日に起きれば冷静さを取り戻していた。
先日の帰り際に聞こえた気がした声も、きっと神経質になりすぎて幻聴を耳にしたのだ。
きっとそうに違いない。
あのとき聞こえた声は、力を求めるか問いかけていた。
原作『ブラックムーン』でも、そんな言葉を交わす場面があったはずだ。
自分の幻聴もその記憶からきたのだろう。
それにもし仮に幻聴じゃないとしても、その問いかけに応えなければ問題ない。
そう考えながら、クロは『土竜商会』へとたどり着いた。
「おう、クロじゃねえか」
門番として立っていた用心棒が、クロに声をかける。
「あんたは……。ああ、確か貧民街で女の尻ばっかり追いかけていた奴か」
クロは自身の記憶を漁った末、目の前の人間のろくでもない過去を思い出した。
確かウィンが貧民街に来たときも、絡んで返り討ちにされていた。
あれ以降も迷惑行為が目についたので、何回か懲らしめている。
「勘弁してくれ。今はもう足を洗ったんだ」
目の前の男は、そう言って頭を掻いた。
「へぇ、本当かねぇ。どうせリアに対して言い寄ったりしてるんじゃないの?」
「リア様にそんなことをするなんて、恐れ多くてできねぇよ。そもそも女性に対するエスコートの仕方がなってないと、リア様からダメ出しされたんだ」
クロは目の前の男の反省っぷりに素直に感心した。
話を聞くと用心棒として雇われている人間は、全員が心を入れ替えているのだという。
なんとも喜ばしい話だ。
クロは、そのまま門番にリアのところまで案内される。
建物の奥の部屋のすんなりと通されたクロが目にしたのは、明らかに疲れた様子で項垂れるリアの姿だった。
「……あら、クロ。来たんですのね。こんな姿で、ごめんあそばせ」
顔をあげたリアは、目の下に隈をたっぷりと蓄えていた。
「ちょっと根を詰めすぎなんじゃない? 一応集中できる薬も持ってきたけど、ちゃんと寝たほうがいいよ」
クロは心配そうな顔で、リアの前に魔法薬をおく。
「そうはいってられませんわ。用心棒の方たちの知り合いも、行方不明者の中にいるのです。急いで行方を追わなければ……」
そういってふらついたリアを、咄嗟にクロは支える。
「ウィンから話を聞いてるけど、具体的に何をしているの?」
「聞き取りの依頼を出してるんですの。広範囲での人海戦術ですわ。私はそれをまとめつつ、気にかかる証言が無いか確認を……」
そう言ってリアが目を向けたのは、山と積みあがった報告書だった。
言われるまで壁か何かだと思っていたクロは、その量に唖然とする。
「一人でこの量は無茶だよ! 何か手伝えることは?」
クロの申し出に、リアは首を振った。
「申し出はありがたいのですが、地理の知識がないことには。依頼で集まった怪しい情報を地図の落とし込んで、随時上がってくる報告を基に更新していく。これはおそらく私にしかできませんわ」
リアが手にした地図には、何やらびっしりと文字が書き込んであった。
地図を覗き込むクロだが、情報の量に思わず目を回す。
これ、地図は地図でもめちゃくちゃ広範囲のやつだ。
「確かにこれは手伝えそうにないな。ただ、地図を見るに場所を絞り込めてはいるんだよね? なら、私も捜索の依頼を受ける」
情報収集なら、クロの得意分野である。
昔のクロは、『ブラックムーン』として悪徳貴族の情報を自力で集めていた。
影の魔法を使えば、一般人が入れない場所での情報収集もお手の物である。
「そこはヴァレッド家の影響力が強い場所ですが、クロの実力なら問題ないでしょう。報酬も惜しみません」
そう言ってリアは、クロから貰った魔法薬の瓶をぐいっと呷る。
「じゃあ、そのヴァレッド家辺りを探ってみるね」
クロは言葉をかけるが、リアからの返事がない。
地図からリアに目線を移すと、リアは立ったまま眠りかけていた。
(眠気覚ましが効かないなんて、徹夜しすぎだね。やっぱり貧民街を崩落させたことを、気にしてるのかな。それで体を壊しちゃ元も子もないけど)
リアがここまで頑張っているのは、背負っている物の大きさもあるのだろう。
『土竜商会』や土竜街の皆からの期待。
かつて取返しのつかないことをしてしまったという罪悪感。
それほどの重圧を体験したことのないクロには、リアの苦しみは分からない。
ただ、しっかりと休息を取らなければいけないのは確かだろう。
いまだ起き続けようと悪あがきをしているリア。
その口にそっとクロは手を当てた。
影を介して睡眠薬を胃の中に直接放り込む。
クロはうつらうつらとするリアを長椅子に横たわらせて、その場を後にした。
『土竜商会』から出たクロは、教会で身支度を済ませる。
目的地はかなり遠い。
食料は、最悪の場合でも道すがらに動物を狩ればどうにでもなる。
本当は夜に出発したいが、目的地の遠さを考えたら日を跨ぐだろう。
それなら、昼の今から出発しても大差はない。
そう考えたクロはブラウン神父に書置きを残して、そのまま目的地へと向かうのだった。
──────────
一日かけて、ヴァレッド家の治める地へとやってきたクロ。
クロがまず目にしたのは、今まで見たことのない店や建物だった。
街のあちこちからカンカンと金属同士を打ち合わせるような音が響いており、店先には様々な武器が並んでいる。
(もしや、小説で呼んだ鍛冶屋というやつだろうか)
店頭に並ぶ武器を興味深げに眺めながら、クロは目を輝かせた。
本来の目的を忘れていることにクロが気づいたのは、武器の前で立ち止まって長時間が経過した頃だった。
鍛冶師が迷惑そうな顔で、クロにちらちらと視線をやっている。
慌ててその場を離れたクロは、当初の目的通り情報を集めることにした。
聞き込みや盗み聞きなどで情報収集に勤しんだ甲斐あって、貧民街の元住人の情報は案外簡単に掴むことができた。
どうやら、ここら辺に見慣れない人間がまとまって現れたことがあったらしい。
貧民街の崩落より後という時期も、かなり怪しい。
だがそれ以上の情報は得ることはできなかった。
もう少し詳しく情報を知るには、貴族の屋敷にでも潜入した方がよさそうだ。
そう考えたクロは、高い建物の屋根に上って街を見渡した。
ワーグから貰った双眼鏡を使い、砦のような大きな建物を発見する。
大量の鍛冶屋が起こす煙のせいでそんなに視界は良好とはいえないが、ヴァレッド家の本拠地として怪しいのはあそこだろう。
ヴァレッド家は高い軍事力を有すると聞いているので、侵入がバレたら逃げ出すのには骨が折れそうだ。
そんなことを考えていると、クロは人込みの中に見慣れた人物を見かけた気がした。
(あれは、ルージュ?)
素顔は森の中で二人きりの時に見たことがあるから、間違いないはずである。
派手な髪色と白いドレスは、無骨な人々が行き交うこの街ではとても目立っている。
今は『スカーレットムーン』の姿ではなく、令嬢としての姿でいるようだ。
ルージュはそのまま馬車のようなものに乗り込んで去って行く。
ここらの馬車は、馬なしでも動くらしい。
何かの魔法だろうか。
(声をかけたいところだが、人前で『スカーレットムーン』の時の交友関係を持ち出すのは控えておこう。お互いに正体を隠している身だし)
どうにか一人きりになったときに接触できれば、潜入に協力してもらえるかもしれない。
この前リアにやったように、『影潜み』で服の中の影に隠れたら潜入中の聞き込みも楽になりそうだ。
なんならルージュからも、情報を聞いてもいいかもしれない。
頭の中で計画を立てたクロは、そのままルージュの後を追いかけることにした。
距離は離れていたが、なんとか逸れずについていく。
馬なし馬車は目立つので、屋根の上からなら見失う心配もない。
辿り着いたのは、クロが見ていた砦のような場所だった。
『ブラックムーン』の衣装へと早着替えしたクロは、衛兵の目を掻い潜りながら内部へと潜入する。
砦には天井裏があり、クロが隠れる影には困らなかった。
(さて、ルージュはどこかなと)
クロがルージュの姿を見つけたのは、ルージュの自室らしき場所だった。
ルージュは空中に火花を散らして小さい絵のようなものを作っている。
周りに人はいないようだ。
「へぇ、器用なんだね。ルージュ」
そう言って天井から姿を現したクロに、ルージュは声にならない悲鳴をあげた。
「師匠!? もう、脅かさないでほしいですの!」
地面に着地するクロを、ルージュは恨めしそうな眼で見る。
「何してたの?」
「魔法の練習ですわ。私の日課で、そんなに大したものではありませんが」
そう言ってルージュは、先ほどのように火花を散らせて『スカーレットムーン』の姿らしきものを作った。
「いや十分すごいよ!?」
謙遜するルージュに突っ込みを入れるクロ。
これほど精密な魔法の操作は、途轍もない努力をしたことには間違いない。
「でも、私にできるのは、こうして火花を散らす程度の魔法だけなのですわ。貴族として生まれた意味も、ないようなもの……」
クロの褒め言葉にも、ルージュは悲し気に笑うだけだった。
どうやらルージュは、自分の魔法があまり好きではないようだ。
「うーん、私はルージュの魔法好きだけどな。その魔法で爆弾を使いこなしてるんでしょっ? 一見なんでもない能力で活躍するのも、かっこいいよ」
誇張なしに魔法をすごいと感じたクロは、それを伝えてルージュを励ます。
原作の『ブラックムーン』にある、役に立たないかに思えた道具で相手を出し抜いたシーンは、クロのお気に入りである。
それでもルージュは浮かない顔をしたままである。
「私はこの力で、師匠のようになりたかったのですわ。それで、誰よりも光輝く『紋章』を手に入れなければ……。婚約者にならなければ、無意味なんですの……」
ぽろぽろと涙を流し始めるルージュに、クロはぎょっとする。
落ち着くまでとりあえず背中を摩るクロ。
「ごめんなさい……ごめんなさい……」
ルージュは、堰を切ったように泣きながら謝り続ける。
その言葉はクロだけではない、別の誰かへも向けられているようだった。
──────────
立ち並ぶ煙突から、ごうごうと黒い煙が吐き出される。
ここはヴァレッド家によって治められる街。
周辺も派閥で固められており、この街のような光景はこの辺りでは珍しくない。
その光景を眺めるボルカ・ヴァレッドは、この街の過去に思いを馳せる。
ここはかつて僻地と呼ばれる場所であった。
国境に近いからか兵力が集められているとはいえ、それもほとんど形骸化しているといっていい。
なにせこの国には、竜がいるのだから。
竜の力を持つ国を相手しようという敵国は、皆無であった。
たまに、攻めてくることはあっても、王が撃退すればそれで終わりだ。
軍事において他貴族よりも秀でていたヴァレッド家は、はるか昔に国境付近であるこの地を任された。
しかし、その軍事力もこの国では、不必要なものである。
現在のヴァレッド家は、金属の加工という地属性魔法の真似事をするだけに留まっている。
強度や魔法耐性などの差別化できる点もあるとはいえ、地属性魔法の後塵を拝すだけの中堅貴族。
それがヴァレッド家の表向きの姿だ。
「ボルカ様、貧民街から流れてき平民たちが捜索されております。ヴァレッド家派閥の土地にたどり着かれるのも、時間の問題かと」
「問題ない。確かな証拠が無ければ、向こうも強くは言ってこれまい。これまでの忠誠の賜物だな」
後ろに控えていた侍従からの報告を、ボルカは一蹴した。
忠誠心においては、ヴァレッド家は初代の頃から随一と噂されている。
僻地を領地として宛がわれても、当時のヴァレッド家は一切抗議しなかった。
どんなに扱いが不遇であっても、それを甘んじて受け入れる。
その姿勢が何代にも渡って続いているのが、ヴァレッド家なのだ。
そんな忠臣を疑うなら、それ相応の証拠が無ければならない。
無論、時間をかければ確かな証拠も見つかるだろう。
時間があれば、の話だが。
「集めた平民の訓練は、順調だろうな?」
ボルカは答えの分かり切った質問を投げかけた。
「はい、それはもう順調でございます。彼らの戦力水準はもちろん、国への憎しみも爆発寸前といってよいでしょう」
その答えにボルカは、満足気に頷く。
この日をどれだけ待ちわびたことか。
ボルカの脳裏に浮かぶのは、代々受け継がれてきたヴァレッド家の教え。
(信頼とは、いつかの裏切りの刃を鍛える炎である。私の代で、その刃をついに振るう時が来るのだ)
ボルカは自身の保有する力を自覚すると同時に、これまでの労力を感慨深げに振り返る。
火薬により鉱山から安定的に鉄を採掘できるようになってから、ヴァレッド家はこれまで数多くの鉄で武器を生産してきた。
他国を通じて海賊へ武器を横流しすることで、試験的な運用にも成功している。
瓦解しかけたグラント家派閥の残党とも手を組み、ヴァレッド家派閥の規模は過去最大である。
最大の壁は竜の化身の末裔であるバーン王子だが、対策となる奥の手も用意している。
ヴァレッド家の悲願の達成は近い。
何より娘のルージュが宿す『紋章』の輝きが、それを示している。
ルージュ・ヴァレッドには、王妃に適する能力が何一つ備わっていない。
では、そんなヴァレッド家の娘が王妃となって、この国にどのような利があるのか。
その答えは、内乱の回避である。
ルージュが王家に取り入ってヴァレッド家が権力を有するなら、武力で城を攻め落とす必要もない。
逆にいえば、王家にとってヴァレッド家が脅威だからこそ、ルージュに『紋章』が発現したのだ。
そうでなければ、あの火花を散らす魔法を使うのが精々の無能が候補に選ばれるはずがない。
「竜に支配される未来など、おぞましい。人の未来は、人の手で切り開かれるべきなのだ。そしてその先頭に立つのは、このヴァレッド家こそがふさわしい」
ボルカは燃え盛る闘志を抑え、鼻を鳴らす。
内に眠る火を絶やさず、代々燃やし続けたヴァレッド家。
陰謀の渦巻く竜の国に、革命の足音が着実に近づきつつあった。
『ルージュの手投げ爆弾』
ヴァレッド家の火薬庫からくすねた火薬で作った特製の爆弾。
大きさは指で挟めるぐらいのもので、威力はそこそこ。威力を調節したいときは複数個を同時に投げる。
導火線はなく、外から火を当てても爆発しない。
ルージュの火属性魔法の『着火』によって、爆弾の内部に火を発生させて起爆する。
魔法を精密にコントロールしなければ、空中の爆弾を狙って爆発させることはできない。
並々ならぬ努力とある目的への執念によって、ルージュは独自の魔法である『着火』を編み出した。




