グレンの過去
なんか過去話が多くてテンポが悪い気がしますが、過去話は前半だけですのでご容赦を。
腕の中で力無く身を任せるクロを抱えたグレンは、元々クロの拠点だった部屋に戻った。
グレンはクロに治療用の魔法薬を、惜しみなく飲ませる。
非常に高価な魔法薬を平民が手に入れるのは、通常は不可能である。
平民の中でありえるとするなら、儲かっている商人が数本持っているかどうか。
そんな薬も今の『土竜商会』の力を持ってすれば、簡単に手が届いてしまう。
息が落ち着いたクロを優しく寝床に寝かせながら、グレンは打撲で痛む箇所に手を当てる。
グレンの体も無事とは程遠いものである。
だが、その痛みの懐かしさに浸るグレンは、薬を飲む気にはなれなかった。
(相変わらず、クロ姐さんは容赦がないな)
クロの中から現れた謎の剣によって、なんとか形勢は逆転できた。
あのままグレンの方がやられていても、おかしくなかった。
元々グレンの戦い方は、クロから教わったものである。
こちらの体も大きくなったとはいえ、その壁はそう易々と超えられるものではない。
何回もクロに地面に転がされたグレンは、クロに対して一切の手加減もすることはなかった。
そうまでしなければ、止まらないと確信していたからである。
それでも、自分だけの力では、クロに届くことはついぞ無かったが。
(成長し経験も積んだとはいえ、こうまで差があるとは)
自分にここまでの手傷を与えたとは到底思えないクロの細い腕に、グレンは目をやる。
一体どこまでの鍛錬と実践を積めば、この領域にまで上り詰められるのか。
自分の知らないところで、義賊『ブラックムーン』として様々な修羅場を潜り抜けてきたに違いない。
グレンの拳を握る力が強くなる。
なんでそうまでして頑張るのか、今のグレンには理解できなかった。
最初に出会ったときもそうだ。
無力だった幼いグレンを脅していたならず者をねじ伏せたときも、クロは何の見返りも求めなかった。
貧民街に蔓延る弱者への暴力を一掃し、この場所で腐りゆくしかなかった者たちを導いた。
『ブラックムーン』としての貧民街の人へ金銭的な援助も考えれば、その貢献は計り知れない。
グレンにとっての憧れだった。あの瞬間が訪れるまでは。
貧民街の崩落が始まった頃、クロの行方が分からなくなった。
最初は、いつも通り私用で忙しいのだと思っていた。
しばらくして崩落が広がり貧民街を離れる者がちらほら現れ、何かがおかしいとグレンは違和感を覚えた。
グレンの知るクロであれば、貧民街が危ういこの状況を放っておくはずがないのだ。
以前『偽ブラックムーン』騒動で出会ったハートが訪ねてきたのは、そんな時だった。
ハートは、貧民街にいる知り合いの安否を確認しにきたと言った。
そしてその知り合いの名前が、クロだとも。
ここでグレンは、初めて不安を感じた。
クロに何かがあったのではないか、と。
グレンは知っていることを、ハートに全て打ち明けた。
以前クレアと名乗っていた少女が、クロであること。
貧民街の一大事なのに、世話焼きのクロの姿が見えないこと。
その後、ハートは崩落した穴の中へと姿を消した。
グレンも何かできないかと、貧民街の人間に声をかけて回る。
皆、クロに対して恩義を感じているはずだ。
クロが困っている可能性があるなら、皆喜んで手を貸すはず。
グレンはそう考えていたのだ。
しかし、クロの行方が分からないから皆で探そうと訴え続けるグレンと目を合わせる者は、誰もいなかった。
「住む場所を失う私たちに何ができるのか。自分たちのことで手がいっぱいだというのに」
貧民街を去る人々の目は、暗にそう語っていた。
また一人と去って行く貧民街に、グレンはとどまり続けた。
崩落した穴に潜っては、何か痕跡はないかと歩き回る。
そうやって闇雲にクロの行方を追う日々は、リアと出会うまで続いた。
貧民街がリアの主導の元で復興し終えたとき、戻ってきた住人を見て黒い感情が渦巻くのをグレンは感じた。
一体どの面を下げて帰ってきたのだと。
グレンにとってその姿は自分にも重なった。
ハートが来なければ、自分も何も考えずに避難していたかもしれない。
あのクロなら大丈夫だと、何の根拠もない自信を抱えて。
無力で能天気な自分への憎しみに、胸がいっぱいになる。
憧れを抱くばかりで無力な自分と、庇護を受け入れて依存する貧民街の何が違う。
たとえ全てが遅いとしても、グレンはクロを守れる強い自分になることに執着した。
それだけが自分ができるクロへの贖罪だと思ったからだ。
しかし、大きくなった『土竜商会』が貧民街を牛耳るほど力をつけても、グレンの胸中が晴れることはなかった。
そこに現れたのが『ブラックムーン』に扮したクロであった。
再会したときは、本当に心の底から喜んだ。
しかし、頭を冷やして冷静になったことで、グレンの心に新たな不安が芽生える。
リアから聞いていた『ブラックムーン』の正体がクロであるということは、クロは攫われて危機に瀕していたということだ。
クロはグレンが思う以上に、貧民街を守ってくれていた。
ではクロの事は、誰が守る? 誰が支える?
『ブラックムーン』として、どれだけ貴族から恨みを買っているかも分からない。
どう説得しても、クロはこのまま『ブラックムーン』として活動を続けるだろう。
その先に無事な保証など、どこにもない。
グレンは家族同然のクロを失うことに恐怖した。
(……そんなの、だめだ。だめに決まっている。……たとえ嫌われることになってもいい。クロ姐さんを守らないと)
失う恐怖と嫌われる勇気。
それらが、クロの前に立ちはだかったグレンの心を満たすものだった。
そして今、クロの身柄はグレンの手中にある。
もう誰にも手出しはできない。
胸を満たす安心感に混じる一欠けらの後悔をグレンは無視して、その部屋をあとにする。
緩やかな時間が流れる部屋を包む静寂の中に、重厚な扉が閉まる音が響き渡った。
──────────
クロの目が覚めると、リアと話していた部屋の中にいた。
体を起こしたクロは、周囲を見回す。
見覚えのあるかつてのクロの拠点だが、外と繋がりそうな場所は完全に塞がれている。
扉も頑丈そうなものに代わっていて、破るのは容易ではなさそうだ。
(あれから、どれくらい時間がたったんだろう)
そう考えていたクロは、自身の恰好に違和感を覚えた。
淡い色で少し肌が薄っすら透けている袖は、いつも使っている黒い外套のものとは明らかに違う。
恐る恐る自身の姿を見下ろすクロの目に入ったのは、自分の肌が布越しに見えるほど薄い服だった。
「なんだ、これ……?」
大事な部分は隠れているが、ずいぶんと際どい姿に困惑するクロ。
これでは、この前ルージュが海で纏っていた水着とほとんど同じである。
「目が覚めましたか」
クロが自身の着ている服を物珍し気に見ていると、部屋にリアが入ってきた。
リアの後方へ視線をやったクロは、二重扉になっているを見て肩を落とす。
これは監禁されている。間違いなく。
「クロの服をこちらで預かっています。何か欲しいものがあれば取ってきますわ」
どうやら監禁におけるクロのお目付け役を、リナが請け負っているようだ。
「ここから出してほしいんだけど。グレンに会わせてほしい」
「……できません。グレンに会いたいときは、言ってくださればグレンを呼んできます」
クロの申し出を、素っ気なくリアが断る。
てっきり快諾してくれるものと思っていたクロは、目をぱちくりさせた。
「どういうこと? さっきは一緒になってグレンを説得していのに」
「事情が変わったのです。グレンはクロが側にいるときに、とても安定しています。グレンを支えるのが私の目的。あなたには悪いですが。しばらくここに留まってもらいます」
リアの言葉に、クロは冗談じゃないと心の中で毒づいた。
やっとテファニー・フォレスの魔の手を逃れたと思ったら、またもや捕まってしまうとは。
向こうにこちらを害するつもりはないとはいえ、不自由には変わりない。
「私が無理やりここを突破するといったら?」
「それも諦めてください。『ブラックムーン』についての情報は共有済みです。影を消す光が弱点と露見した上で、その服での突破は厳しいかと」
そういってリアはクロの服に目を向けた。
なるほど、この透け透けの服は、どうやら服の中に影を作らせないために用意したらしい。
グレンがこんな服を着せるはずがないし、リアの入れ知恵ということなのだろう。
「本当にグレンの今の状態を容認するのか?」
クロの言葉にリアが口を閉じ沈黙する。
やはり、リアにも思うところはあるはずである。
「それなら―」
「それでも、前よりかは良くなっています。今クロを自由にさせる方が、むしろ危険だと判断しました。あの剣のことも考えるなら、今のグレンが暴走すれば貴族より厄介ですわ」
リアはそういってクロから背を向けた。
ここで引き留めても状況はあまり変わら無さそうだ。
そう考えたクロは、一先ずリアが部屋を出るのを黙って見届ける。
「……あなたが私を恨んでいないと言ったくださったこと、感謝していますわ。聞き入れられるかは分かりませんが、私もグレンと掛け合います。ですが、あまり期待はしないでください」
暗い表情を浮かべながら、リアはそう言って扉を閉めた。
リアはグレンに忠実なようだが、進言をする気概もあるにはあるらしい。
リアの態度が少し冷たいと感じるのは、望みの薄い期待を抱かせまいとする優しさなのだろうか。
何はともあれ、グレンのことは放っておけない。
リアとしてはこの部屋に留まってもらいたいだろうが、悠長にリアの説得を待つつもりはない。
何とかしてこの部屋から出て、拳でグレンの性根を叩き直す。
それが、今のクロに考え付く最善の行動だった。
話し合いではなく力で意思を通そうというのなら、こちらも力で話し合いの席に着かせるのみである。
ただ、もう一度グレンに挑むにしても問題が一つ。
先のグレンとの闘いは予想外のことが起きてやられてしまったが、仮に万全であっても今のグレンに勝てるかということである。
『勇者の遺物』を手にしたときのグレンの強さは、一線を画していた。
身体能力が跳ね上がり、おそらく魔法を分解するという光属性の魔力を扱っている。
クロが過去に直接戦った中では、バーン王子の次に厄介だろう。
加えて弱点を把握された上で、発光する剣によって物理的に影を消されながら相手をすることになる。
正直なところ、クロ本人でも勝てる気がしない。
いつもならこういう相手は睡眠薬で制圧しているが、それではグレンは納得しないだろう。
正面から戦いを挑んで相手に負けを認めさせなければ、意味がないのだ。
唯一勝ちの目があるなら、剣による強化が無い状態にグレンを追い込むことである。
つまり、何としてもグレンから剣を取り上げる必要があるということである。
(とりあえず、ここから出ることを考えよう。出れそうな場所は……)
クロは、部屋の上の方に通気口があることを思い出す。
壁によじ登ってそこを覗くと、肩幅より少し小さいぐらいの外に通じる穴が開いていた。
この部屋のほとんどの隙間は地属性魔法によって塞がれていたが、ここは狭いからか見逃されたようだ。
なんとかここを通ることができさえすれば……。
そうだ、この前の海で習得したあの技なら、抜けられるかもしれない。
海でオルターと決闘したとき、『影潜み』によって体内の影に臓器をしまっていた。
だが、臓器以外もしまえるだけしまって、体を極限まで縮めればあるいは?
幸い、練習するだけの時間ならいくらでもある。
その日から毎日、クロは監禁された部屋の中で新技の練習に励むのだった。
──────────
「――今日のところは引き下がりますが、後日改めてこの件についての話をさせていただきます」
リアはそう言って、グレンのいる部屋から退出した。
もう3度目にもなるリアからの進言を、グレンは思い返していた。
「クロの意思を尊重するべきである。でなければ、グレンとクロの決裂は決定的なものになる。」
これが、リアから告げられている忠告である。
だが、グレンはクロに対して譲る気はさらさら無かった。
貴族とは恐ろしいものである。
貴族が平民の罪人に手を下すことは、珍しいことではない。
手を下された無力な平民の中には、無実の罪を問われた者もいるだろう。
残酷な行為を楽しむ者も、貴族の中には存在するときいている。
そんな貴族にクロが近づくのを黙って見過ごすことなど、グレンには到底できなかった。
クロに危険をもたらす存在に、グレンは容赦しない。
それがたとえクロ自身であっても。
『土竜商会』でクロを監禁してから10日間が経過してもなお、グレンはクロの脱走を警戒していた。
(クロ姐さんがこれくらいで諦めるはずがない。逃げ出す機会を狙っているはずだ)
グレンは徹底して付け入られそうな隙を潰した。
クロがいる部屋の近くには、常に明かりを持った用心棒の巡回を張り巡らせている。
建物にも細工が施されており、いざという時はリアの魔法で隔壁を作るように指示を出した。
何かあればその区域ごと閉鎖して、グレンが向かうまでの時間稼ぎをしてもらう手筈になっている。
部屋にもリアが手を加えており、あの場所から出ずに十分な暮らしができるような備えが整えられた。
今のところ、クロの生活において何の不備も起こっていない。
ここまでくれば、あとは根競べである。
『土竜商会』の資金を費やして、一方的に相手に忠誠を誓う魔道具をリアに用意してもらった。
使う本人の意思でしかその魔道具は起動できないが、意思を折れば問題はない。
一般人としての平凡な生を受け入れるか、義賊という夢を抱いて不自由を強いられるか。
この監禁の目的はこの二つの選択肢を選ばせること。
グレンとて、一生クロをここに監禁するつもりはない。
こちらの庇護を受け入れて、義賊『ブラックムーン』としての活動のような危険なことは金輪際しない。
そう誓うなら、部屋に留める必要もなくなる。
だが、クロがそれを受け入れるまでには相当の時間がかかることだろう。
最悪、年単位での忍耐もグレンは覚悟の上である。
その間、クロをあの部屋に抑え続けなければならないのだ。
(もっと力がいる。クロ姐さんに脱出を諦めさせるほどの圧倒的な力が)
グレンは光輝く剣を抜き放つ。
剣を握る手から何かが流れ込む感触と共に、体が軽くなる。
リアによれば、この剣はおそらくかつて勇者が使っていたものらしい。
学のないグレンでも、勇者と魔王のおとぎ話は知っている。
この力を完全に掌握したとき、きっと自分は何者にも勝てる。
物言わぬ剣はただ静寂をもって、グレンの求めるままに応えて輝きを増すのだった。
自分への矢印に疎いクロは、療養に集中していた(させられていた)のもあって攫われてから貧民街に顔を出していません。




