鉄の巨船
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別荘に来てしばらくが経った頃。
クロは、自身の回復に驚いていた。
(適度な運動のおかげ……ではないよね)
毎日飲んでいる回復の魔法薬が、大きかったのかもしれない。
これなら完全に元通りとはいかなくても、義賊としての活動再開までもう少しといったところだろう。
そんなことを思いながら、相手を見据えて構えをとるクロ。
クロは、開けた場所でオルターと対峙していた。
「いいのか? いつかの雪辱を果たすなら、クロが万全になってからにしたいのだが」
オルターは、遠慮がちにクロの片腕を見る。
元気になったといっても、完全ではない。
その上、今のクロは片腕が使えない状態である。
前より成長したオルターと模擬戦をするよりも、もっと安全な復帰のための訓練などいくらでもある。
オルターがそう考えるのも、無理はなかった。
「もちろん、手加減はしてもらう。そっちは、私に水を一定量浴びせる。それを掻い潜ってオルターに触れる。この勝利条件なら、ウィンも安心できるって許してくれたし」
そういってクロが目を向けた先にいたのは、不服そうにしながらも審判として立ってくれているウィンであった。
当初は、ウィンも模擬戦の相手として志願していた。
しかし、心配性であるウィンは、無意識にクロに対して手加減するかもしれない。
その結果、ウィンは審判として立ち会うことになったのである。
「オルター様も、クロも、あまり熱中しすぎないように。危なそうなら、すぐに止めますから」
ウィンは、そういって空中に浮かび上がった。
周りに人が来ないか、確認もしてくれるらしい。
普段は平民を雇って別荘周辺を巡回させているそうだが、今は近寄らないように伝えている。
これで『ブラックムーン』としての戦い方をしても、バレる心配はない。
「では……はじめ!」
ウィンの合図と共に、クロはオルターに向けて走り出す。
水の塊がクロに飛ぶが、『影拾い』で攻撃を影に沈めるまでもなくクロは回避する。
オルターが放った複数の水の球を避けながら、回り込んだクロはオルターに急接近した。
「……っ! 『不可視の心臓』」
しかし、オルターは以前では考えられない速度でクロの伸ばす手を回避して、後ろへ下がりながら放水する。
辛うじて回避をしたクロは、成長したオルターに驚いていた。
簡単にいくとは思っていなかったが、各段に体の動きが良くなっている。
その体捌きは、もはやクロを超えているといってもよい。
「これは見違えたね。一体どういう訓練をしたら、そんな動きができるんだ?」
素直にほめるクロに、オルターは得意げに説明する。
「体内に循環する血液を操作している。身体能力だけでなく集中力の向上など、様々な恩恵をもたらす魔法だ。かつての決闘から着想を得て、独自で構築した」
「なるほど。魔力消費は激しそうだけど、自身を強化できるというわけだね」
クロは離れた所から、様子を伺って分析する。
危険なときに使用を限定していることから、使い勝手も悪く無さそうだ。
だが身体能力が高い人間の相手をするのは、今回がはじめてではない。
かつてクロが戦ったバーン王子は、身体能力においても他の追随をゆるさない。
そんな相手との戦闘経験を積んだクロにとって、オルターは特段厄介な相手というわけではなかった。
再び動き出したクロだったが、相手の魔法の動きが変化したことに気づいた。
オルターの水の球の数が次々と増えていき、クロの四方八方から放たれていく。
(『不可視の心臓』は、身体能力だけでなく魔法の操作にも影響を与えるのか)
オルターは脳に血液を回すことで集中力を向上させていた。
今まで以上に複雑な動きで、クロに放水していく。
これまでの速さでは対応しきれずに、避けながらもクロは少し水を被った。
クロの高速移動の仕組みは、鍛え上げられた脚力だけではない。
『影潜み』による自身の軽量化も、クロが習得した技術の一つであった。
体の一部を、服の影に収納して走っているのである。
(これでは足りない。素早さがあれば、テファニー・フォレスの襲撃も対処できたかもしれない)
クロは、更なる速度を求める。
今までの速度では不足していたのなら、もっと速さが必要だ。
オルターは、自身の体内の水を操作していた。
クロも自分の体に魔法を応用できるかもしれない。
(不要な体の臓器を、影にしまうことができれば……)
クロの速度が上昇し、再びオルターへと肉薄する。
オルターとクロは、ほとんどゼロ距離での応酬が続いていた。
反応速度と身体強化を兼ね備えたオルターと、軽量化による更なる速度上昇へと至ったクロ。
先に限界が来たのは、クロだった。
「はぁはぁ、降参。内臓がひっくり返りそう」
「しかし、最後のあれは驚いたぞ。急に俊敏性が上がった。一体何をしたんだ?」
不思議がるオルターに、先ほどの速さの仕組みをクロは一通り説明した。
「──といっても、慣れないことはするものじゃないね。体は軽くなるけど、内臓が影の中で揺すられる」
それを聞いて、しばらく思案していたオルターは口を開く。
「私の『不可視の心臓』と同様に、自身の体内だから魔法を柔軟に発動できると考えていいかもしれない。体の内側の大半を影に入れることも理論上は可能になるが……」
オルターの考察を聞いたクロだったが、あまり良い使い方を思いつかない。
軽量化による速度上昇と、防御のときの主要な臓器の保護ぐらいだろうか。
また、軽量化も良いことばかりではない。
逃げ足が速くなる代わりに、攻撃が軽くなるという点ではむしろ逆効果である。
二人が休憩しながら話していると、ウィンが少し焦ったように降りてきた。
「どうしたの。そんなに慌てて」
何かあったのだろうかと、二人はウィンに尋ねかける。
「大変です。港にとても巨大な船が近づいています。まだ離れていますが、おそらく武装しているかと」
ウィンの言葉にオルターが眉を顰める。
「ここらの海は航海は難しい。ましてや巨大な船なんて、通常はほぼ不可能だ。ただの難破船というには、怪しいな」
オルターのその言葉には、少し緊張感が漂っていた。
現在この場所には、クロたち三人と雇われて巡回している平民しかいない。
万が一攻撃を仕掛けてきた場合、迎撃できるほどの戦力は用意できない。
巨大な船でこの海を渡る手段を持っている時点で、相手の戦力は未知数である。
「ここを狙う理由は、フローレス家派閥の別荘が集中しているというだけで十分だ。戦闘に備える必要がある。ウィンは、一先ず上空から様子を見ていてくれ。何か動きがあったら知らせてほしい」
「分かりました」
ウィンは、船の上空へと飛んでいく。
後を追ってクロとオルターは、海が見える港へと直行した。
岸から離れた場所なのにも関わらず、その船の異質さはクロから見ても一目でわかった。
「なんだ、あれは……」
オルターは、見たこともない巨大な鉄の船に瞠目した。
おそらく、表面は金属でできている。
木製の船が主流なこの国の船ではない。
さらに、大きさも尋常ではない。
この国にも金属製の船はあるが、あそこまでの大きさはない。
水属性魔法で動かすにしては、あまりにも大きすぎる。
「もし交戦になったら、こちらからはどれくらいの戦力が出せるんだ?」
クロが、オルターに尋ねる。
「そもそも、我が国は竜の力のおかげで他国はほぼ攻めてこない。加えてこの特殊な海域では、そもそもあんなのが攻めてくることを想定していない。だから、この港にある物で太刀打ちは無理だろう」
オルターの切羽詰まった様子に、クロもどうしようかと思い悩む。
ここを襲撃されれば、オルターの研究内容も失われる可能性がある。
できることなら撃退して被害を抑えたいところだ。
だが、クロの一存で決めるわけにはいかない。
フローレス家であるオルターの決定に従うべきだろう。
方針がまとまらないところに、ウィンが戻ってきた。
「オルター様。近づいて意思疎通しようとしたところ、攻撃されました。おそらく海賊です。港の周りに限定して嵐を起こします。これで少しは足止めできるかもしれません」
「頼んだ、ウィン。その間に急いで方針を決めなければ。一応、遣いを出したから2日後には援軍がくるだろう。平民の避難は済ませているが、ここにはフローレス家派閥の研究設備がある。このまま襲撃を受ければ、かなりの被害を受けてしまう」
逃げるか、応戦するか。
オルターは考えた末、腹を決めた。
「私はここに残ろう。いざとなれば逃げるが、フローレス家として最低限のことはしておきたい。二人は、逃げてくれても構わないが……」
オルターは二人の顔を見て、口を閉じる。
クロとウィンの表情から、一緒に残る気でいることを悟ったのである。
「いいのか? 危険が伴うぞ?」
気遣うオルターだが、二人の返事は決まっていた。
「正義のためにも友人のためにも、黙って逃げるなんてできない」
「まあ、クロがこう言うのは予想ができましたから。いざという時は、私が二人を引きずってでも連れて逃げます」
オルターとしては二人にも逃げてほしかったが、どうやら逃げる気はさらさら無いようだ。
この様子だとどう言っても聞かないだろうと、オルターは苦笑する。
三人は一度、作戦を考えるために別荘に戻ることにした。
窓が揺れて激しく雨が打ち付ける部屋で、ウィンは水平線を窓から眺める。
「あの船、動いてませんね。嵐に躊躇しているようです。ただ、長引けば向こうが不利なので、いつか痺れを切らすはずです」
「先にこちらから仕掛けられないだろうか。船が停泊している場所は、私の研究で『勇者の遺物』があるとした範囲の近くだ。あそこまでは、船で何回も行っている。海流もある程度は把握できている」
オルターは、どうやら先制攻撃を仕掛けたいようだ。
「危険すぎます。近づいたところを迎撃されるのは、オルター様も承知しているはず」
「ああ、だが、夜ならどうだ。もうすぐ日も落ちる。さすがに向こうも嵐の夜に攻めてくるとは思うまい。次に動くとすれば、明日の明るい時間帯。それまでに不意をつければ……」
その提案に、暗い顔をするウィン。
「攻撃手段がありません。保有魔力の多い私であっても、あの船は厳しいでしょう。風で動かすにはあまりにも重すぎます。たとえ一点に攻撃を集中させても、あの鉄の装甲には大した損傷にならないと思います」
オルターとウィンが話し合っている中、クロは座って窓から見える海を眺めていた。
夜であれば、クロの影の力を存分に発揮することができる。
しかし、影の力を駆使しても、あの巨大船に忍び込むのが精々だ。
ワーグの睡眠薬も手持ちが少ない。
中にいるだろう人数分に比べても、圧倒的に足りていないだろう。
逃走や少人数の制圧は経験していても、大人数の無力化という経験がクロにはない。
だからといって諦める気もクロには無かった。
(こういうとき、原作の『ブラックムーン』ならどうするか)
クロは、自身の目指す義賊の姿を思い浮かべる。
きっと、奇想天外な方法を思いついて、華麗に乗り切ってしまうにちがいない。
困ったら新しい力に目覚めるのが、クロの憧れる義賊『ブラックムーン』なのだ。
ならば、今まで経験が無いからといって、できないと決め付ける必要などない。
(相手全員を制圧できるいい考えが思い浮かべば……)
船を影に沈めるというのはどうだろうと考えたが、すぐにクロは思い直した。
月明かりが出ているし、船自体の明かりもある。影に沈めるには下に影が無ければいけない。
船の下の影……海の底?
クロは窓に駆け寄って海を眺める。
「クロ、何か思いついたのですか」
ウィンの問いに、クロは頷いた。
「もしかしたら、船をなんとかできるかもしれない。ただ、とんでもない魔力が必要になるから、魔力切れになったとしても足りないかも」
考えてはみたものの、正直成功するかは賭けである。
「ふむ、魔力があればよいのだな。それならウィンとの合体魔法がよいだろう。魔法の構築をクロが担い、一方で魔力の供給をウィンが担う」
オルターの言葉に、ウィンが首を傾げる。
「そのような複雑なことができるでしょうか。合体魔法は心を通じ合わせることが必須。さらに属性も異なれば、難易度も跳ね上がります。加えて狙った役割を分担するなんて……」
ウィンの不安げな顔に、クロは肩を落とした。
さすがに無理があったか。
「それなら、『不可視の心臓』で、私が二人の集中力を向上させよう。他人に使うのは大変だが、できないこともない」
がっかりしていたクロは、オルターの言葉に顔を明るくした。
少し希望が見えてきたかもしれない。
「それで、一体どんなものなんですか。クロが思いついた作戦というのは」
ウィンに促されてクロは作戦の全容を語る。
作戦を聞き終えた二人の反応は、あまり芳しく無かった。
「それは……可能なのか? いや、ウィンがいれば理論上は可能だろうが、考えたことも無さ過ぎて想像がつかん」
オルターの予測では、一応は可能らしい。
「この3人で可能な不意打ちとしては、最大の成果を見込めますが……。いえ、疑っているわけではないのですが。クロの魔法の感覚がよく分からないので、実感が湧かないですね」
ウィンの返事は、半信半疑といったものである。
「あの、やっぱりやめとく?」
クロがおずおずと提案を、取り消そうとする。
しかし、二人は最終的にその案を採用することにした。
結局、それ以上のアイデアは出てこないと判断したからである。
「一般的ではないクロの魔法なら、可能性があるかもしれない。もし無理そうでも撤退すれば問題ない。最悪の場合は、バーン王子が解決する。そこまで気負う必要もない」
オルターの言葉に、ウィンも頷いて肯定する。
どうやらこの作戦に乗り気になってくれたようだ。
その後、オルターは作戦の流れを手早く組み立てていった。
「間もなく夜になる。バレないように船に近づいたら作戦開始だ。離脱のためにも、ウィンは最低限の魔力は温存しておいてほしい」
作戦がまとまり、いざ決行のときである。
久しぶりの大仕事に、クロは緊張しながらも気合を入れるのだった。




