浅慮の代償
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焼け焦げた大地を見渡しながら、バーンは所々に飛び火した炎を手の内に集めて鎮火さていく。
炎を制御することも炎属性魔法は可能とする。
普段から竜の炎を扱っているバーンにとって、ただの火を操作することは稚戯にも等しかった。
この退屈な作業に比べたら、敵を傷つけずに制圧することの方がよほど難しい。
バーンは地面に寝かせてあるウィンの方を一瞥しながら、先ほどの戦いを思い返す。
竜の力を持つ自分が押されるということはさすがに無かったが、ここまで骨がある敵だとは思ってもみなかった。
まるで嵐そのものを相手にしているかと錯覚して、手加減を忘れそうになるぐらいである。
かつて祖父が敵国の軍を撃退したときですら、そこまでの苦戦しなかったと聞いている。
竜の力で薙ぎ払うだけで、敵軍の戦意は喪失したという。
バーンが歴代の王族の力と比べて遜色がないということは、ウィンが見せた力は一国の軍の戦力以上ということになる。
(さて、正気を失っているといっていたか。地下で何があった?)
風に舞う黒っぽい何かは、ウィンが魔力切れになるのと同時に消えている。
つまり、魔法によって生み出されていたということである。
だが、あれは明らかに風属性の魔法の産物ではない。
バーンはその未知の力の感覚に覚えがあった。
いつか見たクロの使う影の力。
かつてバーンを手こずらせた『ブラックムーン』と対峙していたときの感覚と酷似している。
おそらく、ウィンの暴走にはクロが関係しているとみてよいだろう。
考え事をしていたバーンは、ウィンが起きたことに気づきで思考を中断させた。
「あれ、私……。ここは……?」
「目が覚めたか」
ウィンはこちらに目線を向けるが、まだ意識がはっきりとしていないようだ。
「ウィン・グリーム。先ほどまでの事を覚えているか?」
バーンの問いかけに、ウィンは首をかしげる。
どうやら、正気を失っていたときのことは覚えていないようだ。
「ふむ、覚えていないか。なら説明は後回しだ。今はクロを助けに行かねばな」
クロの名前を聞いてようやく目的を思い出したのか、ふらつきながらも立ち上がる。
「あの……あなたは?」
「バーン、王族だ。魔力切れのようだが、動けるのか?」
ウィンは現実に理解が追い付いていないようだったが、王族というのを聞いて次第に青ざめる。
「あの……、もしかして私、何か粗相を?」
粗相どころの話ではないが、面倒くさくなったバーンはウィンを担ぎあげた。
「え、あの、ちょ……」
困惑するウィンを余所に、ズカズカと穴の淵へと歩くバーン。
「説明は後回しと言っただろう。舌を噛むから口を閉じていろ」
そう言ってバーンは、そのまま穴の中を壁を蹴りながら降りていった。
あっという間に穴の底についた二人は、クロを見守っていたレインと合流する。
「クロを救出できたようだな。それで、テファニーとやらは逃がしたのか?」
無事にクロを見つけ出したレインに、バーンは疑問を投げかける。
「彼女からは激しい抵抗にあいましたので、やむを得ず始末しました」
「そうか。ご苦労だった」
最低限のやり取りを交わすレインとバーン。
「ウィンのことをありがとうございます、バーン王子。そして此度の件、フローレス家として改めてここに謝罪します」
バーン王子に改めて向き直ったレインは、跪いて頭を下げる。
王族へ手を出すというのは、本来は許される行為ではない。
正気を失っていたとはいえ、ウィンはその場で処刑されても文句はいえないのである。
ましてやその処刑を止めるために口を出すことは、手を出すこととほぼ同罪である。
レインが王子であるバーンに手加減をするように願ったのは、フローレス家の立場を危うくするものであった。
「それについては不問でいい。それよりも、あの暴走にクロが何かしら関係している可能性がある。そのことについての調査をフローレス家に依頼できるか?」
「承知しました。ですが、ウィンについて本当によろしいのですか? 拘束して引き渡すこともできますが」
ウィンを王宮に引き渡すぐらいのことを覚悟していたレインは、バーン王子の返答に少し拍子抜けする。
歴代の王族と比較して話が通じるとはいえ、ウィンを処刑しないにしても枷すら付けないとは。
バーン王子は本当に王族の中でも変わり者のようだ。
「俺以外は誰も巻き込まれていないしな。それに今そのようなことをするのは、無粋というものだ」
そういうバーンの視線の先には、壁にもたれかかって眠りこけるクロを無言で抱きしめるウィンの姿があった。
「……ん……。……あ、ウィン。来てたんだ。……って苦しいんだけど」
自分を包み込む手の感触で起きたクロは、眠そうに目を擦りながらウィンの名を呼んだ。
久しぶりに聞いた友達の声に、ウィンは肩を震わせる。
存在を確かめるようにしばらくクロを抱きしめ続けたあと、改めてウィンはクロの顔を見た。
「……クロ。私、怒ってるんです。勝手に遠ざけた上に、正体がバレて逃げたこと」
クロはバツが悪そう顔を逸らした。
「あれは、その……、拒絶されるのが怖くなっちゃって……。おかしな話だよね、こっちから先に拒絶したのに」
クロは俯きながらウィンに対してぎこちなくも言葉を紡ぐ。
どれだけ残酷な言葉を言われようと、あの夜クロは逃げてはいけなかったのだ。
今度こそ逃げずに向き合う。
そう自分に言い聞かせながら、クロは不慣れながらも初めて弱音を人に晒した。
クロの言葉に真剣に耳を傾けるウィン。
「拒絶したのが私のためというのは理解しています。でも友達から逃げるのはダメです。だって会わないと、怒ることだって赦すことだってできないじゃないですか」
二人の会話が途切れる。
ウィンはクロの言葉を待っているのだ。
クロはそれに応えなければいけない。
「ごめんなさい!!」
俯いた顔を上げてウィンを見ながら、クロは謝った。
生まれてはじめて誰かに赦しを求めるクロは、うまく謝れているのだろうかと不安と恐怖に駆られる。
「はい、いいですよ。赦します」
ウィンは笑顔でクロを再び抱きしめた。
クロの目から涙がこぼれる。
初めてできた友達を失うのがずっと怖かったのだと、クロは今更に気づいた。
強がっていた心が決壊し、訳も分からず声を殺してウィンの胸の中で泣き続ける。
いつしか泣きつかれたクロは、ウィンの胸の中で眠っていた。
「そろそろ帰りましょうか。オルター兄様やワーグ様も心配してるでしょうし」
落ち着いた二人のもとにやってきたレインが声をかける。
魔力切れで弱っているウィンに代わりクロを背負おうとしたレインだったが、バーンが間に入ってクロを持ち上げた。
「バーン王子、そこまでしていただかなくて大丈夫です。私でも十分運べますから」
「いや、大丈夫だ。このくらいなら、負担にすらならない」
遠慮がちのレインに対して、バーンはやや強引にクロの運搬を請け負う。
話を切って背を向けられる直前、バーン王子のクロに対する優しい眼差しをレインは見逃さなかった。
(なるほど、そういうことでしたか)
レインはバーン王子の意中の相手を察して、ようやく全てが腑に落ちた。
なぜ、バーンが王族でありながらこうもこちらに譲歩するのか。
その理由は単純である。
かの義賊は竜の心までも盗んでしまったのだ。
クロに関することには、寛容になると考えると全ての辻褄があう。
今は無自覚のようだが、バーンが好意を自覚したらきっと歯止めも効かないだろう。
竜に執着されるクロの未来に同情しながら、レインはウィンに肩を貸して後を追うのだった。
──────────
「こんなの認められません!」
リア・グラントは声を震わせて抗議する。
相手はグラント家の現当主であるニーモ・グラント。
リア・グラントの実の父親である。
「お前に任せたのが間違いだった。貧民街の崩落をはじめとする様々な悪事がグラント家派閥によって起こされたものなら、その責任をお前は取らなければならない」
現在の貧民街は至るところで崩落が起きており、被害は日に日に大きくなっている。
いくら貴族といえど、ここまでのことをしてしまえば罪の糾弾からは逃れられない。
さらには、今回のことをきっかけにグラント家派閥の悪事が明るみに出始めている。
フローレス家はどのような手段でか数々の悪事の証拠を入手しており、先日王宮に提出したのだ。
『紋章』のために権威を強めるべく動いていたグラント家派閥だったが、こうなれば婚約者候補どころの話ではない。
今まで積み上げてきた貴族としての繋がりや地位の全てが崩れかねない。
まさに崖っぷちのグラント家が最終的に選択したのは、娘に全ての責任を負わせることだった。
「そもそも、フォレス家の娘がしたことだって、事前に伝えられた計画においては詳細は伏せられていました! 貧民街が崩落するなど知っていれば、加担などしなかったですわ!」
泣きながら訴える娘を、ニーモは少し憐れんだ。
リアが言うことは本当なのだろう。
もともと悪知恵が得意ではないのは、親としても知っている。
ただ考えが甘かっただけ。
しかし、それが貴族にとっては致命的であった。
「だが、結果としてお前は加担した。その程度ではどのみち貴族としてやっていくことなどできん」
「ですが、追放などあんまりです。今更この身一つで生きていくことなどできるはずが……」
ついにリアは泣き出してしまった。
そう、ニーモはリアをグラント家から正式に勘当しようとしているのである。
家の権威にかまけていたリアは、魔法は使えるが一切磨くことなく育った。
その権威が無くなれば、少しばかり魔法が使えるだけの小娘である。
泣きつくリアだったが、ニーモがリアを見る目はすでに親としてのものではなかった。
「餞別として少しばかりのお金は与える。当面の生活は保つだろう。この時を持って、お前をグラント家から追放する。今後、二度とここに立ち入ることは許されない。立ち去れ」
そう告げるが、リアは力無く泣き崩れるばかりで動かない。
最後くらい自分の足で出ていくという体裁を与えたかったニーモだったが、最終的には夜が明けても居座る娘を部下に命じてつまみ出した。
ようやく落ち着いたニーモは、深く椅子に腰をかける。
今までグラント家は情勢を俯瞰することで、強者に取り入って発展してきた。
強者を嗅ぎ分ける嗅覚のような物が、備わっているといってもよい。
一方でグラント家が強者の側に立つことは、ほとんどない。
ましてや、自分自身が強者となり情勢を動かすことは稀である。
だが、娘のリアは王妃という高みを目指してしまった。
最初に止めるべきだったと少し後悔するが、それを振り払うように思考を切り替える。
たとえ首謀者を追放しても、グラント家は苦境に立たされていることには変わりない。
どこかの派閥に取り入らなければ、どのみち先は長くないだろう。
(フローレス家がこちらの責任を追及してきた以上、残された選択肢はヴァレッド家しかない)
ニーモはこれからの方針を固めて、使用人にヴァレッド家へ遣いを出すように命じるのだった。
──────────
クロを救出してからのフローレス家の行動は早かった。
以前からクロに集めてもらっていた情報や今回の事件で、グラント家の派閥を着実に追い詰めていったのである。
部外者の出入りや屋敷を留守にすることが増えたので、フローレス家の屋敷では弱ったクロを匿うのは難しいとレインは判断した。
その結果、クロは現在ワーグの屋敷で匿われながら療養している。
「ふむ、弱っていた頃に比べたら体はかなり回復している。もうそろそろ軽い運動でもしてもいいかもしれない」
そう言うオルターは、クロの体を循環する水の流れに意識を向ける。
まるで巷で聞く医者のようなオルターの手腕にクロは感心した。
水属性魔法の使い手は、人間の体の異常にも詳しいらしい。
ましてや水属性魔法の最高峰であるオルターが言うなら、体の方は大丈夫なのだろう。
クロは、ほっと胸をなでおろした。
義賊『ブラックムーン』への復帰は、そう遠くは無さそうだ。
「では、今後は師匠と私とで、町を散歩しましょう! ずっと部屋にこもっていては、元気がなくなってしまいますわ」
『スカーレットムーン』ことルージュが、クロに明るく言葉をかける。
何食わぬ顔でワーグの屋敷にいるルージュにも慣れたものである。
皆に受け入れられることにそう時間がかからなかったのは、彼女の天真爛漫さのおかげだろう。
「いえ、ダメです。完全に回復するまでは、正体がバレていないといえども人前を歩くのは危険すぎます」
隣にいる『スカーレットムーン』の提案に、ウィンが待ったをかけた。
あれからウィンは、付きっきりで弱ったクロの世話をしてくれている。
ちょっと過保護な気もしたが、クロが遠慮しようとすると悲しげな表情をするので半ば諦めて世話をされていた。
そんな心配性のウィンと前向きなルージュの意見が分かれるのも、仕方のないことである。
だが、そこで諦める『スカーレットムーン』ではない。
「ずっと部屋にこもっていたら、治るものも治らないですわ。こう見えても、裏で修行を重ねてますの。危なくなったら私が爆弾で解決すれば……」
何やら物騒な解決手段が聞こえてきた。
師匠としては、もう教えることは無いかもしれない。色んな意味で。
ルージュの自信ありげな様子にも、ウィンは頑なに譲らない。
「そんなのもっと危険です。それなら私が一緒に空を散歩します。これなら外に出ながら安全を確保できます」
空を散歩だと私の運動にならないような気がするんだが、とクロは内心ツッコミを入れる。
二人の白熱する議論に挟まれながら、クロはオルターに助けを求めた。
「二人とも、回復してきたとはいえクロはまだ弱ってるんだ。あんまり騒がないように。先程の話だが、フローレス家派閥の別荘が集まっている療養地に行くのはどうだろう。僻地だから結構離れているけど、海に面しているからきっと気にいるはずだ」
それを聞いた『スカーレットムーン』は目を輝かせた。
「海! ぜひ行きたいですわ! あ、ごめんなさい、私ったらまた騒がしく……」
少し大人しくなった『スカーレットムーン』にクロは口を開く。
「えっと、色々大丈夫なの? 正体とか家を留守にすることとか」
『スカーレットムーン』の正体は、ルージュ・ヴァレッドその人である。
ヴァレッド家は、本来フローレス家派閥と対立している。
フローレス家派閥の別荘が集まっているということは、敵派閥の陣地に単独で来るということになる。
また、『スカーレットムーン』の活動はクロ以外には誰にも話しておらず、ヴァレッド家にも秘密にしていると聞いている。
義賊活動で頻繁に家を留守にしているのに、その上で何日も家から離れるのはさすがに怪しまれそうである。
「大丈夫ですわ。親とはお互いあまり干渉しない関係ですの。ビーチが私を呼んでいますわ~! 早速準備に取り掛からなければ!」
そう言って、一瞬でこの場を去っていった『スカーレットムーン』ことルージュ。
まだ行くとも決まっていないのに気が早いものだ。
「んー、主に研究目的で確保している海で、ビーチってほどの物はないんだが。本人に言いそびれたな。ウィンはどうだ?」
オルターがウィンに尋ねた。
なんか声が上擦っている気がする。
もしかして私を口実にウィンと旅行に行ってみたいだけなのではないかと、クロは怪しんだ。
「クロが行くなら、私もついていきます」
ウィンはこちらに合わせてくれるらしい。
残念ながら、オルターの心はウィンには届いていないようだ。
(まあ、鈍感なウィンの心を射止めたいなら頑張ることだ)
オルターを応援しながら、クロはどうしようかと思案する。
クロは海を見たことは無かったが、その存在は知っていた。
原作『ブラックムーン』でも、主人公たちが仲間とともに水着とやらになって海の砂浜ではしゃいでいたはずだ。
一つ前の話で辛い過去に苦しんでいた登場人物の一人の女の子も、海に来た途端に水着で主人公にデレデレとイチャつくぐらいには元気になっていた。
きっと海には、人を元気にするような謎の力があるに違いない。
少し気になるから行ってみてもいいかもしれない。
それに、オルターの様子から見てウィンと行きたがっていることはなんとなく察した。
診察の恩返しも兼ねて、イチャつくための段取りを整えるのに協力してやろう。
「行ってみようかな、海」
生まれて初めての海に少しウキウキしながら、クロは返事した。
次回、海。
なお、ワーグさんの小説に出てくる水着回のようにはならない模様。




