暴風域
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物陰に潜みながらウィンは、周囲の様子を伺う。
こちらのは目もくれずに、テファニーは檻へと向かっていった。
どうやら気取られてはいないようだ。
テファニーが現れたということは、ここにクロが囚われているということである。
では、やはりあの檻は……。
「クロ。いい子にしてましたか?」
テファニーの言葉に反応して、檻の中の人影が体を起こす。
檻の中にいるクロの風貌は様変わりしていた。
短く切られた髪にやつれた顔は、ウィンの知っているクロとは似ても似つかない。
生気の欠けた目はまるで死人のようであったが、呼ばれた名前から辛うじてクロであることがウィンには理解できた。
変わり果てたクロの姿に、ウィンは絶句する。
「あら、もしかして寝転んでたのですか。私が来るときは必ず跪いて待機しないといけませんでしたよね」
そういってテファニーが檻の上に手を置くと、檻の中に棘が突き出してクロの肌を貫いた。
最初は声を上げないように呻いていたクロだが、ついに耐えきれずに悲鳴をあげる。
「誰が叫んでいいといいました? あなたは、何をするにも私の許可が必要なのですよ」
そういってテファニーが檻に込める魔力を強めて棘を食い込ませると、クロの悲鳴はもはや人間のものとは思えない絶叫へと変わった。
ウィンは耳を塞ぎたくなるが、周囲の状況へ気を配り続ける。
風の流れからこの部屋周辺には、テファニー一人しかいないようだ。
助け出すための隙を伺うか、それとも強引に突破するかウィンは判断しなければいけない。
「聞くに堪えませんね。前みたいに口を縫い合わせてあげましょうか? そうしたらきっと悲鳴も我慢でき──」
「『嵐の槌』」
最終的にウィンは強引な手段を選んだ。
圧縮された空気の塊がテファニーを吹っ飛ばし、倉庫に土煙があがる。
不意打ちは成功したようだ。
地下とはいえ成長したウィンの力を持ってすれば、魔法の威力も十分である。
風で土煙を吹き飛ばして、倒れたテファニーを確認しに近づく。
今に一撃を生身でまともに受ければ、重症を負っているはずだ。
「『石の槍』」
ウィンは咄嗟に立っていた位置から飛びのいた。
飛びのいた場所には鋭い石が地面から飛び出した。
もし避けていなければ、足を貫かれていたことだろう。
どうやら倒れていたのは演技だったらしい。
「誰かと思えばウィンでしたか。今のは痛かったですよ。服の下の鎧がなければ、死んでいたかも」
そういって立ち上がったテファニーは服をめくって、金属でできた鎧を見せた。
高度な地属性魔法によって作られたのか、服の下に来ていても違和感がないほどの薄さの鎧でありながら、ウィンの攻撃を防げるだけの防御力を兼ね備えているようだ。
「グラント家から与えられた鎧です。火や水なら頭を狙えたかもしれませんが、風では遠距離からの精密な攻撃は難しいようですね。残念でしたね。他にも色々貰っているのですよ?」
治療用の魔法薬を取り出しながら饒舌に語るテファニーとは対称的に、ウィンは静かに思考を巡らせる。
クロは棘が刺さったまま、檻の中で気を失って項垂れている。
檻からクロを解放するのは、短時間では難しいだろう。
仮に解放できたとしても、地属性魔法に有利な地下空間でクロを庇いながら逃げるとなると分が悪い。
テファニーは増援を呼ぶ気配はない。どうやらこの場には一人で来ているらしい。
ならば、いっそのことテファニーを戦闘不能にしてから、安全にレインと合流するのがよいかもしれない。
レインなら薬も持っているため、ひとまず治療はできるはずだ。
「四方が土で囲まれたこの場所で、私に挑んだことを後悔させてあげましょう。『土の巨人』」
テファニーが魔法を唱えると、地面から土でできた巨人が現れる。
周囲から大量の土を巻き込んだからか、かつて『ブラックムーン』に背負われながら見たものよりもはるかに大きい。
ウィンの10倍はあろうかという大きさの巨人の肩の上から、テファニーはこちらを見下ろす。
「『風乗り』……『風の刃』」
ウィンは空中を飛び回りながら、テファニーに向けて魔法を放つが巨人の腕や鎧に弾かれてしまう。
広いといえども空気が循環しない地下空間においては、ウィンの生み出す風は巨人相手では有効打になりえないようだ。
振るわれる大きな土の腕を回避しながら、テファニーは巨人よりも高い位置で制止する。
すかさずテファニーがそこに攻撃魔法を放ち、天井から落ちてくる岩の塊のせいでウィンはすぐさま移動を強いられた。
『土の巨人』という魔法はすでに成立しているため、テファニーは魔力を流すだけで操作できる。
ウィンは巨人とテファニーの両方からの攻撃を意識しなければなかった。
「空をそこまで自由に飛び回れるなんて、やはりお父様の見込みは正しかったようですね。私が手に入れていれば、『紋章』も浮かんでいたことでしょうに。惜しいですね」
テファニーは余裕の表情でウィンの魔法を受けきりながら、ウィンの神経を逆撫でするように口を開く。
「あなたの思い通りにはならないし、させるつもりもない」
ウィンは痺れを切らして、テファニーに急接近するために巨人の懐へと飛び込んだ。
巨人の腕が上下から迫るのを、ウィンは最小限の移動と体の動きで避ける。
テファニーは鎧を信頼しているのか相変わらず、余裕の笑みである。
「接近したところで私が有利なことに変わりありませんよ。『土の槌』」
至近距離から振るわれる巨大な土の塊を、ウィンは真正面から受け止めた。
ウィンの『風乗り』は自分の体だけでなく物体にも作用可能である。
押し返すことはできなくとも、留めるぐらいならばできる。
攻撃を搔い潜ってウィンはようやくテファニーの間近にまで迫った。
久しく近距離で拝んだテファニーの顔を見て、ウィンは自分が復讐心を抱かないことを意外に思った。
ウィンの中には虐げられた過去という復讐の動機が確かに存在している。
しかし、今のウィンにあるのはそれだけではない。
過去への執着を忘れさせるだけの幸福を、ワーグやフローレス家、『ブラックムーン』といった大切な人から与えられていたのだ。
復讐心に身を任せるのではなく、ひたすら冷静に目の前にいる敵の首を見据える。
「『風の刃』」
ウィンに殺意はあるが、その殺意に呑まれてはいなかった。
強い気持ちは魔法を強めるが、感情は時として魔法の使い手の視野を狭くする。
フローレス家でそれを学んだからこそ、ウィンの目は曇らない。
(この攻撃は通らない。となれば反撃がくる)
そう判断したウィンは、深追いせずにすぐさま距離を置く。
巨人が手を伸ばす頃には、すでにウィンはそこにはいなかった。
──────────
こちらの魔法を凌ぎ続けるウィンを見て、テファニーは内心面倒くさいと感じていた。
巨人の肩の上にいれば、大丈夫だと油断していた。
「『土の盾』」
至近距離から放ったウィンの『風の刃』による斬撃を、テファニーは土で作った使い捨ての盾で防ぐ。
テファニーは思わず冷や汗をかいた。
すぐさま反撃しようとしても、距離を取られてなかなか決着がつかない。
再び接近しようとするウィンだったが、巨人の手で付きまとう虫を払うかのようにテファニーはウィンを遠ざけた。
「そんなに怖い顔しないでくださいよ。あなたの時は優しくしてあげたでしょう? 今回みたいに治療の薬をふんだんに使えない当時は、肉体への苦痛も鞭打ちぐらいだったじゃないですか」
こちらに対して鋭い目を向けるウィンに、テファニーは語りかける。
もちろんこれは本心ではない。
当時も今もテファニーは、ウィンを玩具としてしか考えていなかった。
優しくしてあげようなどと思ったことは一度もない。
こんなものはただの挑発である。
しかし、期待外れなことに、ウィンがそれで調子を崩すということは無いようだった。
(これだから泥臭い戦いは嫌いなのです。支配こそ貴族の本懐。自ら正面切って戦うなんて面倒極まりない)
ウィンの力は想定以上だ。
テファニーが一手間違えれば、このまま押し負けかねない。
また、どうやってこの場所にたどり着いたかは知らないが、単独で来たとは考えにくい。
グラント家の利益を考えるなら、クロを始末して撤退するのも一つの手である。
だが、テファニーは元よりグラント家のために動いたことは一度もなかった。
テファニーの目的は、『ブラックムーン』を完全に飼いならして裏から未来の王妃を支配することである。
リア・グラントが『ブラックムーン』の力で婚約者になれば、リアは『ブラックムーン』の手綱を握る人間に逆らうことはできない。
そのためには、テファニーの命令のみを聞くようにクロを教育する必要があった。
貧民街地下の穴掘りなど『ブラックムーン』への復讐の準備に時間も労力も費やしていたフォレス家にとって、『ブラックムーン』が『紋章』を宿したという知らせは吉報だった。
問題は子供のウィンを洗脳するのとは違い、『ブラックムーン』を従順に教育するにはやり方を考えなければいけない。
最終的には過不足なくその力をフォレス家のために発揮してもらうには、肉体的な枷ではなく精神的な枷を付ける必要がある。
そのために必要なのは、魔力封印の首輪なしでも従順になれるように苦痛をもってして躾をすることであった。
なるべく睡眠をとらせないようにするために、四六時中クロの檻を監視して苦痛を与える。
外国から取り寄せた、精神だけを壊す魔法薬だって与えた。
成長し発達した精神を飼いならすため、テファニーはそうして懇切丁寧にクロの心を潰していったのだ。
ここで手放して、それらの苦労を水の泡にするという選択肢は考えられない。
さらには、あわよくば過去になくしたはずの玩具まで取り戻せるかもしれない。
そんな絶好の機会を諦めるつもりなどテファニーには毛頭なかった。
ここまでウィンの優れた戦闘力を目の前にして、まだ勝機を見いだしているのには理由がある。
クロの存在がある限り、向こうが不利なことには変わりがない。
クロが檻の中にいる以上、ウィンはクロを連れてすぐさま逃げるということはできない。
テファニーは巨人を操作して、クロの檻に向かっていく。
無論黙ってみているウィンではない。
人質を取るつもりなのは、目に見えている。
だから向かって来ざるをえない。止めに入らざるをえない。
苛烈な風属性魔法の攻撃により巨人が足止めされる。
「かかりましたね」
その隙にテファニーは地面に降りて、地下空間に流れている魔力を掌握した。
テファニーは想定通りの展開にほくそ笑みながら、広い地下空間を維持している魔法の一部を解除する。
この地下空間を大勢の貴族によって作り上げたときにテファニーも加わっていたので、掌握するのは造作もないことであった。
崩落が始まる前にテファニーは巨人を自分の上に覆い被らせ、そのまま土で自分の周りを固める。
これで耐えきれるかは、正直賭けである。
さすがに完全に埋まってしまえば、地属性魔法の使い手とて危険である。
だが、テファニーは賭けに出ることができる程度には魔法に自信があった。
憎き『ブラックムーン』への復讐という目的意識によって、テファニーの魔法は父をも超えていた。
地響きの中でテファニーは必死に巨人の体を維持する。
完全に魔法を解除したわけではないので、崩落はしばらくすれば止まる。
崩落したあとに、生き埋めになったウィンとクロの檻を回収すれば、テファニーの勝ちだ。
この地中深くの崩落となると、上から降る土や石の重量にはさすがウィンも耐えられまい。
地響きが鳴り止み、テファニーは地面に魔法で穴をあけて崩落した地下空間に戻った。
檻は完全に埋まっているが、空中に浮かぶ人影を見てテファニーは驚く。
なんとウィンがボロボロになりながらも、生き埋めを回避していたのである。
どこまでもテファニーの予想を上回ってくるウィンに目が釘付けになる。
「まだ飛んでいられるとは……」
テファニーは目の前のものを欲しいと思った。
莫大な魔力、卓越した魔法、折れない意思。
その全てを支配できたらどんなによいか。
特にその往生際の悪い意思を、折って溶かして奴隷の型に流し込む快感は想像を絶するだろう。
テファニーは欲望のままに魔力を練る。
感情が魔力に追従する心地よい感覚とともに、魔法が強化されていく。
「『土の巨人』……いえ『苦痛の巨人』といったところですか」
崩落したばかりの岩が混ざった土が蠢く。
それはやがて大きな人の形となるが、先ほどのものとは異なる点があった。
さらに一回り大きくなった巨人の胸元には、クロの入った檻が埋め込まれていた。
巨人がテファニーの意思に呼応して、ウィンに手を伸ばす。
それと同時に巨人の胸から苦悶の声が響いた。
「……っ! 何をっ……!」
逃げ回るウィンに、テファニーが恍惚とした表情で語る。
「あなたの示した価値が私の魔法を進化させたようですよ、ウィン。見てください。この巨人に魔力が流れる度に、あなたの大事なお友達に鉄の棘が食い込んでいく。あなたのためだけの私の魔法です」
満身創痍の体でウィンは巨人の攻撃を避け続けた。
ウィンが逃げ回る度に、巨人の胸でクロが苦しむ声が耳に入ってくる。
そうして顔を歪めるウィンを、テファニーは恍惚とした表情で追い立てた。
逃げるのがやっとのウィンだったが、冷静さを欠いた動きによってついに巨人の手が掠ってしまう。
「『嵐の……っ!?」
バランスを崩しながらも反撃しようとしたウィンだったが、あえなく巨人の腕に掴まれた。
「捕まえた」
テファニーが拳を振り下ろす動作をするのと同時に、ウィンを握る巨人の手が地面へと叩きつけられる。
「……つ……あっ……ぐ……」
ウィンの体中の骨が軋んで、思わず声が出る。
「これでやっと魔力封じの首輪を付けられます。仲良く檻の中に入れて運んでさしあげますね」
テファニーが笑顔でウィンへと近づく。
激痛に喘ぎながらもこちらを睨むウィンに、テファニーは勝利を確信した。
──────────
笑顔でこちらに歩み寄ってくる女を見ながら、まだウィンは悪あがきを続けていた。
崩落時の地響きによってレインも異常を察知しているだろうが、通路が塞がっているため救けは期待できないだろう。
今頼れるのは自分の力だけなのだ。
ウィンはなんとか魔力を練ろうとするが、体を締め付けられる激痛によりうまくできない。
おそらく骨も折れていそうだ。
(私は無力のままなのですか。大切な人を守ることもかなわないのですか)
テファニーの後ろのクロが檻に目をやった。
(ごめんなさい、クロ。助けられない……)
心の中で謝るウィンは檻の中のクロと目があった。
衰弱したクロの瞳はとても虚ろだったが、その黒い瞳の奥にウィンは何かを感じ取る。
瞬間、ウィンの背筋が凍り付いた。
黒く淀んだ奥に揺らめく何かから目を離したくても離れない。
金縛りにあったかのように体は硬直し、周囲の時間が緩やかになったような感覚の中でウィンは声を耳にした。
「……力を求めるか? 己の無力を呪う者よ」
その正体も分からない声にウィンは縋るしかなかった。
私には力が必要だ。
友を助けるための、敵を倒すための力が。
「ならば、思い出せ。苦しみを、怒りを、憎悪を」
フォレス家に監禁されていた頃の記憶が走馬灯のようにウィンの頭に浮かぶ。
思い出したくもない、私の人生に必要ないと切り捨てた欠片たち。
ご飯を与えられず空腹で眠れなかった夜。
鞭による折檻で泣き叫んでからからになった喉。
亡き父と母を自分を責める口実にした後悔。
それらの記憶が鮮明に浮かんでは焼き付いていく。
心の中が仄かな熱を帯びて、瞬く間にそれは燃え広がった。
目の前のテファニーという人間への負の感情で、何もかも塗りつぶされる。
この女を生かしておくことが我慢ならない。
殺意によって溢れんばかりの魔力が形となり、どす黒い旋風を巻き起こす。
ウィンは最後に残った意識を手放して、闇に身を任せる。
吹き荒れる暴風が、全てを飲み込んだ。
暴風域というタイトルはウィンの地雷という意味も含めています。




