救出作戦
最初の方に少し嘔吐の描写があるので苦手な人は注意してください。
クロを捕まえた一行は、貧民街の地下に作られた道を進んでいた。
魔力封じの首輪に加え手枷や足枷をつけられいるクロは、着いていくだけでも一苦労である。
周りは貴族が目を光らせており、とてもじゃないが抜け出せそうにない。
地下をある程度進む度に来た道を崩落させて消しているため、追跡はあまり期待できそうにない。
「一体どこに連れていかれるのか、気になりますか?」
テファニーが肩を落とすクロの顔を覗きこむ。
その顔はこちらの恐怖を期待するような嗜虐心をうかがわせた。
「さてね。それよりも今はさっき飲み込んだ土の塊が腹で悪さをしていてそれどころじゃないんだ。話しかけないでもらえないか」
土を飲み込んだのはさすがにまずかったのか、クロのお腹はさっきからぎゅるぎゅると音を立てていた。
幼いころの貧民街で食事に困窮して腐った物を食べたことはあっても土を食べたことはなかったな、とクロは思い返す。
「あら、それは大変ですね。あなたはリナ様の所有物となるのですから、土なんて飲み込んではいけませんよ」
そういって、テファニーはクロを地面に引き倒す。
「っ……! 痛いじゃないか」
拘束されたクロはなすがままにされながらも、抗議の声を上げた。
テファニーは見下ろしながら口角を上げる。
「飼い犬が誤飲をしたのなら、吐き出させないといけません。躾も兼ねてここで吐き出させましょうか。『土の槌』」
テファニーが魔法を打ち込み、顔ほどの土の塊がクロのお腹にめり込む。
吐き気がこみ上げてせき込むのもお構いなしに、魔法は執拗に繰り返された。
思わずうつ伏せになって防ごうとするが、横から魔法を撃たれてひっくり返されてしまう。
悶えるクロの赤く滲んだ吐瀉物にようやく土が混ざって出てきた頃、ようやく魔法が止んだ。
内臓が損傷しているのか腹部に尋常ではない痛みを感じたクロは、苦痛に顔を歪める。
「やっと吐き出しましたか。ごめんなさいね、強くしすぎてしまって。ほら、治療用の魔法薬ですよ」
そういってテファニーは地面に魔法薬をぶちまけた。
素直に飲ませるという選択肢はないようだ。
少し躊躇したクロだったが、仕方なく這いつくばって魔法薬を啜る。
ここで抵抗したらもっと酷い目にあうかもしれないから、今は黙って従っておくのがよいだろう。
思わず吐きそうになりながらも魔法薬をなんとか飲み込んだクロは、お腹の痛みが少しマシになるのを感じた。
「汚らわしい。貧民街の犬には品性というものが備わってないのかしら」
テファニーは相変わらず、意地悪い笑みを浮かべてこちらを見ている。
周りの仲間と思わしき貴族も少し引いていた。
この苛烈な虐めは貴族の間でも普通ではないようだ。
どうやら徹底的にこちらの尊厳を折るつもりらしい。
連れていかれた先でもっと過酷な事を強いられるかもしれないと考えて、クロは少し震えていた。
果たして自分は耐えられるのだろうか。
恐怖に負けそうになるクロだったが、こんなことではいけないと恐怖を振り払う。
原作『ブラックムーン』ならどんな苦境であっても、活路を見いだすに違いない。
今を耐えれば、きっと逃げ出す機会はあるはずだ。
クロは折れそうな心を奮い立たせて、テファニーの侮蔑の視線に晒されながらも立ち上がる。
細い地下の道をかなりの時間歩いたクロは、ようやく終着点についた。
目の前には少し広めな地下空間が広がっており、明かりをつける魔道具によって地下とは思えないほどに明るい。
中央にある一人が屈んで入るのがやっとであるような檻に連れられたところで、周りの貴族たちは撤収していった。
用意された檻に放り込まれたクロは、テファニーにボロボロの布のようなものを投げ渡される。
それと同時に手枷と足枷が魔法で解かれた。
「ウィンの時と違って気前がいいんだな。ゲロまみれで寝るのかと心配してたんだ」
なんでもいいから情報がほしいと考えたクロはテファニーに話しかけた。
機嫌を損ねればどんな目に合うか分からないが、怖気づいていてはいつまでも牢屋の中である。
逃げる機会を探るためにも勇気を出さなければ。
「吐瀉物にまみれた服ではかわいそうですからね。道中大人しくついてきたご褒美です。しかし、言葉遣いがなってないですね。人の言葉は許可が無ければ話してはいけませんよ」
そういってテファニーが檻に手を当てると、鉄格子から鉄の棘が生えてクロに突き刺ささった。
クロが苦悶の声を零したことに満足したのか、テファニーは治療用の魔法薬を傷口へとかける。
先ほどと言い怪我を治すために魔法薬を使ったことを考えると、向こうはあくまでも精神的に追い詰めることに拘っているようだ。
「表面上は素直に見えますが、まだ心の底では助かる望みを捨てていないですよね? 無駄ですよ。ここは教育係の私しか出入りしませんし、この場所の出入りが誰かに目撃されることはありません。なので、安心して壊れてくださいね?」
牢屋のクロに対してテファニーは恍惚とした笑顔を浮かべながら語りかける。
どうやらこのテファニーという少女は、相手を支配することに喜びを見いだす性質なのだろう。
この部屋といい悪趣味にもほどがあると、内心クロは悪態をついた。
一通りこちらに言葉を投げかけて満足したのか、テファニーは地下室から出ていった。
狭い檻の中に取り残されたクロは、身を捩ってなんとか横になる。
明日からどんなことをされるかは想像もつかないが、今は少しでも休息を取らなければ耐えられるものも耐えられなくなる。
(絶対に屈したりするもんか)
少し寒くなった地下で身をさすって目をつぶる。
今後の不安に押し潰されそうになりながらも寝付けないということはなく、疲れ果てていたクロは意外にもあっさりと眠りについたのだった。
──────────
レインが兄のオルターに捜索を依頼してから15日が経過していた。
王宮にいるグラント家派閥の息のかかった者の耳に入ってしまうことも考え、今のところクロの救出に動いている話はフローレス家の信頼できる人間にのみ伝わっている。
また、貧民街は広範囲での地下の崩落が起きており、地上でも建物の陥没などの問題が起きるほどである。
道がふさがってしまっている以上、地下から追跡するのは困難であった。
これらからウィンや『スカーレットムーン』などの少人数での地道な捜索を除けば、オルター達のみが頼りであった。
ワーグの屋敷で特訓していたオルターとワーグが、共同で『ブラックムーン』の捕まっている位置の割り出しに専念している。
なんでもレインの『紋章』を利用することで、『ブラックムーン』の方角を探知する魔道具を作るのだという。
レインの『紋章』はクロの影響を大きく受けており、極端に言えばクロとの関係に何かあれば輝きにも変化が現れる。
クロが攫われたことでレインの『紋章』も少し暗くなっており、そこからクロを取り戻す未来に近づくほど以前の明るさに近づくとオルターは推測した。
ただし『紋章』の未来予知も万能ではない。
無数の未来を束にして観測しているため、ちょっとやそっとの変数では変化しないのである。
未来に大きな変化があることが確定したときのみ、その時点から『杖』は未来を再観測し『紋章』に反映させる。
クロの居場所の付近へ行けば『紋章』が反応することにも期待できるが、方角すら検討もついていない今の時点では無謀であった。
そこで二人が目をつけたのは、方角を絞ることである。
方角さえ分かれば、その方向に進みながら『紋章』の反応を見るという手段が取れる。
二人が今作っているのは、一直線に人を乗せて飛ばすものだった。
水属性魔法の使い手であるレインは空を飛ぶことはできない。
そもそも空を飛ぶのは風属性魔法であっても難しく、人が空を長距離飛ぶというのは難しい。
ウィンのように途方もない魔力量と努力量を併せ持つ例外を除けば、過去にも例がない。
よって風属性魔法の使い手でもないレインを魔道具で空に飛ばすというのは、オルターとワーグという二人の研究者をもってしても難航した。
オルターは理不尽に決闘を吹っ掛けられた過去を持つのにも関わらず、ウィンの友人の救出ということでやる気は十分である。
だがやる気だけでは限界があり、今日までしらみつぶしの捜索が無意味の終わった日を重ねるごとにウィンの焦りは募っていた。
フォレス家の悪辣さをその身をもって知っているウィンは、心配で夜も眠れない日が続いている。
レインから後の救出を考えるなら睡眠をとるのが合理的だと助言を受け、現在はワーグから睡眠薬を貰っていた。
「ウィン、待たせて申し訳ない。ついに完成した」
クロを案じる日が続いていたウィンは、オルターのその知らせに食いついた。
オルターとワーグはウィンとレインを連れてフローレス家の孤島に案内する。
「久しいですわね。それでこれが完成した魔道具ですの?」
孤島に着くと、先に待っていた『スカーレットムーン』がオルターに声をかけた。
孤島の開けた中央の平野に鎮座していたのは、人が乗り込めそうなほど大きな青い魔道具であった。
湖に繋がる大きな管が魔道具が置いてある土台に繋がっており、どうやらオルターとワーグの水属性魔法によって制御されているようだ。
「これは水を噴射して勢いで飛ぶ魔道具だ。急造なので安全性は妥協したが、ウィンがいるなら大丈夫だろう。飛行するための重量も考えると二人しか乗り込むことができない。さらには飛行はウィンの風属性魔法ありきで成立するように設計することでなんとか形になった」
案内されたウィンとレインは、早速魔道具に乗り込む。
計画によると、ウィンとレインを乗せて一直線に飛ぶ魔道具と未来予知を利用することで、巨大な方位磁石のように機能させてクロのいる方向を特定するのだそうだ。
魔道具の土台を回転させながらレインの『紋章』を確認すると、とある方角に強い反応があった。
オルターがレインの『紋章』を見ながら微調整をするのを横目に、ワーグはウィンに追加で説明の補足をする。
片道切符で二人乗りなので、ウィンとレインが飛んだあとにその方向にオルターやワーグ、『スカーレットムーン』が遅れて合流するという。
「クロの位置が離れすぎている場合は、そちらの判断で二人で奪還することも視野に入れるのだよ。距離によっては、合流するのが大幅に遅れてしまう可能性もあるのでな。レインの『紋章』の輝きが日に日に落ちて行っていることから、時間が経つほどクロの救出の成功率が低くなるかもしれん」
ワーグの言葉にウィンが頷く。
作戦を共有して手短に必要なやり取りを済ませた二人は、魔道具によって飛び立つ準備が完了した。
「では行ってまいります。私は『紋章』を確認していますので、ウィンは空中の制御をよろしくお願いします」
湖の水が勢いよく土台から噴射して、魔道具は凄まじい勢いで射出される。
孤島がみるみるうちに小さくなって、やがて雲の上へとたどり着く。
ウィンは空気抵抗の軽減や風による推進力の維持に集中しているため、どこまで進むかの判断はレインに任せることになる。
魔道具内部は密閉されているので呼吸に問題は今のところないが、何かあればウィンが対処する必要があるので責任重大である。
「ここまでの高度なら私の水属性魔法で雲を多少操作すれば、見張りがいても視認されることは無いでしょう」
この魔道具は青空に溶け込むことができ、曇り空ならレインが魔道具に雲を纏わせることでも擬態できる。
レインは安定して飛行できていることに安堵するが、かなり飛んでいるのに一向に反応がないことに不安を感じていた。
(この距離では合流に何日もかかってしまう可能性が高い。二人で救出をすることになりそうね)
距離にしてかなり進んだところで、レインは『紋章』に反応が現れる。
「ウィン、降りますよ。もう少し進んだところに降りて徒歩で引き返します」
ウィンは魔法によって魔道具を着陸させた。
辺りは草原であり、人の住んでいるような痕跡は一切ない。
「王都からだいぶん離れましたね。おそらく、ここから少し引き返したところの地下に『ブラックムーン』がいます」
ウィンは魔道具の飛行を補助し続けていたのもあって、少し疲れが見え隠れしていた。
「でもどうやって地下に潜るんですか。場所を特定できても私たちは穴を掘れませんよ」
レインがその疑問に答える。
「あなたならここに雲を呼べるでしょう。回復したらそれでこの草原に雨を降らせてもらいます。水がしみ込めば私でも少しは操作できますから」
ウィンは回復した後、一人で飛び回って雲を集めてここらを土砂降りの雨にした。
器をひっくり返したような雨に、レインが呆れたような目でみる。
誰がここまでやれといったのだという非難の目を、ウィンは軽く受け流した。
レインが『紋章』の反応に従って慎重に掘り進めるのに、ウィンは黙ってついていく。
雨の音でこちらの音が聞こえにくいはずだが、忍び込んでいるため静かにするに越したことはない。
掘り進んで狭い地下の空洞に出た二人は、声を潜めながら様子を確認する。
ウィンが空気の流れを調べたところ、一応周囲に人はいない。
ぽつぽつと明かりが灯されていることから、ここは通路のようだ。
通路があるということは、どうやら敵の根城までたどり着くことができたらしい。
「ここからは二人に別れましょう。隠密行動においてきっと私は足手纏いになる。ウィンには『ブラックムーン』を救出してもらいます。私はこの地上から掘ってきた穴を隠しておくから、何かあればここに戻ってきて」
そういってレインに送り出されたウィンは、通路を進んでたどり着いたのは広めの空間だった。
物が乱雑に置かれていることから、倉庫のようなものかもしれない。
中央には檻のようなものがあり中には横たわった人らしきものが遠めから確認できる。
近づいて確認しようとしたところで、ウィンの来た通路から風の流れに変化が生じたのを感じて近くの物陰に隠れる。
やってきたのはウィンの因縁の相手であるテファニー・フォレスだった。
水の勢いで飛ぶ魔道具はペットボトルロケットみたいなかんじです。
冒頭の部分は、自分でも書きながら少し引いてました。
「前回の話でクロが土を飲み込んじゃったけど、大丈夫かな。何とかして吐かせないと。仕方ない、テファニーに吐かせよう。」となった結果です。
クロが影の魔法を使えたら、自分で胃の中のものぐらい取り出せるんですけどね。




