悪意の手中
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しばらくして少し頭が冷えたクロは、周囲の状況を確認できる余裕が生まれていた。
服の一部を破って、漏れ出る手の『紋章』の光を布で隠す。
夜の貧民街には、未だに強風が吹き荒れている。
どうやら、まだウィンがクロを探しているようだ。
だが今クロがいるような入り組んだ裏路地は、貧民街をよく知らないウィンではたどり着けないだろう。
クロは壁を背に座り込んで少し休むことにした。
冷たい土の感触を感じながら、暗がりをぼーっと見つめる。
「あら、お友達はいいのかしら」
心の喪失感を埋めるように痛みと疲れの感覚にふけっていたクロは、突然かけられた声で我にかえる。
距離を取ったその声の発生源にいたのは、貧民街に似つかわしくない上品な服に身を包んだ少女だった。
「ごきげんよう、『ブラックムーン』様。私、テファニー・フォレスと申します。この度は貴方に良いお話を持って参りましたの」
私の正体がばれている!
微笑みながら挨拶をするテファニーに、クロは警戒心を最大限まで引き上げた。
フォレス家といえば、かつてウィンに対して虐待を働いていた貴族である。
「そんなに警戒しないでほしいですね。今回はフォレス家としての謝罪とグラント家からの伝言が目的ですから。それとも外道の家族は皆同類でしょうか?」
くすりと笑いながらそう語るテファニーの言葉は、どこか軽薄な印象を受けたがクロには確信が持てない。
「謝罪ならウィンにしろ。もっとも受け入れてもらえるかなど、知ったことではないけど」
自分の口からついて出た言葉に、クロは胸がちくりと痛んだ。
クロは先ほどウィンと向き合うことから逃げ出してきた身である。
一体どの口が言っているのだろうかと、少し自嘲気味な思考をクロは振り払った。
今はこの少女の目的を探る方が先である。
「そうですか。では伝言だけ。といっても正式な書状もあるのですが」
そういってテファニーは紙を広げる。
紙には細かい字で書かれた文となにやら魔法の模様のようなものが刻まれていた。
「これはこちらが一方的に相手への忠誠を誓う魔道具で、基本的に罪人が使うものです。王家や貴族に対して条件や契約を宣誓して、それに縛られることで刑罰を軽くしてもらい恩赦を請うのです」
恩赦? グラント家って何か悪いこととかしてたっけ?
いまいち意図を図りかねているクロに、テファニーは解説する。
「グラント家の派閥は『ブラックムーン』様が王妃にふさわしいと考え、敗北を認めその下につくことにしたのです」
それを聞いたクロは面食らった。
偽物騒動の元凶である可能性が高いグラント家派閥の大本がこちらに好意的なのは喜ばしいことだが、それにしては大仰である。
「色々と極端すぎないか。そもそも私は婚約者なんかになりたいと思っていない」
クロの言葉など聞こえないかのように、テファニーは話を続ける。
「では宣誓しますね。『テファニー・フォレス、及びグラント家の下につく全ての貴族はブラックムーンに対して勝利する方法がないことを認めたため、子孫までを含めた絶対的な服従と献身、及びそのあらゆる所有物や権利の譲渡をここに誓う』」
その言葉とともに、紙に刻まれた魔法の模様が淡く光る。
離れたところからテファニーを見るクロの背中に少し悪寒が走った。
何か嫌な予感がする。
「これで契約は完了しました。といっても抜け穴もありまして。あなたが敗北する可能性が生じた場合は、その限りではありませんが」
そう言うテファニーの言葉には、先ほどまで隠れていた悪意がにじみ出ていた。
二人の間に光が広がり、何事かと周囲を警戒する。
光の発生源を確かめたクロは青ざめた。
発生源はクロの手。
クロの『紋章』が今までとは比にならないほどの強い光を放っていたのである。
咄嗟に隠し持っていた普段『ブラックムーン』として使っている手袋を付けるが、それだけでは光は抑えきれなかった。
「さすが、私たち一族の未来まで賭けただけあって素晴らしい輝きです。これでお得意の影を利用した魔法は使えませんかね、『ブラックムーン』様?」
影の魔法について一体どこで知ったのか驚くクロに、テファニーは心底愉快そうに答える。
「以前フォレス家の屋敷で、ウィンの風属性魔法と複合させて使ってましたよね? あれ片づけるの大変だったんですよ? まあ、光を当てたら黒いのも消えたんで、おかげで影の魔法についての情報が分かったんですけどね」
クロは咄嗟に逃げようとするが、気が付けばすでに周りは土の人形だらけであった。
(潜伏させていたのか! しかしこれほどの数を一体どうやって!?)
周囲はすっかり包囲されてしまったようである。
「我々が何も準備していないとお思いですか? この貧民街の地下にはずっと前から、フォレス家が穴を掘っていたのですよ。あなたにあの時のお礼をするためにね」
地面から仲間の貴族たちが、次々と現れる。
どうやら地属性魔法の使い手が大量に潜伏していたようだ。
この数はまずい。しかも今のクロは魔法をほぼ完全に封じられている。
「では私たちと同行してもらいましょうか。総員、合体魔法準備。『沼地』」
テファニーの魔法に他の貴族も続けて魔法を重ね、辺り一面が沼のようになってクロの体を地中へ引きずりこむ。
這い上がろうとするが、足を取られて思うように動けないクロにに土の人形たちが覆いかぶさって固まっていく。
入念に準備された策に成すすべのないクロにできるのは、ただ沈みながらテファニーを見上げて睨みつけることだけだった。
「にしても、焦りましたよ、『ブラックムーン』様。いえ、クロと呼ぶべきですかね。ウィンとの喧嘩別れで『紋章』の輝きが落ちたらどうしようかと。急遽計画を変更しましたが、うまくいったようで助かりました」
地下に張り巡らされた穴からは、教会の内容まで筒抜けだったらしい。
ほとんど土の中にいるような状態でもがいていたクロの首に、テファニーが首輪を嵌める。
「この首輪ご存じですか? 罪人がつける魔法封じの首輪です。賊のあなたに大変お似合いですよ」
そう言ってテファニーは楽しそうにクロの頬を撫でる。
これはいよいよ年貢の納め時かもしれないとクロが諦めかけたそのとき、一帯を風が吹き荒れた。
「何を……しているんですか?」
空から現れたのはウィンだった。
「あら、ウィン! 久しぶりね!」
テファニーは明るい声で呼びかけるが、ウィンは無言である。
「つれないのね、かつてのご主人様に。もしかして体に傷をつけたことをまだ怒ってるの? あの時は本当にごめんなさいね。お父様ほど折檻が上手くできなくて、ついつい傷を残して価値を下げてしまって」
ウィンは無表情のまま魔法を放つ準備をする。
「『嵐の槌』」
うねる大気を前にテファニーは全く狼狽える様子はない。
「いいの? 大事な『ブラックムーン』がこちらにはいるのに」
そういってテファニーはクロの髪の毛を掴んで、頬を思いっきり手のひらで叩く。
これくらいの痛みはクロにとってはどうってことないが、人質になってしまっているのはとてもまずい。
ウィンが脅されてフォレス家の元に戻ってしまうことは、クロにとっては容認できないことであった。
クロが口を開こうとするも、口に土人形の手が詰め込まれているためうまく話すことができない。
未だかつてない危機にクロは焦燥感を募らせる。
「あなたがクロと親しいのは把握済みです。本気であなたが魔法を放つなら、この子も道連れになってもらうわ。捕縛できないのは残念だけど、『紋章』持ちの候補者を間引く分には損ではないし」
意地悪い顔でテファニーはウィンに脅しをかけた。
案の定、ウィンは待機させていたこちらへの攻撃魔法を解除する。
クロが考えうる限り最悪の状況となってしまったようだ。
「そうそう、最初からそうやって素直にしていればいいんです。あなたもこちらに降りてこの首輪をつけてもらいましょう。お友達とお揃いできっと気に入りますよ」
このままではウィンまで巻き込まれてしまう。
クロはなんとかウィンを逃がそうと頭をひねる。
もしかしたら、この場にはルージュも来ているかもしれない。
正面からこの数を相手にするのは無理でも、ウィンを逃がすくらいの実力には鍛え上げているはずだ。
それに賭けるしかない。
クロは口の中に詰め込まれた土人形の手に歯を立てる。
明らかに食べ物ではない食感と味で吐き気を催すが、顔をしかめながらもなんとか土を飲み込んだ。
これで声を出すことはできる。
「聞こえるか『スカーレットムーン』! ウィンを連れてこの場を離脱するんだ! 私のことはいい!」
大声で叫ぶクロの奇行に周りは少しぎょっとするが、ほどなくして辺りで爆発が連続して起きる。
クロの期待通り、ルージュが来てくれたようである。
テファニーを含む貴族たちは魔法で爆発を防いだようだが、肝心のウィンの姿は消えていた。
どうやらこちらの意図をしっかりと汲んでくれたらしい。
良い弟子を持ったものだ。
「……まあ、いいです。一番の目的は達成したことですし、こちらも地下へ引き揚げましょう」
悔しそうに顔を歪めるテファニーを視界の端に収めながら、クロは安堵した。
最後にウィンに対して謝りたかったが、姿を見れただけでも悪くない。
少しだけ心残りを感じながら、クロは地中へと沈み込んでいった。
──────────
「ここからは自分で移動します。『スカーレットムーン』さん、でしたっけ?」
ウィンを抱えて離脱したルージュは、その言葉を聞いて離れた場所でウィンを下ろした。
爆発に乗じてウィンを逃がすことはできたが、師匠を助けられなかったことをルージュは歯痒く思っていた。
このウィンという少女も、きっと同じ思いをしていることだろう。
「ごめんなさい、急に抱えたりして。あの場では、ああするしかなかったの」
比較的正面からの戦闘も爆弾でできるとはいえ、さすがにあの数を相手にすることはルージュにはできなかった。
正面から戦うことだけに縛られてはいけない。
それが師匠である『ブラックムーン』から教わったことの一つである。
「いえ、ありがとうございます。あなたが隙を作って連れ去ってくれなければ、私は降伏するしかなかった」
そうは言うものの、ウィンの表情は暗かった。
あの場で救出しなければ、今後姿を隠されてしまい捜索が困難になってしまう。
頭ではあれ以上できることは無かったと分かっていても、クロが攫われるのをあの場で止められなかった自分の無力さに打ちひしがれていた。
しかもクロを捕まえたのは、よりにもよってあの女である。
「師匠が捕まったのは私のせいかもしれません。私が偽物を教会に追い詰めたから……」
そういって落ち込むルージュにウィンが声をかける。
「それを言ったら私にも責任があります。といっても相手は入念に準備していたようですから、遅かれ早かれ仕掛けてはいたでしょうね」
あの規模の大きさでありながら手際よく事を運ぶことから、相当前から作戦を練っていたと予想できる。
むしろ人知れずクロが攫われていた可能性を考えたら、今クロが攫われたことを自分たちが認知しているだけでも不幸中の幸いかもしれない。
「私はとりあえずこの件をフローレス家に持ち帰ります。救出するための人員もいるかもしれませんから。できればあなたにも協力してほしいのですが、どうでしょう?」
「もちろん、師匠を助けるなら協力は惜しみませんわ!」
ウィンの問いかけに、ルージュは元気よく即答する。
二人はクロの無事を祈りつつ、救出の計画を立てるためにその場をあとにした。
『スカーレットムーン』と別れたウィンは、風に乗って一直線でフローレス家に帰還する。
ウィンがフローレス家に戻る頃には、太陽が昇り始めていた。
抜け出していたことはバレていなかったらしい。
早速レインの部屋に行ったウィンは、眠そうに目を擦るレインに事情を説明した。
話を聞くにつれて、寝ぼけていたレインの頭が急速に覚醒する。
「とりあえず抜け出したのは不問にします。気づけなかったこちら側にも、守るものとして責任がありますので。それで『ブラックムーン』が攫われた、と」
起きて早々の大事件を前にしても、レインは冷静さを失わずに頭を巡らせる。
フォレス家の者を筆頭に地属性魔法の使い手が動いていたとなると、グラント家派閥が裏にいる可能性が高い。
こちらで救出のためにフローレス家が協力を要請できそうなのは、確実なところだとワーグや『スカーレットムーン』とやらだろう。
『ブラックムーン』が捕まったことに関して王族は動かないだろう。
婚約者候補だとはいえ、その賊を貴族が捕まえたところで何の謂れもないことだ。
事故で『紋章』を宿しただけの賊に対して、王族が情を持っていることは考えにくい。
仮に過去のウィンに関する告発で、法的にフォレス家を追求するとしても物証がない。
貴族間の争いにおいて、相手を陥れるための嘘の告発など日常茶飯事である。
品行方正なフローレス家といえども、告発のためには裏取りをしなければならないだろう。
貴族社会に対する影響力はグラント家が一番なのを考えると、妨害も考えられ裏取りには相当時間を要するに違いない。
王族が無理だとして、ヴァレッド家の派閥への協力の要請も一筋縄ではいかない。
『ブラックムーン』を確保したグラント家派閥の力を削ぐという面では、ヴァレッド家の派閥と利害は一致している。
だが、貴族間でフローレス家と『ブラックムーン』が繋がっているという噂がある以上、こちらに肩入れするよりも静観して共倒れを狙った方が得である。
どのみち王族やヴァレッド家派閥を動かすには時間がかかる。
なにより、フォレス家の近くに『ブラックムーン』を長い間放置するのはウィンへの所業から見ても危険かもしれない。
となると……。
「『ブラックムーン』が人質となっている以上、少数精鋭で忍び込んでこっそり救出するのが最適でしょうね。方針が決まりましたわ。人員を早急に集めて、私たちの手で『ブラックムーン』を奪還します」
ウィンが少し不安そうな顔をする。
「忍び込むといっても、場所が分からないことにはどうしようもないのでは……」
レインは自信ありげに言う。
「大丈夫よ。オルター兄様なら、場所を探すことも不可能ではないはず。魔法の事ならとっても心強いんですから」
現在、オルターはワーグの元で魔法での戦闘の特訓を行っている。
決闘での自身を省みて、ウィンを守れるように強くなりたいのだとか。
「事情を説明するためにも、ひとまずワーグの所に行きましょう」
レインの言葉にウィンは頷く。
(待っていてください、クロ。必ず助け出しますから)
ウィンは友の無事を願いつつ、覚悟を決めた。
すれ違ってもお互い大事に思っています。友情の両片思いみたいな。




