友の形と決闘の終幕
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この決闘において、意識を失うことは敗北の条件の一つである。
それにならうなら、この決闘は傍から見ればほぼ決着していたといってもいい有様だった。
オルターは薄れゆく意識の中で、自分は負けるのかと独り言ちる。
相手は色んな貴族を出し抜いてきた手練れである『ブラックムーン』だ。
経験の劣った自分が及ばないというのは、実に合理的で覆しようがない。
頭の中で負けをほぼ認めかけていたオルターは、沈みゆく意識の中で『ブラックムーン』の言葉を耳にする。
「まあ頑張ってはいたけど、期待外れかな。ウィン・グリームのことは諦めるんだね」
ウィン・グリームの名前を耳にしたオルターは、ふと湖に来るまでの小舟でのウィンとのやり取りを思い出した。
湖に浮かぶ小舟を水属性魔法によってゆっくり前に進めながら、二人の談笑はなお続いていた。
会話に一区切りがついたときに、オルターがふと漏らす。
「こんなに会話が楽しいのは初めてだ」
その言葉にウィンが笑顔を浮かべる。
「私、オルター様はもっと冷たい人なのかと思ってました。実はワーグおじ様から話をきいたことがあって。なにより合理性を大事にする人だと」
それを聞いて、オルターはなぜか嘘をつきたくないという思いが湧き出てくる。
「いや、自分でも冷たいという自覚はある。今回の婚約も利益にならないと判断したら途中で破棄するつもりだ」
こんなことを面と向かって言うなど明らかに悪印象だが、オルターの口は止まらない。
合理性よりも誠意を優先することなど、今まで一度もなかったのに。
いつも合理的だった自分はどうしてしまったのか、とオルターは混乱した。
「そんなこと言ってしまっていいのですか。ご家族の方から止められているのでは?」
どうやら向こうには、お見通しなようである。
しかし一度吐いた言葉は飲み込めないので、オルターはそのまま言葉を続けた。
「君には正直でいたくなったのだ、ウィン嬢。私は方針を変えるつもりはない。利益にならない婚約は破棄するし、仮に婚約してもそこから愛を育めるかも自信がない」
ウィンが真剣に話に耳を傾ける中、オルターは少しずつ自分の気持ちを探るように言葉を発する。
「だが、もし婚約できなかったとしても、私の友人になってくれないだろうか。虫のいい話ではあるが、君と関係が切れてしまうのは悲しく思う」
言ってしまったと少しだけ後悔をする。
オルターは欲求に身を任せるという行為をしたことがなかった。
これはありのままの自分を受け入れてほしいという承認欲求であり、自分勝手な都合でしかない。
受け入れられるか不安がるオルターに、ウィンは少し照れくさそうに答える。
「私たちはもう友人ですわ。たとえ短時間であっても互いに心を通わせた者は放っておけないのだと、私はある方から教わりました。それに、私こそあなたに誠意が欠けていました」
そこからウィンは静かに語りだした。
ウィンはとある貴族から人間とはいえないような扱いを受けてきたのだと。
そこでは折檻として鞭を振るわれたこともあり、服の下の体の至るところにその傷跡が残っていると。
「私は男性の方に激しく愛を求められても、女性としてそれに応えられる体ではありません。なので、冷徹な性格で愛を求めないというオルター様は、結ばれても愛を返せない私にとって都合がよかったのです」
そう語るウィンの悲し気な表情にオルターの胸は痛んだ。
「ですが、オルター様は噂ほど冷たい人間ではないのですね。それに感化されて、私もつい正直でいたくなってしまいました。これでお互い様ですね」
そういって笑うウィンからオルターは目が離せない。
フローレス家にではなく、オルター自身にとってウィンは必要なのだと気が付いたのである。
魔法の才能ではなくオルターの閉ざされた心を開いてくれた彼女の心の温かさこそが、彼女の価値なのだ。
『紋章』は必ず彼女との未来を祝福してくれるはずだ。
なぜなら今の自分はこんなにも──―。
決闘で失いかけていた戦意を取り戻す。
沈みゆく意識の中で熱を感じる。
わずかに残った意識の中で恋慕が魔法を起動させる。
体内に入った薬が魔法によるものであるなら、まだ手があるかもしれない。
薬をその場で解析し、体内の水分を操作して薬の成分を弾く。
オルターは限界を超えて魔法を行使し、新しい魔法の構築と解体を繰り返す。
これは魔法の研究に憑りつかれていたオルターだからこそ為せる技であり、常人の真似できるようなものではなかった。
急速に意識が浮上する感覚と共に目を開ける。
完全とはいかないまでもなんとか薬を打ち消して、ふらふらと立ち上がる。
レインがいる船の場所まで歩いていこうとしていた『ブラックムーン』は、こちらを振り返って意外そうな顔をしていた。
今のオルターに先ほどのような連続で氷の槍を高速射出するような戦い方はできない。
だからこの一撃に全てを賭ける。
「『氷の槍』」
最後の力を振り絞って魔力を込める。
小さめの氷の槍が形成され、周囲の地面が凍り付いていく。
この一撃を受け止められるなら、受け止めて見せろ。
そうして放った槍を見届けたオルターは魔力切れによって倒れこんだ。
オルターは消失する意識の中でウィンのことを思い浮かべる。
(──君が好きだ)
その心の中の言葉を最後にオルターは完全に気を失った。
──────────
クロに凄まじい速度で氷の槍が迫る。
咄嗟にマントの中の影に『影潜み』で身を隠すが、間に合わずに腕の皮膚を貫く。
冷たさと痛みの感覚に襲われながらも、傷口にできた影から『影拾い』によって氷の槍の威力を軽減させる。
傷口程度の影では小さいとはいえ氷の槍の全てを沈めることはできないが、貫通するのは避けられたようだ。
顔をしかめながら腕をかばい、槍を抜いて影によって止血する。
薬を飲ませた時点で油断したとはいえ、本格的な傷を負うのが滅多になかったクロはオルターに対する評価を改めた。
この実力ならウィンがもし危険な目にあっても助け出すことができるだろう。
クロが船に戻るとウィンの様子を見ていたレインが待っていた。
「その……。傷は大丈夫ですの?」
こちらを見るなりレインが心配そうに尋ねてくる。
「決闘に傷はつきものだから。それよりも決闘した結果だがオルターのことは信頼できると判断するよ。今後君たちの盟友として助けになろう。何かあればワーグに知らせるがいい」
戦いの興奮が冷めてひどくなる痛みをやせ我慢しながら気丈に振舞い、オルターの居場所をレインに伝える。
薬の効き目はそこまで長くない。
しばらくしてレインが起こせば皆起きるだろう。
クロがこの場を後にしようとするとレインが声をかけてくる。
「あら、ウィンには会っていかなくていいんですの?」
クロは少し気まずそうに答えた。
「睡眠薬を盛っちゃったからね。友人のためを思ってしたとはいえ、合わせる顔がない。見守る必要が無くなった以上、私みたいな日陰者は退散するとしよう」
このところウィンとはだんだん距離が近くなっていた。
義賊というのは危険と隣り合わせであり、ましてや今のクロは『紋章』を宿している。
巻き込まないためにもいつか距離を離す必要があると考えていたので、ちょうどいい機会であった。
「友達思いなのね。それはそうとこれを渡しておくわ」
そういってレインは小瓶をこちらに放ってくる。
「それは貴族御用達の傷も治す超高級な魔法薬。本来はオルター兄さまのために用意していたのだけど、あげるわ。今日中に使えば傷は残らないはずよ」
なんだこれとクロが首をかしげていると、レインがご丁寧に説明を添えた。
「こんな貴重な物もらっていいの?」
クロの疑問にレインが答える。
「盟友なんでしょ? なら助け合わなくちゃ。それに、その薬はフローレス家が販売してる物だから気にしないで。お題はきっちり働きで返してもらうから」
このレインという少女、ちゃっかりしているのか恩の売りどころは見逃さないようだ。
ならば期待に応えるべく、今後は頑張らなければ。
そう覚悟を固めたクロは小船に乗り込んでその場を後にした。
後日、拠点に久しぶりに戻ってきたクロは、ワーグ経由で届いたレインからの手紙を読んでいた。
レインは表立って『ブラックムーン』と盟友関係にあると公表するのではなく、裏で『ブラックムーン』の活動の協力者として利益を得ることを選んだようだ。
もともとフローレス家は悪事で利益を得ることは興味なく、台頭する悪徳貴族の力を『ブラックムーン』が削ぐだけでも利益を得ることができるらしい。
利害の一致というやつである。
あくまで盟友関係なので何かを命令したりするのではなく、求めたときに『ブラックムーン』が得た他の貴族の情報の開示や救援を約束させられた。
こちらの見返りは、悪徳貴族についての情報を流してもらったり薬などの物資を支援してもらうことになっている。
無理なお願いをしてこない辺り、義賊としての立場を尊重してくれているようだ。
結局、レインは決闘騒ぎの裏で結んだ盟友関係は孤島にいたウィンやオルターにしか話していない。
なんでも使用人が他所の貴族に情報を売ることがあるらしく、屋敷内で広まれば盟友関係も他の貴族に知られる恐れがあるようだ。
レインの『紋章』はこの決闘を経て輝きがさらに強くなっていて、他の候補よりも少し優勢なのだとか。
決闘騒ぎは使用人などからすでに広まっているらしく、『ブラックムーン』が決闘で敗れたと大騒ぎになっているそうだ。
一通り読み終えた私は手紙を燃やしながら傷があった方の腕をさする。
薬のおかげで今は傷もなく、動かしても全く支障がない。
『紋章』によって『影足』を封じられているが、ワーグの魔道具やレインの薬などの支援がある。
これならば十分に義賊としての活動ができるだろう。
決闘での疲れを癒しつつ一息ついていたクロの拠点に人が入ってくる。
駆け込んできたのは貧民街でクロが以前助けたグレンだった。
「大変だ、姐さん!」
とても焦った様子のグレンにクロは聞き返す。
「何があったんだ?」
次にグレンの口から出てきたのは信じられない言葉だった。
「『ブラックムーン』が貧民街で暴れてるんだ! 今までの施した分を私に返せって」
クロは思わず聞き返す。
「なんだって!?」
すぐさまグレンと共に偽物が現れた場所へと向かう。
この偽物騒動が新しい波乱の幕開けであることを、この時のクロは知る由もなかった。
──────────
四方を山に囲まれて豊かな自然が溢れたグラント家の屋敷。
その庭で一人の少女がお茶を飲みながらため息を吐く。
少女の名はリア・グラント。『紋章』を所有する令嬢の1人である。
リアの悩みの種は義賊『ブラックムーン』であった。
捕まえて従属させれば、『紋章』の輝きは間違いなく強まり、婚約者の座は決まったも同然と狙いを定めたところまではよかった。
しかし、繋がりを持った貴族を総動員して『ブラックムーン』への手がかりを探させたが、全くと言っていいほど義賊は手がかりをつかませない。
中には忍び込んできた『ブラックムーン』と相対した者もいたようだが、結局逃げられてしまった。
今までの追手による数々の報告でも、まるで夜の闇がその義賊を味方しているかのように必ず見失っている。
このような失敗続きの報告にリアは焦っていた。
そんなときに情報として入ってきたのが、『ブラックムーン』とフローレス家の決闘騒ぎである。
その騒動のあとにレイン・フローレスの『紋章』は輝きを増している。
まさか一歩先をいかれたのだろうか。
幸い、レインの『紋章』の輝きは『ブラックムーン』ほどではないという。
おそらく従属させたわけではなく、よくて協力関係を結んだという程度だろう。
だが、なかなか実を結ばない成果に頭を悩ませるリアにとっては、フローレス家が接触してやり取りを交わしたという事実だけでもさらに焦りを募らせるには十分だった。
グラント家にはフローレス家のような研究への貢献もヴァレッド家のような武力もない。
貴族の横の繋がりを得たのも、代々有望な『紋章』を持つ者の傘下として実績を積んできたからである。
それがよりにもよって今回はグラント家である自分が『紋章』を持ってしまった。
他の候補者にどう太刀打ちするか検討もつかない。
父からはグラント家として他の候補者に従属するのがよいのではないかという意見も受けた。
その場合、グラント家が持っていた貴族社会における影響力は減ってしまうが、候補として正面から敗れるよりかは被害を抑えられる。
しかし、もし万が一でも自分が婚約者としてバーン王子の隣に立てるかもしれないと想像すると、リアは諦めることができなかった。
バーン王子の隣に立てれば、グラント家の貴族社会に対する影響力は確固たるものとなる。
加えて王妃としてバーン王子の側にいる未来を少しばかり夢見ている節もあったかもしれない。
『紋章』を持った者には、基本的に親であっても何かを強制することはない。
なぜなら、過去に『紋章』を持つ子に干渉しすぎて、逆に輝きを失った例があるからである。
リアが諦めないという選択肢を取るならグラント家はそれに従うしかない。
そしてグラント家が勝つためには、なんとしても『ブラックムーン』を手に入れる以外に今のところ道はないのである。
それでも報告を待つしかないリアは、こうして頭を悩ませるしかやることが無かった。
来客の知らせが使用人から入ってきたのはそんなときであった。
「来客? そんな予定あったかしら」
この時間は、誰かと会う約束は何も入っていないはずである。
来客の名前もそこまで聞き覚えがなかった。
この前の『杖』の儀式のときに少し話した程度の令嬢の誰かだろうか。
仮に害意があってもこの屋敷の警備体制は万全であり、側に控えている使用人も魔法なしで貴族相手に時間稼ぎができるほどの実力者である。
令嬢一人だけなら警戒はしなくてもよさそうだ。
気晴らしや暇つぶし程度にはなるかと考え、リアは来客を通すことにした。
「失礼します」
やってきたのはやはり『杖』の儀式のときに見かけた少女だった。
「あらためて挨拶を。ごきげんよう、私の名前はリア・グラント。今回はどういったご用件でこちらにいらしたのかしら」
目の前の少女に用向きを訪ねる。
「私、テファニー・フォレスと申しますわ。気軽にテファニーとでもお呼びください。今回は義賊『ブラックムーン』の捕獲についての提案をさせていただきたく、こちらに参りました」
そういうと、テファニー・フォレスは、三日月のように口角を上げたにっこりとした笑顔を浮かべた。




