3
エリオス王子視点の語りになります。
少しすると、オフェリアは再び眠りに落ちた。眠りに落ちてもオフェリアの手はエリオスの手を離さなかった。そのことに、エリオスは安堵していた。
それと共に、母であるリディウス侯爵夫人に触れられた時のオフェリアの体の震えを思い出していた。
エリオスは医師に問う。
「オフェリアの身体に傷痕があったという報告があったな…」
「………はい。腰の辺りに鞭で打たれたような古い痕があったと。」
オフェリアが階段から落ちた日は王宮で舞踏会が催される予定であった。そろそろ始まるという時に共に出席予定であった彼女が階段から落ちたとエリオスに報告が入った。速やかに客室に運ばせ、宮廷医が傷の処置をした後、血で汚れたドレスを着替えさせようと王宮の侍女達がオフェリアのドレスを脱がせた時に気付いたとのことだった。
コルセットで隠れる腰の辺りにある傷痕。
夫人に触れられて震えるオフェリア。
「記憶を失くしても…身体は記憶しているということなのか…?」
エリオスは呟く。
その推測が正しいとするならば、オフェリアの身体に震えるほどの何かを記憶させたのは、おそらく夫人なのだろう。記憶のないオフェリアに誰に傷つけられたのか聞いてもわからないだろうし、危害を加えられた記憶がないのなら思い出させるのは酷だ。
エリオスは握っているオフェリアの手に額をつけ、深く息を吐く。
リディウス侯爵一家は仲の良い家族なのだと思っていた。オフェリアは家族に大切に育てられた令嬢で、傷一つ付かないよう大事にされてきたのだと。いつも微笑みを浮かべ、周りに苦痛など感じさせることなどない完璧な婚約者だった。エリオスの劣等感を刺激するほどに。
『人は物事を見たいように見るものですし、見たいものしか見ることが出来ません。』
記憶を失う前のオフェリアの言葉が聞こえる。いつもの微笑みに少しだけ寂しさを感じた気がしたが、気のせいだろうと気にも留めなかった。そこまで考えてはっとする。
『人は見たいものしか見ることが出来ない』
まさしくその通りだった。
エリオスは自身の抱いた微かな違和感よりも自身の思い込みを優先したのだ。
「私は………君を見ようとしていなかったのだな………」
自嘲するように息を吐くエリオスは眠るオフェリアの顔を見つめる。
今更ながらオフェリアを知りたいと感じている。オフェリアの記憶は失くなってしまったと言うのに。
『私は殿下の幸せをお守りするためにここに居るのです。』
婚約をしたばかりの幼い頃の彼女の言葉が脳裏を過る。
いつからか距離が開いてしまった二人。
ここ数年はろくに会話も出来ていなかったように思う。今の彼女が何を考えて、どんなことを思っていたのかわからない。
十年も婚約していた彼女のことを知らないなどと、こんな情けない婚約者であったから、オフェリアは見切りを付けてしまったのだろうか?
「それでも………手を離さないでくれたんだ………」
その事がエリオスにとっては救いだった。
夫人と同じように無意識に拒絶されることはなかった。ただの無関心かも知れないが、それでも、手を離さずに眠る彼女の側にいることを許された気がして安堵した。
「君が…何を思っていたのか…ちゃんと知ろうとするべきだった…」
どうしてあのような振る舞いをしたのか。
どうしてあのような物言いをしたのか。
今思えば、あの言動はオフェリアらしくなかった。完璧な淑女と呼ばれていた彼女の言動とは思えなかった。
あの時、聞きたかったことはいくつもあった。それなのに、聞こうとしなかった。
自分勝手な劣等感から彼女の行動原理を決め付け、彼女に寄り添うこともしなかった。
そんな婚約者に………
「助けなんて…求められるわけがない…」
目を覚まさないオフェリアを見て、彼女を永遠に失う可能性を目の当たりにして初めて失うことへの恐怖を感じた。
ずっと隣にいるのだから、と思っていた彼女がいなくなることなど考えたくもなかった。
「オフェリア…あの時の君の気持ちが知りたい…」
オフェリアは自身のことすら覚えていないと言ったのに。それなのに、記憶が戻るかもしれないと希望にすがりたくなる。
「殿下…」
宮廷医に声をかけられてエリオスは我に返る。
「勿論、オフェリアの負担になるようなことは言わない。………ただ…彼女の側に居たいんだ…」
それだけが、この一月の間、婚約者の目覚めを待ち続けたエリオスの切実な願いだった。




