6.赤いずきんの由来
石のかまどの周囲は、ブルーの言っていた通り、誰かが使った形跡がたくさん残されていました。
ベリーランタンを置くのにちょうどいい台があり、一人分の寝袋を敷くのにぴったりな空間もあります。きっと、森の外から来たワタリガラスの一族が使う事もあるのでしょう。
彼らと違って自分がしゃべるヒグマたちに歓迎されない事は分かっていたのですが、それでも、ラズの心は恐怖よりも好奇心の方がいまだ勝っていました。
それはきっとかまどまで届くスピリットベアの輝きのせいでしょう。それに、好きなだけ眺めることができる上に、真下にあるベリー畑ではめぼしいベリーがいくつも採れたので、満足だったのです。
今回の収穫のうちの一部を、ラズは石のテーブルの上に置いていきました。ブルーは鼻先を近づけてくんくんと匂いを嗅いでから、ラズに話しかけました。
「ねえ、ラズ。その手元にあるベリーは何?」
きっと初めて見たのでしょう。
ラズは答える代わりに、柴を入れたかまどに置き、小石で軽く叩きました。
すると、たちまちのうちに火が付きました。驚くブルーの様子に微笑みつつ、ラズはようやく答えました。
「これはマッチベリーだよ」
「マッチ?」
ブルーは不思議そうに首を傾げました。マッチというものを見たことがなかったのです。
「マッチっていうのはね、火をつけるための道具なの。主に異国で使われるんだけど、その昔、ワタリガラスの一族たちがこれを使っているところを、コヨーテの客人たちが見て命名したのですって」
「火をつけるベリーか。そっか。ワタリガラスの一族が見せてくれる火の魔法の正体ってこれだったんだ」
そう言って、ブルーはスッキリしたように尻尾を振りました。
「ねえ、ラズ。他のベリーについても教えてくれる? ボク、この食べられるベリーの事くらいしか知らなくて」
そう言って鼻先でつついたのは、黄色いベリーでした。
「はちみつベリーだね。主食として長年愛されてきたの。〈ハニーレンガの道〉の名前の由来でもあるんだよ。昔のベリー売りが通った道が舗装されて、〈ハニーレンガの道〉になったわけだけれど、その時に主に運んでいたのが、当時から主食として大活躍だったはちみつベリーだったらしいから。……やっぱりブルーたちも食べるんだ?」
「うん、美味しいよね。……あ、だけど、他の仲間たちは分からないや。しゃべるヒグマなんかはね、ベリーばかりに頼っていては、竜の女神の夢が穴だらけになってしまうって恐れているらしくて、川の魚を食べたりするんだって。時には、迷い込んできた二本足の人達を襲う事もあるみたい。でも、ボク、どっちもちょっと出来ないや。二本足の人達は襲うなってお父さんやお母さんに言われてきたし、川の魚たちなんかはお話も出来るし、ちょっと話しかけられちゃうと途端に食べられなくなっちゃうから」
「優しいのね、ブルーは。でも、それなら、はちみつベリーだけじゃ大変なんじゃない?」
「うん。でも、大丈夫。この辺りにはこっちのベリーも落ちているから」
そう言って次に鼻先でつついたのは、濃い赤色のベリーでした。
「血のベリーね」
ラズそう言って、不思議そうに周囲を見渡しました。
「そういえば、この辺りでたくさん見かけたかも。生えやすい環境なのかな」
「そうだろうね。だってそれ、お墓に生えるベリーでしょ?」
ブルーの言葉に、ラズは少し驚きつつ頷きました。
「そうだけど、どうして?」
「ここ、お墓があるから」
「……お墓?」
ラズは一瞬、スピリットベアのことを言っているのだと思いました。けれど、ブルーが視線で示す先はそこよりも少しそれていました。よくよく見れば、その奥には複数のお墓らしき石がありました。
「誰のお墓なの?」
「ホラアナグマの一族なんだって。昔、このあたりで死んじゃって、それでスピリットベアを守護する戦士として埋葬されているんだってさ」
ブルーは何気なく説明してくれましたが、ラズはハッとしました。この場所の歴史について改めて思い出したのです。
ここで、コヨーテの客人からなる盗賊団の一派が、ホラアナグマの一族に暴力を働いたこと。それに、ベリー鉄砲ではなく、異国で使われるようなより殺傷能力の高い銃が使用されたという逸話のことを。
「そっか。それで、血のベリーが生えるんだね」
ラズはしみじみとそう言ってから、改めてブルーに語り掛けました。
「血のベリーはね、人工栽培に成功したベリーでもあるんだよ」
「人工栽培って?」
「こうして自然に生えているのを採取するのではなくて、農作物みたいに育てて増やすの。大昔にフランボワーズっていう異国の女性が血のベリーの研究を重ねて成功させたのが始まりなんだよ」
「へえ、増えるのを待つんじゃなくて、育てて増やすんだ。やっぱり二本足の人って変わっているんだね。でも、すごいや。このベリー、すっごく美味しいもの。みんな、助かったんじゃない?」
「ええ、大助かりよ。それまでの時代はね、肉食系部族の人達が飢饉に直面するたびに、草食系部族に戦闘をしかけて、捕らえた相手を食べてしまっていたのですって。そんな恐ろしい時代に終焉をもたらして、良好な関係を築けるようになったのも、フランボワーズのおかげなの。だから、フランボワーズはベリーに携わる人……特に女性にとっては憧れの存在なんだよ。私がかぶっているこの赤いずきんは、フランボワーズのシンボルでもあるの。彼女の偉業にあやかってお祖母ちゃんが作ってくれたんだ」
「そうなんだ。すっごく似合っているよ、それ」
屈託のないブルーの誉め言葉に、ラズは思わず微笑んでしまいました。
キラキラと目を輝かせて尻尾を振る彼の姿は、とても恐ろしいイメージだったしゃべるオオカミには見えません。人懐っこい性分のイヌ族やオオカミ族そのもので、どうして服を着ていないのか、どうして四本足なのか、不思議に思ってしまうほどでした。
けれど、こういうオオカミもいるのだと、ラズは静かに納得しました。すんなりと受け入れることが出来たのは、それだけ世界が広いという事をもうすでに知っていたからかもしれません。