7.時代が変わっても
ナイトメアたちがいなくなると、開拓民たちと〈夕やみの森〉の住民たちは、ようやく落ち着いて話し合う事が出来るようになりました。
誰が、この悲劇を招いたのか。その認識はようやく冷静にまとまり、町と森で協力し合い、スピリットベアに手を出そうとした無法者たちのあぶり出しが行われたのです。
森ではしゃべるヒグマたちが警備を一層強め、やがて、オッソたちのニオイの乏しいコヨーテの客人の一団が追い出されてきました。
行き場を失った彼らは町の近隣で捕えられ、スピリットベアを狙い、ホラアナグマの一族やしゃべるヒグマたちを傷つけた犯人集団であることがはっきりしたのです。
その頃には幸いなことに、イビミもタローもすっかり回復していました。彼らと連絡を取り合いながら賊の処遇についてまとめると、オッソは改めて旅人に対して丁寧に感謝の意を述べました。
「本当に有難うございました。あなた方のお陰で、我らの協力も実現したのです」
「お礼ならばこの子に」
と、旅人はナナの頭を撫でながら言いました。
「いえ、それとも、女神に……でしょうか。魔神コヨーテの望んだ新たな時代により、こうした揉め事はさらに起こるかもしれません。スピリットベアはそうならないよう、この地を見守る役目を授かりました。皆様はどうか、そんな彼を支え続けてあげてください。そして、百年後にまた、私のような旅人がこの子のようなチリンを連れてまたここへ来るでしょう。それまでの間、どうか森と町、これ以上いずれも争うことのないように」
彼の言葉に続けるように肩に乗っていたポップがカアと嘴を開きました。
「魔神コヨーテ様のご意向は、吾輩たちにとっても理解しがたいこともある。それゆえに、この地に住まう多くの人々が惑わされるのも仕方のない事。けれど、だからこそ、スピリットベアはこの地を守り続けるのだ。彼を支えられるのは彼が普通のクマ族であったことを知る君たちだ。そして、その意向を正しく伝えられるのも同じだろう。どうか頼むよ」
二人の言葉の後で、ナナもまたオッソたちの前によちよちと歩みだしてから言いました。
「いろいろと、みて、しれて、とてもたすかりました。どうもありがとう」
幼子のようにたどたどしい口調ながら、その目はしっかりとしています。オッソはそんなナナに対しても丁寧に応じました。
「こちらこそ、お手伝いができて光栄でした」
すると、ナナは恥ずかしそうに首をかしげて、そのまま逃げるように旅人のそばへと戻っていってしまいました。
こうして、旅人たちは〈聖熊城〉を去っていきました。彼らが去ったあとも、問題の全てが消えたわけではありませんでした。
〈夕やみの森〉をめぐって悪しき心を持つ人が現れるのはどうしても防げません。けれど、そのたびにオッソたちは森に暮らすイビミやタローたちと協力し合い、不届き者たちからスピリットベアを守り続けたのです。
そんな日々が一年、また一年と繰り返されていくうちに、オッソのもとで働くコヨーテの客人たちの多くはスピリットベアへ並々ならぬ敬意の心を抱くようになりました。
そして、ベアがただのクマ族として、ただの人間の一人としてここにいた頃に取り決めた、森と町の境をしっかり守ることを、次世代を担う子どもたちに伝えるようになりました。
そんな町の様子を眺めながらオッソはベアの〈聖熊城〉の図書室にて、日々、会議を続けていました。それは、ベアが人であった頃の記録を一冊の本にまとめるための相談でした。
もともとここは英知のよりどころでした。ベアのはからいで、この国に古くから伝わる英知と、海外から渡ってきた英知とが集められ、多くの人々と共有するべく翻訳されていたからです。
そうした記録こそが書となり、城内の図書室に保管されていたのです。オッソはそこへ特別な一冊を加えることを決めていました。
この場所を築き、今後もずっと見守るだろうスピリットベアのことを自分たちが亡きあとも末永く伝えるべき使命を担う一冊。
やがて『聖熊譚』と名付けられることになるその本の作製に心血を注いだのでした。
本づくりも佳境を迎えた頃、オッソは何年も変わらず傍で支えてくれるウーバスに言いました。
「いずれまた新たな時代がくれば、この城もいつかは役目を変えることになるだろう」
「ああ、オッソさん。そうなったらこの町は? この城に保管されている大事な本はどうなってしまうのでしょう」
心配そうに猫の耳を伏せながらたずねてくるウーバスに、オッソは軽く笑いかけました。
「そんな時代のために、私は遺言を決めておくつもりなのだ」
「遺言……でございますか?」
「遠い未来、あるいは近い未来のこの町の人々に向けての言葉だ。この町が城や城主という存在を必要としなくなった時代が来ても、どうかこの城の歴史と、この城に保管された書籍は大事にして欲しいと。スピリットベアの約束を忘れることなかれ。その知恵や出来事は、この町に暮らす全ての人々と共有できるようにしてほしい、と」
この時の彼の言葉を、ウーバスはちゃんと城の皆に伝えました。オッソ自身も手紙や非文として遺し、今でもその一部は〈古城図書館〉の施設内に展示されています。
そうです。彼の予見した通り、ラズとブルーが旅をする時代になると、〈図書の町〉はお城も城主も必要としなくなりました。
けれど、幸いなことに、オッソの想いは何年経っても褪せることなく伝わり続け、〈聖熊城〉は図書館へと姿を変えて、今でも人々にスピリットベアのいた時代を伝え続けることが出来ているのです。
以上が、ラズとブルーの滞在した〈図書の町〉の歴史にまつわる伝説の一つです。
ここがお城だった頃の城主だったオッソの名前は、スピリットベアに比べると多少知名度が落ちますが、それでも、〈図書の町〉の歴史を学ぶ上では必ず覚えることになる名前です。
ラズやクランも、オッソたちの出来事を学校で習ったものでした。けれど、教科書だけを通して知るよりも、この時代の彼らの想いをもっと知るには、やはり〈古城図書館〉へ実際に足を運んだ方がいいでしょう。
皆さんの暮らしている町では、どんな歴史がありますか。
それを伝える記録はどんなものがありますか。
一人前のベリー売りになって以来、ラズは生まれ育った〈夕焼け村〉や〈図書の町〉を離れ、色んな町を見てきました。
けれど、ブルーと共に過ごしてみて、初めて、この地のことを改めて知ったような気になりました。
これもまた、オッソの願いが叶って、記録がしっかり残っていたからこそのことなのでしょう。そして、その思いを受け継いで、それらの記録を大切に守りぬいてきた人々の想いが繋がってきたからこそのことなのでしょう。
その思いが途切れない限り、〈図書の町〉も〈古城図書館〉もこの先もずっと、やがて、ラズやブルーの時代が過ぎ去ったずっと後も、残り続けるに違いありません。
さて、この話をしている間に、どうやらラズとブルーの歩みもだいぶ進んだようです。
そろそろ、ラズとブルーのお話に戻ってみましょう。




