3.ブルーという名のオオカミ
ラズの前に突然現れたこのしゃべるオオカミ。
その名前はブルーといいました。
〈夕やみの森〉を照らすベリーランタンの明かりでは少し分かりづらいのですが、彼の目はその名に相応しい青色で、その毛色もまた青みがかった漆黒だからだそうです。
しかし、その名前は最初からついていたわけではありません。ここより遥か北にある〈氷橋〉という名の雪山で生まれた時、彼は全く違う名前を両親から与えられたそうです。
「そうなの? じゃあ、本当はなんて名前なの?」
ラズが軽い気持ちで質問すると、先導していたブルーは少し困ったように振り返りました。
「え、えっと……ごめんなさい、ラズ。本当の名前は、一族のひと以外に喋っちゃいけないって言われているの。でも、それじゃあ、不便でしょう。だから、ブルーって名乗っているの」
「なるほどね。そうだったの。ブルー。覚えやすく良い名前だね。自分で考えたの?」
「ううん。友達がつけてくれたの。しゃべるカラスの友達でさ。ここによく来るんだよ。スピリットベアの様子をみるために」
「なるほど、カラスのお友達がいるのね」
ラズは内心納得しました。
この国において、鳥もまた、そのほとんどが言葉を話す事ができます。中には人間らしく暮らしている種族もいるのですが、しゃべるカラスは少しまた違った暮らしをしていました。
半分人間で、半分精霊のような存在で、古い時代よりこの地を取り仕切っていたワタリガラスの一族たちと共に暮らしていたのです。
むしろ、彼らが常に傍にいるからこそ、黒い髪と黒い目を持つ伝統的な姿のヒト族は、ワタリガラスの一族と呼ばれるのです。
そう、しゃべるカラスはこの地の祭司でもありました。竜の女神とベリーの気の流れを空から確認し、時折、四方にあるベリーの大結晶の様子を見る。
きっと、ブルーのお友達もそういう役目があるのでしょう。そんなカラスと友達だから、スピリットベアまでの案内も気軽に引き受けたのだろう。と、ラズがそこまで考えていると、ブルーは語りました。
「その友達はね、一族のことしか知らなかったボクに、色んなことを教えてくれるんだ。二本足の人達の暮らしの事とかね」
二本足の人、というのは、ブルーのように四本足で暮らしているオオカミやヒグマなどが町で暮らす人間たちのことを指す言葉です。
彼らは人間という言葉をあまり使わないのだそうです。二本足か、四本足か。そうやって区別しているのです。
ラズもそのことを知識としては覚えていましたが、これまで、あまり聞く機会がありませんでした。最後に聞いたのはここより南東の果てにある〈砂塵の町〉で、人間と友好的に共存しているしゃべるネコたちに話しかけられて以来でしょうか。
少なくとも、しゃべるオオカミ相手では考えた事もなかったので、ラズはどこか不思議な気持ちになりながら、ブルーの言葉に耳を傾け続けました。
「二本足の人達って、ベリーを使ってとても便利な暮らしをしているんでしょう? 鉄砲とか、そのピカピカの明かりみたいな便利な道具もいっぱい持っているんだよね。手先が器用で羨ましいなぁ」
「そうだね。でも、手先は器用だけど、逆に言うとベリーの力を借りないと、か弱いってことでもある。私はブルーのように速く走れないでしょうし、力も強くないから」
「そっかぁ。でも、大丈夫だよ。ボクがついているし。しゃべるヒグマも、ボクと喧嘩はしたくないだろうし。ベリー鉄砲は……できれば使わないで欲しいけれどね。しゃべるヒグマの中には友達もいるからさ」
「……そうだね。できれば使わないでおきたいかも」
そうは言っても約束はできません。何せ、比較的安全な〈ハニーレンガの道〉でさえも時に危険が待ち受けているのですから。
とはいえ、ブルーの友達かもしれない相手をしゃべるヒグマであるという理由だけで撃つわけにもいかないでしょう。なので、ラズはひとまず深呼吸をして、心を落ち着けました。
「それにしても」
と、少し前を歩きながらブルーが振り返りました。
「ラズはどうしてスピリットベアをお参りするの? 二本足の人達が来ることってあまりないよね。……それとも、ボクが知らないだけかな?」
「いいえ、珍しいと思う。昔はそうでもなかったみたいだけれど、ある時から私たちみたいな参拝者はいなくなったらしいから。今ではワタリガラスの一族のお役人さんが訪れるくらい……って聞いているよ」
「やっぱり? そうだよね。ボク、ワタリガラスの一族の人しか見たことないもの。それでも、参拝するんだ?」
「うん。それだけ興味があるの。人生で一度は見てみたい。他の地域の大結晶はぜんぶ見ることが出来たからね」
「そうなの?」
ラズの言葉を聞いて、ブルーは途端に嬉しそうに尻尾を振りました。
「じゃあさ、〈氷橋〉の近くにあるサンダーバードもお参りしたんだね? ボクね、本当はあのあたりの出身なんだよ」
誇らしげに語るブルーに、ラズは微笑みを浮かべました。
「そうだろうと思った。〈氷橋〉のしゃべるオオカミたちは、賢いんだって麓の町の人が言っていたから」
「本当に? えへへ、ボクって賢いのかな」
照れくさそうに笑って尻尾を振るブルーは、とてもオオカミには見えません。
けれど、ブルーが賢いだろうことはラズも疑っていませんでした。こうしてしばらく会話を続けているだけでも、ラズの中にこれまで知らず知らずのうちに積み重なっていたしゃべるオオカミの負のイメージが覆されていくからです。
彼の故郷でもあるという雪山〈氷橋〉の、その麓にある〈雪花の町〉では、しゃべるオオカミたちは畏怖の対象でした。賢くて話の分かるオオカミもいれば、言葉は通じるものの乱暴で恐ろしいオオカミもたくさんいたからです。
特に、あのあたりで気を付けねばならないのが盗賊オオカミと呼ばれる集団でした。以前、サンダーバードを参拝した際は、どちらかといえば盗賊オオカミたちを意識することが多かった為、ラズの中でもしゃべるオオカミのイメージは、しゃべるヒグマとそう変わらなかったのです。
けれど、目の前のブルーは、そんな盗賊オオカミたちのイメージとはだいぶ異なります。
──同じ種族とはとても思えない。
内心、ラズはそんな事を思ってしまいました。
そんな事もつゆ知らず、ブルーはご機嫌な様子で歩み、道案内を続けました。そして、しばらく歩んだ末に、耳をぴんと立てて声をあげました。
「ほら、ついたよ」
無邪気な彼の声に釣られてラズが前を見れば、その先にはキラキラと七色に輝く幻想的なベリーの大結晶が待ち受けていました。