2.チリンを連れた旅人
友の捜索作戦のためにオッソが頭を悩ませていたその日の昼前、町にワタリガラスの一族の客人が訪れました。
見るからに若い青年でしたが、その時代もまたワタリガラスの一族は一目置かれた存在でしたので、町の者たちは慌てて彼を迎え入れました。
城で頭を悩ませていたオッソもその報せを聞いてすぐに駆け付けました。そして、この度、やってきたその旅人を見るなり、小さなクマの目を丸くしてしまいました。
青年には連れがいたのです。影法師のような子馬の精霊。頭には一本角があり、背中にはチョウの翅があります。もうお分かりですね、ナイトメアの親玉チリンでした。
「あ……あなたは……」
震えながらオッソは青年を見つめました。オッソだけではありません。彼を迎え入れた町の人々──とくにクマ族を始めとした、もともとこの地にいた種族の者たちは、いずれもおそれるようにこの奇妙な二人組の旅人を見つめていました。
しかし、一方の青年は実に爽やかでした。そよ風を思わせる笑みを浮かべ、非常に丁寧な振る舞いで、オッソに一礼をしたのです。
「おもてなし感謝します。私は〈ゆりかごの都〉より来たワタリガラスの一族の者です。この子はナナ。見ての通り、精霊チリンなのだが、私と一緒にいる限り悪さはしませんよ」
この青年の名前については、残念ながら記録が残っておりません。
ただ、ナナという名前のチリンを連れた旅人の記録は、同じ時期に国の各地に残っていますので、恐らくは同一人物なのでしょう。
ともあれ、彼の自己紹介を聞いて、人々はざわつきました。というのも、悪さをしないチリンを連れた旅人という存在には心当たりがあったからです。
それは、はるか昔からこの地で語り継がれてきた伝説でもありました。
〈百年に一度、チリンを引き連れた薄明の旅人が現れるだろう。その旅路を決して邪魔してはならない。彼らの歩みはやがて竜の女神のもとへと繋がり、そして新たな時代の幕開けへと至るのだから〉
その言い伝えを巡っては、さまざまな恐ろしい話も付きまといました。
もしも、邪魔されてしまったらどうなるのか。語り継いできた部族や地域によってその詳細はまちまちでしたが、共通していたのは災いが起こるということでした。
勿論、コヨーテの客人たちは、そうした伝承を小さい頃から聞いていた者ばかりではなかったので、このナナの存在を非常に警戒しました。
それでも、ワタリガラスの一族への経緯はちゃんと持っていたので、危害を加えるような者もいませんでした。
オッソはひとまず安心すると、この二人をさっそく城に招きました。そして、現在抱えている状況を説明したのです。
ナナを連れた旅人は、静かにその話を聞きました。そして、オッソが語り終えると、穏やかな表情のまま言いました。
「……そうでしたか。では、やはり姉の話は本当だったようですね」
「お姉さんの?」
オッソが訊ねると、旅人はうなずきました。
「私の姉は、聖地を守る役目を授かっているのです。夢の扉の番人……恐らくあなたもご存じでしょうが、竜の女神のお告げを夢の中でたびたび受け、それを人々に話すことがあります。この度のお告げは、この地の森に眠る聖なるクマにまつわるものでした。恐らく、あなたがお捜しのお友達のことでしょう」
「なんと……扉の番人がベアのことを……」
オッソは驚きつつ、旅人にすがりつくように訊ねました。
「どうか詳しく教えてください。彼は……友人はいま、どこにいるのでしょうか」
「〈夕やみの森〉で間違いありません。けれど、彼はもうここへ戻って来ることは出来ないでしょう。最後の演説の話もおっしゃいましたね。その内容の通り、彼は女神のお告げを受けて、新たな役割を授かったのです。けれど、この地にまとわりつく争いの気配を心配し、竜の女神を通じて姉の夢にも現れたのでしょう」
彼はそう言うと、お行儀よく隣に座っていたナナの頭を撫でました。
「私はその方の悩みを直接聞くために、ナナをつれてここへ来ました。どうやらこの地は、たくさん傷ついてきたようです。傷が膿んでしまえば、治りはもっと遅くなる。……ナイトメアには大地にたまった邪気をはらう膿出しの役目もあるのです。どうか、ベアの捜索に、私たちも同行させてください」
断る理由など、オッソにはありませんでした。
その為、すんなりと旅人とナナの同行は決まりました。けれど、勿論、不安がる者もいました。特にコヨーテの客人からなる開拓民の一団は、ナイトメアの怖さをすでに知っていたので、その親玉でもあるナナへの警戒を解けずにいました。
──本当に大丈夫なのだろうか。悪さはしないだろうか。
そんな不安を口にするのは、城主としてのオッソを支える従者のウーバスも同じでした。
ウーバスはコヨーテの客人で、この国を旅してまわった経験を買われてオッソのもとで働いていました。しかしその旅の道中、国の南部でネコ化症候群という奇病にかかってしまった経験もありましたので、その姿はヒト族のそれではなく、飴色の目を持つ黒猫のようでした。
生まれ持った見た目から大きく変わってしまったわけですが、しかし、この姿も悪くないと黒猫姿に似合う服をたくさん新調している、ちょっと変わった性格の男性でもあります。そんな彼でさえも、ナイトメア──特にチリンはやはり恐ろしかったのです。
「噂によりゃ、しゃべるヒグマ連中とアタシらの仲がこじれたのだって、ナイトメアのせいもあるって話じゃないですか」
ウーバスの言葉は、実は間違っているわけではありません。確かに、人と人との仲がこじれるのは、個々のナイトメアの影響によるところもあるからです。けれど、オッソはそんな彼を諭しました。
「だとしても、ナナは違うんだってさ。私はあの旅人さんを信じてみようと思う」
そんな主人の飄々とした態度に、ウーバスは疑問を覚えながらも、最終的には尻尾を垂らしながら納得したのでした。
「オッソさんがそう言うのなら、アタシゃ反対しませんよ」




