33.英知を独占してはならず
ウルシーから思わぬお礼の品を貰った翌日、そして翌々日は、ラズたちはお店を閉め、旅立ちの為の買い出しに出ていました。そして、余った時間で行ったことが、〈図書の町〉の観光でした。
ブルーも連れて三人で回る〈図書の町〉はとても広く、端から端まで行こうものなら丸一日かかりそうです。
そこで、まずは主要の観光地を中心にまわりました。
町の各地には、スピリットベアの銅像と言葉が書いてあります。ブルーはどうしても読めないので、見かけるたびにラズやクランがその内容を教えてあげました。
「ここに刻まれているのは『英知を独占してはならず』だね。スピリットベアの有名な格言の一つだ」
クランが読み上げたのは、〈図書の町〉のシンボル的存在でもある〈古城図書館〉の庭に設置された銅像の台座に刻まれた文章でした。
ブルーが不思議そうにその格言を見つめていると、ラズがそっと補足しました。
「コヨーテの客人の知識層を中心に起こった議論と、それに対するスピリットベアの返答が元になった言葉なの。その当時、最新の技術や学問といった高度な知識は、コヨーテの客人たちがもともと暮らしていた大陸から流れてくることが多くてね。それらをこの地に継承して、現地に暮らす人達と共有して、という流れで開拓を行っていたんだけど、その際には必ず言葉の問題があったの」
「言葉?」
ブルーは不思議に思いました。彼にとって、言葉が通じるのは当たり前だったからです。けれど、昔はそうではなかったことを、ブルーはこの時初めて知りました。
「大陸の外ではね、今も別の言葉が使われているんだ。オレたちの祖先でもあるコヨーテの客人たちも、もともとはそっちの言葉を使っていたんだが、この大陸で使われていた言語を学んで、やり取りをしていたのさ」
「海外の言葉はね、昔はコヨーテ語って言われていたらしいの。最近は、コヨーテ族への誤解や差別につながるんじゃないかってことで、外国語……あるいはその国ごとの名前が用いられるようになったんだけど。ともかく、その当時から今も、海外の言葉は翻訳されることで、私たちにも分かるようになるんだよ」
「へえ、知らなかった。外では違う言葉を話しているんだ」
感心するブルーに、クランはうなずきました。
「ああ、だが、歴史がちょっと違えば、そうはならなかったかもしれないんだ。何なら、オレたちとブルーたちの間で言葉が通じなくなっていたかもしれない。そんな未来を阻止したのが、このスピリットベアの言葉なんだ」
「ええ? どういうこと?」
不思議がるブルーに、ラズは言いました。
「昔、この〈図書の町〉をつくるときにね、コヨーテの客人の知識層の数名が、母国から取り寄せる資料をいちいち翻訳して広めることへの疑問を語りだしたの。それよりも、いちいち翻訳なんかせず、現地の人達に最初から海外の言葉を学ばせて、みんなが読み解けるようにした方がいいのではないかって。公用語をそちらにそろえてしまえばいいって。それに賛成する声もあったのだけれど、そうなると問題もあったの。みんながみんな、母国語以外の言語を習得できるわけじゃない。得手不得手が必ず発生するって。だったら、分かる人だけで継承すればいい。海外の言葉を分かる人だけが、最新の知識に触れられるようにすればいい。そんな事が言われるようになった時に、スピリットベアはこう言った」
──英知を独占してはならず。
「ここを良い町にしたい。納得いく皆の居場所にしたい。それは、スピリットベアの願いであって、開拓に抵抗を示すホラアナグマの一族やしゃべるヒグマたちへの想いでもあったんだって。彼らにも認めて貰えるような町にしたい。だからこそ、この地で今生きている多くの人達が無理なく色んな知識に触れられる環境を整えたい。だから、絶対に、しゃべるヒグマにすら伝わるこの言語に翻訳しなければいけないんだ……ってね」
この言葉については、ラズたちの世界ではあまりにも有名でした。〈図書の町〉より少し南東へ進んだ先にある〈学問の町〉においても信条としてよくかかげられているほどでした。
学びにおいて、得手不得手は必ずある。そこを無視せずに、なるべく多くの者たちが、学びを得られなければ、その国は必ずや衰退するだろう。
そんな提唱があったからこそ、先人たちは海外から入ってくるさまざまな学問の翻訳をやめず、知識や技術は国中に広く伝わっていったのです。
「このおかげで公用語も変わらないままだった。町の人達の言葉がブルーにも分かるのも、スピリットベアのおかげなのかもしれないね」
ラズの言葉に、ブルーは目を輝かせました。
彼にはまだ文字が読めません。それでも、町を行き交う人々が何を言っているのかは、理解できました。それすらもラズたちに頼らなくてはならない未来があったかもしれないと思うと、身震いしてしまいました。
ブルーはあらためてそうではなかった今の時代に感謝し、スピリットベアの銅像を見つめながら心の中でお礼の言葉を述べたのでした。




