31.春の終わりを感じる頃に
次なる行き先とその時期が決まってしばらく、ラズたちは〈図書の町〉でテキパキと仕事を続けました。
春分の祭りも過ぎてしまえばあっという間。深まりを見せていた春も、日が経つごとに見ごろの花の種類が少しずつ変わっていき、気づけば夏の足音も聞こえてくるような時期になってきました。
早いもので、ラズとブルーが出会った日からもうすぐ一か月でした。それに、〈図書の町〉に足を踏み入れたあの日からもほぼ一か月です。
ブルーの登録の更新も迫っているこの時期にラズたちが視野に入れたのは、この町を去る事でした。
「オレは南へ、ラズは北へ。オレが一緒じゃないからってさみしがるなよ」
共に地図を覗きながら、からかうように笑うクランのその言葉に、ラズはあきれ気味に言いました。
「さみしいのはクランの方じゃないの?」
「まさか。祖母ちゃんたちが待っているのにさ」
「それもそうか。でも、私だってさみしくはないよ。ブルーと一緒だもの」
クランとブルーが出会ってからも、もうすぐ一か月。
最初の頃こそ、ブルーに対して疑いの眼差しを向けていたクランでしたが、さすがにこの一か月、寝食を共にしてきただけあって、ブルーがどういうオオカミなのかをすっかり理解していました。
そのブルーはというと、ラズとクランの大事な話し合いを邪魔しないように、しゃべるオオカミ向けに調理された血のベリー入りホットサンドに夢中になっていました。そこへ、クランはとことこと近づいていって声をかけました。
「おい、ワンコロ」
「ボクのこと?」
無邪気に顔を上げて尻尾まで振るブルーに、クランは少々あきれながら言いました。
「こら、誰にでも尻尾を振るな。もっとしゃんとしろ。そんなんじゃ、ラズのボディガードになれないぞ」
「別にいいんだよ、ブルーはそのままで」
ラズは離れた場所からそう言いましたが、ブルーはそれを聞いて、慌てたように姿勢を正しました。
イメージするのは〈図書の町〉で過ごしている間に一度だけ見たイヌ族の軍人です。私たちの世界ではドーベルマンとして知られる犬種によく似た見た目の男性でした。
勇ましくカッコよかった彼になったつもりでピシッとするブルーの姿に、クランは少しだけ見直したようにうなずきました。
「なるほど、そうやって姿勢を正すとさすがに様になるな」
「でしょー? ボク、これでもオオカミなんだからさ」
そう言ってえへへと笑ってしまうと台無しです。クランはあきれながら言いました。
「こらこら。誉めたそばから、そんな顔をして」
「ごめんなさい」
叱られてしゅんとするブルーの姿に、ラズは軽く笑いました。
「いいんだってば。私にはベリー鉄砲もある。ちゃんと的当て屋で練習したでしょう。百発百中。腕も鈍っちゃいないよ」
「そうやって過信するのも良くないんだ。あーあ、なんで逆回りに旅をするって決めちゃったかなー。オレも〈銀幕の町〉にとんぼ返りしようかな」
「もう。駄目でしょう。母さんだってクランに会いたがっているだろうに。手紙は嬉しいものだけれど、やっぱり顔を見るのが一番って言っていたよ?」
ラズの言葉に、クランはため息をつきました。
「それもそうか。オレだって故郷には顔を出したいし。どっかの誰かとは違ってね」
長兄ブラックへの皮肉も忘れずにそう言うと、広げられた地図の前へと戻りながらクランは言いました。
「ああ、そうそう。〈銀幕の町〉に行くならさ、絶対に劇場は行くべきだよ。安全オオカミの観劇もたぶん大丈夫だろうし、人間の世界を紹介するのにもってこいだろう」
「確かにそうだね。なにせ、せっかくの〈銀幕の町〉だし」
「映画もいいし、舞台もいい。けれど、やっぱりオススメは舞台かな。映画は〈ゆりかごの都〉にもっと大きなシアターがあるからね。ちなみに舞台の方だと、オレが行ったときに話題になっていたのはスターライト歌劇団だったね」
「スターライト歌劇団? 劇団ギャラクシアやコヨーテ座じゃなくて?」
ラズが驚いたのには訳があります。〈銀幕の町〉が演劇の町であることはよく知っていたのですが、伝統的にも話題になりがちだったのが、劇団ギャラクシアとコヨーテ座の二つと決まっていたからです。
「ああ、その二つも安定の人気だったよ。だけど、そこに食らいつく第三勢力みたいな感じで最近になって伸びてきたんだって。新座長のセンスがいいって話だけど、それに加えて看板女優がいいんだよ。垂れ耳ウサギ族のシュガーの歌は絶対に聞いた方がいい」
「へえ、垂れ耳ウサギ族が看板女優なの。なかなか興味深いね」
ウサギ族というのは〈銀幕の町〉に暮らす人間の約半数をしめます。けれど、ラズが感心したように、ウサギ族の看板役者というのは珍しい存在でした。
昔から演劇で有名だった町なのですが、その盛り上がりをさらに広げたのが、この町を開拓したコヨーテの客人たちだったためです。
町のことが有名になると、国中から役者志望の人達が集まりましたが、やっぱり舞台映えするコヨーテの客人か、もしくは同じヒト族のワタリガラスの一族などが有利であるのは変わらず、他の種族の人間たちは良い役に恵まれないのがほとんどでした。
コヨーテ座はまさにコヨーテの客人たちが中心となって築いた劇団で、今でもコヨーテの客人の役者が多く所属しています。
それに対抗するように生まれたのが劇団ギャラクシアで、こちらは〈雪花の町〉出身のダイアオオカミの一族の男性の座長が中心となって立ち上げられ、以来、様々な劇をしています。
しかし、元来、ウサギ族が暮らしていた地域でありながら、ウサギ族が中心となった劇団はなかなか盛り上がっていなかったのです。
スターライト歌劇団もその一つでしたが、ラズが前に町を訪れた時はそうでした。
知らない間にどうやら色々と変わっているらしい。その事をラズは実感し、ちょっとの不安と大きなわくわく感を胸に抱いていました。
と、客室の扉がノックされたのは、そんな時の事でした。




