21.しゃべるヒグマの血を継いで
しゃべるヒグマ。それは、ラズにとっても、クランにとっても、恐ろしい存在でした。だって、お父さんの命を奪った種族なのですから。
けれど、実際にお父さんを襲ったのは、目の前にいるウルシーではありません。おそらく、ウルシーの祖父でもないでしょう。だから、ラズはその恐怖をぐっとこらえて、ウルシーの話に耳を傾け続けました。
二人の表情に気づいたのでしょう。ウルシーは苦笑しながら言いました。
「驚きますよね。でも、本当なんです。私の母は、〈夕やみの森〉の奥にある小さな家で育ちました。そこでクマ族の祖母としゃべるヒグマの祖父に愛されながら育ったんです。そして、たまたま森を訪れたクマ族の父と出会って、恋人になったんです」
「クマ族としゃべるヒグマの……」
クランはぼうぜんとしながら繰り返しましたが、はっと我に返ると、そのまま黙り込んでしまいました。失礼な態度だったと思ったのでしょう。一方のラズも、動揺を必死に隠しながら聞き続けました。
ウルシーの話は続きます。
「大昔はこういう事も普通にあったそうなんです。けれど、近年は非常に珍しくて、あまり私のような血筋の者はいません。だから、なのでしょうね。子どもの頃は学校でよくからかわれたものでした。ただ、大きくなってからはあまりそういう事もなくなって、すっかり安心していたのですが……」
残念ながら、ウルシーへ向けられる一部の人の異質のものを見る眼差しというものは、どうやら何も変わっていなかったのです。
もともと、しゃべるヒグマという存在は、クマ族たちにとって複雑な感情を抱く相手でした。
〈夕やみの森〉に不用意に近づけば、襲われて傷つくクマ族も当然いました。それに、スピリットベアへの信仰を巡っても、対立はしばしば起こっていたのです。
クマ族たちは、誇りをもって〈図書の町〉を築きました。その理由の一つは、スピリットベアの言葉をたくさんの人に広めるためです。
けれど、しゃべるヒグマたちからすれば、それは竜の女神への裏切りでした。
木々を切り開き、便利で不自然な町を築いていくクマ族たちの姿は、しゃべるヒグマたちには醜悪なものに感じられたのです。
だからこそ、根本的には分かり合えませんでしたし、だからこそ、お互いがお互いを恐れ、嫌い合うという状況が、百年以上も続いていったのです。
その歴史の重みのせいでしょう。しゃべるヒグマの血を継いだウルシーの存在を、過度に恐れる声が聞こえるようになりました。
最初は取るに足らないろうそくの灯のような小さな声でした。けれど、いつの間にかその声は大きくなり、気づけば、ウルシーひとりではどうしようもないほど激しい炎となっていたのです。
「どうやら、ゴシップ屋の一部の人がここぞとばかりに私についてあることないこと語り歩いていたみたいで、それを真に受けた人達が、私の本を出している出版社に抗議の手紙を送ってくるようになったんです」
その数は日に日に増えていきました。
困り果てたウルシーや、出版社のひとたちは、〈図書の町〉の警察に相談しました。警察は事態を重く見て取り締まるようになりました。
しかし、それでも人々の憎悪は治まりませんでした。
しゃべるヒグマの陰謀だ。自分たちの町が内側から破壊される。
そんな不安を語る人も現れて、ウルシーへの苦情はどんどんひどいものになっていきました。
「そんな事は思っていない。そんなつもりはない。何度もそう言ったのですが、意味をなしません。彼らは恐れているみたいなんです。私に流れている祖父の血を。しゃべるヒグマの系譜を」
そしてある日、ウルシーのもとへと届いた匿名の手紙が、彼の心を完全に折ってしまいました。
──しゃべるヒグマの描いた絵本なんて、子どもにはとても読ませられない。
「……ひどいな」
ふとクランがつぶやきました。ラズも同じくそう思いました。二人の中にはもう、ウルシーへの恐れはありませんでした。
ただただ、目の前にいる大きなクマの男性が傷ついていることが伝わってきて、心が痛んだのです。
けれど、ウルシーは悲しそうに笑って言いました。
「きっと、みんな怖いんです。私も小さい頃にこの町の学校で歴史を習いましたから。お二人も恐らくご存じの通り、〈図書の町〉や〈夕焼け村〉の開拓の際は、大変な戦いが起こりました。コヨーテの客人に協力していたクマ族の開拓団は、同じ祖先をもつというしゃべるヒグマたちから裏切り者と厳しくののしられ、時にはコヨーテの客人よりも激しく攻撃されたのです。その恐怖は今でもよく語り継がれていますし、今だって森に入ってしゃべるヒグマに襲われる人間はたくさんいます。だから、その血を引いているというだけで、怯えずにはいられないのでしょう」
「で、でも、ウルシーさんはそんな人ではないのでしょう?」
ラズは言いました。ウルシーは頷きつつも、言いました。
「けれど、そんな事は関係ないのです。私は純粋なるクマ族ではない。それだけで、排除する理由としては十分すぎるのでしょう」
幸い、というべきでしょうか。ウルシーの本を出していた出版社の経営者たちは、ウルシーに対して同情しました。ウルシーが何も悪くないことをきちんと分かっていたので、気にする必要はないと声をかけたのです。それでも、ウルシーの心の方が先に折れてしまいました。
もう何も書くことはできない。自分にぴったりなのは、この見た目に相応しく、なるべく人々の役に立つような別の仕事だ。
それが、ウルシーの結論でした。




