16.ベリー市場の賑わい
お店を出してしばらく。ラズとクランの心配をよそに、春分の祭りの時期のこのベリー市場では、小さな通りまで訪れるお客さんは多かったようです。
西側の混雑を嫌った人達の中には〈図書の町〉の南住宅街と繋がる南側の入り口から市場を訪れたりもしましたので、むしろこの場所は、そういったお客さんが多く立ち寄れたようでした。
もちろん、そうは言っても売れ行きはゆったりとしたものでしたが、少なくとも売れなくて困るということはなさそうです。
「それにしても、たくさんの人。去年の春分の祭りを思い出すな」
ラズがしみじみとそう言うと、隣でくつろいでいたクランもうなずきました。
「ああ、相変わらずこの時期はすごいね。他の町もこうなのかな。〈夕焼け村〉だって春分の時期はそわそわしたものだったけれど、つくづく思うよ。町ってにぎやかなんだなって」
「同感」
短くうなずくと、ラズは故郷での春分の祭りをふと思い出しました。
ラズたちの国での春分の祭りは、その名からイメージできる通り、春の深まりを祝うお祭りですが、それだけではありません。その日はお墓参りをするのが古くからの習慣になっていました。
なんでも、コヨーテの客人たちがこの大陸にやって来るより昔から続く伝統だというのだから驚きです。やらねばならないというよりも、そういうものなんだという認識でずっと続いているのですが、この機会に家族で集まったり、故郷に里帰りをしたりするので、春の温もりと合わさって特有の明るさがありました。
実際に、ラズたちがこの通りを眺めているだけでも、行き交う人々の表情は明るく、おだやかなものでした。
客人の多くはクマ族です。
前にお話した通り、〈図書の町〉の住民の大半はクマ族なので当然です。ラズもクランもクマが少し怖いのだという話はしましたが、ずっといると慣れてくるもので、時間の経過、それに接客の回数と共に、いちいちビックリすることもなくなっていきました。
ラズたちのお店を訪れるクマ族たちは、普通のお客さんたちなのだから当然かもしれません。同じ人間として暮らしている彼らも、見た目こそ違えどもヒト族と何も変わらないのです。
特に、子どもたちはそうでした。親子でやってくるクマ族の子どもたちは、その多くがお店に並ぶベリーをキラキラと輝く目でながめていました。その無邪気さと愛らしさは、ヒト族の子と何ら変わりないのです。
彼らを相手に接客を続けて数時間もしないうちに、ラズはすっかりクマへの恐怖を忘れてしまいました。
少なくとも〈図書の町〉にいる間は、かねがね抱えているようなわずらわしい偏見と恐怖に悩まされることはないでしょう。
ただし、これが完全に消えるわけではないというのが、厄介なところでもありました。
きっとこの町を去って、来年の春ごろに再び来ることになった際も、同じように悩むことになるのでしょう。それでも今だけは、住民の大半がクマ族というこの環境を、ラズは楽しむことにしました。
さて、そんな心意気のおかげでしょう。ラズの内心の葛藤などはさとられることもなく、この町のために用意したベリーはどんどん売れていきました。事前に見込んでいた通りの売れ行きにラズはほっとしました。
お父さんがおらず、老いたお祖母ちゃんと病気がちなお母さんの残された実家では、家を守るお姉さん──グースの稼ぎだけではやはり心許ないものがありました。
その上、ワタリガラスの一族のお仕事にかかりきりで連絡すらよこさないお兄さん──ブラックはたよりになりません。そういうわけで、各地を旅するラズとクランは、ベリー売りの稼ぎの一部をいつも実家に送っていたのです。
──これなら仕送りも大丈夫そう。
ほっと胸をなでおろしたその時でした。突然、ベリー市場の中で騒ぎが起きました。
悲鳴のような声と怒声が同時に伝わってきて、ラズもクランも思わずそちらに目をやりました。ラズたちから見て北側に人だかりができています。どうやら騒ぎが起きているのはその場所のようでした。
「なんだ? 泥棒か?」
ベリー市場ではたびたび起きるもめごとでしたが、どうも様子が違います。やがて、もめたような人々の垣根を割って入ったのは、この市場を管理する責任者──ベリー市場〈図書の町〉支部長であること示す帽子をかぶったクマ族の男性でした。委員会の事務所で手続きをしてくれたあの人です。
「やあ、すまないね、通してくれる?」
冷静な口調で彼は騒ぎの中心へと入り込むと、そのまま下へと視線を向けました。
迷子でしょうか。それにしても妙です。見守りながらラズが不思議に思っていると、やがて、クマ族の支部長は何かを抱き上げつつ身を起こしました。
「何処から来たんだい。〈氷橋〉はうんと北のはずだが」
そう言いながら彼は抱き上げた相手を問い詰めます。その様子を遠目から見ていたラズは、目を丸くしてしまいました。
「ち、違うよ。ボク、〈夕やみの森〉からここにきて……」
その声が聞こえた途端、群衆はどよめきました。ラズもまた震えてしまいました。
──ああ、間違いない。
「見ろよ、あれ。しゃべるオオカミじゃないか。安全オオカミの印は……ないようだな。どこから入ってきたんだろう……」
怯えたような声をあげるクランに対して、ラズは早口で言いました。
「ごめん、クラン。ちょっと店番していて!」
「えっ、あ、ちょっと、ラズ……!」
クランが止める間もなく、ラズは店を飛び出しました。向かうは勿論、群衆のもとです。支部長は不思議そうに抱き上げたオオカミの顔を確認しています。その迫力のある姿に、どうやら相手は委縮しているようでした。
ラズは急いで駆け寄ると、どうにか中へ入れてもらいました。そして、支部長に声をかけたのです。
「支部長さん、あ、あの……!」
周囲にいるクマ族たちからすれば、うんと背の小さいラズですが、懸命に声を上げました。すると、支部長に抱えられていたオオカミもまた、ラズの存在にようやく気付きました。
「あっ、ラズ!」
そうです。騒ぎのもとはブルーだったのです。途端に嬉しそうに尻尾を振る彼の姿に、ラズは妙な安堵を覚えました。そんなふたりの様子を確認すると、支部長は不思議そうにたずねました。
「さっき手続きをした方ですね。この子と知り合い?」
彼の質問にしっかりとうなずくと、支部長はちらりとブルーの顔を見つめると、何かを納得したようにその体を地面へとおろしました。
解放されたブルーは不思議そうに支部長を見上げましたが、やや尻尾を落としながらラズのもとへと近寄ります。ラズはブルーをかばいつつ、支部長を見上げました。支部長は冷静な口調でラズに言いました。
「そうですか。知り合いなら問題ないですね」
そして、すぐに顔を上げると、周囲に集まっていた群衆へ向かって声をかけました。
「さあさ、皆さん。トラブルはこれにて解決しました。貴重な時間はベリーのために」
その掛け声に、周囲の者たちはやや腑に落ちない様子ながらもあっさり解散してしまいました。すっかりその場が落ち着くと、支部長はそっとラズに告げました。
「知っているとは思いますが、あらぬトラブルを避けるには安全オオカミの印があったほうがいいですね。黙認する人も多いとはいえ、通報があれば警察や保健所が動くこともあります。お友達を大事にしたいなら、役所で手続きすることをおすすめします」
「はい……あの、ありがとうございました」
ラズがお礼を言うと、支部長もまた帽子を上げ、そのまま去っていきました。