13.ひとりぼっちの夜
夜になりました。
ブルーはラズから貰ったお礼の品をくわえ、スピリットベアのもとへと戻っていきました。
そこにはもう誰もいません。どうやら、しゃべるヒグマたちも、カラスの友達も、ワタリガラスの一族のお兄さんも、しばらく用がないみたいで、姿を現しません。
話す相手もいないその空間で聞こえてくるのは、綺麗な虫たちの声でした。歌にしろ、おしゃべりにしろ、ブルーには何と言っているのか分かりません。
フクロウなどかろうじて言葉の通じそうな夜の鳥たちも何やら歌をうたっていましたが、どこにいるのかさえも分からないままでした。
ブルーはスピリットベアをじっと見つめました。ベリーランタンのないその場所をいま照らしているのは、このスピリットベアの輝きだけです。
一昨日までは常識だったそれが、とてつもなく寂しいことのように思えてならなかったのです。
「昨夜は……楽しかったな……」
呟いた途端、ブルーの目から大粒の涙が流れていきました。ずっと我慢していた悲しい気持ちがあふれだしてきたのです。
そばに誰かひとりでもブルーの友達がいれば、恥ずかしいという気持ちが勝ってぐっとこらえることも出来たでしょう。けれど、今宵の彼はひとりぼっちです。それだけに自分が泣いていることに気づいた瞬間、ブルーは我慢できなくなってしまいました。
流れるままに涙をこぼし、それでもぜんぜん収まらなくて、わんわん泣きながらしゃがみ込むと、気持ちを誤魔化すようにラズから貰ったベリーを食べ始めました。
料理されていないサーモンベリーは、いつも食べる血のベリーによく似ていました。おいしいし、十分すぎる恵みなのですが何かが足りません。それが、昨日、お皿に盛って貰ったお料理の温もりであることに気づくと、悲しみがどっと深まってしまいました。
「ラズ……ラズ……さみしいよ……どうしよう」
泣きながら前足で目元を隠し、ブルーは何度もつぶやきました。
「どうして……どうして引き留めなかったんだろう……どうして約束しなかったんだろう……どうして──」
と、思うままに言葉を口にしているうちに、ふと、ブルーはある事に気づいたのです。
「どうして……ボク……ついて行かなかったんだろう」
ブルーは顔を上げました。その気づきがあまりにも大きくて、悲しみが一瞬だけ引っ込んでしまいました。
涙がぽろりとこぼれ、新たな涙が生まれなくなったその目で、彼はスピリットベアの輝きを見つめました。そして、自分の頭に浮かんだ思考を静かにまとめていったのでした。
「ボク……ラズとここで暮らすことばかり考えていたかもしれない。ラズを引き留めたくて、でも、引き留められる状況にないからってあきらめていた。だったら、ボクがついて行けばよかったのに」
そうです。
それが、ブルーの気づきでした。
再び立ち上がったブルーは、じっと元来た道を見つめました。ラズの向かった町が何処にあるのかは知っています。
問題は、自分のようなしゃべるオオカミが立ち入っていい場所なのかということです。けれど、実のところブルーは知っていました。
しゃべるオオカミという身分でありながら、人間たちの世界で暮らしている者もいるということを。
「昔、ダイアオオカミの一族が言っていたっけ。二本足の人達と暮らすことが許されたオオカミは、安全オオカミって呼ばれているんだって。麓の町だけの決まりじゃなくて、この国全体の決まりなんだって」
では、自分もその安全オオカミになればいいのでは。
兄姉を始め、家族はあまりオススメしない生き方でした。でも、それを選択したオオカミはいるわけです。ならば、自分にもなれるのでは。
その思いが頭に浮かんだ瞬間、ブルーはもう他の道が見えなくなってしまいました。そうだ。それがいい。なんで今まで気づかなかったのだろう。そんな思いが川の流れのように押し寄せて、あっという間にそうすべきことだという結論へと変わってしまいました。
ブルーは興奮気味にその場をきょろきょろして、ふと背後のスピリットベアへと視線を向けました。
「ねえ、もしかして、これは竜の女神さまのお導きなの?」
答えは返ってきません。いいえ、仮に返ってきたとしても、ブルーの気持ちはもう固まっていました。
ブルーはすぐにラズから貰ったお礼の品の残りをハンカチにまとめました。そして、まとめてくわえると、すぐに駆けだして、〈ハニーレンガの道〉を目指しました。
〈夕やみの森〉はあっという間に過ぎ去っていき、ラズと共に歩んだよりも倍以上の速さで〈夕焼け林道〉へ。そして、その〈夕焼け林道〉も駆け抜けていき、〈たそがれ街道〉へと抜け出しました。
ここから先は人間の世界。ブルーたちのいう所の二本足の世界です。一歩、二歩と踏み出してから、ブルーは不意にこれまで暮らしていた森を振り返りました。第二の故郷でもあったその場所をじっと目に焼き付けると、心の中で静かに別れを告げました。
──今までありがとう。お世話になりました。
それは、友達だったしゃべるヒグマたちや、ワタリガラスの一族、しゃべるカラスなどの交流のあった者へ向けての言葉でしたが、それ以上に、命ひしめくこの場所そのものへの言葉でもありました。
ちゃんとお別れを告げると、途端にブルーの足は軽くなりました。
目指すは〈図書の町〉……ラズのいる場所へ。ブルーは迷うことなく駆け抜けていきました。