12.お別れの遠吠え
真夜中、ラズとブルーは寄り添い合って眠りにつきました。
いつ、誰が来てもいいように、ブルーは神経を研ぎ澄ませていましたが、幸いにも誰も来る事もなく、いつしかぐっすり眠ってしまいました。
思えば誰かと一緒に眠るのは、ブルーにとっては久しぶりの事でした。しゃべるヒグマの友達も、ワタリガラスの一族やしゃべるカラスの友達たちも、話すことはあっても一緒に眠りにつくなんてことはなかったからです。
ブルーが最後に誰かと眠ったのは、〈氷橋〉で家族たちと暮らしていた頃です。ブルーにとってはとても昔の事でした。そして、久しぶりの誰かの気配は、ブルーにとって心休まる癒しでもありました。
目が覚めたあとも、しばらくはその幸福感に満ちていました。
一緒に朝ご飯を食べて、軽く雑談をする。そんなさり気無い時間が、あまりに楽しかったのです。
けれど、そんなひと時も間もなく終わりが近づいていました。懐中時計の針が、ラズの旅立ちの時間を知らせたのです。
「……そっか。じゃあ、もう行かないとね」
ブルーは言いました。言葉にした瞬間、涙がこぼれそうになったのに気付きました。けれど、ぐっとこらえ、彼は続けて言いました。
「さっそく行こうか。ついてきて。ボクが先導するから」
張り切ったような声でそう言うと、迷いを断ち切るように先へと進みました。荷物をまとめたラズが、それに続きます。ベリーランタンの明かりを頼りに足元を見ながら、スピリットベアを背に一歩一歩踏みしめるように。
その前をちょこちょこ走って時折振り返る愛らしいオオカミの姿が目に入るたびに、ラズは愛らしさと共に少しだけ寂しさを覚えていました。
そう、ラズにとってもこのお別れは寂しかったのです。けれど、ラズは旅のベリー売りです。一年以上、この国を一周してきたのです。その間にも、こうした寂しいお別れは何度も経験してきました。だから、足を止めて、ここに留まるという選択は、はなから頭になかったのです。
ブルーはそれを悟っていました。わざわざ言われずとも、ラズの足取りから伝わっていました。だから、引き留めたい気持ちを必死に隠して、忘れ去られた小道を歩き続けたのです。そうして、ふたりは〈夕やみの森〉を抜けました。ブルーにとっては、思いも、迷いも、断ち切れぬままに。
「ついちゃったみたい。〈ハニーレンガの道〉ってこれだよね?」
茂みから顔を出し、目の前を横切るように続いているレンガ道を見つめながら、ブルーはラズに言いました。
ラズもまた後ろから追いつくと、ふと安心したようにため息をもらしました。ここまでの間、しゃべるヒグマに遭遇せずに済みました。運が良かったのもあるかもしれませんが、きっとブルーが一緒だったおかげでしょう。
「ありがとう、ブルー。ここからはきっと安全だね」
そう言って茂みを乗り越える彼女に、ブルーは慌てて続きました。ラズはさっそく〈ハニーレンガの道〉の北へと視線を向けました。
しばらくは〈夕やみの森〉よりもだいぶ明るい〈夕焼け林道〉が続きます。その端へと寄って歩き出すと、ブルーもまたその真横にくっつくように歩き出しました。
「でも、油断しちゃだめだよ。二本足の人にだって悪者はいるんでしょう?」
共に歩きながらブルーは言いました。
「そうだね。だから、ベリー鉄砲があるの」
「ベリー鉄砲? 二本足の人同士でも使うんだね?」
「うん。……むしろ、その方が多いかもしれない。だから、人が多い場所でも常に気を付けていないといけないの」
ラズの言葉に感心しながら、ブルーは足取りを合わせて進みました。本当はもっとゆっくり歩きたいところなのですが、そんな事をしてラズを困らせるわけにもいきません。なので、隣でちょこちょこと歩き続けました。
そのためでしょう。〈夕焼け林道〉はあまりにも早く終わり、あっという間に、〈たそがれ街道〉が見えてきました。ラズの言っていた、堺のあたりもすぐそこです。ブルーは、一歩一歩、足が重たくなるのを感じながらも進んで行って、とうとうその場所にたどり着いてしまいました。
「……あれが……〈図書の町〉だね」
疲れと寂しさの入り混じる声でブルーは言いました。見えているのは、〈たそがれ街道〉を進んだはるか先に薄っすらと見える大きな町です。故郷の家族たちが、あまり近づかないようにとブルーに忠告した場所の一つです。
「よかった。お日さまもまだ真上ってところだし、今から進めば夕方より前には宿につきそうだね。ブルーのおかげだよ。本当にありがとう」
心からの感謝を込めてラズはお礼を言いました。そして、「忘れないうちに」と、ブルーの足元に置いたのは、昨晩、ブルーにあげていたお礼の品でした。ハンカチに包まれたベリーたちです。ここに来るまでにラズが代わりに持っていたのですが、昨日、目の前で包んだサーモンベリーの他に、はちみつベリーや血のベリーも入れてありました。売り物のベリーのうち、ブルーが好みそうなものだけを少し分けて入れておいたのです。
「この一夜、あなたと過ごせてとても楽しかった。それに、色々と学びもあった。貴重な機会をありがとう。ブルー。またここへ来た時に会えるといいな」
「きっと……きっと、会えるよ」
ブルーはそう言って、言葉をつまらせました。これ以上、喋ると泣いてしまいそうだったからです。そんなブルーに対して、ラズは微笑みを向けると、さっそく、〈たそがれ街道〉へと踏み出しました。
「じゃあね、ブルー。元気でね」
手を振りながら去っていく彼女を、ブルーは顔を上げて見送りました。
「バイバイ、気を付けてね」
立ち上がり、手を振る代わりに尻尾を振り、そして、目元にじわじわと熱いものがこみ上げてくるのに気付くと、ブルーは天に向かって吠えました。お別れの遠吠えです。その合図の意味はきっとラズには伝わっていないでしょう。けれど、ラズにも聞こえたようで、お返しに手を振ってきました。
──ああ、もうあんなに小さく……。
ブルーはその後もしばらくラズの背を見送り続けました。やがて、ラズの姿が見えづらくなり、完全に見えなくなってしまった後も、日が暮れてしまうまで、その場にしゃがみ続けていました。