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最強忍者は異世界を無双する  作者: 春日部 語
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序章

 徳川家康が征夷大将軍となり、いわゆる江戸時代といわれる世となり100年余り。

 文月27日、亥の四つ刻。(文月は旧暦の9月、現在の10月頃、亥の四つ刻は23時の少し前程度)


 九州のとある城の、窓のない部屋の天井の一部が音もなくずれていく。

 夜空には、細い細い下弦の月は明け方まで上らず、月のない空には星だけが瞬いている。


 そんな星明かりしかない夜、廊下には星の明かりが微かに差し込むが、閉じられたら引き戸の中の部屋の中に漏れてくる光などなく、完全な闇だった。

 その闇の中、僅かに輪郭を与える程度の、灯りとも言えぬものが、ずれた天井から漏れてくる。

 空気穴を開けただけの竹筒の中、小さな蝋燭の炎から放たれる光が小さな空気穴から漏れ、天井裏を微かに照らした残滓が、窓のない部屋に僅かな輪郭を与えたのだ。


 そこに天井裏からスルリと人影が降りてくる。


 音もなく降り立った影は、朧気な輪郭しか与えられていない部屋の中を苦もなく移動し、部屋に据え付けられた棚から、一刻ほど前にこの部屋に持ち込まれた箱を取り出した。

 箱を開け、中から一枚の紙を取り出し、広げてみる。

 暗い暗い部屋の中、常人には紙が広げられているかさえ判別が難しいそれを、影は確認する。

 真新しい墨の香りと、それに混じって鉄の香りがする。

 指先で墨の香りをなぞり、幾つかの文字を確認し、確信する。


 影は薄い和紙に親指の爪を差し込み、広げ、それを起点に左右へ割いた。

 静寂の中、紙の割かれる音が響いたが、閉じられたら部屋の外に漏れた音は、秋の虫の声と混ざり合い、聞き取ることができる者はいなかった。

 影の左右の手には、元の半分の厚みになった血判状がそれぞれ握られていた。

 それぞれの血判状を天井の穴にかざし、損傷が無いことを確認して片方を懐にしまい、もう片方には裏側に何かを吹き付けると、薄い和紙を貼り付けた。

 血判状より少し大きめの和紙を貼り付けたため、はみ出した分を指先で確認しながら苦無の先端で切っていく。

 鮮やかな手並みで切り離すと、もはや元の血判状と見分けることが出来ない状態に戻っていた。

 それを箱に納めて棚に戻し、スルリと天井裏に戻ると、また音もなく天井の一部がずれていき部屋は完全な闇へと戻った。


 影はどこをどう移動したのか、城の軒に片手でぶら下がっていた。

 苦無を垂木に突き立てると、和紙の詰め物が抜け、1寸(3cm)程の穴が現れた。

 影が城へ潜入して2ヶ月弱、最初に行ったのが、この脱出経路となる垂木の穴あけだった。


 いつの間にか苦無から持ち替えた、真っ黒に染色された縄を垂木の穴に通し、縄を利用し垂木に逆さまに立ち、一旦身体を固定する。

 懐に残してあった縄を取り出す。太さは2分(6mm)程度ではあるが、25間(45m)程もあるため、かなりの量になる。

 先端には鉤が付けられてはおり、その重みを利用し回転させ遠心力で勢いをつけたそれを飛ばす。

 狙うのは堀を挟んだ13間程先の、潜入前に目星を付けておいた木の枝だ。

 端からは分からないように巻き付ける対象の枝の周りの枝は剪定済みだが、予想外に潜入が長引いたので状況は少し変わっているかもしれない。


 星灯りしかない夜、常人にはぼんやりとした影にしか見えない真っ黒な木を睨みつけ、死角にある枝へ鉤縄を投げる。

 遠心力で飛ぶ鉤の勢いを殺さぬよう巧みに縄を送り出す。

 鉤縄は木の斜め下方から上向きに、僅かに弧を描きながら飛んでいく。

 上からで他の枝が邪魔をするし、その枝を剪定すれば露骨な剪定を行わなければならない。

 軒の上からでも、下から弧を描くように投げる事は可能だが、どうしても角度がきつくなり、目星を付けた枝に巻き付ける事はかなり難しいだろう。

 そのため、影は軒天に張り付き、少しでも下から鉤縄を投げる必要があった。

 そのお陰で、鉤縄は見事に巻きつき、枝に固定された。


 いや、普通の者が行ったのなら、10に1つも成功しない、届きすらしないであろう。

 ましてや月すらない暗い夜に、鉤縄の扱いに長けた者ですら、運頼り、いや、神頼みだ。

 だが、影は当然の結果と言った体で身体を固定していた縄を外し、垂木の穴を通した縄を引き絞り始めている。

 軒天に逆さに立ったまま、ギリギリと引き絞る。

鉤縄をかけた木がゆっくりと大きくしなる。

 かなりの力が加わっても、たった2分の細い縄はビクともしない。

 里の女衆が何年もかけて集め、紬、縒り、編み込んだ蜘蛛糸の縄は、里の宝の一つだ。

 里で最も優れた者のみが使うことを許されたそれは、軽くしなやかで、何よりも強靭な縄だ。

 普段は特殊な編み方で胴当ての形にし着込んでいる。


 影は縄を特殊な縛り方で固定すると軒に上がり、縄の端を持ったまま縄の上を走り出した。

 少し走ると大きく跳んだ。ちょうど縄の長さがいっぱいになり、手に持った縄を引くと、結び付けた垂木から、縄はなんの抵抗もなく、スルリと解けた。


 縄が解けると、大きくしなった木は元に戻ろうと縄を引き始めた。

 縄を引いたのと逆の手で縄を木が引いていく縄を掴みながら、引いた縄を巧みに操り引き寄せる。

 縄を走り、跳び、だめ押しで木のしなりを利用して、影は堀を悠々と飛び越えた。

 着地と同時に前回り受け身をし、更にその勢いで立ち上がる。その後ろを手繰った縄が落ちてくる。

 木が揺れ、葉がガサガサと音を立てたが、その音に意識を向ける者の気配はなかった。


 先程まで鳴いていた虫たちは警戒して静まり返っていたが、鉤縄を外し、縄を拾い上げ、僅かに残った痕跡を消す頃には、再び鳴き始めていた。


 縄を懐に押し込むと、虫たちの大合唱にかき消されるように消えていった。

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