第二話
鹿はすかさず突進してきた。もちろん避けるが、剣を振るう力がない俺ではその動きに合わせて後ろ脚を切り付けることはできない。そうして避けている内に壁際まで追い込まれてしまった。幸いにも横にスペースがあるため避けることは容易だが
そう何度も避けていてはすぐに体力の限界が来ると思い、ここで覚悟を決める。
「さあ 来い! お前を絶対に殺す。 こんなところで終わってたまるか。」と自分に奮起を促すのと同時にできるだけ鹿を挑発する。
鹿は迷わずこちらへと突進してきた。その鋭い角で俺を刺殺さんばかりに、その巨体を持って俺を踏み潰さんとするように音で殺さんとするばかりの咆哮と共に。
もちろん俺はすくみ上がった。脚は震え手に力が入らなくなる。だがそれと同時に家族の事を思い出す。まだ墓すら作っていない。俺がこんなところで諦めたら父は許してくれるだろうか。あんなにも立派な父が俺を褒めてくれるだろうか。そう考えたら力が漲ってくる。こんなところで諦めてたまるかと。
鹿の突進をギリギリまで引きつけて避ける。鹿は直前で俺という標的を失った為そのまま壁へと激突した。そのあまりの衝撃ゆえしかは少しの間きを失っていたようだ。しかし俺にとってはその少しほんの少しの時間が活路だった。すかさず鹿の両後ろ脚を切りつける。
鹿は横にドォーンと大きな音を立てて倒れた。脚二つだけじゃ流石に立たないようだ。ゆっくりと警戒しながら近づいて行く。鹿は一心不乱に首を振るって俺を近付かせまいとする。
その時鹿と目が合った。目の前の敵に対する憎悪、生への執着をむき出しにした闘志がその目には表れていた。その目をまじまじと見つめながら首筋へと剣を向け、切りつける。何度も切りつける。その硬い鱗を叩き壊さんばかりに、何度も何度も何度も切りつける。気がついた時には鹿はすでに死んでいた。張っていた緊張の糸が切れ、その場へと座り込む。
「よくやった。 お前には倒せないと思っていた相手だったが良く倒した。 あと二、三回はあの鹿に修行の相手をしてもらおうと思っていたのだがな。」と買い主が笑顔で近づいてくる。
「じゃあ 最初から俺が死ぬかもしれないと思いながらこいつと戦わせたってことかよ。 あんた狂ってるよ。」と相手は買い主だというのに思わず暴言を吐いてしまう。
「ふむ だが結果的にお前はその化け物を倒し、生き残った。 そいつの鱗や角は防具や漢方の素材として高く売れる。お前は早速私の役に立ったのだ。」
「はいはい わかりましたよ。 生き残れたことに感謝しますよ。」
その時奥の方からか細い鳴き声が聞こえてきた。なんとも弱々しくまるで母親を探すかのような鳴き声だった。見に行ってみるとやはりいた。あの鹿の子供だ。子供とは言っても俺より少し小さいぐらいの大きさだ。かなり大きい。
「子供か 殺せ。 生かしておくと碌なことにならない。」と買い主は言ったが俺には別の考えがあった。
「こいつ 持ち帰ってもいいか。」と真っ直ぐ買い主を見て言う。
「まぁ 構わんが よくそんなことが言えるな お前は奴隷の身だ。いささか出過ぎた行動ではないか? それにそいつの母親を殺したのはお前だ。 お前がやろうとしてることは奴隷商と全くもって同じことだ。」
「あの鹿を殺したらなんでも褒美をくれるって言ってたよな。 じゃあこいつだ。 剣の指導はお願いするまでもなくしてもらえそうだし。」と買い主に対して言う。
「そうきたか。 男に二言は無い。好きにしろ。その代わり私のことは師匠と呼べ。明日からお前に存分に稽古をつける。わかったら早速その鹿にこの縄をくくりつけて引っ張れ。私はあの親鹿を持つ。」
「ありがとうございます 師匠!!」やっぱり悪い人じゃあないみたいだ。ただし普通ではないけど。
こうして俺の剣闘士としての物語は歩き始めた。