99. 貴公子の告白
オリバーが皇帝に呼び出された翌日、アリエルから離宮に来るようにとの通達が来た。オリバーは約束の時間よりも少し早く、離宮の執務室に到着した。
「アリエル王女殿下にご挨拶申し上げます」
オリバーは跪き、頭を下げた。
「久しぶりね、オリバー。そんな苦しい挨拶なんていいから、とにかくかけてちょうだい」
アリエルは笑ってソファへの着席を促した。
「あなたを担ぎ上げるような真似をしまったこと、申し訳なかったわね」
「……いえ、任務の一環だと理解しています。事態が円滑に進むのであれば、私の私情など取るに足らないことです」
オリバーは淡々と言った。
「オリバー、あなた、ちょっと変わったわね」
「……そうでしょうか?」
「ええ。それにしてもひどい顔をしているわね。帝国一の麗しの貴公子が台無しよ」
アリエルが皮肉ると、オリバーは力無く笑った。
「……今日はアリエル様にお願いがあって参りました」
「マリーのことでしょ?」
オリバーは黙って頷いた。
「その件なら、あなたに責任はないと言ったはずよ」
アリエルは語尾を強めて言った。
「いえ、そうではありません……」
オリバーは強い目でアリエルを見つめた。
「そうではなくて、求婚の許可をいただきに来ました」
「何ですって?」
アリエルは心底驚いた顔をした。
「私がマリーに求婚する許可をいただきたいのです」
「……まあ。あなた達、いつの間にそういうことになっていたの? ……そうなの? そうだったの? 全然気が付かなかったわ! このオリバーを落とすなんて、さすがだわ、マリー」
アリエルは嬉しさを隠せないという顔をして言った。その様子にオリバーは拍子抜けした。
「……反対しないのですか?」
「どうして私が反対するのよ?」
「……いえ、私では役不足かと……」
「ふふふ。ルイ殿下も私もあなたにとても信頼を置いているってこと、本当に気がついていないの?」
「……ありがとうございます」
オリバーは嬉しそうに笑った。
「ところで、ルイ殿下には伝えたの?」
「いえ。この国でのマリーの身元保証人であるアリエル様にお伝えしてからにしようかと」
「そういうことなら、了承しました。私、アルメリア国第四王女アリエル・マリア・ウェルズリーはマリー・アイデール公女の身元保証人として、オリバー・ハミルトン中将とマリー・アイデール公女の結婚を許可します」
「ありがとうございます」
「マリーは、ああ見えて脆い一面も持っているの。でも、あなたとならマリーはきっと幸せになれそうね。オリバー、健闘を祈ってるわ」
オリバーは嬉しそうに頷くと、跪いて深く頭を下げ、執務室を出た。そして、その足でルイの執務室に向かった。
*
怪我から二週間が経つ頃、マリーは日常生活を送れるまでに回復していた。
闇賭博摘発の立役者として、オリバーが手柄をあげたことはあらゆる新聞社がこぞって記事にし、オリバーは時の人となっていた。
皇太子の側近であり、帝国一美しいとされる貴公子のオリバーがお手柄を上げたと言うことで、女性達は沸き立っていた。
しかもそのオリバーは政略結婚をせず「自分が望む女性と結婚する」と宣言したのだ。話題にならないはずがなかった。オリバーの屋敷にはひっきりなしに使いが押しかけ、招待状と推薦状が山のように届いているようだった。
マリーも、エルからシェリー男爵邸で行われている事情徴収の詳細を聞いていた。オリバーが率先して騎士に働きかけ、進捗は思った以上に順調だった。
マリーは部屋に飾られた花を見ていた。オリバーは多忙の中、毎日帝都の屋敷まで自ら花を届けに来てくれている。
ただ、マリーはどんな顔をして会えば良いのかわからず、体調が悪いことを理由にしてオリバーとの面会を断り続けていた。
しかし、怪我が回復した今、見舞ってもらう理由もなくなった。今日で最後にしようと決めたのだった。
マリーは使用人を部屋に呼んだ。
「今日、オリバー閣下がいらっしゃったら、応接室にお通ししてちょうだい。お会いすることにします」
「まあ、きっとオリバー閣下もお喜びになります」
使用人は嬉しそうに言った。
「……もう、体調も回復したからお見舞いをお断りしようと思うの。これ以上、あの方を煩わせるわけにはいかないもの」
マリーは淡々と言った。しかし、その顔には悲しみが浮かんでいた。
「……マリーお嬢様……」
「だから、支度を手伝ってちょうだい」
「承知しました。でしたら、今日はとびきり美しく着飾りましょう」
使用人は務めて明るく言った。
「……そうね。任せるわ」
マリーは任務のため、普段は目立たない色の服に身を包み、わざと素顔を隠すような化粧をしている。社交界とも縁遠いため、着飾る必要などこれまでなかった。それでもオリバーと個人的に会うのはこれが最後ならば、せめて最後くらい美しくいたいと思った。
マリーは散々悩んだ末、背中が隠れるシンプルな青いドレスを選んだ。それからアリエルから褒賞として与えられたダイアモンドの首飾りとイヤリングをつけた。繊細にまとめ上げられた髪には、クリスタルできた青いバラとダイヤが散りばめられた小さな髪飾りを飾った。
「マリーお嬢様……本当に、本当にお美しいです。お嬢様ほど美しく強い女性はいません」
「……ありがとう」
マリーは使用人のその優しさが嬉しくて、穏やかに笑った。
*
その日も帝都の屋敷を訪ねたオリバーは、応接室に通された。マリーと会うのは、公爵邸を出た翌日以来だった。
オリバーがソファに座り、出されたお茶を飲んでいると、扉がノックされマリーが入ってきた。
久しぶりに目にしたマリーは儚く、目が眩みそうになるくらいに美しかった。
オリバーはマリーの姿を見ると胸が高鳴り、思わず立ち上がった。
「……お久しぶりです、オリバー閣下」
マリーは笑顔を作って言った。マリーはオリバーに着席を促し、自分もその正面に座った。
「お久しぶりです、マリー。体調はいかがですか?」
「はい。もうほとんど回復して、任務にも復帰できそうです」
「そうですか。安心しました」
オリバーはそう言うと、優しく笑った。
「……オリバー閣下は、少しお痩せになりましたか? 私が離脱した皺寄せが、オリバー閣下のところに行ってしまったのならば、申し訳ありません」
「いえ、そんなことはありません……私がやりたくて引き受けているだけですから」
「オリバー閣下のご活躍は、エルやシモンからも聞き及んでいます」
マリーは嬉しそうに笑った。
「……そうですか」
オリバーは、自分以外の異性の同僚とは密に接している割に、自分との面会だけは頑なに断り続け「オリバー閣下」と呼ぶ、マリーのその他人行儀な態度に苛立ちを覚えた。
「私はこの通り、回復しました。ですから、もう見舞いは必要ありません。これ以上閣下のお手を煩わせるわけにはいきませんので、今後はお仕事に専念なさってください」
マリーは、感情のこもらない声で淡々と言った。
「……」
しばらくの間、沈黙が続いていた。
「……私の気持ちはご迷惑でしたか?」
オリバーは傷ついたような目でマリーを見つめて訊いた。
「……言ったはずです。私の境遇や状態に同情されているのなら、私で罪悪感を解消しようとしないでくださいと」
「どうして私の気持ちを、同情や罪悪感だと言い切るのですか?」
「……それは……」
マリーは言葉が出てこなかった。オリバーから向けられる優しくて暖かい眼差しは、いつも心地よかった。その暖かさを信じて失うことが怖くて、それが同情や哀れみなのだと信じ込もうとしていたのだ。
マリーの頬を涙が伝った。
オリバーはしばらくの間、マリーを見つめてから言った。
「どうやら私は、自分で思っているよりもずっとあなたに惚れているようなのです」
「……」
「私はあなたに言われた言葉について、ずっと考えていました。どうしてあなたを見ていると、胸が痛むのか。どうしてあなたの望みを叶えたくなるのか、守りたいと思うのか……何度も考えてみるけれど、やっぱりあなたを愛しているからだという結論に辿り着きます。だから、どうか私にあなたを幸せにする機会をください」
オリバーはマリーの前に跪いた。
「私と、結婚してもらえませんか?」
マリーは驚いて両手で口を塞いだ。
「……私は……この国で、あなたの利益になれるような後ろ盾が何もありません。それに、ドレスで隠れている体の至る所に傷があります。今回の傷跡だってそうです。その上、生い立ちには後ろ暗い過去もあります。
引く手数多のオリバーが、わざわざ傷物の私を選ぶ理由がありません。オリバーには非の打ちどころない家柄のご令嬢との、一分の曇りもない結婚が似合うのです」
「私にとってあなたは、非の打ちどころのない女性で、そんなあなたと一分の曇りもない結婚をするのはご不満ですか?」
「……」
「あなたは私に約束しましたよね? いつか恩は返すと。マリーが私の隣で幸せにしていてくれることが、私にとっての最大の恩返しなのです。約束を反故にするつもりですか?」
オリバーは真剣な顔でマリーを見つめている。
「……本当に私でいいのですか? 私がずっとオリバーのお側にいてもよろしいのですか?」
「私はあなた以外の女性と結婚する気はありません。陛下の前でも、そう宣言してきましたから」
そう言うとオリバーはマリーを優しく抱きしめた。
「……オリバー。あなたをお慕いしています」
マリーも背中にそっと手を回した。