97. 怪我の代償
マリーは騎士の一人に抱えられ、馬に乗せられてオリバーの屋敷に担ぎ込まれた。マリーの意識はなく、血の気が失われて手足は冷たくなっていた。
血だらけになり騎士に抱えられて帰宅したマリーを見て、屋敷は騒然となった。
「マリー様が背中を斬られる怪我をしています。今、医者を呼んでいますので直ちにオリバー少将のお部屋へお運びするようにとの、少将からの命令です」
ジェームスは頷くと、すぐにマリーをオリバーの部屋へと運んだ。
マリーはベッドにうつ伏せに寝かせられ、程なくして医者が到着したのだった。傷は、肩から斜めにざっくりと三十センチほど斬りつけられてできたものだった。しかし、厚手のコルセットをつけていたことが幸いし、骨や神経までには届いておらず、傷口が塞がると自然に治癒できるものだった。しかし出血が多く、一時的に意識を失っているのだった。
マリーの傷は止血された後、縫合薬が塗られて包帯が巻かれた。使用人によって体を清められて仰向けにベッドに寝かせられた。
騎士達はその様子を見届けると、再びシェリー男爵邸に戻って行ったのだった。
*
オリバーはマリーの怪我のことが頭から離れなかった。明らかに自分を庇ったためにできた怪我だった。どれほど深い怪我なのか、マリーの命は無事なのだろうかと考えると、今すぐにでも駆けつけたいという衝動に駆られていた。
それでも現場に残されたオリバーが持ち場を離れるわけにはいかなかった。オリバーが地下道から賭博場に戻ると、すでにシェリー男爵をはじめ、賭博に参加していた者、男爵家に仕えている者達は皆捕えられていて、一箇所に集められていた。
オリバーは兵達に名前を確認し、名簿を作成するように伝えた。そして、参考になりそうな者は城に同行し、それ以外のものはしばらくの間男爵家に監禁して捜査することになった。
オリバーは捕縛したシェリー男爵と城に士官している役人を数人馬車に乗せて城に向かった。そして捕縛者を全員地下牢に入れると、ルイの執務室に向かった。
ルイは、執務室でオリバーの到着を待っていた。
「闇宝石商三人とシェリー男爵を捕えて地下牢に入れました」
オリバーは何の表情もなく、淡々と言った。
「よくやった」
ルイは嬉しそうに言った。
「賭博に携わっている役人も捕えて同じく地下牢に入れています。その中には闇金を利用している者もいるかもしれません。賭博での借入れについても、今後追求する予定です」
「リチャード家の闇金問題にも切り込めそうだな」
「はい。男爵家に居た者は全て拘束して屋敷で軟禁しています。これから全員に事情を徴収します」
「そうか。マリーはどうしている? まだシェリー男爵の屋敷にいるのか?」
「……マリーは先程の潜入捜査の際に負傷しました……」
「何だと?」
「私への攻撃をかばい、背中を負傷して意識を失いました。今、私の屋敷で治療を受けているはずです。容態については、まだわかっていません……申し訳ありません。私の責任です……」
オリバーはなるべく感情を押し殺して淡々と伝えた。オリバーはずっと俯いていた。
「……お前の責任ではない。皆、任務を全うしようと尽力したのだ。気に病むな」
「……はい……」
「至急、シェリー男爵の屋敷にエルとシモンを送ることにしよう。お前はマリーについていてやれ」
「……殿下のお気遣いに感謝申し上げます」
「こちらのことは良いから、早く行け」
ルイがそう言うと、オリバーは一礼して執務室を出た。執務室を出ると、オリバーは騎士棟まで全力で走った。
騎士棟に繋いである馬を見繕って飛び乗ると、急いで城を出た。馬を疾駆させて、屋敷にいるマリーの元に駆けつけた時、すでに夜は明けていた。
オリバーが部屋に入ると、マリーはベッドにうつ伏せになり静かに眠っているようだった。
「マリー様は出血が多く、まだ意識を失われているままです」
そばにいたマリーの使用人が言った。
「……そうですか。傷は深いのですか?」
「……傷が塞がっても、傷跡は残るそうです」
「……」
「ただ幸いなことに、命に別状はなく、治癒後の生活に支障もないそうです」
「そうですか……ここからは、私がそばについていましょう」
オリバーがそう言うと、使用人は黙って頭を下げ、静かに部屋から出て行った。オリバーはベッドのそばに座り、マリーの手を取った。いつもは暖かいマリーの手は、血の気がなく冷たかった。
思えばマリーは最初からオリバーの命を守ると明言していた。それが自分の任務であると。
しかし、オリバーは自分の命は自分で守れると思っていた。だから、その言葉をあまり重く受け止めていなかった。オリバーは罪悪感と後悔と悔しさが入り混じった悲しみに襲われた。
オリバーは失意の中、ずっとマリーの手を握っていた。日が高くなり、窓からの日差しが強くなってきた頃、部屋の扉がノックされた。
「ジェームスです。エド様とそのお嬢様が応接室にお見えです。前回と同様、本日も人払いをしております。至急応接室までお越しください」
オリバーはその声で我に帰った。おそらくエドと共に変装したアリエルが訪ねて来ているのだろう。
オリバーはその時初めて、自分が返り血を浴びた服のまま、着替えることも忘れていたことに気がついた。
「急いで湯浴みと着替えの準備を頼む。お茶をお出しして、お待ちいただきなさい」
大きく息を吐いてそう答えると、静かに部屋を出た。
*
オリバーの居室に入り、マリーの姿を見たアリエルの目は、怒りと悲しみに満ちていた。
「……マリーは私を庇って負傷しました……申し訳ございません」
オリバーは俯いたまま膝を折った。
アリエルは静かに言った。
「オリバー、あなたが今回の件で責任を感じていると思っているのならば、それはあなたの思い違いよ。今回のマリーの怪我については、あなたには何の責任もないわ。全ては任命権者である私の責任よ。だから、どうか自分を責めないでちょうだい」
「……」
「あなたもマリーも任務を全うすることに全力を尽くしたわ……」
「……しかし……」
「……怪我が治り次第、マリーを復帰させます」
アリエルがそう言うと、オリバーはアリエルを見つめた。
「……お待ちください。彼女には休養が必要なのでは?」
「マリーは今回の任務の総指揮官よ。簡単に任務から外すことが難しいのは、軍人のあなたならわかるでしょう?」
アリエルは厳しく諭すような口調で言った。
「……ですが……」
「オリバー、あなたの気持ちがわからないわけではないわ。でも、この任務には国の明暗もかかっているのは、あなたにも理解しているはず。わかっているのならば、これ以上の言及は無用よ」
オリバーはそれ以上何も言えなかった。
アリエルはマリーの手を握り、長い間強く祈っていた。
そして、オリバーの部屋を出ると、そのままエドと共に屋敷を出てひっそりと城へと戻って行った。
アリエルの帰宅を見送ると、オリバーは再び自室に戻り、マリーの眠るベッドのふちに腰を掛けた。
オリバーは静かに眠るマリーの手を握った。こんな姿になってもなお、マリーは美しかった。
きっとマリーの背中の傷は残るだろう。これまで戦場に出た時、自分の指揮で兵を失うことが何度かあった。その度にいつも悔やみきれない思いを抱えたが、今回のそれは今までのものとは全く違っていた。
オリバーはマリーの手を強く握り、ただ祈ることしかできなかった。そしてマリーと過ごしたこの一ヶ月のことを何度も思い返していた。
「……オリバー……そんなに握りしめられると、痛いです」
目を覚ましたマリーが静かに言った。
「……マリー。目が覚めましたか? 傷は痛みませんか?」
「ええ。これくらいの怪我、問題ありません。それよりも、私が離脱した後、作戦は、闇宝石商はどうなりましたか?」
「予定通りに地下道から小隊が突入し、闇宝石商も皆、生きたまま捕えました。シェリー男爵と賭博に参加していた者も全員拘束しています。兵には負傷者は出ておりません」
「そうですか。オリバー閣下にもお怪我はありませんか?」
「……私は大丈夫です……」
「それならよかったです……目が覚めたので、私は帝都の屋敷に戻ります。まだ任務が残っていますから」
そう言うとマリーはベッドから起き上がろうとした。
「まだ起き上がってはダメだ」
オリバーは起き上がろうとするマリーを制止した。
「まだ、熱がある。それに、傷だって塞がっていません」
「……大丈夫です。歩けない傷ではないのです。最後に、馬車の手配だけお願いできますか?」
マリーは無理に笑顔を作って言った。
「……馬車は用意します。だからお願いです。もう一晩だけ、ここで休んで行ってください」
オリバーはすがるような目でマリーを見つめた。
「……わかりました……」
マリーはオリバーの目を見て言った。
「オリバー閣下。今回の私の怪我は、全て私の実力不足によるものです。このことであなたが気に病む必要は全くありません」
「……いえ、私が油断しなければ起こらなかったことです。そのせいで、あなたはしなくても良い怪我をしてしまった。
許してほしいとは言いません。せめて私に償う機会をいただけませんか?」
オリバーはマリーの手を強く握り哀願した。
「……それは、罪悪感からそうおっしゃっておられるのですか? そうであれば、あなたの罪悪感を私で解消しないでください」
マリーは突き放すような冷たい声を出した。
「……そうではありません。私がそれを望んでいるのです」
「……申し訳ありません。今は、しばらく一人にしていただけますか?」
「……わかりました……ゆっくり休んでください……」
オリバーは肩を落とすと、静かに部屋を出た。




