93. 強い女
公爵家の訓練場は帝都の屋敷から馬で十分ほどの距離にあった。ハミルトン家は代々皇室を守る盾となって栄えた武家の家系だった。
そのため訓練場にも広大な敷地が設けられている。皇室の近衛兵を除き、ハミルトン家に所属する兵達はこの訓練場で鍛錬していることが多い。
オリバーとマリーが連れ添って公爵家の訓練場に現れると、現場は騒然とした。
自分にも兵にも厳しいことで有名な少将であるオリバーが、職場である訓練場に女性を連れ込むなどということは考え難かったからだ。
それだけでも十分な驚きなのに、オリバーが同伴したのは遠目からでもわかるほどの美貌の女性だったため、兵達の驚きはひとしおだった。
オリバーから贈られた乗馬服はマリーにぴったりの大きさだった。乗馬ズボンはマリーの美しい体の線を引き立たせ、ストックタイの真ん中にはオリバーの瞳と同じ色のサファイアが輝いている。遠目からでもマリーのその上品な美しさは目を引いた。
好奇の目線が寄せられる中、オリバーは意に介すことなく、下級兵を呼び、二人分の椅子とテーブルを用意させた。
「マリー、こちらにお掛けください」
オリバーは椅子を引いてマリーに座るように促すと、自分も隣に腰を下ろした。
「あなたもご自身で兵士たちの名前と顔、それから特性を頭に入れた上で編成を行った方が良いとお考えでしょうから、兵士たちの特性について説明しましょう」
「話が早いですね」
「マリーの提言通り、四六時中あなたのことを考えていますから」
オリバーはマリーの耳元でそう囁いた。
オリバーとマリーが肩を寄せ合って笑い合う姿は、側から見ると仲睦まじい恋人同士にしか見えなかった。
普段女性に関心を示さないオリバーが、訓練場にまで女性を連れて来たこと、そして献身的に尽くしていることに、兵士たちは驚きを隠せない様子だった。
二人はピッタリと寄り添い、マリーは嬉しそうにオリバーの話を聞いている。
周囲の兵達は、二人が兵隊の選抜をしていることに気がつくはずもなかった。オリバーは一通り兵士の名前と特徴を伝えると、マリーはすぐさま全てを頭に入れていった。
「オリバー、兵達のおおよその実力と特徴は掴めました。この半月でもう少し動きを改善する必要があるかもしれません。特に右翼の兵は動きにムラがあるように感じます。統制を取る必要がありそうです。オリバーが調練をすることで、兵達の動きは格段に良くなると思います」
オリバーも兵達を見て、大体マリーと同じことを感じていた。そして二人が兵達の動きや統制を取る方法について話し込んでいると、五人ほどの騎士がこちらに近づいてきた。宝石商を追うためにオリバーの元から以前から派遣されていた者達だった。
騎士達はオリバー達の前まで来ると全員跪き、頭を下げた。
「オリバー少将、ご無沙汰しております。マリー様より本日よりこちらに合流し、オリバー少将の指揮下に入れとの指示があったため馳せ参じました」
「そうか。ご苦労だったな。これからシェリー男爵家への突入部隊の編成を組む。事情を熟知しているお前達には任せる役割も多くなるだろう」
「御意」
騎士達はオリバーの隣にいるマリーに冷ややかな目を向けた。そして牽制するように、一瞥してから尋ねた。
「ところで今日、マリー様はこちらにはいらっしゃっていないのですか?」
騎士達はオリバーの隣にいる乗馬服を着た女がマリーであることに、全く気づいていない様子だった。
「……私ならずっとここにいるわよ」
マリーが口を開くと、騎士達は一様に驚き、動揺を隠せなかった。
「久しぶりね。今日からあなたたちに来てもらったのは、部隊の編成を組むためよ。それから、これからオリバーと私の護身術の稽古の相手役もお願いしたいの」
マリーは嬉しそうに騎士達に声をかけた。
「マリー様! マリー様なのですか? あの……いつもと様子が違うので……」
「私にも違う顔があっても良いでしょう?」
とマリーは笑った。
「マリー様、ご無沙汰しております! 再びマリー様にご指導いただける機会があり、光栄でございます」
騎士の一人が嬉しそうに言うと、皆一様に頷いた。
「皆、随分とマリーに懐いているようだな」
オリバーは面白くなさそうな声で言うと、マリーを引き寄せて肩を抱いた。
「オリバー少将、任務だからと言って、堂々といちゃつかないでください。それに少将はご存知ですか、マリー様の武術の才を!」
「ああ、よく知っている」
(自分もマリー相手に手も足も出なかったのだからな)
と喉まで出かかったが、口には出さなかった。
騎士達もマリーの元でしばらくの間訓練を積んでいた。
「それにしてもマリー様がこんな美貌を隠しておられたとは……」
「今の私は作り物かもしれないわよ。それからここでの私は、作戦のことについては何も知らない、ただのオリバーの恋人ということになっています。だから、ここからはオリバーの指揮に従ってちょうだい」
「承知いたしました」
オリバーはしばらくの間、兵達の動きを見ていた。
マリーから護身術を学んだことで以前よりも兵達の動きが読め、どこに隙が生まれているのかがはっきりと見えた。
「おおかた編成は決まった。小隊に分けるので、お前達がそれぞれその小隊を指揮しろ。その前に稽古をつける。兵を集めてくれ」
「御意」
オリバーは兵の弱点を洗い出すと、一通り兵達に稽古をつけた。それから隊を再編成し、小隊長には騎士達を配置するところまでを終えた。
*
動きがひと段落すると、護身術の稽古をつけるため、オリバーとマリーは五人の騎士達を連れて馬で草原まで駆けた。
木に馬を繋ぐと、マリーは騎士達に言った。
「では、ここからは私とオリバーの稽古に付き合ってください。突入当日は、オリバーと私の二人でシェリー男爵の邸宅に入ります。
警備を縫って宝石商達のいる地下室まで行き、宝石商達を捕獲します。その後、宝石商を連れて、地下水路と屋敷を繋ぐ鉄の扉の鍵を開きます。突入部隊は、屋敷の正面から突入する部隊と、地下水路の扉から突入する部隊に分かれてください。護衛兵は殺しても構いません。こちらの狙いは闇宝石商のみです」
「御意」
「当日、私たち二人は表だって武器を持つことができません。男爵家にいる警備の護衛兵からの攻撃を交わして地下室に辿り着き、闇宝石商を生きたまま捕える必要があります。そのために必要な訓練だと思ってください」
「承知しました」
「複数名の護衛から襲われた時を想定し、相手の武器を奪う訓練から行います。まずは私がやってみます。そこの五人で私に切り掛かってください」
騎士達を見渡してマリーは言った。
マリーの言葉に、五人の騎士はやや戸惑いがちにマリーに向かって剣先を向けた。
マリーは五人を見渡すと、一瞬のうちに一番躊躇している騎士を見極め、その騎士の懐に向かって勢いよく飛び込んでいった。
マリーに飛び込まれた騎士が真上から剣を振り上げた時、マリーは剣が体の真下に振り下ろされるのを避けるため、左足を踏み込んで、体を左に捌いた。
そして両腕を交差させ、さらにもう一歩踏み込んだ。振り下ろされた剣の柄の部分を両腕で作った十字で受け止めると、相手の手首を掴んだ。
そして体を回しながら相手と自分の間に剣先を入れた。右手で相手の剣を奪い、もう片方の手で相手の手首を強く掴んで捻ると、奪った剣の柄で相手の脇腹を突いた。
マリーに剣を奪われて脇腹を突かれた騎士は、しゃがみ込んで呆然としていた。
オリバーは瞬きをせず、じっとマリーの動きを見ていた。
「複数に囲まれた時は、一番隙のある人間を探してください。そして相手が動き出す前に迷わずに飛び込みます。剣を持った人間は、おそらく真上から剣を振り下ろしてくるでしょう。その隙をついて剣を奪い、反撃に転じます。躊躇すると切られると思ってください」
そしてマリーは先ほどの動きの詳細を淡々と説明した。オリバーは黙ってマリーの話を聞き、しばらくの頭の中でマリーの動きを反芻していた。
「わかりました。やってみます。お前達、私に切り込んで来てくれ」
五人の騎士達はオリバーに向かって剣を向けた。なかなか一筋縄には行かず、オリバーは攻撃を避けるだけで騎士の隙をつく暇がない。
五人が入れ替わり立ち替わりオリバーに向かって攻撃を仕掛けると、なかなか剣を奪うことはできなかった。
その時だった。マリーはオリバーに声をかけた。
「オリバー。今、あなたは剣を奪うことに気を取られ過ぎています。私は、相手に攻撃を加えてはいけない、とは言っていません。攻撃はいつも最大の防御になります」
オリバーはその言葉にハッとした。そしてそのマリーの助言から、オリバーの動きは格段によくなっていった。最初は攻撃を交わすだけで精一杯だったが、徐々に相手の間合いに侵入できるようになった。
マリーはところどころ、実践を交えながら、体にある急所や弱点の突き方や有効な関節の曲げ方を指南した。
そして日が落ちる頃には、オリバーは騎士から剣を奪うことに成功し、五人の騎士を制圧していた。
その頃にはオリバーも騎士達も皆、泥にまみれてヘトヘトになっていた。
「今日はここまででいいです。本日は基礎となる部分です。明日以降は、もう少し難易度をあげてみましょう。それではまた、明日も訓練場でお会いしましょう」
そう言うとマリーはにっこりと笑った。
そしてマリーは何事もなかったように馬に跨ると、公爵邸への道のりを颯爽と駆けて行った。オリバーはゆっくりとその後を追った。




