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92. 貴公子の贈り物

 夜になると、オリバーは城にある皇太子のルイの執務室を訪ねた。賭博場では見知った顔もあったため、できるだけ人目につかないような時間帯を選んでルイを訪問した。


 オリバーが部屋を訪ねると、ルイは一人でお茶を飲みながら書類に目を通していた。


「ご無沙汰しております、殿下」


「ようやく来たか」


 ルイはオリバーの顔を見て笑った。


「今日城では、お前が娼婦まがいの女と賭博に溺れているという噂で持ちきりだったぞ」


「……私の評価も地に落ちましたね」


 オリバーはそう言うと、なぜか嬉しそうに笑った。


「……ほう。お前でもそんな顔をするのだな」


 と言ってルイは珍しそうな顔をした。


「で、状況はどうなのだ? アリエルがお前からの報告を、首を長くして待っているのだ」


 オリバーは分厚い報告書をルイに差し出した。


「我々の潜入捜査により、賭博会場に出入りしている者をまとめました。マリーの事前に調べでわかっている範囲ですが、賭博に注ぎ込でいる金額も記載しておきました。リチャード家が行っている闇金から借入れをしている者についても、おおよそですが目星をつけています」


「仕事が早いな」


「マリーが想定していた以上にとても有能です」


「マリーはアリエルが最も買っている部下だからな。それに、お前が褒めるとは、よっぽど優秀なのだな。マリーもお前と馬が合うのだろう」


「……どうでしょうか、マリーが私のことをどう思っているのかについては、よくはわかりません」


「そうか。お前になびかぬ女性もいるのだな。それに、お前が人の気持ちを気にするのは珍しいな」


 ルイは書類に目を通しながら、オリバーの返答に相槌を打った。


 オリバーはマリーが自分に向けている感情がわからなかった。任務の相方としての信用はある程度は得られたかもしれない。任務を遂行するにおいて、二人の関係は問題なく、うまくやれていると思う。


 しかし、それだけでなく、オリバーが望んでいるのは、一人の人間として、一人の男性として、マリーから信頼されることだった。


「殿下。つかぬことを伺いますが、アリエル様はどんなものを好まれていますか?」


 オリバーは率直に尋ねた。


「なんだ? アリエルに貢物で取り入って、任務の配属を変えてもらうつもりか?」


「……いえ、そうではありません。アリエル様が好きなものなら、マリーも好きなのではないかと思って聞いてみたのです」


「ほほう……」


 ルイはニヤける顔を隠せずオリバーを見た。


「アリエルは宝石と馬が好きだ」


「承知しました」


「オリバー、今日はもう帰っていいぞ。お前達にはあまり時間もないだろう。また報告に来い」


 ルイはオリバーが帰った後も、しばらくの間報告書を読んでいた。報告書は、細かな点までよくまとめられていた。必要な情報以外の記載はなく、無駄が省かれているのに重要なことは全て網羅されている。


 その報告書を読んだだけでも、ルイはマリーが有能な人物であると言うことが理解できた。


 ルイはマリーの顔を思い出そうとしたが、ぼんやりとしか思い出せなかった。赤ら顔にそばかすのある女性で、特段に美人というわけでもないような気がする。


 それでもオリバーがあれほど惚れ込むくらいだから、容姿ではない魅力のある女性なのだろうと思ったのだった。



 *



 翌朝、オリバーの隣でマリーが目を覚ますと、マリーのための乗馬服が用意されていた。


 紺色のジャケットに白いブラウス、ベージュの乗馬ズボン、乗馬用のブーツに至るまで、全てが整えられ、マリーの目につくようにテーブルの上に置いてあった。ストックタイには小さなダイアモンドが散りばめられ、真ん中にはとても大きなサファイアの宝飾が埋め込まれていた。


 マリーがひとつひとつを手に取って目にしていた時だった。


「気に入りましたか?」


 オリバーはマリーの後ろから肩を抱いて訊いた。


「これは全て私に、ということでしょうか?」


「あなた以外に誰がいるのです?」


 オリバーは笑いながら言った。


「……ありがとうございます」


 マリーは不安げな表情のまま呟くように礼を言った。


「馬の準備もできているはずです。早めに出て、少し草原を駆けてから訓練場に行きましょう。着替えてきてください」


 オリバーの声に、マリーは嬉しそうに黙って頷いた。



 乗馬服に着替えたマリーはオリバーと共に厩舎に向かうと、二人の乗る馬には公爵家の印が入った鞍が付けられ、準備が整えられていた。


 オリバーの愛馬は、黒光りするほど毛並みが良い凛々しい大きな黒馬だった。そして、それよりやや小ぶりな黒い牝馬が、マリーのために準備されていた。


「この子に乗っていいのですか?」


 マリーの声は弾んでいた。


「もちろんです。その子は私の馬の娘です。気性は穏やかなので、すぐに打ち解けられると思います。では、私に付いて来てください」


 そう言うとオリバーは馬に跨り、ゆっくりと駆け始めた。マリーも馬に跨るとオリバーの後を追った。


 マリーはオリバーの後にピッタリと付いて走っている。徐々にオリバーが速度を上げても、離れることなく一定の距離を保って走っていた。


「もう少しだけ、速度を上げてもよろしいですか?」


 マリーはオリバーの隣に並ぶと、遠慮がちに尋ねた。


 オリバーが頷くと、マリーは襲歩の姿勢を取り、手綱を少し緩めて、馬の脇腹を軽く蹴って合図を送った。マリーの馬は速度を上げ、あっという間にオリバーを追い越していった。


「いい子ね、そのまま草原まで私を連れていってくれる?」


 マリーは馬に優しく話しかけると、馬はさらに速度を上げて疾走した。郊外を抜けてしばらく走ると、小高くなった丘に緑が広がる草原があった。遠くには池が見える。


「あなた、とてもいい子よ! あそこの池のところまで、全力で行こう!」


 マリーが馬に話しかけると、馬はそれに応えるように全速力を出した。


 しばらく駆けた頃だった。後ろからオリバーの馬がマリー達を追い越していった。


「あなたのお父さん、とても速いのね! よし、お父さんのところまで一緒に行こう!」


 マリーが楽しそうに言うと、馬もそれに応えるようにより一層速度を上げた。マリーと馬はオリバーの後を追って駆けた。


 もう少しで池のほとりに着くと言うところで、マリーとオリバーの頭が並んだ。二頭の馬は並んで駆けると、池の前で止まった。


 馬を木に繋ぐと、二人は並んで池のほとりに腰を下ろした。


「とても良い馬でした」


 マリーは息を切らしながら嬉しそうに言った。頬が赤らみ、あどけない笑顔が浮かんでいた。


「まさか追いつかれるとは思っていませんでした」


 オリバーも楽しそうに笑った。


「あの馬にはまだ主人がいません。この国にはまだマリーの馬はいないでしょう? もしよければ、あの子の主人になってもらえませんか? きっと、あの子も喜びます」


 オリバーは乱れたマリーの髪に触れ、手櫛で髪をとかしながら言った。


 マリーは振り返って馬を見た。すると、不思議と馬と目が合った気がした。


(あの子が欲しい)


 そう思った。しかし、その気持ちとは裏腹に、なかなか言葉を口に出すことはできなかった。


「マリー。私は、あなたの望みを叶えたいと言ったはずです。ただ、私の気持ちを受け取ってください」


 オリバーは穏やかに言った。


「……わかりました……ありがとうございます」


 マリーは戸惑いがちにお礼を伝えた。


「では、屋敷にいる間は、いつでも乗れるようにしておきます。任務が終わった後は、アリエル様の離宮に移しましょう」


「……オリバー。私には今、あなたに返せるものがありません。でも、きっといつか何かの形でご恩をお返しすることをお約束します」


「マリー、あなたの国の習慣はよくわかりませんが、この国では男性が女性に何かを贈るのは、当たり前のことです。贈られた女性がすべきことは、ただ喜んで受け取るだけです」


 心苦しそうにしているマリーを諭すオリバーは、どこまでも柔和で優しかった。


 マリーは自分に向けられた優しさが、本当の愛情ではないかと錯覚してしまいそうなくらいに甘美に感じられた。だからこそ、マリーはこの優しさに甘えることが怖かった。


 それでも、その愛情に似た優しさに抗うことができずに、「今だけだ」と自分に言い聞かせて、全て受け入れることにした。


「オリバー、夢みたいに嬉しいです」


 マリーは満面の笑みを浮かべると、オリバーの肩に頭を寄せた。


「気に入ってもらえて、私も嬉しいです。ようやくマリーの笑顔を見ることができた気がします」


 そう言うと、オリバーはマリーの髪を撫でて、そっと肩を抱いた。


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