90. 初めてのお茶会
マリーが目を覚ますと、すでにオリバーの姿はなかった。
昨日の疲労からか、なかなか起き上がることができずにベッドに横たわっていると、執事のジェームスが扉をノックした。
「マリー様。オリバー様からのご指示で、朝食を部屋に運ばせていただきます」
ジェームスがそういうと三人の使用人達が部屋に入り、ダイニングテーブルに朝食を並べ始めた。
しばらくの間、マリーは動くことができずベッドの上でぼんやりとその光景を眺めていた。
使用人達は言葉を発することはないものの、その視線から、マリーに対して好意的ではないことは伝わってくる。
帝国一の美男子が、こんな娼婦まがいに見える女を連れ込んで、毎日朝から晩まで一緒にいるのだから、やっかみたくもなる気持ちもわからなくもない。
ベッドに横たわるマリーを見る使用人達の冷ややかな目には、敵意と嫉妬がむき出しになっていた。
苛立ちを隠すことなく、ガチャンガチャンとわざと大きな音を立て乱暴に料理を配膳する皿の音がマリーの頭に響いた。それはマリーが祖国の公爵邸にいた頃の日常そのものだった。
普段のマリーであれば、そんなことは気に留めることもない。しかし今のように無防備になっている時に、その視線や敵意を浴びることは、いささか耐え難かった。
(朝食などどうでも良い。いいから早く出ていって。一人にしてちょうだい)
もう少しでその言葉が口をついて出そうになりそうな時だった。
扉が開き、オリバーが部屋に入ってきた。部屋を一瞥したオリバーは瞬時に状況を悟り、ベッドの隅で真っ青な顔をしているマリーに駆け寄った。
オリバーはベッドのふちに腰をかけると、マリーの髪を撫でた。
「マリー。大丈夫ですか?」
オリバーは心配そうにそう言うと、使用人の方に冷たい目線を送った。
「お前達、朝食の用意はもう良い。それよりもさっさとここから出ていってくれ」
オリバーは声を荒げた。普段温厚で優しいオリバーが激怒するのを見て、使用人達は驚きを隠せない様子で部屋を出た。
「体調はいかがですか?」
「……申し訳ありません、実はあまり優れないようです」
ベッドから起きあがり、オリバーの問いに答えようとするマリーを制止して再び寝かせると、オリバーは言った。
「使用人達が失礼を働き、大変申し訳ございませんでした。今後このようなことのないよう、しっかりと監視しておきます」
「……ありがとうございます」
「前からあなたは無理をしすぎていると思っていました。今日のところは訓練を中止して、休息を取りましょう」
オリバーは優しく諭すように言った。マリーは黙って頷いた。
「……マリー。私たちはこれから先も長い付き合いになりそうです。だから、もう少しお互いのことを知っておいた方が良いと思いませんか?」
オリバーの青く澄んだ瞳がマリーの目を捉えて微笑んだ。陽の光に透ける金髪の髪が美しく輝いている。こんなに美しい男性だと、使用人達がマリーに嫉妬してしまう気持ちも頷けるなと、マリーは思った。
「……わかりました。お互いを知る努力をしたいと思います」
「ありがとうございます。では。もうしばらくお休み下さい。体調が回復したら、庭でお茶をしましょう」
そういうとオリバーはマリーに毛布をかけた。
「ええ。お茶をするくらいには回復できると思います」
「今は何も考えず、休んでください」
オリバーはカーテンを閉め、マリーが目を閉じるのを確認すると静かに部屋を出た。
マリーはようやく落ち着き、眠りに落ちた。
*
日が高くなった頃、ようやくマリーは目が覚めた。目覚めの悪さは消え、すっきりとしていた。体も軽くなっている。
マリーの客室に戻ると、部屋にはオリバーが手配した黄金色の美しいドレスが用意されていた。
「オリバー閣下からの贈り物だそうです」
マリーが連れてきている使用人は言った。公爵家からマリーに着いて来た唯一の使用人で、今はマリーの補佐もしている。
「……そう。では、着ない、なんてわけにはいかないわね……」
ドレスはマリーの白い肌に映え、上品さを引き立てるデザインで、普段の任務でマリーが身につけている目立たない地味なものとは違っていた。
ドレスを着ると、マリーはどこからどう見ても高貴な淑女にしか見えなかった。うっすらと施された品のある薄化粧が、マリーの洗練された美しさをより際立たせている。
オリバーの目の色でもあるサファイアの首飾りとイアリングが光っている。誰もが見惚れるくらいの美貌だった。
「こんな煌びやかに着飾るのは、いつぶりかしら」
マリーは表情なく呟いた。
「お嬢様、よくお似合いでございます。本当にお美しいです」
「……ありがとう」
マリーは複雑な表情で答えた。
ドレスと装身具は、この屋敷で過ごしやすくするためのオリバーからの配慮だろう。マリーが思っていた以上に、オリバーは状況把握が早く、腕も立つ優秀な人材だった。皇太子のルイが側に置いておきたい気持ちもよくわかる。
そして、帝国で一番貴族子女に人気があるということも頷けるのだった。
準備を整えたマリーは窓から庭を眺めていた。オリバーの住む公爵邸の敷地は広く、屋敷というよりも、宮殿という方がふさわしいくらいだった。
ドアがノックされ、執事のジェームスが声をかけた。
「マリー様。オリバー様が庭園でお待ちです。マリー様をお連れするようにと申し使っております」
「わかりました。今行きます」
マリーが椅子から立ち上がると、使用人が静かに部屋の扉を開けた。
部屋から出てきたマリーを見ると、ジェームスは驚いた。
ジェームスが知るマリーは、いつも娼婦のようなドレスに身を包み、派手で下品な化粧を施していた。遠目から見ても華のある女性ではあったが、嫌らしく淫らな女にしか見えず、正直なところ良い印象を抱くことができなかったのだ。
しかし、目の前に立っていたマリーは、ジェームスがこれまでに見たどの令嬢よりも美しく気品溢れる令嬢だった。帝国でも、これほどの美貌を持つ貴族子女はそう簡単には見つからないだろう。
「オリバーのところまで、案内していただけますか?」
マリーがにこやかに微笑むと、ジェームスは年甲斐もなく頬が熱くなるのを感じた。
「もちろんでございます。マリー様、よろしければお手を」
そう言うと、ジェームスは深く頭を下げて手を出した。
「ええ。よろしく」
ジェームスにエスコートされて歩き始めると、屋敷をすれ違う使用人達が驚いた顔で振り返ってマリーの方を見た。
ジェームスに連れられて来た庭園の東屋には、豪勢な茶会の用意がされていた。
そこで本を読んでいたオリバーはマリーに気づくと、こちらに向かって歩いてきた。
「今日は一段と美しいですね」
オリバーはそういうと、マリーの手を取り手の甲にキスをした。
「……素敵な贈り物をありがとうございました」
マリーは作られた笑顔をオリバーに向けた。
「……いえ。私ができることなど些細なことだけです。よろしければ、こちらでお茶を飲みましょう」
オリバーは自ら椅子を引いてマリーに着席を促した。
「ありがとうございます。しかし、その前に私からジェームスにご挨拶をさせていただいてもよろしいですか?」
「ええ、もちろんです」
オリバーはにこりと笑った。
マリーは改めてジェームスの前に立った。
「ご挨拶が遅れました。アルメリア王国より参りました、アイデール公爵家三女のマリー・アイデールです。この度はトルアシア帝国の皇帝陛下並びに皇太子殿下、アルメリア王国のアリエル王女殿下の命を受け、秘密軍事作戦の陣頭指揮を取っております。オリバー閣下にも今回の作戦では、私の指揮下でご協力を賜っております」
マリーの言葉にジェームスは驚きを隠せなかった。それでもジェームスは膝を折って、深く頭を下げた。
「アイデール公爵家のマリー公女様にご挨拶申し上げます。ハミルトン公爵邸で屋敷を取り仕切っております、ジェームス・ホウスキンでございます。ご挨拶が遅くなり、申し訳ございません。ご無礼をお許し下さい」
「こちらこそ、突然屋敷に居座ることになりご迷惑をおかけします。ハミルトン公爵閣下には両殿下を通じて承諾を得ておりますが、あなたへのご挨拶はまだでしたね。任務上、私が口を開くまで、オリバーは何も言えなかったのです。どうぞご理解ください。
それから、オリバー閣下の名誉のためにお伝えしておきますが、私達はあなた方が思っているような関係ではありません」
マリーはそういうと、にこりと笑った。ジェームスはちらりとオリバーの方を見た。
「ということだ、ジェームス。任務内容は伝えることはできないが、マリーは今、私の直属の上司にあたる大切なお方だ。使用人のマリーに対する態度は、即座に改めさせる必要がある。厳しく教育しておけ」
「申し訳ございませんでした。私からも厳しく提言いたします」
「ああ。では私たちは仕事の話がある。もう下がってくれ。それから人払いも頼む」
オリバーが厳しい口調で言及すると、ジェームスは一礼して静かにその場からいなくなった。




