88. 貴公子の嫉妬
マリーは稽古の合間や食事の時間に、今回の宝石密輸について詳細な部分までオリバーに説明した。闇宝石商の手口から、シェリー男爵の屋敷にいる使用人の数、リチャード家について、マリーが知り得る限りのことを伝えた。
オリバーはマリーと一緒にいる時間が増えるにつれ、アリエルの人事が非常に的確であったことに気がついた。
初めはまた色恋沙汰に関与しなければならないのかと、うんざりした気持ちになっていたが、マリーの任務への姿勢を見ていると、そんなことは取るに足らないことだと気がついた。
マリーはアリエルとは違って口数は少ないが、発言の全てが論理的で理路整然としている。彼女が本当に優秀な人間だと言うことは、一緒にいるだけでわかる。
マリーは護身術を教える際、実技だけでなく、論理的な技法も併せてオリバーに伝えることで、オリバーの飲み込みは一段と早くなった。
「護身術は、基本的には、敵の初動の襲撃に条件反射で対応し、相手の次の攻撃を阻止し、正確に相手を制圧して自分や味方に危険が及ぶことを防ぐことを目的としています。この体術で最も重要となるのは、攻撃を仕掛けてくる敵から短時間でいかに武器や主導権を奪うかということです。そのためには手段は選びません」
「剣術や軍とは少し違う概念ですね」
「そうですね。基本的には、様々な動きに多角的に対応するのではなく、動作数と動きを最小限にまとめて、どのような角度からの攻撃が来ても体が反射的に動くまで反復訓練をします。そうすることで、目隠しをされていても、暗闇でも対応することができるようになります」
「原理はよく分かりました。あとは反復の訓練ということですね」
オリバーは軍にいると技は訓練で身につけるものだという頭があったが、人間の行動心理や、人間の条件反射を利用した動き、効果的な急所の突き方、そして相手に戦意喪失させる方法等、知識として知っておくことが実践でどれほど役立つか改めて感じていた。
*
護身術の訓練を始めて十日程が過ぎた頃、オリバーとマリーは賭博会場のシェリー男爵家への視察に出かける事を決めた。
賭博会場に出かける当日、マリーは準備を終えると、屋敷のエントランスで待つオリバーの前に現れた。
マリーは仮面舞踏会で出会った時のように、太ももから大きなスリットが入り、エキゾチックな刺繍が入った体の線がくっきりと出るような紫色の妖艶なドレスを身につけていた。手にはふわふわとしたファーのついた紫色のセンスを持っている。ドレスに合わせた娼婦のような濃い化粧が、かえってマリーの美貌を際立たせていた。
オリバーは毎日顔を合わせているはずなのに、マリーの姿を見ると心臓がどきりと鳴った。
マリーがこの屋敷に滞在することをあまり快く思わない使用人達はその姿を見て、あからさまに眉をひそめた。マリーは使用人たちの視線を全く意に介することもなく淡々とした表情を浮かべていた。
「詳しいことは、馬車の中で話しましょう」
マリーはそういうと気だるそうに扇子を畳んで微笑んで目配せした。
「ええ。仰せのままに」
オリバーはマリーの手を取ると、手の甲にキスをした。マリーの甘い香水の匂いとその魅惑に酔いそうになった。
それを必死で抑え、マリーの手を取ると自分の腕に当てがうと歩き始めた。
側から見ると、二人の距離感は体を重ねている恋人同士にしか見えなかった。
馬車に乗り込むなりマリーは口を開いた。
「今から、私はマリーではなく帝都に住むゴヤード男爵家の娘クレアということになります。これまでに何度かシェリー男爵の屋敷には出入りしているのでおそらく怪しまれることはないはずです。オリバーと私は仮面舞踏会で出会い、私があなたを誘惑して、私の手中に落ちたということにするのが自然でしょう」
「ええ。それはまんざら嘘ではないですね」
そう言うとオリバーは笑った。
「私が悪い事をしているような気持ちになりますわね」
マリーはオリバーの意外な回答に、作り笑いを見せた。
マリーは手短に今回の視察の要件を伝えた。すでにマリーから屋敷の間取りや警備の傭兵、それからそこに集まっている人間について大まかなことは聞いていたため、大体のことは頭に入っていた。
「今日は、私が先導しますので、社交のことは私に任せて、オリバーは屋敷の構造を把握すること、今日この場にいる者の顔を覚えることに集中してください」
「わかりました。では、私はあなたにたぶらかされて、賭博に貢がされる純情な青年になることにします」
「はい。どんな目で見られても、気にせずに堂々としていてください。そして、片時も私から離れないように」
マリーがそう言うと、オリバーは頷いた。
*
ハミルトン公爵家の馬車が男爵家の門の前まで来ると、門番が出てきて、馬車を止めた。
門番が馬車の窓から中を見ると、マリーはセンスを広げ門番に向かってニコリと笑った。マリーの顔を確認すると門番は黙って門を開け、馬車は屋敷内に通された。
二人が屋敷の中の一室に通されると、そこには十数個の円卓が並び、それぞれのテーブルで賭博が行われていた。部屋には葉巻の匂いが充満し、ところどころ煙で白く曇っている。
パッと見たところ、六割程のテーブルがすでに埋まっていた。ほとんどが男性だが、女性を同伴させている者もいた。
マリーとオリバーの二人が賭博の会場になっている部屋に入ると、二人に注目が集まり、場内が騒然とし始めた。
帝国でも顔の知れた美丈夫の貴公子であるオリバーが、まさか娼婦まがいの女に連れられて賭博場に現れるとは誰も想像していなかったからだ。
だが、マリーはそんな周囲の視線など物ともせず、空席のある円卓を見つけ、オリバーと共に腰を下ろした。
「ロクシー伯爵、ごきげんよう。私もご一緒してもよろしいかしら?」
甘ったるい声でそう言うと、マリーは隣に座っていた男に声をかけた。
「これは、これは。クレア嬢、今日は珍しい方と一緒だ」
オリバーの顔を見て驚いたロクシー伯爵は、全身を舐め回すようないやらしい目視線をマリーに向け、ニヤリと笑った。オリバーはあからさまに不快感を感じていた。
マリーはそんなロクシー伯爵の視線など気にせず、オリバーにぴったりと体を寄せて妖艶な笑みを浮かべた。
「ええ、彼とは最近知り合いましたの」
マリーはオリバーの腕に両手を絡めて言った。
オリバーはロクシー伯爵に会釈をすると、マリーを見て微笑んで肩を抱いた。マリーはセンスを広げそっと耳打ちした。
「ロクシー伯爵です。ここに来ている者の中ではこれでも比較的紳士的な人間です。それからあそこの奥にいる赤い燕尾服を着た小太りの男がシェリー男爵です」
「わかりました。それからここに参加している貴族の顔は大体把握できました」
「話が早くて助かります」
マリーの声にオリバーは頷いた。
賭博が始まるとマリーはただ淡々とチップを賭け続けていた。時々小さく勝ち、最終的に手元のチップがなくなるように上手く手加減を加えているのだった。
事前に打ち合わせていた通り、掛け金がなくなると、マリーは隣に座るオリバーの膝に手を置いて微笑んだ。するとオリバーはポケットから金貨を出し、テーブルの上に置いた。
金貨十枚がなくなるたびに席を離れ別のテーブルに移った。二人はいくつかのテーブルを周り、その度に少しずつ負けていき、あうんの呼吸でオリバーがマリーのために金貨を差し出した。
その場にいる者は皆、金髪碧眼の貴族子女の憧れの的である貴公子が、賭博場に通う女に溺れて貢いでいるのだと思ったに違いなかった。
どのテーブルに座っても、男たちがマリーを舐め回すように見ていたのをオリバーは感じていた。マリーの露出の高いドレスから覗く足や、色気が漂う横顔を見て、何を想像しているのが手に取るようにわかった。
オリバーとマリーが「すでにそういう関係になっていて、下世話な目線で見られているのだと思うと、オリバーは怒りが湧いた。
*
時間と共に、男たちの酒と葉巻の量が増え、掛金も大きくなり賭博場は独特の熱気を帯びつつあった。それに合わせてマリーにまとわりつく男たちからの嫌らしい視線も、耐え難いものになっていった。
痺れを切らしたオリバーは、急にマリーの手を引いて立ち上がった。
「もう十分でしょう。いい加減楽しんだので、そろそろ帰りましょう」
マリーは一瞬驚いたような顔をしたが、ニコリと微笑むと頷いて席を立った。そしてそのままオリバーに手を引かれ会場を後にした。
苛立ちを隠せない様子のオリバーは、マリーの手を引いたまま早足で歩き、庭に止まっている馬車に半ば強引にマリーを押し込むと、オリバーもマリーの隣に座った。
「あなたはいつもこのようなことをしているのですか?」
オリバーは憤りを隠すことなく尋ねた。
「このようなこと、とはどういうことでしょうか?」
マリーはオリバーの質問の意図がわからなかった。
「……今のようなドレスを着て、男たちの好奇の目に晒されに行くようなことです」
オリバーは怒りを抑えることができなかった。なぜ怒りが湧いてくるのか、自分でもよくわからない。しかし、マリーが男たちの視線や好奇の目線を浴びせられることに我慢ならなくなったのだった。
「……私は何か間違ったことをしていましたか?」
マリーは感情のこもらない冷たい眼差しをオリバーに向けた。
「……」
「私は任務に忠実だったと認識しています。何か気に触ることがありましたか?」
マリーは口調を強めた。マリーの瞳にも怒りが浮かんでいるように見えた。
「……そうではありません」
オリバーは、ため息をついた。
「……私はただ、あなたが今回の任務で、不必要に尊厳を傷つけられているのではないかと思っただけです」
オリバーは怒りを抑えて静かに言った。
「……私の尊厳は他人からの目線くらいで傷ついたりはしません。それよりも任務に支障があることの方が問題だと考えています」
「……あなたはもっと自分自身を大切にした方が良い」
オリバーはそう言うと、自分が着ていた上着を脱いでマリーの膝にかけると、そっと肩を抱いた。
「仕事とはいえ、そんなに自分を痛めつけないでください」
「……」
オリバーの言葉に、マリーは無言のまま俯いていた。
「あなたが自分を大事にできないのであれば、この任務の間はあなたとあなたの尊厳を大事にすることにします」
オリバーはマリーの顔を見てニコリと笑った。
マリーはオリバーの言葉に顔を挙げると、微笑んでいるオリバーと目が合った。
「……ありがとうございます」
マリーは潤んだ目で微笑んで見せた。マリーが今まで見せていたどの笑顔とも違い、オリバーはようやくこの人の素顔に触れることができたのだと思った。




