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82. 女王の涙

 この一週間、様々なことがダイアナの頭をめぐり、取り止めのないことを考えてはやめ、考えてはやめる毎日だった。


 ダイアナは、亡き皇后のことを思わなかった日はなかった。


 そして、自分にできることは何かあるかと考えてみるのだが、今更何かできることなどないように思えた。自分が立っている場所は、元より砂上の楼閣なのだ。


 自分のいる地位など、すぐに崩れ去ってしまうほど脆いことは明白だった。




 茶会当日、ダイアナは前皇后から贈られたダイアモンドのネックレスを付けた。


 ダイアナはその日、一人の付き人だけを護衛として同伴させることにした。


 離宮は宮廷の敷地内にあるため、さほどの危険はない。それよりも人目に着くことを避けた方がいいように思えたのだ。誰も見ていないことを確認した後、あえて裏門から城を出た。


 皇太子の婚約者が住まう離宮は、ダイアナが側室の頃に住居としていた場所だった。ダイアナにとっては、ただどこまでも孤独な日々で、あまり良い思い出などない。


 馬車が門の前まで来ると、静かに門が開かれて中に通された。ダイアナが住んでいた頃とは庭に雰囲気もずいぶん変わっている。以前は季節の花々が植えられ、彩豊かだったはずの庭は、見る影もなくなっていた。


 庭一面に背の高い草木が植えられており、手入れはされているものの、宮殿の様子がまるで見えないのだ。草木の間にある馬車道を進むと、エントランスで馬車は止まった。


 ダイアナが付き人に手を引かれて馬車を降りると、執事のシモンが出迎えた。


「皇后陛下にご挨拶いたします。ご尊顔を賜り、恐悦至極にございます。準備が整っております。どうぞお入りくださいませ」

 シモンはそう言うとエントランスのドアを開け、ダイアナを中に通した。


 離宮の中はダイアナが住んでいた時とは全く異なっていた。そこは必要最低限の調度品しかなく、殺風景な空間だった。


 ダイアナと付き人はシモンに案内されるままに、食堂の前まで来た。


 食堂の前でシモンは立ち止まって言った。


「大変恐縮ではございますが、これより先のご入室は皇后陛下だけが許されております。お付きの方は控え室でお待ちくださいませ」


 ダイアナは付き人に目配せをし、控え室に待機するように命じた。


 食堂の扉が開けられると、ダイアナの想像していた景色とは全く違ったものが目に飛び込んできた。そこは以前ダイアナがバンケットとして使っていた時とは異なり、会議用の部屋に作り替えられていた。


 シモンに連れられてダイアナが部屋に通されると、皇帝、ルイ、マティスの顔が見えた。ルイの隣には、初めて見る令嬢の顔が見えた。末席には皇帝の側近であるエドやルイの側近であるオリバーも座っていた。


 ダイアナは驚きを隠し、周囲を見渡している時だった。


 ダイアナの前に、見たことのない美しい令嬢が現れ、膝を曲げた。

「皇后陛下にご挨拶申し上げます。ご尊顔を賜り、恐悦至極にございます。アルメリアより参りました、第四王女のアリエルにございます。本日はご多忙の中、茶会にお越しいただき感謝申し上げます」


「……一体どう言うことかしら……」

 ダイアナはそう言うと、皇帝の方を見た。


「ダイアナ、まあ、ひとまずこちらに座れ」

 皇帝はそう言うと、ダイアナに隣に座るよう促した。

 ダイアナは、皇帝の隣の席に静かに座った。


 ホストであるアリエルはダイアナが席につくのを確認すると、周囲を一瞥し、言葉を続けた。

「本日は、急な開催にも関わらず、ご多忙の中ご参列いただきまして感謝申し上げます。アルメリア王国第四王女のアリエルにございます。皇后陛下、騙すような真似をして申し訳ございません。今の私が本来の姿でございます」


 アリエルがそこまで言うと、皇帝が口を挟んだ。

「私がこの国の事を調べさせるために、アリエルをこの国に呼んだのだ」


 アリエルはダイアナを見て続けた。

「はい。私はアルメリアで諜報員として長年活動しておりました。その活動が皇帝陛下の目に留まり、この度ルイ皇太子殿下の婚約者として、この国に赴くことになったのです。ただ、ルイ殿下との婚約が決まった今、私はこの国のために人生を捧げると誓っております。


 本日こちらにお越しいただきましたのも、その件と深く関係がございます。


 もし、皇后陛下がご存知のことがあれば、お話いただけませんか?」



 アリエルがそう言うと、皇帝の強い瞳がダイアナに向けられた。


 その場にいた全員がダイアナの方を見ていた。


 ダイアナはしばらくの間、目を瞑って天を仰いでいた。


 そして、ドレスの袖の中からそっと、ブルーサファイアのブローチを二つ取り出した。


「こちらが前皇后陛下が私に贈られたものです。そしてもう一つが、私が前皇后陛下にお送りしたものです。前皇后が亡くなる前、皇后は私に二度、使者をお送りくださいました。その時にいただいた品が、このブルーサファイアと、この首飾りです」 

 ダイアナの胸には、大粒のダイアモンドが散りばめられた美しい首飾りが付けられていた。


 皇帝はしばらくの間、ダイアナの首飾りを見つめていた。

「……その首飾りは……結婚の際に、私が前皇后に贈ったものだ……そうか、そなたが持っていたか……」


「全皇后が崩御された後、私がこの皇室で困ることのないよう、慈悲と知恵を私にくださいました。こちらが、前皇后が私に託されたものです」


 そう言うとダイアナは二通の手紙を皇帝に渡した。


 皇帝はその手紙を受け取ると静かに読み始めた。しばらくの間、沈黙が続いていた。

 手紙を読む皇帝の目は赤く滲んでいた。


 皇帝は手紙を封筒に戻し、手紙をダイアナに戻した。そして、立ち上がってダイアナに頭を下げた。

「ダイアナ、これまで、前皇后のことでそなたには本当に辛い思いをさせてしまった事を、心より詫びる。全てはそなたを信じ切ることができなかった私の狭心が招いた事だ」


 ダイアナは立ち上がって言った。

「おやめください。どうか、頭をお上げください……私は……前皇后陛下の命を奪った反逆者の娘です。その事をどこかで気づいていながら、今日までのうのうと生きて参りました。陛下から恨まれて当然だと思っております。どんな処罰も受けるつもりです……」


「……ダイアナ、前皇后のことで、自分を責めるな。彼女は全て知っていて、自分でそうする事を選んだのだ。そなたに罪はない。そして、責めを負うべき人間は、そなたではなく別にいる。そのために、今こうして我々は動いているのだ」


「……陛下」


「ダイアナ、私がそなたと結婚し、皇后に迎えたのは議会の計らいがあったからかもしれない。しかし皇后に迎えたのは私の意思でした事だ。そして、そなたを愛することを決めたのもまた私の意思だ。


 それなのに、今までどこかでそなたを信じきれない自分がいることに目を背けてきた。それゆえに、そなたには辛い思いをさせていたのだ。すまなかった……」


 そう言うと、皇帝は静かにダイアナの肩を抱いた。


「……私はずっと陛下に憎まれていると思い、今日まで生きてきました……私は、愛されていたのですね……」


 ダイアナの目から涙が溢れた。


「当たり前だろう。だから、こうしてここにマティスもいるのではないか。こう見えて、私は妻に操を立てる女々しい男だと言ったであろう? 私はもう随分と長い間、君に操を立てている」

 皇帝は笑ってダイアナの方を見た。


 ダイアナはハッとして顔を上げ皇帝を見た。いつか、ダイアナが側室だった頃、皇帝がダイアナに向かって言った言葉だった。その時、ダイアナはその時の言葉は冗談だと思っていた。


 皇帝はそっと立ち上がり、ダイアナの前に跪いた。


「ダイアナ、そなたも今この国の状態がどうなっているのか、大体のことはすでに知っているだろう。ハンプシャー家、ハンブルグ家、スミス家が中心となり、皇室を傀儡として、実質の政権を握ろうと画策している。私はこれまで、なす術がなく手をこまねいていた。しかし、ルイ、アリエル、マティス、そしてここにいる皆の尽力もあり、ようやく我々が動く機会を得ることができた。


 ダイアナ、そなたのことは、私が必ず守ると約束する。だから、どうかこの国のために、そなたの力を貸してくれ」


 皇帝はそう言うと、ダイアナの手を取った。


「……私は、亡き皇后陛下からこの手紙を受け取った時から、何があっても、陛下をお慕いしようと心に決めておりました。その気持ちは今も変わっておりません。私のこの命は、陛下のためにあります」


 ダイアナはそう言うと、皇帝の手に自分の両手を重ねた。皇帝はダイアナの手を強く握りしめた。


「アリエル。そなたのおかげで、ようやく積年の想いが実った。礼を言うぞ」


 皇帝は嬉しそうにアリエルの方を見た。


「私にも、二人目のお母様ができそうですね」

 アリエルは笑顔を向けて答えた。


 これまで黙って見ていたマティスは、満面の笑顔を見せてダイアナに言った。

「母上。私の言った通りだったでしょう? 父上も私も母上を愛していると」


「……そうね。あなたの言った通りだったわね……」

 ダイアナの目には再び涙が滲んでいた。


「良かったな、マティス」

 ルイも優しい笑顔を見せた。


「はい。兄上とアリエル殿下のおかげです」


 マティスが嬉しそうに笑うと、ルイとアリエルは顔を見合わせて微笑み合った。


 ダイアナは、これまで体をがんじがらめに縛っていた緊張が、するりと解けていくのを感じた。そして、不思議そうにアリエルに尋ねた。


「ところでアリエル、どうして私にあのブルーサファイアのブローチを贈ったの? 皇后陛下と私との関係を全て知っているようだったわ」


「それは……えっと……」


 アリエルが言い淀んでいた時だった。


「先日、私とアリエルで母上にそのブルーサファイアを渡した使者に会いに行ってきたからです」


 ルイは涼しい顔で答えた。


「なんと? では、この間のモンテッサへの視察というのは、もしや?」

 皇帝が尋ねた。


「はい。その視察こそが、母上にブルーサファイアを届けた者を訪問するためのものだったのです」


「そうか。しかし、モンテッサは遠いはずだが。一週間ほどで戻ってきたではないか」


「山道を通って、馬で行きましたから」


「なんと? あの険しい道をアリエルも馬で往復したというのか?」


「はい。あれくらいの山道であれば、さほど苦ではないので」


 アリエルは何でもないことのように答えた。


「この娘はなかなかじゃじゃ馬じゃのう、ダイアナ?」


 皇帝はそう言うと、ダイアナとマティスの方を見て優しく笑った。


 二人は口元を綻ばせ、黙って頷いていた。

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